2-3 決死の脱出
「どうするのよ……!」
カノンに聞こえないくらいの小さな声で、夜宵はこの状況を打破出来る方法を尋ねた。
「決まってんだろ。ここから逃げるんだよ」
「そんな事、彼女が許してくれるとは思えませんよ……!」
「だろうな。……だから、俺が囮になる。二人はその間に逃げろ」
幹哉の提案に、矢子な目を見開かせる。
「なっ、気は確かですか……!?」
「いいから行け。ここで全員死ぬよりかはマシだろうが」
「佐藤さん……」
「……迷ってる暇なんて無いわ。行くわよ、句読さん!!」
夜宵が矢子の手を引っ張り、動き出した。
「逃がさない……!!」
カノンが引き金を引き、弾を一発撃ち込んだ。しかし命中したのは狙っていた夜宵ではなく、その前に立ち塞がった幹哉だった。
「ぐッ……!!」
胸元に喰らい、血反吐をぶち撒ける幹哉。幸いにも心臓への命中は避けられたが、どの道助かる見込みは無いと、素人目で見てもすぐにわかった。
二人は一度は立ち止まろうとしたが、そのまま元来た道へと走り去った。
「逃した……でも問題ない。向こうは行き止まり。こちらから外には出られないから」
「マジ、かよ……」
膝から崩れ落ちる。
「はは、はははははは!!」
頭を抱え、口元に弧を描いた。絶体絶命の危機に直面しているのに、彼は笑い出した。
命を懸けて逃したのに、それらは全て無駄に終わる。それがあまりにダサくて、笑うしかなかったのだ。
「……何笑ってるの。あまりに痛いから、頭がおかしくなったの?」
不愉快そうに、カノンは眉を顰める。
「ま、そんなところさ。……あーあ、どうせもう死ぬんだ。カノンちゃん、俺の頬にキスでもしてくんねーか? そうすれば、安らかに逝けると思うからよ」
「却下。あと、気安く名前を呼ばないで。あなたみたいな軽い男、好きじゃない」
「そうかい。じゃあ、どうしたら俺を好きになってくれんだ?」
「今すぐ死んで黙る。そうすれば、ほんの僅かな確率で、あなたの事を好きになるかも」
「……なるほど。じゃあ、そうするわ」
「(最期に見る女の子は、楓さんが良かったな……なんて、贅沢言えねーか)」
意識が遠のく。カノンの整った顔が、よく見えなくなった。
「さようなら、チャラ男。あの世でナンパでもしてて」
嫌悪感を露わにした言葉を吐き捨て、引き金を引こうとした。
「──そこまでよぅ、カノンたん」
**
「開かない……!」
目前に佇む壁を、何度も叩く夜宵。彼女の表情からは焦燥が見て取れた。
「どうやら、こちらからは開かない仕様になっているみたいですね……」
一方で矢子は、非常に冷静だった……という訳でもなく、手脚を小刻みに震わせ、前の夜宵の服を摘んでいた。
「だったら、こじ開けるまでよ……!!」
前方に穴を作り、壁を吸い込もうとする。
「なっ、どうして……!?」
しかしどれだけ威力を上げても、目前の壁は崩れない。
「まさかとは思いますが、壁にアビリティに対する耐性とかが付与されているのでは?」
「そんなっ……まるで最初から私たちを地下に閉じ込めて、外に出さないようにしてるみたいじゃない……!」
「……どうしますか。私たちは今、袋の鼠です。今から引き返せば間違いなく殺されてしまいます」
「そんな事はわかってるわよ! それでも、なんとかしなきゃいけない……!」
何か。何か無いのか。この状況を打破出来る方法は……!
「…………そうだ!」
何かを思いついた様子で、夜宵はもう一度前方に穴を作り出した。
「何をするつもりですか、倉林さん。吸引は無駄ですよ?」
「一か八か。失敗すれば終わりの作戦を思いついたの。……乗ってくれるかしら? 乗れないなら、死ぬだけだけど」
「……わかりました、乗ります」
「決まりね。ついて来なさい!」
吐き捨ててから、夜宵は穴の中に自ら飛び込んだ。
「はい……って、ええええ!?」
夜宵の行動に驚きながらも、矢子は躊躇う事無くそれに続いた。
**
「そこまでよぅ、カノンたん」
カノンの肩に手が置かれる。
「……イルバ、どうしてここに?」
照準を幹哉に向けたまま、カノンはいつの間にか自分の背後に居た女性に、尋ねた。
薄紫色の長い髪。豊満な胸に大きめの臀部。口元の泣き黒子が印象に残る。
妖艶な雰囲気を纏った彼女は、イルバ・ノントリント。カノン達と同じ宮廷魔導士だが、他とは違って露出の多い衣服を纏い、腰に帯剣している。
「かっこいい男の声が聞こえてきたから、ちょっと来てみたの」
赤らんだ頬に手を当てて、朗らかな表情を浮かべる。
「ユヅキ様の変異手術は終えたの?」
「モチのロンっ。完璧に済ませてきたわ。……それよりカノンたん。リーアたんの言葉を忘れたの? 勇者様を無意味に殺すのは勿体無いからダメだーって、言ってたじゃない」
「……そうだった。忘れてた」
カノンはハッとすると、手に持っていたマジブラスターを消滅させた。
「珍しいわねぇ、カノンたんが積極的に殺そうとするなんて」
「こういう男、嫌いだから」
「そう? 私はこういう男、凄くタイプだけど」
「……イルバは、人間なら誰でもいいでしょ」
「あら、よくわかってるじゃない。ご褒美に、ぎゅーって抱き締めてあげるわっ」
「要らないから、彼を早く治療してあげて。死ぬよ」
