1-5 デイアント聖堂の聖女
時間は少し遡る。
ノーラン樹林へと向かった癒月達を出迎えた楓は、彼女達が帰ってくるまでの間、ウィスタリアの提案で王都を散策する事にした。無論、宮廷魔導士の付き添いがある。異世界人の証と言えるアビリティを持たないただの役立たずなのだから、もう少し雑に扱ってもいいのにと楓は思うが、どうやらそうはいかないらしい。
付き添いの魔導士は、ウィスタリアとリラに決まった。二人とも白いローブではなく、私服を身に付けている。街中を魔導士の姿で歩くと、沢山の注目を浴びて面倒らしい。
楓も制服のままで居ると目立つため、今はある魔道士の私服を借り受けている。偶然にもサイズが同じだったのだ。
「ごめんなさい、服を借りてしまって」
「気にしないでください。本人も良いって言ってましたから。……でも、衣類は今のうちに買っておいた方が良いですね」
三人が歩いている道は、比較的人通りが少ない。とは言っても、二秒に一人すれ違うくらいに居る。他が東京駅くらいだとすれば、ここは名古屋駅くらいの人混みといったところか。
「服なら、私が良い店を知っていますよ」
「本当ですか、ウィスタリアさん」
「今はプライベートみたいなものですから、気軽にリーアと呼んでください」
「一応仕事中なんだけどね……。では私も、呼び捨てで良いですよ」
「わかりました。では私の事も、呼び捨てでお願いします」
「流石にそういう訳にはいきませんよ。あなた様は、勇者の一人なのですし……」
勇者というのは、彼女達の中では余程大きな存在らしい。まあ当然か。勇者は人類の敵を唯一倒せる存在。つまりは救世主にして、最後の希望なのだから。
だが、アビリティを持たず勇者としての役割を果たせない楓を敬う理由を、理解出来なかった。もし自分がウィスタリアの立場だとしたら、途端に掌を返し、扱いを変えるかもしれない。人間なんて、そんなものだ。
だから、思いきって聞いてみた。
「リーア達は、どうして私の事を他の皆と同じように扱うのでしょうか。私は、アビリティを持たない勇者のなり損ないですよ?」
ウィスタリアはリラと顔を合わせ、頷いてから答えた。
「……カエデ様。アビリティを持って人類の敵である『エネミー』を倒す事が、勇者の存在価値ではありません」
その言葉に、リラが続く。
「あなたは故郷の世界に帰るよりも、この世界に残り、戦う事を選んでくれました。理由はどうであれ、見知らぬ私たちの為に命を懸けると決めてくれたあなたは、私達にとっては立派な勇者なんです。だから勇者のなり損ないなんて、絶対に思わないでください」
「……なるほど、理解出来ました。でもやっぱり様付けは恥ずかしいので、せめてさんを付けてくれませんか?」
「それくらいなら……まあ、問題ありませんね」
「決まりですね。では二人とも、私の事はさん付けでお願いしますっ!」
楓の言葉に、二人の「了解しました、カエデさん」という返事が重なった。
「それで、リーアの言っていた店は何処に?」
「案内します。ついてきてください」
少し歩を早めるウィスタリアの背中を追う。途中で道を外れ、薄暗く狭い路地裏へと入っていった。
「えっ、ここ入るの?」
「そうみたいですね」
「……最悪だ」
路地裏の中は「早くここから出たい」と思わせ、無意識的に歩くのが早くなるような、不気味な雰囲気があった。何故だか視線も感じる。
「あのっ、どうしてこんな道を?」
「ここから行った方が、近道なんですよ」
「でもリーア。ここ、なんだか怖いです」
「安心してください、私達が居ます。もし幽霊とか出ても、すぐに成仏させますから」
二人は宮廷魔導士。一国の王にその実力を認められた者達だ。幽霊くらい、火の粉を払うよりも簡単に対処できるだろう。
「いや私は無理だから! だってオバケ怖いんだもん!」
……と思ったが、どうやら個人差があるらしい。
「リラはそろそろ、オバケ嫌いを克服してくださいよ」
