すれ違う二人
「じゃあ、言ってみてよ!僕が死んで誰が悲しむって言うんだ!」
ミレイナ・クリアスリッドは困惑していた。
第一◯三番天蓋区画の主要軍施設の一角に位置する廊下、閉ざされた部屋の扉の傍でその先の行動を起こせぬまま立ち尽くしている。
統括指令であるシグルドからロイ・グロードベントが目を覚ましたと聞き、早速彼の見舞いに訪れたはいいものの、部屋の中で互いに声を荒げて言い合っている二人の声を聞いてしまったのである。
――ロイ君が、死ぬ?
盗み聞きのつもりは毛頭無かったのだが、耳に入ってきた言葉は少し気掛かりだった。
「……ろ、ロイさんの馬鹿ッ!もう知りません!」
少女特有の高く、よく澄んだ声に少しだけ肩を竦める。
スライドドアの開く音。目の前を“獣”の少女が涙を流し、嗚咽を漏らしながら駆けて行った。
私は少女がその長い黒髪が左右に揺れながら遠ざかってゆくのを何度か瞬きしつつも呆然と眺め、再び閉じた部屋の扉にゆっくりと目を向ける。
私は部屋に入るべきか、否か悩んだ。
たまたま通りすがった女性士官たちがくすりと笑みをこぼしたのが聞こえて私は赤面する。
傍から見ればそれは一人の恋焦がれている少女が相手の部屋に入るのを躊躇っているようにも見たのだろう。
焦るように部屋の扉をノック。電子ロックの開錠音とともに扉が開く。
「リン、さっきは……あれ、ミレイナ?」
彼は備え付けのベッドから半身起こした状態で、想像していたよりも元気そうだった。
「ロイ君、えっと、あの、私、シグルド中将から君が目を覚ましたって聞いて、それで……」
「ああ、もしかして聞いちゃった?」
彼が苦笑しつつ言う。私は黙って頷くほかなかった。
「ごめん、いい年して喧嘩なんてみっともないよね」
「あの子、リンちゃんだっけ?泣いてたけどいいの?」
「いいと思う?」
「いや、思わない」
即答した。彼はバツが悪そうに苦笑を返す。
「なんか、死ぬとか悲しむとか聞こえてたけど何が原因だったの?私でよければ話聞くよ?」
「…………」
彼はしばらく口籠もり、さらにその倍ぐらいの思案する時間を設けてからやっと口を開く。
「いや、それが……」
*
軍の施設特有の入り組んだ通路を右へ、左へ、行くあても無く”獣”の少女は駆ける。
すれ違う人が少ないのはきっと今が夜だからだろう。
それでもたまにすれ違う夜間任務中の士官や巡回当番の兵士達がこちらを驚愕に満ちた表情で見つめてくる。
流れ落ちる涙をそのままに通路の突き当たりを右に曲がった瞬間に勢いよく対向者とぶつかって軽い少女の身体はノックバックする。
激しく臀部を床に打ち付けて少女は止まった。
「おい、大丈夫か……ってお前、森でロイと一緒にいた」
差し伸べられる大きな手。ゆっくりと顔を上げると長身の青年の姿。
鋭利な顔立ちと短く刈り上げた紺色の髪が特徴的な彼、確かロイの友人でディーヴァルと言ったか。
彼は泣いている私を見た途端、困ったような、驚いたような、はたまた怪訝そうな、そんな表情を見せる。
「お前、なんかあったのか?」
「……うぅ、ぐすっ……ロイさんの、ばかぁ」
溢れ出そうな(もうすでに溢れている)涙を必死に堪えようとしながら、絞り出した言葉に彼はさらに怪訝そうに眉を寄せる。
「あぁ?そいつはどういう……」
彼は不自然に言葉を切って目線を別方向へと向ける。
反射的にその動きを目で追った。
視線の先には巡回中らしき二人組の兵士の姿、ひそひそと何か話しているようだが丸聞こえだった。
「おい、獣だ。なんでこんなところにいるんだ?」
「よせ、関わるな。というか、もう泣かせてる奴がいるぞ何したんだ?」
兵士たちの視線を追って、私は再び手を差し伸べようとするその姿勢のまま硬直している彼の方へと目を向けた。
紺色の髪を短く刈り上げた頭をがりがりと掻き、彼は焦ったように口にする。
「おい、こっちだ」
「ふぇ?」
私は彼に手を引かれ駆け足気味にその場を立ち去った。
*
「最低……」
若干引いた様子のミレイナにため息混じりにそう言われ、僕は力無い苦笑を返す。
ちなみに、彼女には僕がリンと喧嘩した件についての事のあらましを説明した次第である。
「いやいや、ロイ君。あからさまな自殺願望叩きつけて、そのくせ自分が死んでも悲しむ人はいないなんて自分勝手過ぎでしょ」
