1-2 異世界の者たる証
牧野楓は、彼女の通う学校内ではかなり有名な生徒だった。
常日頃から手入れをしなければ保てないであろう美しい長髪。輝夜姫のように切り揃えられた前髪。幼さが僅かに残った顔立ちに、スラリと伸びた長い脚。そして女子高生の平均を遥かに凌駕している双丘。
『美少女』と呼ばれても誰も文句を零せないその容姿に、心を奪われる生徒が男女問わず続出した。本人非公認のファンクラブまで結成されたという。
学内での成績は中の上。十位圏内に入る事が時々あった。
反対に運動は全般的に不得意で、体育の時間は何かと理由をつけて保健室のベッドで寝ているほど。
だからこそ楓は今、一抹の不安に駆られていた。五十メートル走すら全力で走り切れない貧弱な体力で、果たして人類の敵を倒す勇者になれるのかと。
彼女の中で募ったその不安は、ある意味で的中する事になる。
「それではこれより、勇者様方が持つ特殊能力『アビリティ』を、私が解析致します」
声を上げたのは、玉座の横に立っていた白いローブに身を包んだ女性。フードを取り、ポニーテールに纏めた若緑色の髪を露わにした。
「私はリラ=インテグレント。ダランシアに仕える宮廷魔導士です」
もう一人の女性も、フードを取った。
「同じく。宮廷魔導士、カノン=ブローディア」
彼女の髪は青色。眠たいのかどうかわからないが、両目が半分だけ閉じている。
「解析って、具体的にどんな事をするのでしょうか?」
矢子が尋ねる。
「簡単ですよ。勇者様に対して、高位解析魔法を使うだけです。痛みも何も無いので、心配しなくて大丈夫ですよ。……それでは早速始めましょうか。誰からやりますか?」
「私からお願いします」
迷う事なく手を挙げたのは、やはり委員長である矢子だった。
「一歩前にお願いします」
リラは軽く息を吐き、それから右手を矢子の前に突き出した。
「《望むは真実》」
彼女の足下に、白の魔法陣が展開される。
「《不条理なる現実を・受け入れ、そして抗うために・全てを暴ける神なる眼を・か弱き我に預けておくれ》」
魔法陣が矢子の足下へと移動し、白い光を放つ。
「起動せよ、『神位解析』」
リラの双眸が、緑色に光った。それを目の当たりにした矢子は驚いたのか、少しだけ身体が跳ねた。
「……はい、終わりました」
「えっ、もうですか?」
「はい。ヤコ・クトウ様。貴方が持つアビリティは『統率』です。貴方が味方と判断した者の身体能力を、一時的に向上させるというものですね」
「『統率』ですか……」
「学級委員長の句読さんに相応しい能力ですね」
「……そうですね」
芹澤に言われて、矢子は何故か不満げに返す。誰も彼女のいつもと違う様子に気付く事はなかった。
「次は誰がやりますか?」
「私がやるわ」
次に手を挙げたのは、この異常事態の中で唯一平静を保ち、集団の後ろで一言も発さずにいた少女だった。
倉林夜宵。それが彼女の名前だ。
艶のある髪はロングストレート。スカートから伸びる脚は黒のタイツに包まれている。
容姿だけで言えば楓に負けずとも劣らない。だのに無口で近寄り難い雰囲気を醸し出しているが故に、言い寄る男性も居なければ、親しい友人すら居ない。孤高の姫君、と言ったところだろうか。
以前楓が話しかけた事があったが、「話しかけないで」と短く告げて、逃げるようにその場を後にした。真意はわからないが、その時の楓には、彼女自身が独りを望んでいるように思えた。
夜宵が前に出る。
「復唱。再び起動せよ、『神位解析』」
今度は詠唱も無しに発動させる。夜宵の足下まで移動した魔法陣が光り輝き、直後にリラの双眸が緑を帯びる。
「……ヤヨイ・クラバヤシ様。貴方が持つアビリティは『吸引』です」
「吸引?」
「文字通り、モノを引き寄せ吸い込む能力です。……実際にやってみた方が早いでしょう。カノンちゃん、お願いね」
「りょ」
カノンは何処からともなく水色のメイスを取り出すと、慣れた手つきで何度か回転させてから、突き上げた。
「《暑いし怠いし・いっそ氷でも降らないかなー》」
