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〈RAGE〉を知る者

 僕たちが退路の果てにたどり着いたのは行き止まりだった。

 目の前の壁に記された大きく《7》の文字と縦に入った不自然な亀裂から、僕たちの前に佇む巨大なそれが扉だと分かる。


「これは、とても開きそうにないな」


 扉に触れる。掌に伝わる鋼の冷たく硬い感覚。

 振り返り、リンに引き返そうと言おうとした時、僕は彼女の様子がおかしいことに気づく。

 リンは獣耳を真っ直ぐ立てたままその先に広がる暗闇を凝視している。


「リン……?」

「……ロイさん。可能なら呼吸のペースを抑えてください。嫌な感じがします」


 彼女が一歩後ろに後退する。

 やがて僕も彼女の感じている違和感に気づいた。

 僅かに香る甘い香り。

 それをしばらく嗅いでいると意識が朦朧としてくる。

 その香りの正体が睡眠ガスであると気づいた時にはもう遅かった。

 足がふらつき、バランスが崩れる。


「……ロイさんッ!」


 倒れる僕を彼女が支えてくれるのが辛うじて分かったので、薄れゆく意識の中、僕は必死に口を開く。


「り、ん。逃げ……ろ」


 言い終えると同時にあっけなく僕の意識は暗がりに沈んだ。


 *


 第一〇三番天蓋区画、メネア連邦軍基地にて。

 臙脂の壁紙や骨董品の家具が父親の趣味を感じさせる統括司令のオフィスでアンティークのデスクについたこの番天蓋区画におけるメネア連邦軍統括司令、シグルド・レイハードが深く息を吐いたのをディーヴァルは感じ取った。

 俺は共に軍へ志願したミレイナと二人、入隊早々に呼び出しを食らって統括司令たる彼の前で直立姿勢を続けている。


「ここへ来たということは、まだ奴の捜索を諦めてはいないのだな?」


 向けられる軍人としての父親の視線。

 彼は東方の出身で黒髪黒眼が特徴的な男で、その切れ長の瞳や野性味の強い顔立ちは息子である俺にもしっかりと受け継がれている。

 統括司令の問いにミレイナとほぼ同じタイミングで頷いた。


「……実のところ、ロイ・グロードベント元上級大尉の捜索は上層部から許可されていない」


 統括司令はデスクの上で手を組む。


「何故だか分かるか?」


 沈黙が落ちた。

 俺もミレイナも何も知らない。だから答えない。


「あの男は軍で禁忌とされたあるシステムについて知り過ぎている。上層部は奴をこのまま事故死扱いにしたいのだろう。もし……」


 シグルドご僅かに目を眇める。


「もし、元上級大尉の生存が確認されたとして、それが上層部に知れれば彼らは死にものぐるいで身柄を確保しにくるだろうな。何せそのシステムの仕組みと実態が広まるだけで軍の信用が地に堕ちるほどの代物だ」

「軍を転覆させるほどの情報……それを、あいつ……元上級大尉は知っているのですか?」


 そうだ、と統括司令が頷く。


「お前たちはRAGEというシステムを耳にしたことがあるか?」

「……っ」


 右隣に立つミレイナが僅かに息を詰める。それを見逃すような父親では無いだろうが、言及することはしなかった。

 〈RAGE〉というシステムについて俺は名前だけロイを通じて聞かされていたので知っていた。

 それが何をするためのものか聞いたこともあったが、彼はいつも誤魔化すような返事を返すだけで詳しく話そうとはしなかったけれど……。


「……そうか」


 つかの間の沈黙を破って統括司令は一人納得したように呟く。


「知らないならば、その方が良い。……お前達には秘密裏に元上級大尉の捜索を行なっている特別小隊に加わってもらう。詳細は電子メールにて各自の端末に送信済みだ。何かあれば小隊長に尋ねるといい」