「それもそうね」
イルバはもう虫の息であった幹哉の前まで来ると、膝をつき、顔の前で両手を組んだ。
彼女の全身を、金色の光が包む。
聖女のみが扱う事の出来る、癒しの力。
それを何故彼女が使えるのかというと、彼女は元聖女だからだ。理由があって、今は宮廷魔導士団に所属しているが。
「よし、終わったわ」
治癒を終え、立ち上がる。
「……助かったぜ。サンキューな、美人のお姉さん」
「腹立たしい程に口が悪い……」
「美人……今私の事美人って言った!? いやんもう嬉しいぃ!!」
カノンが嫌そうな顔する一方で、イルバは顔を真っ赤にして歓喜していた。
「ねぇ君、名前は?」
「俺か? 俺は、ただの佐藤幹哉だ」
「ミキヤ君、ねぇ。……うん! 私、すっごく気に入ったわ!」
身を屈ませ、幹哉と視線を合わせる。
「おいおい。そんなに見つめるなよお姉さん。照れちまうぜ」
「私はイルバ。イルバ・ノントリントよ」
幹哉の両頬に手をやり、視線をこちらに固定させる。
「ねぇ、ミキヤ君。良ければ私と──結婚しない?」
瞬間、空気が静まり返った。
「……は?」
最初に静寂を破ったのは、カノンの素っ頓狂な声。
「は?」
次に発せられたのは、カノンの素っ頓狂な声。
「はあああああああああ!?」
その次に発せられたのは、カノンの素っ頓狂な絶叫だった。
「ふざけないで! 彼は勇者! 異界の人間! 愛し合う事なんて不可能!」
「今のなんかラップみてーだな」
「チャラ男は黙ってて!」
「了解チャラ男黙りまーす」
「だってだって、好みドストライクなんだもんこの子っ! もう顔を見てるだけで……その、理性がヤバイの……!」
「……はあ。もう好きにして」
もう付き合いきれないとでも言いたげに、カノンは肩を竦める。
「私は、さっき逃げた二人を捕まえに行く」
「わかったわ」
手を振るイルバに見送られながら、カノンは夜宵たちの後を追った。
「行かせるかよ……!」
「それはこっちの台詞よ、ミキヤ君」
カノンの後を追おうとする幹哉の前に、イルバが立ち塞がる。
「退いてくれねーか。俺は、敵なら女でも殴る男だぞ」
「それは素敵ね。……だってまだ、返事を貰って無いんだもの。愛の告白を無視するなんて、酷いわよ」
「……そりゃそうだな。じゃ、率直に答えだけ言わせてもらうけど──お断りだ」
「……どうして?」
「確かにあなたは美人だ。俺なんかじゃ釣り合わないくらいのな。そんなあなたから愛の告白をされるのは、凄く嬉しかった」
「なら──」
「でも俺は、あなたの事を名前以外何も知らない。そんな他人同然に告白されて二つ返事で首を縦に振るほど、俺は人を見た目で選んでねぇ。……それに何より──」
幹哉は自分に親指を向け、誇らしげな顔を見せた。
「俺は、楓さん以外の女性を愛するつもりはもっぱらねーんだよ」
「……性格に反して、案外一途なのね。……でもそこも、心底気に入ったわ……!!」
イルバは腰の柄から剣を抜き、両手で構える。刀身は、怪しい紫色の輝きを放っていた。
「フラれちゃったけど、君の事を諦めるつもりはさらさらないわ。だから今はここで、おねんねしてて頂戴!」
瞬く間に。イルバの剣撃が放たれた。
そして──。
**
二人が飛び込んだ穴の中は、黒一色で塗り潰されていた。前も後ろもわからない。音も何も聞こえてこない。自分の声も、心臓の鼓動も。何もかも。
「(こんな場所にずっと居たら、きっと保たないわね……)」
視覚も聴覚もまるで頼りにならない。そんな空間に居れば、人の心はいつか壊れる。
今もただ立っているだけなのに、言葉では表現しきれない程の不安が渦巻き、嫌な汗が全身の穴という穴から噴き出て止まらない。あと数分も居れば、衝動的に叫びたくなってしまうだろう。
夜宵の思いついた方法は、穴を介して別の場所へ移動するというものだった。
彼女の能力は『吸引』。あらゆるものを吸い込む能力だ。しかし吸引する為の穴が何で、何処に繋がっているのかを知らない。
もしかしたらあの穴は、こことは別の次元に繋がっている謂わば『ワームホール』なのではないかと、夜宵は今日まで考えてきた。何度か真相を確かめようとしたが、帰ってこれない可能性を考えると、怖くて出来なかった。
けれどこうやって、「やらなければ死ぬ」という状況に陥った事で、ようやく実行に移し、真実を知る事が出来た。
「(お願い……!)」
願いを込めながら、前方に穴を開けた。
穴の向こうから、僅かに光が射しているのを確認できた途端、安堵の息が漏れた。
その穴を通り抜けると、その先に広がっていたのは王城の廊下。どうやら無事に成功したらしい。
「これは一体、どういう事ですか……?」
「あの穴は、ワームホールだったのよ。一旦別次元に飛んで、もう一回こっちに戻ってきたって訳」
「そんな事が……倉林さんのアビリティは、ただモノを吸い込むだけでは無いんですね」
「魔導士たちの解析とやらが、完璧じゃないのかもしれないわね。もしくは嘘を吐いてたか。……とりあえず今は、急いで全員に報告しましょう。宮廷魔導士団が黒だという事を……!」
「そうですね……早くしないと、佐藤さんが……!!」
二人はクラスメイト達のいる部屋に向けて、走り出した。