「……だって、本当のことだ」
あくまで真顔のまま答える僕を見て彼女はいささか驚いたようだった。
そして態とらしく頭を抱え、これは重症だね、などと小さくこぼす。
「ロイ君、君が死んでも悲しむ人はいないから死んでもいいなんて、間違ってるよ。だって、私はロイ君が死んだら悲しいもん」
僕は黙った。彼女がは僕の犯してきた罪を、人の命を奪ってきた罪を知らないから簡単にそう言えるのだ。
本当の事を知ればきっと幻滅するに違いない。
「……そういえば、少し前に第一◯七番天蓋区画でニュースがあったよね」
けれど、僕はどうしようもなく臆病者で、だから本当の事を素直に打ち明けることをせずにちょうど最近起こった事件を引き合いに出した。
「子供ばかりを誘拐して殺してた殺人犯が捕まったって話、もちろん知ってるだろう?」
「う、うん」
彼女は話の意図をうまく理解出来ていない様子で僅かに首を傾げる。一それに伴ってつにまとめた薄茶の髪が揺れ動いた。
「もし彼に死刑が言い渡されて、己の命で罪を償うように言われたとする。君は、彼が死ぬことに対して悲しんだりする?」
彼女はすぐに答えることをしなかった。
しばらく考え込んでいた彼女はやがて小さくではあるがゆっくりと頷く。
「……ロイ君、私の答えは二つ」
「……?」
予想外の答え。手元に落ちていた視線が彼女の方へと向く。
「まず一つ、その殺人犯が自分の娯楽として殺しをやっていたなら、私はきっと彼が死刑になっても何も思わない。むしろざまあみろって、そう思うよ」
彼女が最初に口にした答えはそれは僕が求めていたそれだった。
殺したら、己の命をもってその罪を償う。誰もがその死を当然のものとし、悲しむ人間など誰一人としていない。
しかし……。
「二つ目は?」
「二つ目は、もし、本当にもしものことだけど、その殺人犯が娯楽でなく、自分の意思に反して人を殺めてしまった時、かな」
「自分の意思に反して……?」
僕は一度緑玉の瞳を瞬く。
「ほら、たまに聞くでしょ?流れ弾が仲間に当たったとか、トレーラーがノックバックした友軍のIFの下敷きになったとか。もしくは……」
ミレイナはちらりと僕に視線をくれた。
「自分の中にいるもう一人の人格が本来の意思に反して不特定多数の人間を殺した、とか」
「――ッ?!」
おそらくその言葉を聞いた瞬間に僕は両の瞳を大きく見開いた。
動揺を隠しきれない僕を他所に、あくまで真剣な面持ちのまま彼女は続ける。
「ロイ君。私ね、シグルド中将にRAGEシステム使用時に伴う負荷を軽減する処置について話を聞いたの」
「どうして?!知っていることが上に知れたらただじゃ済まないぞ!」
ミレイナは頷く。それも強く。
「もちろん知ったら後には引けないって言われた。けど、それでも私は知りたかったの、君をそれほどまでに臆病にさせるRAGEシステムについて」
「…………」
「君は君の中にいるもう一人が殺人を行ったことを気に病んで、その償いとして死にたがっているんじゃない?」
ミレイナが僅かに首を傾げる。後ろで一つにまとめた髪が揺れた。
「……そうだよ。僕はこの手で大勢の人間を殺したんだ。その罰は受けなきゃいけない」
僕は強く拳を握る。
「ロイ君……」
「言わなくていい」
言いかけた彼女の言葉を遮って僕は言う。
「君も、リンも優しいから言うんだろ?僕とレイは違う。別人だって」
くすり、と笑いが聞こえた。
ミレイナが笑っていた。それもどちらかというと嗤いに近い微笑み。
「ロイ君、私、そんなに優しくないからね」
だから、と続ける。
「言わせてもらうよ。ロイ君、君は死にたがっているんじゃなくて、逃げたがっているんだよ」
「……逃げる?」
「そう、今の君は早く死んで、自分の犯してきた罪から逃げたいだけ、それって償いでも何でもないし、ただの自己満足」
彼女の細い指が僕の額を小突く。
「もし君が本当に罪を償いたいなら、今まで殺めてきた彼らの分まで自分が生きる。それが今の君に出来る一番の償いじゃないかな」
ミレイナのその言葉を完全に理解するまでに僕はしばしの時間を要した。
生きる。
それは僕にとって人を殺したという事実を、罪を抱えて、それに一生縛られて、それでも死ぬことは許されない苦行にも値する行為。