「そんなの無理だよぅ! 怖いものは怖いんだから!」
「…………止まってください」
角を曲がったところで、ウィスタリアが足を止めた。
「え? どうかしましたか?」
「なに……もしかして、幽霊……!!」
「ある意味、幽霊よりも怖いかもですね」
「ひぃっ!!」
慌ててリラが、楓の背中に隠れる。恐怖で身体が小刻みに震えていた。
ウィスタリアの視線の先を見る。道を阻む様に、三人の男が立っていた。人を見た目で判断するのは良くないが、如何にも犯罪に手を染めていそうな輩だ。
人通りのない薄暗い路地裏に、通せんぼする男たち。彼らの目的を察するのは、そう難しくはなかった。
「厄介ですね、色々な意味で」
「確かに」
「え、そんなに厄介なお化けなの!?」
「ねぇお嬢ちゃん達。こんなところで何して──」
「ぎゃああああ!! お化けが喋ったああああ!!」
リーダー格と思しき男の言葉を、リラの絶叫が遮る。
「《放つは水》ぅぅぅぅ!!」
目を背けたまま突き出した手の平から、水が放出される。放射線状に居たウィスタリアは間一髪のところで避けられたが、その先の男たちは避けきれずに命中。勢いで吹き飛ばされ、後ろにあった壁に激突。気を失った。
その光景を前にしてウィスタリアは、「またか」と言わんばかりにため息を吐いた。
「……国に仕える職である以上、彼らをこのまま放置する訳にはいきません。教会まで運びましょうか」
「えっ、お化けを教会に連れてくの……?」
「いい加減にしてください。あなたが今倒したのは、ただの人間です。幽霊などの類ではありませんよ」
「え、そうなの? 良かった……」
ほっとして、胸を撫で下ろす。
「良くないですよ。危うく殺してしまうところだったんですから」
「ごめん……反省します……」
「次は気を付けてくださいよ。……運ぶのを手伝ってください。私は一人。リラは罰として二人運んでください」
「あの、私も手伝いましょうか?」
「お気持ちだけ受け取っておきます。あくまでこれは、リラの失態ですから」
「はあ……でも、一人で二人運ぶのは大変じゃないですか?」
「そんな事はありませんよ。私もリラも、重力魔法を扱えますから。──《司るは重力》」
「《司るは重力》」
二人が唱えると、男たちは白い光に包まれ、ゆっくりと浮かび上がった。
「ほら。これなら運ぶのに苦労しません。……とは言え、重力魔法はかなり繊細な魔法。対象が一人違うだけで、消費魔力が大分変わってきますけどね」
「宮廷魔導士レベルでも、精々人間十人くらいが限界でしょうね」
「そうなんですか」
「このままだと確実に目立ちます。隠密魔法も使いましょう」
『《願うは消失》』
今度は同時に唱える。すると同時に、二人が忽然と姿を消した。
「あれ、リーア? リラ?」
「安心してください、カエデさん。私達はここに居ますよ。隠密魔法を使った事で、見えなくなっただけです。正確には、目に映っている筈なのに、認識出来ない……ですけど」
「良かった……少し寿命が縮みましたよ」
「カエデさん、手を差し出してください」
「は、はい。こう、ですか?」
楓が恐る恐る手を伸ばす。そこに何かが触れると同時に、ウィスタリアとリラの姿が現れた。
「あ、見つけた」
「見つかりました。隠密魔法は、こうやって触れている相手と効果を共有する事が出来るんです」
「なるほど。だから手を」
「そういう事です。絶対に手を離さないで下さいね? 魔法の効果が切れたら、突然現れたみたいになって、住民が驚いてしまいますから」
「わかりました」
路地裏を抜ける。その先に繋がっていた道は、先程とは比べ物にならないほど沢山の人が行き交っていた。流石は王都と言うべきか。東京駅程ではないが、人混みの苦手な人にとっては地獄もいい場所だろう。
「カエデさん。私の手、しっかりと握って下さいね」
「え? あ、はいっ」
