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箱庭

 天蓋区画という"人間"が建てた建造物がある。

 それは一つの都市を囲うドーム型の巨大な建造物とその中にある都市を含めてそう呼ばれており、分厚い鋼の壁によって外界から遮断されたドームの中には人間の生活が行えるよう、空気や水、温度と言った環境が整えられている。

 そこに住む人々にとって今や一つの世界ともなっている天蓋区画だが、その設計のコンセプトはシェルターだったと言われている。

 いつの日か人類が〈機神〉を滅し、再び外での暮らしを取り戻すその時まで、人類を守る要塞。

 だから、天蓋区画はそのいつかが来て、人類が再び外の景色を見る日が来ればその役目を終えるはずなのだ。

 しかし、未だに人類はこの箱庭の中で生活している。

 その理由はたった一つ。

 今現在も人は〈機神〉を滅ぼせていない。


 〈機神〉。それは人口知能を搭載した十八種の無人殺戮兵器である。

 大きさは最も大きなもので全長一○○メートルを超え、永久機関である不朽駆動炉(Immortal Drive Reactor略してIDR)を動力源として永遠に稼働する生きた鉄塊。

 これらは今から百年ほど前に”人間”と敵対する”獣”を滅ぼすために旧アレクス帝国が作り上げたものだ。

 アレクス帝国は数ある国の中でもとくに獣への当たりが強く、全獣の絶滅を掲げた強権的な政治を行なっていた。

 しかし、〈機神〉の開発で財政が悪化、度重なる増税や社会保障の空虚化によって、国民の不満が募る中、隣国の支援を受けた自国の軍がクーデターを起こし、その混乱に乗じて十八種の〈機神〉は解き放たれた。


 やがて未完成のそれらは”人間”と”獣”の双方を平等に殺戮し始める。

 獣たちは早期に撤退を決め、世界最大の雨林を捨てて後退。一方で愚かな人間は自分たちの場所を守るために戦った。

 〈機神〉が放たれて僅か一週間でアレクス帝国が滅び、半年のうちにその隣国の国々が次々と滅んだ。

 そうして五年が経った頃、愚かな人類はようやくそれらには勝てないことを悟る。

 既に一つの大陸が〈機神〉のものとなり、総人口の三割が犠牲となっていた。

 追い詰められた人間たちは主要な都市を分厚い鋼の壁で囲い、その上から蓋をして一つの大きな生体反応遮断施設とし、天蓋区画と名付けた。

 以来人類はその狭い箱庭の中で暮らしている。




 自身の住む第一〇七番天蓋区画内で、ロイはそんな当たり前の事実を意味もなく携帯端末で調べながら、家から学校までの道を歩く。

 歴史好きというわけでもないのに、なぜ急にこんな事を調べたのか。

 その原因はおそらく今朝の夢だろう。

 きっと、夢の中で見たあの草原と比べて、何もかも作り物で誤魔化された天蓋区画の中の景色が不自然に見えたからに違いない。

 ふと空を見上げる。上空に広がる群青は、もちろん本物などではなくホロスクリーンに映された偽物だ。


「あの空とは違う」


 かつて見た本物の空と見比べて、僅かに目を眇めた。

 携帯端末をスリープモードにして着込んだ制服のポケットに入れ、少しだけ歩く速さを速める。

 複雑な裏路地を抜けて大通りに出た僕は建物の壁面に取り付けられたモニターに映る報道番組を横目に駅へと向かう。

 液晶には大きな《第三工業地区周辺でスモッグ発生》の文字。


「……今日はうちの学校の近くだな」


 僅かに眉を寄せる。最近スモッグの発生率が高い。どうもこの天蓋区画に設置されている大気浄化装置が近年次々と寿命を迎え、交換が追いついていないのが原因らしい。

 駅の改札を潜り、時代遅れとも言える型の古い列車に乗って学校最寄りの駅へと向かう。

 車内には空いている席がいくつかあったが座らずに、列車から降りやすいように出入り口の近くに立った。

 僕が住んでいる地区の駅から目的の駅までは二駅しか離れていない。座る理由など皆無だ。

 窓ガラスの外、工業地区の景色を眺める。

 所狭しと詰め込まれるように並んだ貧しい人々の居住地、工場の煙突やクレーン。それらが視界の左から右へと流れてゆく。


「よぉ、ロイ」


 唐突に名前を呼ばれ、振り返る。

 見れば同じクラスの友人であるディーヴァル・レイハードが通学鞄を肩に掛けて立っていた。

 着崩した制服に、短く狩られた紺色の髪、すらりと高い長身に鍛え抜かれた身体を持ち、父親譲りの鋭利な顔立ちがどこか野性味を感じさせる。


「おはよう、ディーヴァル。同じ電車だったんだ」

「おはよう、ディーヴァル……じゃねぇよ。何回も名前呼んだのに無視しやがって」


 ディーヴァルが不機嫌そうに眉を寄せる。

 彼はオーバーブレイブスの生き残り三人のうちの一人、僕よりも早く治癒カプセルでの治療が終わったシグルド・レイハードの長男で、唯一僕の正体と年齢を知るクラスメートである。


