2.
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実際のところ、今の時代において人間の楽しみになるような娯楽など、酒ぐらいしかないのだろう。
特区の街を歩いてみると、すぐにそれらしいものは見つかった。
『BAR』の文字が、歪んだトタン板にペンキで描かれている建物。
エリックは脇目もふらずにそこへと向かい、古ぼけたドアを開けた。
薄暗い店内には、あまり客の姿は見えない。
先の大戦以前においては、朝から酒をあおるのは『人間のクズ』の証明だと言われていたそうだ。
それは今も変わらないのだろう。
文明が一度滅びようと、人間というのは陽が昇っている間に働く生物なのだから。
しかし、だからこそ。
他の人間があくせく働いているであろう最中に自分だけ酒を飲めるという優越感に浸りながら、エリックはカウンターに座った。
「いらっしゃい。何にする」
と、壮年のバーテンが注文を聞いてくる。
「ブランデーだ。ロックで。
ここで一番古い奴。
大戦前のものがいい」
そう言いながら、エリックは懐から今しがた貰った札束からひとつまみ引き抜いてカウンターに差し出した。
「大盤振る舞いだな。
だがそれじゃ足りん」
「ほらよ。釣りはいらない」
もうひとつまみ、先程よりも大枚を放り投げる。
「……調子に乗って羽振りがよくなるような人間は、
あまり長生き出来んぞ」
「長生きしたってしょうがないだろ。
ここは始めてだから、
今後ともご贔屓にさせて頂きたいっていう気持ちだよ。
受け取っといてくれ。
俺はな、この世の中でただひとつ酒だけは無条件で信じられるんだ」
そのエリックの言葉に、バーテンは思わず鼻を鳴らした。
「そりゃみんなそうだ。分かった、ありがたく受け取っておくよ」
ほどなくして、エリックの前にグラスに注がれた褐色の液体が、氷のぶつかるカランッという音と共に置かれた。
酒造が国家によって再開されたのも、ここ最近の話だ。
それまでは、個人レベルの拙い製法で作られた安酒しか飲めなかった。
が、蒸留、貯蔵の技術が再稼働することにより、度数の高い酒も安定して供給されるようになった。
いうまでもなく、国家に管理された特区などに限った話であるが。
しかし、得てして酒というのは年数を重ねるほど上等なものになる。
戦後に製造された酒は、当然ながら作られてから日が浅く、そういう意味でいえば『二流』の品であった。
そんな中で、戦前に作られた年代物の酒というのが、数少ない高級品として流通していた。
大戦が始まる前まではそれらも庶民が買えるような安物であったのかもしれないが、今となっては傭兵として命をかけでもしなければありつけない代物となってしまったのだ。
今、それがエリックの前に出されていた。
彼はグラスを手に取り、中の液体を一口舐めた。
「…………」
それだけ。
ただそれだけのことが、骨身に染みた。
おそらくは、世界が戦争なんてものでめちゃくちゃになる前は誰だって出来たはずのこんな行為が、エリックをこの世界に繋ぎ止めるだけの至福になっていた。
「久しぶりに、こんな美味い酒飲んだ」
アルコールがすぐさま血管に溶け込み全身へと巡っていくのを感じながら、彼はふと視線を感じて隣を向いた。
レギンもカウンターに座り、グラスをじっと眺めていたのだ。
そういえば彼女もいた。レギンは、いつだって自分についてくるのだ。
彼女の顔をぼんやりと眺めていると、何か言いようのない衝動が沸き起こり、エリックはそれに身を任せることにした。
「なぁ、レギン」
「体温の僅かな低下を確認。いわゆる酩酊状態になっていますね」
「あぁそうだよ。俺は酔っ払った。
だからなぁ、少し気が良くなったから、少し昔話をしてやる。
俺の話だ」
「……お聞きします」
「俺はな―――」
エリックが口を開いた次の瞬間、誰かが彼の隣、レギンが座っているのとは反対側に腰を落ち着ける音が聞こえた。
そちらに眼を向けると、そこにいたのはエリサだった。
「お前か」
「聞いたよ。話を通すなら直接来い、だそうだな。
だから来た。貴様を探してな」
「何にする」
と聞いてくるバーテンに、彼女は応える。
「ウォッカ―――」
「…………」
露骨に怪訝な顔を浮かべるバーテン。
「分かったよ……。どうせ私は子供だよ。
ミルクセーキで」
「少々お待ちを」
注文を受けたバーテンが離れている間に、エリサは話を切り出す。
「昨日の依頼については、申し訳ないことをした。
そして、もし貴様さえ良ければ
今後とも我々の一員として働いて貰いたい。
それを伝えたくてな」
「それについては前に話したはずだ。
判断はお前達に任せる。お前がそう言うなら、俺は従うさ」
「そうか……」
それきり、エリサは何も言わなくなった。
注文の品が出てくるまでの間、重苦しい沈黙がその場に流れる。
その沈黙をエルサが破ったのは、頼んだミルクセーキが出てきた後のことだった。
「―――言い訳をするつもりはないんだが……。
少し昔話をさせてもらいたい」
昔話、ときた。
「お前が話すのかよ……」
「何か言ったか?」
「いや、何も」
首を振るエリック。
それから一呼吸おいて、エリサは言葉を紡いだ。
「言わなくても察しはついていたかもしれんが、
我々も元は居住区の出身だった。
『第十ニ居住区』。つまるところ国家の外さ。
特区に招かれたのもつい最近のことだった」
確かに、エリックとしては大方そうだろうとは思っていた。
「私の生まれた居住区では、別々のリサイクラーが
三つの自治体を形成し、それぞれ住民に物資を提供していた。
自治体ごとに協力し、居住区もそれなりに安定した運営がされていた。
……表向きは。
だが実際はそんなことはなかった」
「複数の勢力が一箇所に集まれば、そこには争いが生じる」
「そういうことだ。
各自治体はコロニスト達との提携と物資のやり取りを
自分達だけで独占しようと、水面下で小競り合いを続けていた。
結果的にそれが居住区の復興と再開発を進める要因になりこそしたが、
どこかで歯車が狂えば
リサイクラー同士の抗争に発展するのではないかと、
誰もが予感していた。
そういう危ういバランスの上に構成された環境に、私は生まれたんだ。
自治体のひとつ、それを運営するリサイクラーの娘としてな」
「箱入り娘か、いいじゃないか。将来が約束されてる」
「茶化すのはやめろ。心にもないことを口にするな。
確かに父からリサイクラーとしてのノウハウを学び、
後はその跡を継げば
居住区を管理する立場に収まることは出来たろうがな。
だがな。そんな父は、私が跡を継ぐに相応しい歳になるその前に、
心臓を患い急死した。
後に残ったのは、年端もいかない小娘と、
父を慕って協力していた自治体のメンバーだけだった」
「その自治体のメンバーが―――」
「そうだ。
それが今のエリサ傭兵団だ」