ウィスタリアはその場で足を屈むと、大きく跳躍。その勢いに、彼女と手を握った楓も、そのまま空中へと引っ張り出された。
人集りの多い道を飛び越えて、屋根の上へと降り立つ。
「時間が少し勿体無いので、こうゆって屋根伝いで教会に向かいます。口は閉じておいてくださいね。唇や舌を噛みたくなければ」
言うが早いか、楓は口を閉じ、小さく頷いた。
ウィスタリアがもう一度跳躍する。道路を飛び越え、向こう側の建物へ着地する。それを繰り返し、ようやくデューランス教会のデイアント聖堂へと辿り着いた。
多くの人で賑わっていた王都に比べ、聖堂の周囲には殆ど人が居なかった。
階段を登り、聖堂の観音開きの扉を押し開ける。
彼女たちを歓迎したのは、静寂だ。
聖堂の左右にはそれぞれ異なる絵柄のステンドグラスが飾られてあり、特に最奥部にある巨大なそれには、白銀に輝く巨大な龍が描かれていた。
「凄い……」
楓の口から、思わずそんな言葉が漏れる。
「──迷える子羊よ。この聖殿に何のご用でしょうか」
突然。教会全体に女性の声が響いた。
ウィスタリアとリラは、床に三人を下ろしてから重力魔法を解除させる。
「怪我をした三人の男を、手当してもらいたいのです」
「……承りました」
突風が突然吹いた。聖堂の扉は入った際にリラが閉めているので、この風は明らかに自然のものではなかった。
「お久しぶりですね、ウィスタリア」
気付けば目の前に、暗い修道服を纏った女性が立っていた。ブロンドの髪に蒼い瞳。黒い布に隠れていてもわかるくらいのグラマラス体型で、顔立ちも整っている。
絶世の美女。彼女を簡単に表すなら、この言葉が一番しっくりきた。
「ご無沙汰しております──カグヤ様」
ウィスタリアとリラはその場で跪き、頭を下げる。
宮廷魔導士が敬称を付けて呼び、ひれ伏すような存在。今目の前にいる修道女がどれだけの存在であるかを理解するのに、十分な材料だった。
「二人とも、顔をお上げください。美しい女性に、跪く姿は似合いませんもの。……ところで、そちらに居るのはどなたでしょうか?」
カグヤの視線が、楓へ向けられる。
「あっ、えと。私は牧野楓と言います。こことは別の世界から来ました」
「別の世界から……やはりそうでしたか。纏う雰囲気やら匂いが違っていたので、もしやとは思っていたのですが、まさか本当に異世界人だったなんて……」
「彼女はエネミーに唯一対抗出来る勇者の一人なのですが、何故かアビリティを持っていないのです」
「…………そういう事ですか。大体わかったって感じです」
胸元に手を置く。
「私はカグヤと申します。このデイアント聖堂を任された、聖女です」
「聖女……?」
「それは、私が一から説明します」
ウィスタリアが、口を開いた。
「まず、この世界で回復魔法を扱えるのはごく僅かな者しか居ません。幾ら努力を積んだとしても、世界を破壊する力は手に入りますが、修復する力は手に入らないのです。……聖女は、そんな回復魔法を扱う事の出来る女性の事を指します。
大小に限らず、全ての町村にデューランス教会の聖堂が建てられているのですが、聖女はそこに一人以上は必ず配備されているんです。その町で発生した怪我人や病人の対処をすぐに行えるように。王都は人口が多いですから、カグヤ様を含めて二十人居ますね」
「つまり、聖女様は必要不可欠な存在という事ですね」
「はい。彼女たちが居なくなってしまえば、目に見えた死者が増えますね」
この世界に絶対に居なくてはならない存在。だからこそ人々は彼女達に感謝し、敬うのだ。
「……でもそう考えると、癒月の力って物凄いのでは?」
癒月のアビリティは『治癒』。つまり貴重とされる回復魔法と同じなのだ。
「ユヅキ様の治癒は、魔法ではなくアビリティ。魔力に依存しませんので、ほぼ無尽蔵に使う事が出来ます。……ですが相手に触れる必要がありますし、回復魔法はある程度の病も治癒出来ますが、ユヅキ様の力では不可能です。なので、聖女の完全な上位互換にはなり得ませんね。……まあそれでも、強力な力である事に変わりはありませんが」
