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1-1 召喚されて異世界

「ここは、一体……」


 楓は思わず首を傾ける。


 自分たちはつい先程まで、教室に居た筈だ。そしていつもと変わらない日常が始まると。そう思っていた筈だ。


 しかし突然。床に魔法陣のような文様が現れたかと思えば、それの放つ白い光によって視界が覆われた。


 次に視界が良好になった時。教室に居た三年B組の生徒全員と教師は、この見慣れない建物の中に居た。誰もが頭上に疑問符を浮かべてしまう、まるで意味不明な経緯だ。


 手を伸ばしても届かない遥か高い天井。足下には松明の炎が生じさせる明かりを、鏡の如く反射させている大理石のようなもので出来た床。その上に敷かれた赤い絨毯。そして壁には大きな絵画。その中では、甲冑に身を包んだ人間達が、炎を吐く巨大な竜に立ち向かっていた。


 まるで創作物などで目にするような王城の中のようだ。そう思った。


「楓っち!」


 近くに居た少女が、不安げな表情を浮かべながら駆け寄ってくる。


 栗色に染めたポニーテールに纏めた髪。両耳にはピアスを嵌めている。スカートの丈だって校則によって規定されている長さより明らかに短い。


 彼女の事は知っている。名前は琴吹(ことぶき)癒月(ゆづき)。楓の小学校からの幼馴染みであり、親友だ。


「ねぇこれどういう事! ここって何処なの!?」


 癒月の声は震えていた。周囲を見てみれば、他の生徒も一部がパニックを引き起こしている。こんな異常事態だ、無理もない。


「ひとまず落ち着いてください。こういう時、パニックに陥るのが一番危険なんですよ。だからまずは、ゆっくり深呼吸してください」


「う、うん!」


 言われた通り、癒月はその場で深呼吸する。


「……はぁ。ありがとう楓っち。ちょっと落ち着いたよ」


「どういたしまして」


「楓っちは凄いね。こんなワケわかんない時でも冷静なんだもん」


「そんな事はありませんよ。こう見えて、結構焦ってますよ私」


 表向きはなんとか平静を保っているが、心中は全然穏やかではないし、頭の中に至っては理解が追いつかず漂白一歩手前といったところだ。


 そりゃそうだ。気付いたら見知らぬ場所に居て、普段と同じ気分を保っていられる人間が、果たして存在するだろうか。もしかしたら居るかもしれないが、基本的には居ない。少なくとも楓は後者だ。


 幸か不幸か、ここには自分の他にクラスメイトが居る。もし仮に一人だったらと想像すると、恐ろしさで背筋が凍りつきそうだった。


「皆さん、落ち着いてください!」


 一人の女子生徒の叫びによって、混乱に支配されかけていた空気が一瞬で静まり返る。


 声を上げたのは、句読(くとう)矢子(やこ)。三つ編みにした髪と赤いフレームの眼鏡が特徴的な、このクラスの学級委員長。加えて風紀委員長も務めているという、まさに真面目が服を着て歩いているような少女だ。こんな状況下であっても、委員長としての務めを果たそうとするあたりは流石というべきか。


 ……しかしよく見てみれば、彼女の脚は小刻みに震えていた。彼女も楓と同様、表向きは平然としているが、内心は怖くて仕方ないのだろう。でも皆をまとめるリーダーとして、弱音を吐くわけにはいかない。だから必死に耐え、誤魔化しているのだろう。


「何が起きたのかは私にもわかりません。ですが、とりあえず今は気持ちを落ち着かせる事が先決です。気が動転した人間ほど弱いモノはありませんから。なので一度、深呼吸しましょう」


