不穏な影
第一〇七番天蓋区画は元々人間の住んでいた都市を縮小し、鋼の壁と天井で囲った天蓋区画である。
そのため天蓋区画の外にはかつて人が住んでいた都市が今もそのまま残されており、かつて人間が本物の空の元で暮らしていた頃の面影を残している。
時間経過とともに劣化し、植物が複雑に絡みついて廃都市となってしまったその場所だが、〈インパルスフレーム〉の模擬戦の舞台に向いており、天蓋区画との距離も近いことから区画外実習の会場として使用され、模擬戦や野外整備、戦闘中の補給演習など実習の項目は順調に進んでいた。
そして今のところ、〈機神〉が現れる様子は無い。
第五回戦目の模擬戦がディーヴァルの乗り込む〈インパルスフレーム〉の勝利に終わったのを二番トレーラーのオープンデッキから見届けて、カトルは今まで〈機神〉が現れていないことに安堵しつつ、早くこの実習が終わってくれないものかと実習終了の時刻を待ち望む。
聞こえてくる補給や整備の実習に伴う金属音やそれに負けないように指示を出す教員の声や生徒の応答。そしてそれらのどれでもないある者たちの"声"。
天蓋区画の中にいた時は分厚い壁に阻まれて聞き取れなかった彼らの声が、今ははっきりと聞こえる。早くここから逃げるようにと訴えかけてきている。
けれどもきっと、僕が彼らの声を代弁して危険を伝えたところで"人間"たちがそれを信じてくれはしないだろう。だから、どうか被害が出る前に実習が終わってくれるようにと祈るしかないのだ。
「あ、いたいた。カトル」
唐突に名を呼ばれて驚いた僕は思わず両の肩を跳ね上げる。
声のした方へと目を向けてみればロイが軽く手を振りながら二番トレーラーへと歩み寄ってくるところだ。
「あれ、ロイ君?模擬戦はいいの?確か次の出番は君だろう?」
「いや、折角だしカトルも機体の所まで行かないか?ミレイナが本気で整備を担当した機体なんだ」
「本当?僕も行っていいの?」
「もちろん」
ロイが頷いたのを見て、僕は急いでオープンデッキを降りる。
何故だろうか、彼と話している時だけは不安が少しばかり薄れるような感じがした。
「それじゃあ、行こうか」
ゆっくりと歩きだしたロイ。僕もまたそれに続く。
「それで、ロイはどの機体で模擬戦に?」
半歩先を行く彼に尋ねる。
機械操縦を専攻している生徒はこの区画外実習で必ず一度は模擬戦を行う。
その際には学校の所有するどの〈インパルスフレーム〉を使用してもよいことになっているが、先程終了した直前試合で使用された二機に関しては補給や調整が入るので使うことはできない。
ロイがどの機体で戦うのかには少し興味があったし、ミレイナが本気で整備をしたとなればなおさらだ。
「僕としてはどれでもよかったんだけどね。今回は五番トレーラーに積まれてるやつを使わせてもらうつもり。ミレイナがこれじゃなきゃだめだっていうんだ」
ロイは微かに微笑んでから言って、一台のトレーラーの前で足を止める。
オリーブドラブの塗装が施された〈インパルスフレーム〉運搬用のトレーラー。学校の所有する機体の内の一つを乗せているものだ。
車体の側面に《5》どペイントされていることからそれが五番トレーラーだとすぐに分かる。
「このトレーラー?」
「うん、そのはずなんだけど……」
困ったように眉を寄せるロイ。僕は彼の視線を目で追った。
トレーラーの傍に立つ数人の人影。一人がミレイナであることはすぐに気づけたが、彼女と対峙している数人の柄の悪そうな生徒はいったい何者だろうか。
「どうやら先客がいるみたいだ。」
「そうみたいだね」
黙って対峙する数人の元へと歩み寄ってみれば、彼らは何やら言い争いをしているようだった。
「だから、この機体は操縦が難しいって何度も言ってるよね?模擬戦とはいえIFが無傷で済むようなぬるい戦いじゃないんだからこれは機体を大事に使ってくれる人に使わせてあげたいんだよ。この機体の整備担当は私だからそれくらいいいでしょう?」
「なんだよ。俺は機体を大事にしねぇってか?ふざけんのも大概にしやがれ!」
決して厳しくはなく、相手を宥めるような口調で話すミレイナと、そんな彼女とは真逆で怒りを露わに声を荒げている男子生徒。
どこかで見たことがあるように思えて彼を注視してみれば同じクラスの生徒だ。名前は確かアッシュといったか。
「お前は知らねぇだろうがなぁ。俺のシュミレート実習の相手の総撃破数は機械操縦専攻の奴らの中でトップなんだぜ?この機体を駆るには十分過ぎる技量だろうが!」
「知ってるよ。機械整備ではシュミレーターの整備もするからその時に過去の対戦記録は何度も目に入る。確かに君の撃破数はトップかもしれない」
だけど、とミレイナは続ける。
「それと同時に君は自身の撃墜された数も機械操縦専攻の人たちの中で一番多い。要は戦い方が乱暴なんだよ。あんな撃墜されてはペナルティ後に復活して激戦区に突撃するのの繰り返しじゃとてもこの機体を預けられない。戦場では一度殺られたらそれで終わり、復活なんてないんだよ」
「てめぇ、どうあってもこの機体を使わせる気がねぇみてぇだな」
アッシュの舌打ち。
「だったら、力ずくで奪うまでだが、構わねぇよな?」
彼が口の端を吊り上げて嗤う。ミレイナが半歩引いたのがはっきりと分かった。
「やめろ!」
ロイの制止の声。
気づいたミレイナが表情を輝かせて彼の名を呼び、そして駆け寄ってくる。
アッシュの鋭い視線がこちらに向いた。
「アッシュ。君ってやつは、また停学処分をくらいたいのか?」
「うるせぇ!ロイ、テメェには関係ねぇだろうが!とっとと失せろ!」
アッシュが怒鳴り散らす。僕はこちらを見つめるアッシュの鬼のような形相と、後ろの取巻きの生徒らの不敵嗤いが少し怖くて、一歩分だけロイの方へと身を寄せた。
*
そして彼らが会話しているその間にそれはつかの間の微睡みから目を覚ます。
《多数の生体反応を確認。行動パターン、言語から“人類種”と断定。全システム起動シークエンスに入る。》
唯一の動力源である不朽駆動炉が静かな音を立て、けれども確かに動き始める。
暗闇の中、頭部の横に細長いセンサーが不気味な光りを帯びる。
《IDRをスリープモードから通常モードへ移行。各部センサー、正常に作動。これより作戦行動を開始する》
人型のそれは接続されていた調整用のコードを無理矢理引き外しながら一歩踏み出す。
その頭部がゆっくりと天井を仰いだ。
頭部の装甲が僅かにずれ動いて砲頭が出現。
一瞬の間。
砲声。