「さて。そろそろ彼らの治癒を始めましょうか」
カグヤは祈るように、胸の前で手を合わせた。彼女の全身が、金色の光に包まれる。
聖女に回復魔法の詠唱は必要ない。そんな過程を踏まずとも、彼女たちは息をするように誰かを癒す事ができるのだから。
それはもう人ではない。天使だ。
男たちの身体が一瞬、金色に輝く。彼らに治癒魔法の効果が適用された証だ。
「……はい、終わりました」
「ありがとうございます、カグヤ様」
「ウィスタリア、そしてリラ」
「なんでしょうか」
「貴方達の努力、報われると良いですね」
カグヤが告げた言葉に、二人は一瞬だけ顔を強張らせた。
「それにしても、目覚めないですね。この人たち」
少しの沈黙の後。楓が切り出した。リラが負わせたダメージはカグヤによって回復したが、彼らはまだ目を開かない。
「あなた達は、もう行っても大丈夫ですよ。用事があるのでしょう?」
「ですが……」
「遠慮はいりません。彼らの事は、私に任せて下さい」
「……では、お言葉に甘えて。感謝します、カグヤ様」
「ありがとうございます」
カグヤに深く頭を下げてから、三人は聖堂を後にする。
外に出る前に楓は振り返り、もう一度頭を下げた。
「さ。気を取り直して、服屋に向かうとしましょう」
階段を降りている途中に、ウィスタリアが言う。
「そのお店は、ここからどれくらいかかるんですか?」
「そうですね……決して遠くはありませんよ。ただ人混みの中を進まなくてはいけないので、時間はかかりますね」
「だったら、また屋根を伝って行けば良いのでは?」
「そういう訳にはいきませんよ。先程は怪我人を運ぶという名目があったので魔法を使いましたが、本来街中で魔法を使うのは禁止されているんです。リラが男達に魔法を使ったのも、本来ならば罪に問われるんですよ。私が見逃しただけです」
「そうだったんですか……ごめんなさい、私なんにも知らないで」
「いえ、言ってなかった私たちが悪いんですよ。カエデ様が気に病む必要はありません。……さ、参りましょうか」
「そうですね。……?」
一瞬だけ勢力を増した風が、頬を撫でる。
そういえば青かった空も、いつの間にか鼠色の雲に覆われていた。
何か嫌な予感がする。考えたくもない、嫌な事が起こりそうな気がする。そう思った直後だった。
『ッ!?』
何かが爆発したかのような爆音。周囲の空気が、小刻みに振動した。
実際に何かが爆発した訳ではない。彼女達の前方に、『何か』が着地したのだ。それを中心に、巨大なクレーターが出来ている。上空数十メティア以上の位置から飛び降りなければ、これほどまでの大きさにはならないだろう。
土埃は徐々に晴れていき、女性のシルエットが浮かび上がった。
腰まで伸びたワインレッドの髪。黒い拘束衣を身に付け、両腕の自由を奪われていた。
「嘘、でしょう……」
それを目の当たりにしたウィスタリアは、目を見開き、目に見えて驚愕している。
「今日は多分、人生で一二を争う最悪の日だよ……!!」
自嘲する様に零すリラは、既に何処からか取り出した槍を構えていた。
「どうしたんですか、二人とも。もしかして、知り合いなんですか?」
楓の問いかけに、ウィスタリアは首を横に振る。
「……知り合いなんかじゃありません。ですがよく知っています。……いえ、知らない筈がありません」
「えっ……」
「彼女こそがエネミーですよ。私達人類の敵であり、勇者様が倒さなくてはならない存在……!!」
「そんな……人間にしか見えないあの子が、化物……!?」
変わりようのない真実を前にして。楓はただ、化物を見据える事しか出来なかった。
「ハロー。ご機嫌はいかが? 愛すべき虫ケラ共」
化物は面白おかしく呟いてから、口元に三日月を描く。
まるで、これから楽しい事が始まると気持ちを抑えきれない子供のように。