 矢子の号令に合わせて、深呼吸を始めるクラスメイト達。楓と癒月もそれに合わせた。


 彼女のお陰で、全体の空気が少しだけ軽くなった気がする。流石にいつも通りとまではいかないが、殆どが落ち着きを取り戻しつつあった。



**



 楓達から少し離れた床に、突如小さな魔法陣が浮かび上がる。その真上に一人の女性が現出した。


 純白のローブに身を包み、肩口で切り揃えた赤髪。背は低く、顔立ちも楓達高校生と比べてやや幼い。


 何の前触れもなく現れた彼女に、一同は驚愕の色を隠せない。楓も癒月も同じだ。


 すると女性は、楓達に向けて深々と頭を下げた。


「ようこそおいでくださいました、選ばれし勇者の皆様」


「……勇者?」


 何度も聞いたことのある単語だ。だというのに、自分たちがそう呼ばれている理由が理解(わか)らなかった。


 ロープの女性はおもむろに顔を上げると、僅かに頬を緩ませる。


「申し遅れました、私はウィスタリア=ヘロヴォロス。このダランシア王国に仕える宮廷魔導士であり、あなた方を召喚した張本人です」


「だ、ダランシア王国? 宮廷魔術士? それに召喚? まったくもって意味がわかりません。あなたは一体、何を言っているのですか……?」


 クラスの担任教師である芹沢(せりざわ)由紀子(ゆきこ)が、自らをウィスタリアと名乗る少女に恐る恐る尋ねる。


「ここはあなた方の居た世界とは別の世界。──つまりは『異世界』なのです」


「なっ……!」

「そんな……!」


 あまり詳しくはないが、現実世界から異世界に転移したり、召喚されたりする少年少女を主人公を描いた話が流行っていたと、風の噂で聞いた事がある。


 まさかそれが、自分達の現実になるとは。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものである。


「ここが異世界だと、証明する事は出来ますか?」


 その問いを投げかけたのは、矢子だった。


「勿論。それで勇者様が納得出来るのであれば、喜んでご覧にいれましょう」


 ウィスタリアが両手を広げる。彼女の足下に再び、魔法陣と思しき模様が浮かび上がった。


「《司るは地》」


 魔法陣の放つ光色が、白から橙へ変わる。


「《生命(いのち)還るその場所糧に・今、世界に産声を上げろ》──召喚、グレイヴゴーレム!」


 彼女の背後にあった床が内側から破壊され、破片が天井高くまで舞い上がる。


 出来上がった歪な大穴から、土によって作られた剛腕の巨人が這い出てきた。顔にあたる部位には、赤く輝く球体が嵌め込まれている。


 着ぐるみなんて生易しいものじゃない。全身から発せられているこの威圧感は、とても作り物には出せない。


 皆、巨人を見上げて唖然としている。これまでフィクションの中でしか見た事のなかった非日常的な存在が、目と鼻の先に居るのだ。日常を過ごしてきた少年少女として、その反応は至極真っ当なものであった。


「グレイヴゴーレム。意志を持った土人形です。勇者様の居た世界に、こんな存在は居ましたでしょうか?」


「はい……こんなの、居るわけないです」


「ではここは異世界だと、信じて頂けますね?」


 視線をゴーレムに向けたまま、矢子は小さく頷く。彼女を含めた全員が、ここが異世界であるという事を認めた。認める他なかった。


「ひとつ疑問が」


 楓が手を挙げる。


「なんでしょう」


「どうして私達と貴女は意思疎通が出来ているのですか? 世界が違うというなら、当然、言語も異なると思いますけど」


「もっとも疑問ですね、流石は勇者様。それは私があなた方を召喚する際に使用した『神位召喚術』。これに、こちらの世界の言語を理解できる能力と、私たちの言葉が最も聴き馴染んだ言語に自動的に変換される能力の二つを、召喚された者に付与(エンチャント)するようにしたからです。翻訳者も勉強も不要です。なんとも便利でしょう?」