如何にも適当そうな詠唱を呟くと、足下に青い魔法陣が展開された。
「発動して、『氷雨』」
カノンの頭上に、無数の氷柱が生成される。肉など容易く貫けるであろう鋭利な先端は全て、夜宵を捉えていた。
「ヤヨイ様、イメージしてください。それだけで、能力は発動出来ます」
「イメージね。わかったわ」
目を閉じて、深呼吸する。
カノンがメイスを振り下ろしたのを合図に、氷柱が一斉に落下を始めま た。
「……ッ!」
目を見開かせ、左手を突き出す。すると手の平の先に、黒い球体のようなものが出現した。
よく見ればそれは、こことは違う別の空間に繋がっていて、能力者が対象とした物体。今ならば氷柱を、物凄い力で周囲の空気と共に吸い込んでいた。まるで小型のブラックホールだ。
氷柱は進路を変え、あっという間に吸い込まれる。
完全に氷柱が消失したところで、夜宵は息を吐く。小型のブラックホールは収縮していき、間も無く消滅した。
「……なるほど、便利そうね。掃除に苦労しなさそうだわ」
「便利どころじゃない、これはかなり強力な能力だよ。君ならきっと、あの化物を倒せる」
カノンの賞賛に、夜宵は肩を竦めた。
「そう。……けど残念ね。私は他の人達と違って、勇者として戦う気はさらさら無いのよ」
「どうして?」
「やる気がない、ただそれだけの話よ」
夜宵は踵を返し、元居た位置に戻る。
彼女の能力を見た影響か、今度は自分がと一斉に名乗りを上げた。まったくもって現金な人達だと、楓は苦笑する。
「あの、倉林さん」
「……何かしら」
話しかけると、心底嫌そうな声音で返してきた。
「……えっと。進んで解析を受けてましたけど、何か理由があるのですか?」
「ふっ、そんなの簡単よ」
夜宵は、不敵に口元を緩める。
「だって気になるじゃない。自分がどんな力を持っているのか」
「それは、そうですけど……」
「私、幼い頃から憧れていたのよ。こういう非日常にね。こう見えて今、凄くワクワクしているのよ? 貴女はワクワクしないのかしら」
「……はい。私は、ごく普通の平穏な日常を過ごすのが好きですから」
「貴方らしいわね。……まあ、そういうところも好きなんだけど」
「今、何か言いましたか?」
「何も言ってないわ。あと私、自分の名字があまり好きじゃないから、呼ぶ時はなるべく名前で呼んでくれないかしら」
「はあ、わかりました。──夜宵さん」
「……っ」
「あの、どうかしましたか? 顔、少し赤くなってますけど」
「なってないわよ。……それより、早く解析してもらってきたら? なんとなく最後は嫌でしょ」
二人が会話している間に、既に三人ほどの解析が終わっていた。どれも強力な能力だったが、夜宵のと比べると、どうしても見劣りしていた。
「まあ、そうですね」
他の人達と同様に、楓は手を挙げた。
しかし次に選ばれたのは、楓ではなく癒月であった。
「ユヅキ・コトブキ様。貴方の能力は『治癒』です。触れた相手の傷を癒す事が出来ます」
リラが能力の詳細を告げた後に、カノンが続ける。
「魔力も消費せずに、傷を癒せる。この世界ではかなり貴重な力だね。胸を張って誇っていいよ」
「癒す、という字が名前に入っている琴吹さんに、ピッタリの能力ですね」
矢子にかけられた言葉に、癒月は嬉々として頷いた。
「うん。これなら、沢山の人を助けられそうだよ!」
それからしばらく解析が続き、ようやく楓の順番が回ってきた。
リラと向かい合うようにして立つ。高鳴る心臓の音を聞きながら、目を閉じ、大きく息を吸って、同じ量だけ吐いた。
「復唱。発動せよ、『神位解析』」
楓は平穏を愛している。それ故に、争い事を好まない性格だ。夜宵の言っていた、ワクワクするという感情は特に湧かない。
しかし自分の持つ能力がどんなものなのかは、どうしても気になる。
だから決して強過ぎず、かと言って弱過ぎでもない平均的な能力を望んだ。
しかし──。
「…………あれ」
最初にリラの発した言葉が、楓を一気に不安へと駆り立てる。
「おかしいな、詠唱に不具合でも起きたのかな?」
「もう一回最初からやってみたら?」