「無視はしてない、気づかなかっただけさ」

「どうせまた考え事でもしてたんだろ?この妄想厨が」


 ディーヴァルが呆れ気味に笑う。


「それはそうと、お前、今日早くないか?いつもは遅刻ぎりぎりだろ?」

「失礼な、いつも登校時刻より五分……いや、三分くらいは早く着いてる」

「ぎりぎりじゃねぇか」


 言って、彼は鼻で笑った。


「間に合えばそれでいい」

「……まったく、お前ってやつは、」


 頭をがりがりと掻いて、ディーヴァルはわざとらしいため息を一つ。


「んで、今日は何で早いんだ?課題忘れか?それとも呼び出しくらったか?」

「失礼な、僕は朝っぱらから呼び出しをくらうほど問題児じゃないよ」


 言葉に苦笑を添えつつ適当に話を濁す。

 今朝見た夢に影響されて家を早く出てきたとは恥ずかしくて言えるわけがない。

 目的の駅への到着を告げる車内アナウンス。

 駅のホームに停車した列車の扉が開くとともに僕とディーヴァルは揃って列車を降りた。


「おいおい嘘はいけねぇぞ、ロイ。オーバーブレイブスなんて問題児と気狂いの集まりだって問題児だった俺の親父が言ってたんだぜ?」

「……シグルドの奴、次会ったら一発ぶん殴ってやろう」


 いつも通りの談笑。駅を行き交う人々の群れを器用に避けながら、駅の改札を抜けて学校へと足を進める。

 駅から学校までは少し歩かなければならないが、シグルドのオーバーブレイブス時代の話で盛り上がっていたらすぐに学校に到着してしまった。

 教室に入った僕は自分の席である窓際の一番後ろの席に腰を下ろす。

 ディーヴァルはと言うと自分の机の上に鞄を放り出して、男友達との会話に勤しんでいる。

 いつも生徒たちの談笑で活気づいている教室だが、今日は一段と騒がしい。

 少しだけ気になりはしたが、構わず鞄から文庫本を取り出して読み始める。

 本を読む手段として電子書籍なるものがあるが、どうも慣れず、今でもこうして時代遅れの文庫本を通学鞄に入れているのだ。


「ローイ君」


 前の席から名を呼ばれ、視線だけを上げた。

 僕の目が体をこちらに向けている女子生徒の姿を捉える。

 橙にも似た明るい茶髪を後ろで一つにまとめ、目はそれよりも少しだけ濃ゆい茶色。

 端正な顔立ちの彼女はクラスの男子からの人気も高い。


「クリアスリッドさん、どうしたの?」

「もぅ、クリアスリッドは長いからミレイナでいいっていつも言ってるじゃん。未だに名前で呼ばないの君くらいだよ?」


 垂れた髪を耳に掛けつつ、彼女は微笑む。

 彼女の名前はミレイナ・クリアスリッド。この学校で機械整備を専攻し、上位の成績を収めている。

 当然ながらこの工業士官学校は卒業後すぐに働くことができる即戦力を育成する学校だ。

 軍事機械工学科、軍事兵器工学科、軍事戦術学科、斥候技術学科のいずれかを選択した上で入学する。

 始めのうちはクラス全員で同じ授業を受けることになるが一年時の後半からは選択したものがさらに細かく分類され、その中で自分がどれを専攻するのかを決めるのだ。

 ちなみに僕が専攻しているのは軍事機械工学科の分岐である機械操縦の分野。

 理由は簡単だ。元メネア連邦軍所属の操縦士(パイロット)だった僕は機械操縦に関してはそれなりに知識があるつもりでいる。

 実技演習で〈インパルスフレーム〉を使う機械操縦であれば前日の軽い復習だけで定期試験でもある程度の点数が取れ、留年も免れるというわけだ。


「おーい。ロイくーん?」


 目の前でミレイナがぱたぱたと手を振る。

 どうやら、僕はまた人の話をすっぽかして呆けていたらしい。


「あ、えっと、なに?」

「なに?じゃないよっ! 人の話ちゃんと聞かないとまた先生に怒られるよ?」

「ああ、ごめん。それでなんの話だったの?」


 彼女は僕の言葉を受けて僅かに眉を寄せ、不機嫌そうな表情を見せる。

 それから数秒の間を置いた後に小さくため息を吐いた。


「明日転校生が来るらしいよ。この教室にね」

「へぇ、それでいつもより教室が騒がしいのか」


 読みかけの本を閉じ、納得したように頷く。


「へぇって、それだけ?もっと他にないの?」

「他に……例えば?」

「例えばほら、むこうの男子たちみたいに男の子か女の子か~とか」

「あれは多分、男子か女子かで賭けてるんだと……」

「余計なことは言わないでよろしい」


 ぴしゃりと額を弾かれる。鈍い痛みが額を覆う感覚。右手で弾かれた部分を軽くさすった。