だからこそ償いと言えるのかも知れない。
「……そうか」
やがて僕は微かな笑いと共にそうこぼした。
初めて生きる理由を得た。そんな気がした。
「ありがとう、ミレイナ。ようやく答えが見えた気がするよ」
「ふふ、どういたしまして。でも、償いだけが生きる理由の答えじゃないよ。これから生きていく中でロイ君がそれを見つけていくの」
「どうやって……?」
態とらしい溜め息。彼女が深く肩を落とす。
「君、話聞いてた?」
「聞いてたよ」
「だったらちゃんと学んでよ。……うーん、そうだなー、例えば……」
ミレイナは細く白い人差し指をぴんと立てて見せる。
「喧嘩したあの子と仲直り、とかね」
*
私が正面衝突してしまった青年は改めて自分はディーヴァル・レイハードだと名乗った。
彼は軍に所属した際に割り当てられたという部屋に私を連れ込んだ。
おそらく術が解けてしまっていた私がこれ以上人目に触れないようにと配慮してのものだろう。
ロイが運び込まれた客人用の一人部屋と違い、彼の部屋は二段ベッドが二つも備え付けられている相部屋。
一人部屋よりも広いはずなのだが二つもある二段ベッドのせいか妙な圧迫感がある。
「誰もいないのですか?」
先程に比べ、気分も落ち着いてきた私は自分と彼以外に誰もいない相部屋を見渡して言った。
「俺は親父のコネで最近ここに配属されたんだが、あいにく他の部屋が一杯一杯らしくてな。四人部屋に一人寂しく寝泊まりしてるってわけだ」
「そう、なのですね……」
「まぁ、一人の方がゆっくりできるし、俺は気に入ってる。一日中むさくるしい男どもと生活してたら気が狂っちまう」
彼はそう言って笑う。吊り上がった口の端から白い歯が覗いた。
「お前、コーヒー飲めるか?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
ディーヴァルは棚の上に置かれた給湯ポットの電源を入れながら市販のインスタントコーヒーのパックを取り出す。
「市販のコーヒーを淹れるのですか?」
「ん?ああ、軍のコーヒーはやたらと甘くて好きじゃねぇんだ」
彼はパックの入っていたビニールを一瞥してゴミ箱へ放る。
直後に湯が沸いたことを知られる小さな電子音。
人間の給湯機というのはとても優れており、少し話していたこの間に湯を沸かし終えるのだ。
彼はコーヒーを二カップ分作り、この一つをこちらに寄越した。
両手で包み込むようにそのステンレス製のカップを受け取る。
「で、お前は何で泣いてやがったんだ?」
言いながら窓際の椅子に腰掛けながらその向かいの席に私にも座るよう促す。
「う……それは……」
「ロイの奴と喧嘩でもしたか?」
「…………はい」
やや俯き気味に、蚊の鳴くような声で言った。
「あのロイが喧嘩するなんて、珍しいな」
ぎくり、と背中に正体不明の冷たい感覚が走る。
落ち着きを取り戻しつつある今だからこそ様々ことを冷静に考えることができるようになり、自分にも非があったのではないかと思うようになる。
そして私はあることを思い出し、私にも非があるのだということを確信する。
ちょうど口に含んだコーヒー、別に苦手という訳ではなかったけれど、それはとても苦く感じた。
「おーい。大丈夫か?」
ロイのそれよりも少しだけ大きい掌が自分の目の前で左右に揺れる。
「……あ、あの、ディーヴァルさん」
「んん?」
「私、私……」
ぎゅ、とカップを持つ両手に力が篭る。熱い。
「ロイさんに酷いことをしてしまったんです。どうしたらいいでしょうか……?」
彼はきょとんとする。
「いや、それだけ言われてもな。具体的には何をしたんだ?」
「…………平手打ちを、一発」
俯いたまま、上目遣いにちらりと彼を見る。
あからさまな失笑。
「……マジか」
「……えと、まじ、です」
*
喧嘩の原因と理由を聞いた。
どうやら本当に目の前の"獣"の少女はロイに平手打ちをくれてやったらしい。
小さなテーブルを挟んで向かいの席に座る彼女は俯いたままで両の獣耳をだらりと垂らしている。
前髪で隠れて目元はあまり見えないが、頬は見事に朱に染まっていて垂れた両耳と共にそれが事実であることを伝えてくる。
「ふっ……」
僅かに吹き出す。