「「了解」」

「ああ、それと……」


 統括司令はデスクに埋め込まれたタッチパネルを操作しながら言った。


「クリアスリッド伍長は残れ、話がある」


 場の空気が一瞬、冷えた。


「待ってくれ、親父」


 ついいつもの調子で話しかけた俺に統括司令は鋭い視線を向ける。

 その視線に一瞬の戸惑いを覚えながらも、俺は勢いに任せて口を開いた。


「ミレイナにだけするその話、RAGEってシステムの話なら、俺にも聞かせてくれ」

「……」


 父親が椅子の背もたれに深く身を沈め、腕を組む。

 僅かに細められた漆黒の瞳。


「ディーヴァル、これは禁忌だと言ったはずだ。」

「それは分かってる。だが、俺はどうしてもそのシステムについて知りたい」


 束の間の沈黙。


「そうか」


 目の前の彼はしばし目を閉じ、それを開くとともに行った。


「覚悟はあるんだな?」


 俺が頷きを返したのは言うまでもない。


 *


 夢の中だ。

 僕は目を開けた瞬間にそう思った。

 目の前は上下左右の区別もつかない真っ白な空間。

 居るのは僕と()の二人だけ。


「お前にあいつらは救えねぇ」


 目の前に僕と同じ姿で立つレイが言った。

 物心ついた時から彼とは共にいる。だから、彼の言っている”あいつら”が先の襲撃の実行者のことだと容易に想像できた。

 さすがに襲撃者が複数人いるというのは初耳だったが、彼の言うことはいつも正しい。だからおそらくそれも間違ってはいないのだろう。


「何故そう言える?救う方法はあるはずだ」

「ああ、そうだな」


 レイが薄く嗤う。


「だが、それを実行するのはお前には無理だ」

「……だから何故そう言える?」

「お前は人を殺せねぇ」


 僕は息が詰まる感覚を覚えた。

 レイの浮かべる微笑みがより不気味なものへと変わる。


「相変わらずお前は鈍いなぁ、ロイ。見て分かっただろ?あいつらはオレたちの同類……人間でも機械でもねぇ半端者だ」

「……冗談はよしてくれ、僕たちの居た施設は破棄された。そうだろ?」

「RAGEの研究を進めてたのはあそこだけじゃねぇってことさ」


 目の前にいたはずのレイの声が真横から聞こえた。

 耳元で囁かれているような感覚。慌てて首を回す。


「お前が長いこと勤めてたメネア連邦だってその例外じゃねぇってこと、お前ならもう気づいてるんじゃねぇのか?」


 今度は後ろから彼の声がした。


「あいつらは昔のお前と同じだ。身体のあちこちを弄り回され、捨てられ、情とは何か知らねぇままここまで生きてきた。迷子なのさァ」


 不気味な笑いを含んだ声が耳元で囁く。


「お前ならよォく知ってるだろ?自らの存在意義を求めて彷徨うあいつらが、どうすりゃあ楽になれんのかよォ」


 どくん、と心臓が跳ねた。




「な、なぁ、ロイ。どうしちゃったんだよ。何でこんなことするんだよ。ロイッ!」

「ロイ……?誰だそいつ」

「オレをあいつと一緒にするんじゃねぇ……!」




 かつて僕たちが殺してきた仲間たちの救済を求める声が、死にたくないと願う悲痛な叫びが、純白の世界に何度も何度も響く。

 途中で不自然に切れながら繰り返されるそれらはまるで壊れたラジオかなにかのようで……。



 銃声。



 静寂が白い世界を包む。

 荒れた呼吸と頰を伝う冷や汗。僕と同じ容姿をした彼が擦れ違いざまに肩に手を置く。


「だからよ、お前のその身体、オレに貸せよ」


 レイが口の端を吊り上げて嗤う。


「オレが全部片付けてやる」


――あの時みてぇになァ……!