「でも、賭けてみるのはおもしろそうだよね」


 くすりと微笑み、彼女は言う。


「ねね、私と君で転校生が男の子か女の子か賭けてみない?負けた方が勝った方に何でも一つ好きなものを奢る!」

「……嫌だよ」


 細く綺麗な人差し指をぴんと立てて年相応の起伏がある胸を張る彼女に僕は首を横に振る。


「ええー。どうして?」

「僕は昔から賭け事には弱いんだ。それに、高額なものを要求されそうで怖い」

「ロイ君って私のことどんな人だと思ってるの?心配しなくても、そんな意地の悪いことしないって」

「……」

「じゃあ私、転校生が女の子である方に賭けますっ」


 僕は訝しげに目を細めてみたり、嘆息してみたりするが、そんな無言の抵抗は彼女には通じない。ミレイナは勝手に賭けを始めてしまった。


「……君が女子の方に賭けたら僕は男子の方に賭けるしかないじゃないか」

「私と同じのに賭ける?」

「それじゃ勝負にならないだろう」

「うんうん。やっぱり賭けごとはこうでなくちゃね」


 一体何が楽しいのか。先程からくすくすと笑い続けているミレイナを見やって、僕はもう一度溜め息を吐いた。

 それから少しだけ賭けの内容について考えて、すぐに一つ疑問を抱いた。


「……クリアスリッドさんは、本当に女の子の方に賭けるの?」

「ん?」


 彼女が目を瞬かせ、それから小首を傾げる。

 分からないという顔をしているが、この学校に通っている以上彼女だって知らないはずはない常識的なことだ。

 この学校は工業を名前に含んではいるが、軍人を育成する士官学校である。つまるところ、男子が多い。

 特に機械工学なんて力仕事が多くなる分野においては女子の数は極端に少ないのだ。


「君も知ってるだろ?ここは工業士官学校だ。男子が多くて女子は少ない。現にこのクラスの男女比も均衡がとっくに崩れ去ってる。明日来る転入生だって……」

「そんなの転入生が来るまで分からないよ?」


 言いかけた言葉を遮って彼女は言った。


「それは、そうだけど……」


 そのもっともな正論に押し黙る。

 論破できたことで満足感を得たのか彼女がくすりと微笑んだのが分かった。


「だから、君は大人しく男の子に賭けておきなさい。結果は転校生さんが来てからのお楽しみだよ」

「……分かった。そうするよ」

「よろしい」


 彼女はどこか自慢気に笑う。つられたわけではないが、僕も曖昧な笑みをこぼす。

 ひとしきり笑った後は特に話すことも無かったので会話を切り上げて閉じた本を再び開こうとしたが、その前に彼女が口を開いた。


「あ、そうだロイ君、今日放課後残れる?」


 別の話題へと話を変え、ミレイナは口元に微笑みを浮かべたまま聞いてくる。

 彼女は僕がクラスであまり言葉を発しないことを知っているのだ。僕自身は無理をして人と話す必要はないと思っているからこそ黙っているだけなのだが、彼女はそれが気に入らないらしく、よくこうして話を振ってくれる。


――お節介、とは流石に言えないな。


 僅かに間を置いて答える。


「放課後?どうして?」

「いや、この前機械整備に新しいIFが入ってくるって話したよね」

「ああ、そんなことも言ってたね。でも、学校に送られてくるIFは大体が中古だろう?」


 興味ないと言わんばかりに目を逸らすと彼女の苦笑が返った。


「いや、まぁ、確かに君の言った通り中古なんだけど、色々と改造(チューン)されてる機体みたいでさ、機械整備担当の先生たちも頭を悩ませてるから君に見て欲しいの。ロイ君旧型の機体にも結構詳しいでしょ?」

「……なるほどね」


 僕は制服のポケットから小型端末を取り出して操作する。

 今日の放課後の予定を確認するためだ。

 カレンダーの今日の日付を指でタップ。頼んでいた電子部品が配達される日だとは表示されていたが、その他に目立った予定は無い。


「今日の放課後は多分残れると思うよ。バイトも無いし」


 端末をしまいながら言う。

 ちょうどホームルーム開始時間を伝えるチャイムが鳴り始め、今まで話していた生徒たちが足早に自分の席へと戻り始める。


「よかった!じゃあ、今日の放課後四一◯(ヨンヒトマル)までに整備棟の正面に入り口集合ね」


 ホームルーム開始の挨拶の直前、彼女は小声でそう伝えてきた。

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