「うん。……《望むは真実・不条理なる現実を・受け入れ、そして抗うために・全てを暴ける神なる眼を・か弱き我に預けておくれ》。起動せよ、『神位解析』……やっぱり駄目だ」
「あの、どうかしたのですか?」
「異世界人は、例外なくアビリティを必ず持っている。私たちはそう思っていました。……考えを改めないといけませんね」
「……つまり、どういう事ですか?」
「カエデ・マキノ様。大変申し上げにくいのですが……
どうやら貴方は、アビリティを持っていないようなのです」
「……そんな」
別に欲しかった訳ではない。だが他全員が持っていて自分だけ持っていないというのは、仲間外れにされたみたいで良い気分はしなかった。
確かに平穏を望んでいた。だからといって、そこまで非日常を拒絶しなくてもいいだろうに。
「ご安心ください、カエデ様。勇者として戦えないからという理由で、貴方様への扱いを改める事はありません。この世界での生活は、ダランシア王国が全面的にサポート致します」
「ありがとう、ございます……」
喜ぶべき場面なのだろうが、情けをかけられているような気がして、素直に喜ぶことができなかった。
振り返り、クラスメイト達に頭を下げる。
「ごめんなさい、皆さん」
皆はこれから命を懸けて戦いに臨むというのに、その間自分は、戦場を離れて平和に暮らす。それが心底申し訳なかった。
「牧野さんが謝る必要はありませんよ。ただ、運が悪かっただけです」
「寧ろ、能力が無くて良かったよ。楓っちに争いなんて似合わないもん」
矢子と癒月の励ましに、沈んでいた心が少しだけ晴れてきた。
「癒月の言う通りです。私に、争いなんて似合いませんよね」
落ち込んでいたって何も変わらない。そんな暇があるなら、勇者として戦う以外に出来る事を模索するべきだろう。
「この世界の事は俺たちに任せてくださいよ、楓さん」
男子生徒の一人が、自信満々に告げる。
佐藤幹哉。金色に染めた髪と、両耳に嵌めたピアスが印象に残る。馬鹿で女好きでお調子者だが、不思議と彼を嫌う者は少なかった。
何故か彼は、楓にだけ敬語を使う。理由はわからない。
もしかしたら今日。初めて幹哉への好感度が上がったかもしれない。ほんの僅かだが。
**
それから全員の解析は問題なく終了し、楓達は用意された部屋で休む事にした。
使える部屋の数にも限度があるため、一つの部屋を最低三人が使用する事になった。
楓の部屋は、癒月と夜宵も使う事になった。
「広ーい! 流石はお城って感じ!」
「煩いわね。もう少し静かに出来ないのかしら」
育ち盛りの子供みたいに騒ぎ立てる癒月に対し、壁に身体を預け腕を組んでいる夜宵は、苛立ちを募らせていた。
「別にいいじゃないですか。初めての本物のお城なんです。癒月さんのようにワクワクしたって、いいじゃないですか」
「……貴方が言うなら、仕方ないわね。大目に見てあげる」
「ありがとうございます」
朗らかな笑顔を浮かべる楓。それを目にした直後に、夜宵は顔を逸らした。
「それにしても、これからどうなるんでしょうか」
「少なくとも、世界を救って尚且つ全員無事で帰れる……なんて理想的な結果にはならないでしょうね。……まったく、貴方達はお人好しで大馬鹿よね。呆れるほどの大馬鹿だわ。やっぱり、優しい人は損をするのね」
「でも仮に私たちが帰る事を選択していたとしても、あなたはどうせ残る事を選びましたよね?」
「当然。元の世界に未練なんて何も無いし、私が消えて悲しむ人なんて、たったの一人も居ないもの」
「なら戦う事を選んだのは、私にとって正解ですね」
「……何故かしら?」
「だって少しでも長い間、あなたを一人にしなくて済むんですから」
「…………少し、外の空気を吸ってくるわ」
どうしてか左手で顔を覆いながら、夜宵は早歩きで部屋を後にした。
「前から思ってたけどさ、夜宵っちって結構変わってるよね」
「そうでしょうか? 私は、素直になれない子供みたいで可愛いと思いますけど。……これ本人に言ったら、怒られるでしょうけどね」
「違いないね」
結局、夜宵が部屋に戻ってきたのは数十分も後の事だった。