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1-4 命を奪うということ

 歓迎パーティーから、一夜が明けた。


 勇者の資格。つまりアビリティを持つ楓以外の全員は、安物の防具を身に付け、数人の宮廷魔導士。そして近衛隊隊長のミレシアの付き添いで、王都から少し離れた場所にあるノーラン樹林を訪れていた。


 ノーラン樹林は魔物が住み着いている為に人間が住む事の出来ない『非安全区域』なのだが、その魔物の危険度はどれも低い為、最底のFランクに認定されている。見習いの冒険者や剣士、魔導師が戦いに慣れる為に訪れる事が多い。


「はて。どうしてこんな森に連れて来られたのかな?」


 最後尾を歩く癒月は、辺りを見回しつつ、数歩前を行く夜宵に問いかける。


「そんな事、私に聞かれても困るわよ」


「夜宵っち、さっきから元気無いよね。具合でも悪いの?」


「いえ、決してそんなものじゃないわ。私の具合が悪そうに見えるのは、もっと単純でどうしようもない理由よ」


「単純でどうしようもないその理由、聞いてもいい?」


「いいけど、笑ったらただじゃおかないから」


「笑わないよ。約束する」


「そう」


 最初は少し躊躇っているように見えたが、やがて決心したのか、おもむろに口を開いた。


「……実は私、虫が大の苦手なのよ」


 かなり真剣な話が来ると身構えていた癒月は、その場で盛大にずっこけた。


「なーんだ。そんなありきたりな事か。心配して損した気分だよ」


「ありきたりな事って、私にとっては結構深刻な問題なのよ?」


「女は大体虫嫌いでしょ。私みたいにダンゴムシもワラジ虫も、果てにはゲジも問題なく触れる女の方が少数派だって」


「えっ、貴方あんな凶悪なフォルムした悍ましいものを素手で触れるの? 正直かなり引いたわ……」


 自分の身体を抱きしめるように両腕を組み、癒月から少し距離を取ろうとする。


「虫が苦手なのは、別に悪いことじゃないよ。寧ろ苦手な方が、私は可愛いと思う」


「……私は別に、可愛くなりたい訳じゃないんだけど」


「えー勿体ないよ。夜宵っちは、ポテンシャルだけなら楓っちにも勝るんだから」


「そんな事はないわ。彼女に勝る女性なんて、この世界には一人として存在しないもの」


「……凄い自信だね。夜宵っちってそんなに楓っちの事が好きなんだ」


「馬鹿言わないで。あくまで客観的に見て、牧野楓が誰よりも綺麗だと思っただけよ。そこに、個人的な感情はないわ。ええまったく」


「ふーん。じゃあ、そういう事にしておくね」


 先頭を歩いていた男性の宮廷魔導士が立ち止まり、集団の方へと振り返る。


「時に皆様は、生き物を自らの手で殺した事はあるでしょうか?」


「小さい頃に蟻とかを殺した事はあるな」

「家に入ってきた蜘蛛、とか?」

「蚊とかはあるけど……」


 何人かが、戸惑いながらもこれまでに殺した覚えのある生物を挙げていく。


「どれも虫ですね。それもかなり小さい。……もう少し大きい生き物を殺した事はありますか?」


 一斉に静まり返る。優雅に空を飛ぶ鳥の鳴き声が、鮮明に聞こえた。


 もし彼らが農業高校の生徒だったなら、この静寂は訪れなかっただろう。仮に大きめの動物。例えば猫や犬を殺していたとして。その理由によっては、自分が社会的に死ぬ事になる。


 たとえ経験があったとしても、ここで軽々と口にするのは躊躇われた。


「……私は、あるわよ。猫を一匹自分の手で殺した事がね」


 沈黙の中、口を開いたのは夜宵だった。


「でも理由は言えないわ。……言ったところで、誰も得しないから」


 周囲がどよめく。この場で言えないような理由で、猫を殺した。そう公言した彼女への印象は、彼等の中で一気に落ちていく。


「夜宵っち……」


 夜宵の事を、癒月は少し哀れむような目で見ていた。


「……本題に入ります」


 嫌な空気を払拭する為か。魔導士はわざとらしく咳き込んでから、話を続けた。


「いいですか? この世界は弱肉強食、殺るか殺られるかです。生き物を殺すくらいで躊躇っていては、命がいくつあっても足りません。なのでこれから、生物を殺す事に慣れてもらいます」