ロイが目の前のこの少女に平手打ちされた瞬間を想像してしまったが最後、俺は堪えきれず声を上げて笑いだした。
「わ、嗤うことないじゃないですかぁ!」
「そんなこと言ったってなぁ、俺の知ってるロイは真面目な奴だからな。女に殴られたなんて聞いて笑わない方がどうかしてるだろ」
必死に抑えた笑いに震える唇を無理矢理動かして言葉を繋ぐ。
「……でも、まぁ、あいつが死にたがってるってのは何となく分かるかもな」
俺はステンレス製カップを傾ける。抑えた笑いもコーヒーと共に呑み込む。
彼女の片耳が少しだけ動いたように見えた。
「でも、ロイさん、貴方には昔のことをお話ししていないようでしたが……?」
「そうだな、でも日頃一緒に授業とか受けてると感じるのさ。あいつはなんていうか、嫌々戦ってる感じがするんだよな」
「嫌々……?」
ああ、と頷く。
「あいつはもとオーバーブレイブスだから操縦実技の成績はそりゃあ教師が目を剥くほどの腕前なんだが、シュミレーター実習でもあいつは絶対に相手のコクピットを狙わねぇし、コクピットを潰すしか手が無くなったら自分で操縦桿から手ぇ放しちまうしで、よく教師に怒られてたんだよ。真面目にやれってな」
ロイ・グロードベントという男はIF操縦技術に非常に長けた人物であるが、決して人を殺さない。それはシュミレーターのシステムが相手でも変わることはなく、彼はそれほどまでに人を殺さないことを徹底している。
一種のゲームにも似たシュミレーター実習において誰もがこぞって撃墜王を目指す中、彼一人だけが……。
「教師に怒られた時、ロイは決まって同じ言葉を返す。他人を殺して自分が生き残るくらいなら自分が死んだ方がましだってな」
目の前の少女がはっとなった。
大方、何処かで似たような台詞を耳にしていたのだろう。
「だから、お前の話を聞いてやっと謎が解けた。ロイのあの言葉はきっと自分が犯してきた罪をこれ以上繰り返さないように思ってのことだったんだろうな」
「だからって彼が命を絶っていい理由には……」
コーヒーを一口飲み、俺はゆっくりと頷く。
「そうだな。だが、ロイを説得するなんて俺にはできねぇ……いや、それをやるのは俺じゃあねぇ」
「そんな?! ではディーヴァルさんはロイさんが死んでもいいといいと言うのですか?」
「そうは言ってねぇだろ。いいか?ロイは自分が過去に犯した罪を俺じゃなくお前に話した。これが何の意味もないなんてお前も思ってねぇだろ?」
微かな呼吸音。カップを囲うように持った彼女の両手に力が篭るのが分かる。
「だからきっと、死にたがりのあいつが死なねぇように支えてやるのは俺じゃなくお前の役目だ」
「私の、役目……」
それから彼女は少し考えた。
「……でも、どうすれば……?」
ちらり、とその黄玉色の瞳を向けられ、俺は少しばかり言い淀んだ。
おそらく彼女の様子からして今までも死にたいと口にするロイに声を掛け続けてきたのだろう。
もし、それで彼を説得できていたのなら彼女は泣きながら廊下を走ってなどいるまい。
声を掛け続け、それでも駄目で、リンは今ここにいる。
つまり、俺はここで何かリンが行動を起こしやすくなるようなアドバイスを提示する必要があると思った。
あるいはそれは、俺の勝手な思い込みに過ぎないのかもしれないが、これからロイとリンが距離を縮められず、空白とも呼べる時間を過ごすのは俺も望むところではない。
「……そうだな。とりあえずロイを誘って基地の外に出てみるってのはどうだ?二人で外に出りゃあ自然と仲直りぐらいできるだろうし、あいつの生きたくなる理由の一つや二つ、見つかるんじゃねぇか?」
「基地の外に、ですか?でもでも、ロイさんはその、お仕事とかあるのでは?」
彼女が尾を一振り、小首を傾げる。
「お前らは多分保護対象扱いだろうから任務だのなんだのは気にしなくていいし、親父もこういう面白いのは好きだから納得するだろ」
彼女の動きが一瞬止まった。
「面白い……?」
「あ、いや、なんでもねぇよ。忘れてくれ」
歯切れの悪い返事、俺は残ったコーヒーを一気に飲み干した。
「はぁ……?」
彼女は最後まで腑に落ちない表情をしていたが、俺は降って湧いた面白そうな話のネタに口元がにやけるのを堪えるので必死だった。




