2-9 怪物の目覚め
ミレシアが二十三という若さで近衛隊の隊長にまで上り詰めた理由は、いたって単純だ。
実力だ。誰も彼女の剣に敵わないどころか、指一本触れる事すら出来ない。美しい容姿からは考えられないくらいに、彼女は強かった。
彼女と一度でも手合わせを経験した者は、口を揃えて言うのだ。
──「人の姿をした怪物」と。
「はあああああ!!」
剣の一閃が、少女の右頬を掠める。緑血が滲み出た。
「おいおいマジか……よッ!!」
お返しにとばかりに拳を振りかぶる少女。
ミレシアは背中を上に逸らし、それをかわした。手に持っていた剣を一度遠くへ投げ飛ばし、自由になった両手で逆立ち。ムーンサルトの形で、両脚による蹴り上げを下顎へお見舞いした。その勢いでバク宙でその場を離れ、剣を手に取った。
「……お前、本当に人間かよ」
粉々に砕けた顎の骨が完全に回復したのを確認してから、少女はミレシアに文句を垂らす。
「勿論、人間ですよ」
「嘘吐け。オレからすれば、お前は全然人間じゃねぇよ。姿形は同じでも、まるで違う生き物に見えるぜ!」
少女の手の平から、青色のレーザーが放出される。ミレシアはそれを剣で軽々と受け流した。
彼女の使う剣は近衛隊の共通装備。店に行けば普通に購入出来るもの。レーザーを受け流せたのは、ミレシア自身の実力によるもの、という事になる。
「はは! 最高だなお前ッ!!」
「お誉めにあずかり光栄です。……ところで一つ。あなた様に、尋ねたい事があるのですが」
「なんだ?」
「どうして、この城を襲ったのですか」
「そこでへばってる奴等にはもう言ったが、オレはお母さんを取り戻しに来たんだ」
「……えと、どういう事でしょうか。母を取り戻す事と、城を襲う事。どう関係があるのですか?」
「お前もこの城の人間なんだろ? まさか知らねーって事はねーだろうよ」
「いえ、知りません。私は近衛隊の隊長を任されていますが、そのような話は聞いた事もありません」
「……少し話が見えてきたな。じゃあ知ってるか? 誰かがオレの母を攫い、ここの地下に閉じ込めてるって事を」
「地下? そんな、まさか。この城に地下空間なんて存在しない筈ですが……」
「……いえ。残念ながら有りますよ、ミレシア」
口を開いたのは、ウィスタリアだ。
「私たち宮廷魔導士団が作りました。……陛下の許可無しに」
「そんな……何故そのような事を……!?」
「全ては、我々の悲願のためです」
「悲願……?」
「なるほどね。つまりオレのお母さんを攫ったのは、|宮廷魔導士団(お前たち)って訳か。そんでこの隊長サンはまったくの無関係って事だな」
少女の言葉に、ウィスタリアは正解と言わんばかりた首を縦に振った。
「……ウィスタリアさん。後でじっくり、話を聞かせてもらいますから」
「そのつもりですよ」
魔導士達を一瞥してから、視線を目前の少女へと戻す。
「理由はどうであれ、あなたがこの城を攻撃した敵である事に、何も変わりありません」
「そうだな。オレだって、戦うのを止められるのは困るんだよ。お前みたいな手練れとヤれる機会なんて、地上ではそうそうねーんだからな」
少女が手を払い、前方に衝撃波を放つ。ミレシアはそれを剣で弾きながら、距離を詰めた。
次に少女は、魔力による壁を展開させた。
「スミレ流奥義──崩壁」
剣の構え方を変え、一点を狙って刺突する。壁は一瞬で砕け、二人を隔てるものは消失した。メモリーロストギアを装着した四人の全力でようやく突破する事の出来た壁を、彼女はさも当然のように乗り越えてみせた。
「マジかよ……!」
「やあああああ!!」
刺突の嵐。少女はそれを確実にかわしていくが、数撃は避けきれずに掠めた。
「ッ!」
少女を中心に、エネルギー波が全方位へと放出される。ミレシアは剣を払ってその衝撃を最小限にまで抑えようとするも、間に合わずに吹き飛び、壁に背中を打ち付けた。
「……おいおいどうした! もっとオレを楽しませろよッ!!」
「っ……!?」
痛みに耐えながら無理やり身体を動かし、その場を離れる。直後、ミレシアの居た場所の壁に、少女の拳が打ちつかれた。
拳が壁にめり込んだ状態で、左手を薙ぎ払う。掬われた壁の一部が幾つかの礫となり、弾丸の如き速度でミレシアの背に突き刺さった。その勢いに負け、うつ伏せに倒れる。
追い打ちをかけるように、少女は背中を踏みつけ……ようとした。ミレシアが高速で横に移動し、攻撃の範囲から逃れた。
「はああああ!!」
一息すら吐く暇もなく、敵に剣を振るうミレシア。しかし彼女との戦いで学習し、少し前よりも成長した少女にはもう、彼女の剣技は届かない。
「なっ……」
少女が、ミレシアの剣を人差し指と中指で掴んだ。たったのそれだけで、剣が完全に動かさなくなった。
「目が肥えるってのは、こういう事を言うんだろーな」
何処か寂しげに呟いた後、ミレシアの腹部に蹴りを入れた。身体が後ろに飛び、床の上を転がる。
