4.
話をする前に、エリックは離れていたバーテンを呼び戻す。
「さっきのやつ、もう一杯だ」
そう言って懐からもう一度札束を取り出そうとするが。
「私が出そう。謝罪の意味を兼ねてな」
先にエリサが金を支払ってしまった。
奢りということか。
「悪いな」
そう一言返してから、酒が出てくるまでの間、淡々と語り始めるエリック。
「オレは、元々国家に所属しているパイロットだった。
そういう意味では、お前達とは逆だ。
ユニオン・トラストに所属し、任務をこなしていた。
領土の近辺を荒らす武装勢力の殲滅や暴徒の鎮圧、
あるいはちょっかい出しに近づいてくる他国家の部隊に対する牽制。
そんな仕事で日銭を稼いでいた。
……まぁ、悪い仕事ではなかったよ」
そう言いながら、では何故今このような立場になって、あまつさえ雇い主であるユニオンに憎悪を向けるのか。
そんな当然の疑問を、エリサは口には出さなかった。
あらゆるものには理由がある。
そしてその理由を、エリックはこれから話すところなのだから。
「俺は、ある部隊の隊長を任されていた。
ロクでもない連中の集まりではあったが、悪くなかった。
隊員は皆俺の言うことをよく聞いてくれていたしな」
そう語る彼の口は、かすかに綻んでいた。
が、それも一瞬のことでしかなかった。
「ある日のことだ。
俺達はユニオンに反抗する武装勢力と
その根城を潰した任務の帰りに、小さな廃ビルを見つけた。
半ば砂漠化した荒野に、崩れかけたビルがぽつんと立っているだけの、
人の住処としては到底使えそうにない、無意味な場所だ。
―――だが、そこにいたんだ、人が。かなりの人数だった。
それこそ、街一つ分ほどの人間が狭いビルにすし詰めになっていた。
どこかの居住区が、大規模な嵐によって崩壊したそうだ。
彼らは命からがら逃げ出し、荒野を彷徨いながら
やっとの思いで見つけた廃ビルに身を寄せたんだろう。
要するに、彼らは難民だった」
エリックの話を、エリサは暗い面持ちで聞く。
元々居住区暮らしだった自分達も、何かの拍子に同じ目に会ってもおかしくなかったという実感があるのだろう。
「彼らがビルに避難してから、それなりの時間が経っていたらしい。
なんとか持ち出した物資も日に日に目減りし、
食うことにも困りつつあった。
どこか別の居住区に身を寄せようにも、
そんなものどこにあるかも分からない。
大人数であてもなく砂漠をさまよったところで、
すぐに全員縊れ死ぬことになるだろう。
そして、彼らの古巣である居住区もすでにない」
「……」
「このままでは、難民達は全滅する。
だから俺は、彼らをユニオンの領内にある特区へ匿うことにした。
とはいえ、特区だってタダで運営されているわけじゃない。
それはお前もよくご存知だろう。
何の後ろ盾もない、年寄りもガキも大勢いるような難民達を、
無条件で受け入れてくれるかどうかは分からなかった。
ウチの隊員の中にも、俺の考えに反対するものがいたよ。
俺達パイロットだって、国家に有用だと判断されているから
仕事を任されて、食っていけてる。
出過ぎた真似をすれば上の連中からの評価を落として、
食い扶持を失うことになるかもしれない。
そういう不安は俺にだってあった。
……それでも俺は、身を寄せ合う難民達の姿を見ていると、どうにも。
どうにも、彼らを捨てることが出来なかった」
そこまで話したところで、酒が出された。
それを一息に半分ほど飲み干してから、エリックは再び言葉を続ける。
「俺は一度帰還して、部隊の上官に難民達を搬送するための
輸送機の手配を要請した。
そいつは、俺の望みをあっさりと聞き入れてくれたよ。
すぐに輸送機は手配され、難民達の移乗が進められた。
彼らの、死んだ魚みたいだった眼に光が戻るのが見えた気がした。
正直俺はその時になってようやく、自分がこんな世の中で
人と殺し合うような仕事をしてでも生きていることに、
意義を見出せた気がした。
―――だが、だがな……」
「……まさか」
何かを察したのか、エリサが眼を見張った。
「上層部から提示されたルートに沿って、
俺達の部隊は難民達を連れて特区へと帰還しようとした。
その途中だ。
……輸送機は撃墜された。乗っていた難民は全員即死した。
俺達の前方に、視界を埋め尽くすほどの数のExAが待ち構えていた。
ユニオンと敵対している、別の国家の戦力だった。
そのルートは、ユニオンによって管理される