「確かに。少し、都合が良すぎる気もしますけどね」


「都合が良すぎて怪しいと?」


「そこまでは言ってませんよ。質問に答えてくれて、ありがとうございました」


「礼には及びませんよ。あなた方は勇者様なのですから。──元ある場所へと還れ、グレイヴゴーレム」


 ウィスタリアがそう口にすると、巨人の身体は音を立ててボロボロと崩れ去り、その場に土山を作る事なく完全に消失した。


「床、後で修復しないとですね。……それでは、国王が居られる謁見の間へとご案内致します。私に付いてきてください」


 くるりと踵を返し、歩き出す。


「どうするの?」


 癒月が、耳元で囁いてきた。


「言われた通り、彼女に付いていくしかありませんね。私たちをこの世界に呼んだのは彼女です。という事はつまり、元の世界に帰る方法も知っているはずです。今はあの人に従うのが賢明かと」


「下手に逆らったら帰れなくなるかもしれないって事だね」


「そういう事です」


 ウィスタリアが足を止める。彼女の前方には、先の石塊巨人でも出入りできるくらいに巨大な観音開きの扉があった。


 彼女が軽く手を翳せば、扉は地響きを起こしながら少しずつ開いた。


 その扉の先には、一本の廊下が続いていた。


「この先です」


 ウィスタリアを先頭に、一同は廊下を進む。踏み慣れないカーペットの感触が、緊張を高まらせる。


「それにしても凄いね、この建物」


「彼女の話を信じるなら、ここは王城みたいですからね」


「お城かぁ。死ぬ前に一度は入ってみたいなーとか思ってたけど、まさかこんな形で叶うなんてね。……うーん、ちょっと複雑な気分」


 廊下を真っ直ぐ進んでしばらく。彼女達の前に立ち塞がったのは、同じく巨大な扉であった。


 門番のように扉の左右に立つ近衛兵二人に軽く頭を下げてから、ウィスタリアは扉を同様の方法で開ける。


 扉の先。楓達の居た場所とは比較するのもおこがましい広大な空間の中心に、白髭を蓄えた初老の男性が居た。玉座に深々と腰を下ろし、煌びやかな宝石をふんだんに使った王冠を被ったその姿は、まさに楓達の想像していた『王』そのものであった。その身に纏う有無を言わせない雰囲気も相まって、誰もがこの城の主だと確信した。


 王の座る玉座の両隣には、ウィスタリアと同じく白いローブに身を包んだ人物が立っている。恐らく彼女達も宮廷魔導士なのだろう。


 ウィスタリアが、王の前に跪く。


「ウィラード陛下。勇者様方をお連れしました」


「うむ、ご苦労だった」


 主人からの労いの言葉を受けたウィスタリアは、玉座の横。同じ服装をした者達の横に移動した。


「私はウィラード・ダランシア。この国の王である。まずはそちらの許可なく、こちらの事情で呼び出してしまった事を謝罪する。……申し訳ない」


 ウィラード王は重い腰を上げると、楓達に深く頭を下げた。


「これはあまりにも身勝手な行為だ。我らが幾ら謝罪したところで、到底赦されるものではない」


「……顔を上げてください、王様」


 矢子の言葉を受け、王は前を向く。


「そこまでして私たちをこの世界に呼び出したという事は、何か事情があるんですよね?」


「そうとも。……今から五年前、このエルディライフ大陸の中心にある大穴『アルケー』から、未知の生命体が湧き出てきたのだ。奴らは魔物とは事情が違う。人に似た姿をしていて、魔法の一切を無力化できる。理由はまだ解明されていないが、目に入った生物を喰らい尽くすという性質を持っている。私たちではどうする事も出来ない、まさに天敵だ」


「……まさか、その未知の生命体とやらに対抗出来るのが私たち……という事でしょうか?」


 教師でありこちら側唯一の大人である芹澤の言葉に、王は首肯する。


「別世界に住む人間が、この世界に降り立つ事で発現する特殊な力。これが奴等に有効だという事が、ウィスタリア達宮廷魔導士団の研究で判明したのだ。そして早急に、別世界から不特定多数の人間を召喚できる大規模な召喚術──『神位召喚術』の開発に取り掛からせ、先日ようやく完成した」