「どうした! もう終わりかよ隊長サン!!」
「まだ……まだです……ッ!!」
僅かに残った力を振り絞って、ミレシアは少女に食らいつこうとする。
だが、もう届かない。
少女の払う右手から放たれた衝撃波が、ミレシアを吹き飛ばし、壁へと打ち付けた。
「チェックメイト……ってね」
**
「おいおいどうしたよ虫ケラ! シャドーボクシングでもしてるつもりか!?」
「くっ……なんでシャドーボクシングなんて知ってるんですかねこいつ……!!」
目にも留まらぬ速度で移動し続けるハウセン。楓と癒月はそれを、必死に目で追っていた。
あのカウンターを命中させて以来、楓の攻撃は一度もハウセンに届いていない。幾ら身体能力が強化されているとは言え、流石にハウセンの速度に追いつく事は出来なかった。
「逃げてないで、正々堂々と戦ったらどうですか……!」
「殺し合いに正々堂々もクソも無いだろ! 殺るか殺られるか、求められるのはそれだけだ!」
「ごもっともな意見どうも!」
楓は攻撃を当てられない。だが同様に、ハウセンも彼女に攻撃を仕掛ける事が出来ないでいた。もしかしなくとも、先程のカウンターを食らう事を恐れているのだろう。仮にこれが柔道やハンドボールだったなら、消極的な姿勢を見せたとして反則だが、彼女の言った通りこれはルール無用の殺し合い。求められるのは、たった二つの結果だけだ。
「(これじゃあキリがありません……! どうすれば……)」
「楓っち!」
その時、癒月の声を耳にした。見れば彼女がハウセンの歩脚の一つを両手で掴み、動きを止めていた。
今の彼女は亜人だ。魔法の耐性を一切持たない代わりに、驚異的な身体能力を持っている。恐らくは動体視力も計り知れないものになっていたのだろう。ハウセンを捕らえるのは、難しくても不可能ではないのかもしれない。
「は、離せッ!!」
残りの歩脚を使って、癒月の身体を突き刺そうとする。
「そうはさせません……よ!!」
癒月に攻撃が届く前に。ハウセンの胸元に飛び蹴りを浴びせた。背中から壁へと衝突する。
それから楓は、床に拳を叩きつける。ハウセンの足元からワニのような紫色の顎が生えて、彼女に噛み付いた。
「が、ああああああ!!」
悲痛の叫びを上げるハウセン。
幾ら怪物とは言っても、容姿も声も人間の少女と大差ない。以前の楓なら、殺す事を躊躇したかもしれない。
でも、今は違う。今の彼女はもう、昔の自分に戻れはしない。
「はああああああああああ!!」
打打打打打打打打打打打打打打打打打ッ!!
両手の拳に殺意と龍の魔力を込め、力任せに連続で叩き込んでいく。
「……はあ、はあ……」
攻撃を止め、おもむろに手を下げる。肩で息をしながら、ハウセンの方を見た。
全身に、痛々しいほどの打撲痕。腕は捻じ曲がり、整っていた顔は腫れて見る影もない。
「勝て、ましたね……」
「大丈夫、楓っち」
「大丈夫ですよ。……ありがとうございます、癒月」
「どういたしましてっ」
「……けど、ゆっくりはしてられません。早く外に出ないと」
「そうだね」
二人は再び手を繋ぎ、走り出す。出口を目指して。
「…………えっ」
癒月が声を上げた。あまりにも、呆気なく短い声を。
時間が、止まったような錯覚に陥った。
「ゆづ、き……?」
楓は、自分の目を疑った。
信じたくない。
ハウセンの歩脚が、癒月の胸元を貫いている光景なんて。
「クク、ク……道連れだよ、む、し……ケラ……」
ハウセンが、乾いた笑いを零した。
歩脚が引き抜かれると、癒月は膝をつき、うつ伏せに倒れた。
「癒月!? 癒月! 癒月ッ!!」
身体を仰向けにし、顔を覗く。彼女の綺麗だった瞳からは、光が消えていた。
「か、え……で……」
ゆっくりと手を伸ばし、楓の頬に触れる。
「だい……すき……だ……よ……」
僅かに口元を緩ませてから、手が力なく落ちた。目を開けたまま、動かなくなった。
まだ肌は温かい。だというのに、温もりを感じられない。
本能が理解してしまっていたのだ。それにもう、魂が宿っていないという事に。
「……ゆづ、き? ねぇ、癒月? そんな……嘘ですよね……そんな、嫌っ……! 目を開けてよ……癒月……ッ!! ……ぁ、うあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
絶叫。愛する親友を失った、悲しみと、憎しみの叫び。
彼女の理性を飛ばすには、十分過ぎる引き金であった。
楓の全身を、漆黒の瘴気が覆い尽くした。背中を二本の骨が突き破り、そのまま翼へと変貌を遂げる。
肉が溶け落ち、骨が露出。肥大化し、少しずつ巨大な龍へと姿を変えていく。
天井を破壊し、地上に顔を出す。それでも成長は止まらず、やがて王城の背を超えた。
『ギリャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
夕と夜に挟まれた中途半端な空の下。矛盾を抱えた龍の慟哭が、王都全体に轟いた。