 彼の最後の呟きは僕の頭の中に酷く重く響き渡った。




 ゆっくりと瞼を開ける。

 意識がはっきりしている。

 僕は先程の夢は、途中から夢ではなく、意識が覚醒している状態で目を閉じたままレイと会話していただけだったのだと思い至った。

 目に入るのは所々に罅の入った天井。

 埃っぽい空気に包まれたその部屋の照明は既に壊れていて部屋は薄暗い。


 簡易寝台からゆっくりと身を起こすと銃弾を受けた左肩がずきり、と痛む。

 鎮痛剤、止血剤等を使用して応急処置はしてあるものの、やはり早急に銃弾の摘出を行わなければならない。

 部屋を見回す。

 牢のようなその部屋は簡易寝台と剥き出しのトイレ、それに古びた机があるのみで強固な部屋の扉を破るのに役立ちそうなものは見当たらない。

 次に腰に手を当てる。自分が気を失った後、捕縛されたと考えれば至極当然のことなのだが、拳銃はホルスターとともに消えていた。


「……リンは、無事に逃げられたかな」


 格子窓から漏れる微かな光を眺めつつ、呟く。

 意識が途切れる寸前に彼女に逃げるよう促した。

 “獣”は”人間”に比べて毒気や瘴気などの有害物質を感知する能力に加え、その耐性にも長けている。

 つまり、あの状況で彼女が一人危険から逃れることは可能なはずだ。

 けれど、僕はどうにも腑に落ちなかった。

 軍人であれば、周りの状況と自信や他の仲間の安全を考慮し、やむ終えない場合は危険から逃れるために倒れた仲間を見捨てることもできよう。


 しかし、彼女は軍人ではないし、軍人向きな性格でもない。優し過ぎるのだ。

 心優しい彼女の性格では他人を見捨てて自分だけ生き残るなどできるまい。

 不意に僕の目の前を蛍が横切った気がして視線を彷徨わせる。

 それを目で捉えると同時に僕はそれが蛍ではないあるものだと気づいた。


「……霊、魂……?!」


 それは先日彼女とともに見た死者の魂の光。

 人間の前では滅多に姿を現さず、精霊(フェアリー)妖精(エルフ)と称される至高の存在。

 それは薄緑の、けれどどこか冷たい光を帯びたまま僕の周りを一周し、扉の方へと流れた。

 電子ロックのなされた厚い鉄扉、霊魂はそれを気に留める様子も無く摺り抜けてしまう。

 電子ロックの解錠音。スライド式の鉄扉が開く。

 僕は唖然とした。まさかこんなにも簡単に牢の扉が開くとは思っていなかったのだ。

 呆気に取られたその表情の後を追うのは薄い微笑み。


「知っているのか、彼女の場所を……」


 霊魂は答えない。けれども少しだけその輝きが強くなった気がした。


「教えてくれ、リンは今何処にいる?」



 *


 ミレイナ・クリアスリッドは連邦軍基地内のフロアの一角に設けられたラウンジにいた。

 ロイ・グロードベントを捜索するために特別に編成されたという小隊への着任、それから小隊長であるアラン・ディーゼ大尉より私とともに着任したディーヴァルの二人にとって初めてとなる作戦の説明を受けた後は作戦前の最終ミーティングまでの数時間が自由な時間となったので基地の内部構造や施設の場所などの確認を兼ねて散策していたところである。


 私は規則的に並べられた合皮製のソファの一つに腰掛け、無料配布のインスタントコーヒーを啜る。

 戦闘で大量に消費する糖分を補うためか砂糖が多く含まれていてやたら甘い。

 私は甘いものが決して苦手な訳ではなかったが、そのコーヒーはどうも口に合わず顔を顰めた。

 正直に言って不味いコーヒーに視線を落とすと僅かに揺らぐ水面にどこか浮かない顔をした自分が映る。

 ふと入隊早々に呼び出しを受け、ディーヴァルと二人で統括司令室へ行った時のことを思い出した。





「クリアスリッド伍長、君はRAGEを知っているな?」


 私に話があると言ったシグルドはまるで最初から知っていたかのようにそんなことを聞いてきた。

 こちらを真っ直ぐに見つめる漆黒の瞳は鋭く、私を捉えて放さない。

 隣に立つディーヴァルがちらりとこちらに視線を向けできたのが分かった。

 この場で嘘を吐くなどという愚行が犯せるほどの度胸を私は持ち合わせていない。

 ゆっくりと、確実に頷きを返す。

 そして第一〇七天蓋区画のカフェで彼から聞いたことを全て話した。

 もちろん、彼がそのシステム使用時に掛かる脳への負担を軽減する仕組みについては答えてくれなかったことも……。

 待っていたのは統括指令のどこか安堵したような嘆息で、私はそれが孕んだ意味を少しだけ理解した。


「いいか伍長、そのシステムについて無駄な詮索はするな」

「恐れながら申し上げます。中将、それは命令ですか?」


 少し考え、統括指令は首を横に振る。


「……いや、忠告だ。知り過ぎれば伍長の身に危険が及ぶ」

「では、一つだけお聞きしても?」

「なんだ?」


 私は一度小さく深呼吸。

 第一〇七番天蓋区画のカフェで〈RAGE〉について語っていた彼が唐突に語るのをやめたあの時の苦痛に歪んだ表情が脳裏を過る。

 たとえこれが将来的に私を殺すことになっても構わない。

 私の個人的な興味が半分、そして彼の苦しみを少しでも理解し、和らげてあげたいという気持ちが半分。

 それを言葉にしてぶつけた。


「そのRAGEシステムによって脳に与えられる負荷をどのように軽減しているのか私に教えていただきたいのです」


 一瞬の間を置いて統括司令が溜め息を吐く。とにかく酷いものだった。呆れを通り越して怒っているような、はたまた私たちを心配しているような深い溜め息。

 そしてこの日、私とディーヴァルは〈RAGE〉というシステムの全てを知った。

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