「なるほど。この世界の人々にとって私たちは最終兵器という事ですね。だから『勇者』……と」


「……勇者様方、無理を承知でお願いする。見知らぬ大陸の未来の為に、どうか戦ってはくれないだろうか?」


 王が再び頭を下げる。彼の感情が、嫌というほどに伝わってきた。


 全員がどよめいた。突然別世界に飛ばされたかと思えば、大陸を背負って未知なる敵と戦って欲しいだなんて。日常を過ごしてきた彼等からすれば、この現実はジェットコースターの如く激しい。


「あの、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」


 楓が躊躇いつつも声を上げた。


「なんですかな、勇者様」


「私たちが元の世界に帰る事は、可能なのでしょうか?」


 一斉に静まり返る。途端に空気が重たくなった。


 当然だ。次の返答次第で、今後が大きく変わるのだから。


「……無論、ありますとも」


「本当ですか……!」


「ですが今は無理のようです。ウィスタリアが言うには、『神位召喚術』は一度の行使で大規模な魔力を消費するため、次に使えるようになるのはかなり後になると」


「そう、なんですか……」


「ご安心ください。我々はあなた方の意思を尊重します。帰りたいと願うのなら、術の発動準備が再び整い次第、帰還して頂いて構いません」


 別に勇者として戦わなくてもいい。帰れるようなったら帰ってもいい。そう言われれば、誰もがきっと故郷への帰還を望む。それは楓も同じだ。未知なる人生よりも、元の日常の方が遥かに重く尊いモノだと信じているからだ。


 ……しかしだ。自分たちが帰れば、この世界は間違いなく救われない。恐らくは破滅へとノンストップで一直線に進むことだろう。


 つまり楓達が帰還を願ってしまうだけで、この世界の人々。ひいては大陸の終焉が確定するという事だ。その事実を念頭に入れれば、正直になるのを躊躇ってしまう。


 それに楓達は、良い意味でも悪い意味でも平和な国に生まれ、暮らしてきた。こんな状況下であっても、「嫌です」とキッパリ断る事が出来ない。


 王は果たして気付いているのだろうか。己の後ろめたさが、楓達を茨の道へと追いやろうとしている事に。


 そして王はきっと知らないだろう。楓達の故郷が、ノーと言えない平和ボケした国だという事を。


 以上二つの事情から、彼女達にはたった一つしか選択肢が残されてはいなかった。


「わかりました。私たちは、勇者として戦います」


 皆の代表として、矢子が答えを出した。彼女の応答に苦言を呈しようとする者は居なかった。


「よろしいのですか?」


 王は信じられないと言わんばかりの表情をしていた。


「私たちは、誰にでも手を差し伸べるような聖人ではありませんし、きっとこれからもなれません。けれど「自分には関係ない」と背を向けて立ち去れるような薄情な人間にもなりたくありません。だからたとえ偽善と言われ責められても、誰かの為になれる選択をした方が良いと思ったんです」


 少しだけ身体が痒くなるような綺麗事。けれどそれは、王にとっても楓達にとっても、救いになっていた。


「……なるほど。立派な考えをお持ちなのですね」


 王は嬉しそうな。けれど何処か悲しげな顔色を浮かべた。


 楓は、隣に立つ癒月の横顔を見た。


「委員長はああ言っていますけど、癒月さんはどう思いますか?」


「私? 私もこの世界の人たちを守りたいと思ったよ。もしこのまま帰ったら、この先何度も思い出して嫌な気分になるだろうし。……そういう楓っちはどうなのさ」


「私も残りますよ。今も不安で胸が張り裂けそうですし、帰りたいというのが心からの本音です。……でも誰かの力になれるのであれば、戦わないと」


「あははっ! お人好し過ぎる楓っちの事だから、きっとそう言うと思ってた」


 癒月が屈託のない笑顔を見せる。この世界に来た直後の彼女とは、まるで別人のようだった。


 本当に元気になったのか、それとも……。


「過ぎるは余分ですよ」

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