安全を確保された場所だと提示されていたが、
そんなのは嘘っぱちだった。
俺達は、ユニオンと小競り合いをしている敵の駐留地点を
突っ切る形で進まされていたんだ。
すぐに戦闘が始まった。俺達は難民を救うはずが、
助けるべきはずの連中を真っ先に死なせ、
訳もわからないまま激戦区に放り出された。
俺達は騙されたんだ」
そこに何者の策謀が存在していたのか、そんなものは考えるまでもないだろう。
「仲間達が通信越しに俺を罵った。
『自分達は元々反対だった』
『お前のせいだ』……ってな。
戦闘は終わった。生き残ったのは俺一人だった。
他は敵も味方も全員死んだ。
破壊されたExAのコックピットから投げ出されて、
肉塊になった仲間の姿がいくつも見えたよ。
俺は……俺は、何もかもが嫌になって、逃げ出した。
国家からも、兵士としての役目からも。
そうしてあの二十四居住区に居座って、
コロニストとしてあてもなく生きていくことにした。
生きることに、意義も、展望も見いだせず、
ゴミ屑みたいに生きていくことに」
それからの経緯は、エリサも想像出来る。
エリックの話を聞いた彼女は、ただ一言こう問うた。
「そんな貴様が何故、再びExAに乗って戦うことにした」
「……考えが変わったんだ。こいつのせいでな」
そういって、またレギンの背中をぽんぽんと叩く。
「俺は別に、このまま抜け殻のように干からびて
死んでいくことは構わない。
だが。……だが、俺のせいで死んでいった仲間達や難民を
あのままあの地獄で、地面と混じり合った泥のような姿のまま、
救いも名誉もなく死なせてやるわけにはいかないと、そう思ったんだ。
誰かが、どこかで、あいつらの苦痛と絶望と憎悪に
報いなければならない。
償わなければいけない」
「貴様のせいじゃないだろう。
同僚のパイロット達も、難民達も、死んだのは貴様のせいでは―――」
「そうだ」
さすがにいたたまれなくなり、慰めの言葉を投げかけるエリサ。
それに応えるエリックの声には、その横顔には、言いようのない憎悪の色があった。
ともすれば、この場にいる全ての物、生き物、あまねく全てにそれをぶつけて、徹底的に破壊するのではないかと思えるほどの、どす黒い破壊衝動があった。
エリサは先程の自分の綺麗事も忘れて、息を呑む。
「あいつらが死んだのは、国家のせいだ。
ユニオン・トラストのクソ共のせいだ。
俺を騙した上官と、そいつを今もののうのうと
軍部に据えているであろう上層部のせいだ。
報いはする、償いもする。だがそれは俺じゃない、あいつらだ。
ユニオンという組織そのものが上げる断末魔の声と、
飛び散り爆ぜる血肉を、その光景を、
先に地獄にいった奴らへの手向けにする。
俺が死ぬのはその後でいい……!
全ての始末をつけたその後に、
俺はあいつらよりももっと深い地獄に落ちる。
―――そう、決めたんだ。
あの日、もう一度あの機体に乗ったその時に」
「よく、そんな、おぞましい感情を……十年も抱え込んできたな」
無意識の内に口にしたエリサのその言葉は、目の前にいる男への純粋な称賛なのか。
あるいは、自分達がとんでもない存在に関わってしまったことへの、後悔の念だったのか。
バーテンが逃げるようにバックヤードに離れ、店内にはエリック達しか客はおらず。
重苦しい沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、数秒とも、あるいは数分ともつかない時を経て発せられた、エリックの声だった。
「さっきの話への返答だが。俺はお前達の決定に従う。
好きなようにしろ。ユニオンを叩き潰せるなら、何だってしてやる。
パックス・オリエンタリアが何を考えようと、別に構わんさ。
……だが、もう一度だけ言っておく。決して裏切るな。
どうせ俺のことを利用して使い潰すつもりなら、
正直にそう言え。さっきみたいにな。
今聞いて分かっただろうが、
俺は裏切られるのがこの世で一番嫌いなんだ。
次に俺を裏切った時には、お前の首をその場で引きちぎって
この店の軒先にでも晒してやるからな」
さすがに聞き捨てならない発言に、バーテンが慌ててバックヤードから飛び出した。
「いやそれはやめてくれないか。営業妨害だから」
「……冗談だって」
「(じょ、冗談だとは思えない)」
エリサは冷や汗を描きながら、エリックの忠告にブンブンと頷いた。