 殺す事に慣れろ。元の世界でそんな事は言われた事がないし、なんならこれから先も言われる事のない言葉に、一同は動揺を隠せないでいた。


「……なるほど。確かに、この世界で生きていく為には平和ボケした精神を叩き直さなきゃいけないわね」


 だが夜宵だけは、余裕そうに笑みを浮かべていた。


「あなた方に殺して頂くのは、この森に生息している魔物です。魔物というのは、生き物が魔力を体内に多く取り込み過ぎた結果、誕生する存在です。その大半が自我を失い、人間を無差別に襲います。この森の魔物はどれも貧弱ですが、油断すれば容易く命を奪われます。お気をつけください」


「魔物が数匹、こちらの存在に気付きました」


 魔導士の一人が説明している間に周囲を警戒していたミレシアが、腰の鞘に収めていた剣を抜き、声を張り上げた。


 彼女は森に入る前より、半径百メティア──この世界におけるメートル──圏内に居る魔物が、こちらの存在に気付いたかどうかを知れる『敵意感知(ヘイトサーチ)』の魔法を使っていた。そのため、向こうが突然襲ってきてパニックに陥るという状況を、未然に回避していた。


 幾ら特殊な力(アビリティ)を持っていると言っても、彼らはただの人間。魔物の鋭利な爪にその身を切り裂かれれば、それだけで致命傷となり得るのだ。


 集団から見て右の茂みから、一つの影が飛び出してきた。


 影の正体は、紺色の毛並みをした狼に似た獣。赤い瞳は、彼が魔物である事を表していた。


 魔物の名はウルファング。ノーラン樹林で生息が確認されている中では、特に凶暴な存在だ。


「《纏うは風》!」


 短縮した詠唱を口ずさむと、ミレシアの持つ刀身が、風を纏った。


 口を大きく開き、牙を曝けながら襲い掛かってくる獣に、軽く剣を振るう。刃がウルファングの胴体に食い込み、深い傷を負った。飛び出した勢いのまま地面を引きずり、数メティア先でようやく停止。今ので死んだかと思われたが、まだ僅かに動いていた。


 今ので仕留める事は出来たが、今回は敢えて殺さず、息絶える一歩手前まで生かした。そうでなければ、彼等を連れてきた意味が無いのだから。


「それではユヅキさん、あなたがとどめを」


「え、私が? うん、わかったよ……」


 ミレシアに名指しされた癒月が、横たわっている魔物の元へと向かおうとする。そこで夜宵が、そっと彼女の肩に触れた。


「どうしたの、夜宵っち」


 振り返り、夜宵の真剣な眼差しと目線が合った。


「……あまり、無理はしないで頂戴ね」


「わかってるよ、そんな事」


「ならいいわ。早く済ませて来なさい」


 肩を押され、そのまま魔物の前まで来る。


「これを使ってください」


 ミレシアが差し出したのは、彼女が使っていた一振りの剣。あまりの重さに思わず地面に落としそうになるが、なんとか堪えた。彼女の華奢な腕が持つのに、あまりにも重たい。


 柄を両手で握り締め、死にかけの狼を見つめる。


 痛いのだろう。苦しいのだろう。紅い瞳から、彼の悲痛な思いがハッキリと伝わってくる。


 癒月には『治癒』の能力がある。今なら、彼の傷を治す事が出来るだろう。

 ……だが彼が苦しんでいる原因が、ミレシアの負わせた傷などではないと気付くのに、然程時間は要さなかった。


 恐らくだが魔物は、理性を完全には失っていない。僅かに残った理性(それ)を衝動に蝕まれないために、抗い続けている。それが痛くて。そして苦しいのだ。


 ならば、癒月が彼にするべきなのは治癒などではない。苦しみを解放するための、殺害(きゅうさい)なんだ。


 だというのに。


「あれ……」


 癒月の手は、微動だにしない。


 蚊やゴキブリなどの小さな虫は、これまでに何度も殺してきた。それなのに今。彼ら以上に凶暴な狼を、殺す事が出来ない。……命は全て平等に尊くて重たいと、知っている筈なのに。


