裏切り者《アメリア》
私は自分の機体である〈ベガルタ〉のコクピットにいた。
スクリーンに映る景色は第一○三番天蓋区画周辺のそれで、私は〈ベガルタ〉を頭部のスコープカメラと脚部の駐鋤を展開した狙撃可能状態にさせ、スコープの捉えた的を凝視している。
スコープカメラが捉えているのは全身を純白の装甲で覆った細身の〈インパルスフレーム〉。その手に携えるのは巨大な片刃の大剣。
彼の機体であることはまず間違いない。
『対象をあの白い機体に変更する。撃てるか?』
戦隊長の声。あの時と、”天使の反逆”の時と同じだ。
レティクルの中の白い機体は止まっている。引き金を引けば絶対に当てられる。けれど……。
引き金に添えられた指が、操縦桿を握る腕が、震えていて動かない。
『どうした?まさか、撃てないのか?』
戦隊長の声がコクピットに響く。その声は明らかに今までとは違っていた。
失望と幻滅と嘲りが混じり合ったその声音を聞くだけで全身が固まる。
途端に目の前のスクリーンが全て消え、真っ暗になる。続いてスクリーンにはあの”天使の反逆”で共に戦った第○六治安維持機甲隊の面々の姿が朧げに映る。
「撃てないスナイパーに存在価値などない」
隊長が言った。
「鷹の目、お前は英雄なんかじゃない。後ろから仲間を撃ち殺した。罪人だ」
続いてある隊員が言う。
「過去の栄光にしがみついたままの魔女め」
「仲間殺し」
そしてまた別の隊員が、さらに別の隊員がと続く。
「どうせ見方と敵の区別もつかないんだろ?」
「自分が生きていればそれでいいのか?」
「戦争はお遊びなんかじゃねぇんだぞ」
彼らの怒りが、蔑みが、そして軽蔑が私の心を穿つ。
「……やめて」
とうとう耐えられなくなって、私はか細い声で縋るように言う。
それが彼らに届かないことは私自身、とうに気づいていたはずなのに……。
「裏切り者」
誰かが言った。今の私を写し出したかのようなその言葉。
周りもまたそれに続く。
「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」
「……私は」
ぽつりと言いかけた言葉は案の定掻き消される。
「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」「裏切り者」
「……私はああああっ!」
目が覚めた。
気がつけばそこは第九八番天蓋区画の総合軍病院の自室のベッドの上だった。
無意識に両手で胸を押さえる。速くそして激しい心臓の鼓動、呼吸は荒く、大きく肩が上下している。身体が嫌な汗で濡れている。
強く胸を押さえ付け、無理矢理に鼓動を鎮める。
ゆっくりと深呼吸を数回。なんとか落ち着いた。
そしてベッド横のテーブルに置かれたデジタル式の置き時計の時刻を確認。
《8:36》
一瞬の硬直。すぐに寝過ごしたことを認識する。
「いけない……きゃっ」
急いでベッドから起き上がろうとして転落。身体に強い衝撃を感じると共に両足が動かないことを再認識した。
泣き出したいのを必死に堪えて、冷たく硬い床の感触に身体が慣れるのを待つ。動く気力も無くなるくらいに身体からすっかり力が抜けてしまった。
くすくすと私の中でもう一人の人格が笑っているのが聞こえる。
反論する気にはとてもなれなかった。
――ねぇアメリア。一つ言いたいのだけど……。
未だ僅かに笑いの残る声でアリシアが言う。
「……何……?」
――今日って、非番じゃない?
「あ……」
言われて私はようやく気づいた。確かに今日は非番だ。
それから二、三分の時間を経てすぐに部屋のインターホンが鳴る。
『ヒューリスさん。大丈夫ですか?』
澄んだ女性の声、おそらく私担当の看護婦の声だ。
私がベッドから落ちたという異変を部屋のセンサーが感知して彼女へと知らせたのだろう。
『ヒューリスさん。入りますよ?』
私の返答が無かったからだろうか。看護婦が少し焦った声で言うのが分かる。
ロックの解錠音がして、後を追うようにスライドドアの開閉音。部屋の明かりが灯される。
「ヒューリスさん?!」
ベッドの横で身動きが取れなくなっていた私を看護婦が見つけ、駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「……平気」
看護婦の手を借りて私は再びベッドの上へ。
「本当に?」
怪訝そうな視線を向ける看護婦、控えめに頷いてみせた。
「ならいいんですけど、無理はしないでくださいね。すぐに朝食をお持ちします」
「……今日は、いい」
首を横に振りつつ答える。
目の前の彼女の小さなため息が聞こえた気がした。
それから彼女が取り出すのはこの病院の患者たちの食事量や睡眠時間などの状況を管理している電子端末だ。
看護婦はそれを操作した後で、
「ヒューリスさん。昨日も一昨日も出された食事を残したりほとんど手を付けていなかったりしてますね。四日前は食べた物を戻しちゃってます。いい加減なにか食べないと……」
「いいの。食欲が、無い……から」
「ですが、このままでは健康を害します」
「……」
そんなことは自分でも分かっている。けれど食べたくないのだから仕方ない。
この状態で無理矢理食事をしても以前と同じように戻してしまうのがオチだ。
「いらない……」
「……分かりました。今日の朝食は用意しません。が、近いうちにメンタルヘルスケアの受療をしてもらいますからね」
「え……やだ……」
「受療してもらいます」
「う……」
視線を逸らす。当然と言えば当然だが、メンタルヘルスケアはなんだか気を使われているようで、少し苦手だ。
「ああ、そうそう……」
少し間を置いて看護婦は口を開いた。
「彼、また来てますよ?」
「……え?」
少し考えて、その”彼”というのがミサカ准尉のことを言っているのだと分かる。
先日、彼からの食事の誘いを断ってからほぼ毎日、ある時は彼自身の非番の日に、ある時は職務を終えた後に、彼はこの病院を訪れる。
なんでも謝罪をしたいのだとか。
「……いつもと同じように、彼には伝えて」
「いいんですか?彼、ここのところ毎日顔を出してますけど」
「いいの。私が居ると、彼を傷つけてしまう、から……」
一瞬の間。看護婦が悪戯好きの猫のような笑みを浮かべるまでそう時間はかからなかった。
「もしかしたら彼、貴女に惚れてるんじゃないです?」
「……まさか」
控えめな苦笑いを返す。
「そうでなかったとしても、毎日追い返すのはあまりに可哀想ではありませんか?来て欲しくないのなら直接会って彼に伝えるべきですよ」
「……そ、それは……」
確かにその通りだと思う。このまま彼がここに来る度に追い返すよりも一度自分ではっきりと彼に伝えたほうが彼にとっても良いはずだ。
しばし考えて、私は小さく頷く。
「……ねぇ、私の軍服、とって」
「ちょっと待って、まさか軍服で行くつもりですか?今日って確か非番ですよね?」
「だって、私、私服とか、持ってない……」
看護婦の態とらしい溜息。
そんな呆れ果てた視線を向けられても本当に持っていないのだからどうしようもない。
「まったく、しょうがない人ですね」
彼女のそんな言葉に少なからず嫌な予感を感じる。
「でしたら病院にあるものをお貸ししますよ」
笑みを浮かべてみせる彼女、是が非でも私に軍服以外のものを纏わせたいらしい。
「……それって、ナース服?」
「違います」