「ごめんなさい。私、やっぱり……出来ません」


「……わかりました」


 剣をミレシアへと返却し、夜宵の近くまで戻る。


「貴方にしては、それなりに頑張ったわね」


「……ありがとう」


「だけど覚えておきなさい。優しさは時に、貴方自身の首を絞める凶器になるって事をね」


「……あはは。私は別に、優しくなんかないよ」


「どうして、そう思うのかしら」


「実は──」


 癒月は夜宵に、魔物が理性をまだ若干残していて、抗う為に苦しみ続けている可能性がある事を話した。


「……なるほど。苦しんでいるのに救ってやれなかった。だから優しくない、と」


「結局のところ私は、殺すのが怖いんじゃなくて、殺せる自分になるのが怖いだけなんだよ」


「……言いたい事はよくわかるわ。安心しなさい、普通の人間なんて大体そんなものだから。生憎、私はもうそれを理解する事が出来ないけど」


「夜宵っち……」


「とにかく。貴方が気に病む必要はないわ。誰もがいきなり殺せる訳じゃないもの。少しずつ、慣れていけばいいわ」


「……なんかさっきから優しいよね、夜宵っち。もしかして熱でもあるの?」


「私にだって、誰かを気にかける事くらいあるわよ。……それに貴方みたいな人が苦しむのを出来る限り見たくないだけで、決して優しいわけじゃないわ。貴方と同じでね。そこのところ、勘違いしないで頂戴」


「今時ツンデレは流行らないと思うけど?」


「勝手にツンデレ認定しないで。次言ったら怒るから」


「わかった。もう言わない」


「そ。ならいいわ」


 癒月の次に選ばれたのは、勇者の代表である矢子だった。何故彼女よりも前に癒月が指名されたのかは、謎だ。ミレシア本人にしかわからない。


 矢子は、癒月と同じように受け取った剣を落としそうになりながらも、魔物の前まで来る。


 息を吐き、剣を力一杯に持ち上げた。彼女は癒月とは違って、悩む素振りを見せなかった。今までの間に、覚悟は済ませていたのだろう。


「……ごめんなさい」


 小さくそう呟いてから、剣を魔物へと振り下ろした。


 勢い余って周囲に飛び散る、生温い赤の液体。その一部が、矢子の身に付けている地味色の防具に彩りを与えた。


「あっ……」


「どうかしましたか、ヤコさん」


 小さく声を上げた矢子に、ミレシアが問いかける。


「いえ、なんでもありません……」


「そうですか……」


「…………」


「どうしたの、夜宵っち。矢子っちの方をじっと見て」


「…………いえ、何でもないわ。気にしないで頂戴」


「う、うん……」


 歯切れの悪い答え方をする夜宵に、癒月は疑問が残りつつも頷いた。


 それからも、魔物は何度も襲い掛かってきた。その度にミレシアが攻撃し、瀕死の状態へと追いやる。そして一人に、トドメを刺させる。何人かは出来たが、他は癒月と同じく出来なかった。


 因みにだが、身勝手な理由で殺してしまった魔物たちは食料や武器の素材となる部位を切り取り、残りは自然へと還す為にその場に置いてきた。


「……大変です、ミレシア様!」


 今日のうちはやるべき事を終え、森の外へと向けて歩いていたところへ、宮廷魔導士の一人が慌てた様子でこちらへ駆けてきたわ


「王都内で、甲殻種の『エネミー』が暴れているみたいです!!」


「なんですって……!?」


 報告を聞いたミレシアは目を見開く。


「あの、『エネミー』っていうのはなんですか?」


「あなた方にしか倒せない未知なる生命体。その通称ですろ……!」


 その説明をされて、ようやく全員が驚いた。


 エネミーは魔物以上に凶暴で、アビリティでなければ倒せない強敵。そんなのが一般市民の住まう王都に現れれば、地獄絵図になるのは誰だって容易に想像出来る。


「そんな……だって……!」


 癒月の呼吸が早くなる。


 アビリティを持たない牧野楓は今、王都に残っている。


 護りの堅い王城の中に居るだろうが、安心は出来ない。彼女が化物に襲われ、殺されている可能性はある。親友としては、気が気ではなかった。


「ねぇ、やよ──あれ……?」


 癒月が振り返った時、既に夜宵の姿は無かった。


「皆さん。あまりにも突然で難しい事だとは思いますが、これから、僅かなミスがそのまま死へと直結する戦場に足を踏み入れます。なので予め、死ぬ覚悟をしておいてください」


 ミレシアの告げた言葉によって、全員がざわめく。


 その時強い風が吹いて、木々も彼等と一緒にざわめいた。

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