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4.



        ※※※※



 眼前に、一人の男がいる。


 彫りの深い顔、まるで凍土のクレバスのような眼窩には暗い影が落ち、その奥にある眼から表情は読み取れない。

 真一文字に噤んだ口元には皺が刻まれ、まるで岩石と対面しているような気分になる。


 黒い軍服に身を包んだその男が誰なのか、エリックには分からなかった。

 だが、確かに自分はこの男を知っている。

 知っているはずなのに、頭の中がひどくぼやけて思い出すことが出来ない。


 不意に自分の耳元、否、もっと近く。身体の内側とさえ言ってもいい場所から聞こえてきた声が、自分自身が発したものであるということすら今の彼には分からなかった。


「ある居住区が大規模な嵐により崩壊し、多くの難民が発生しました。

 現在我々の部隊が彼らを保護しているところです。

 大佐殿、難民達の特区への移住の許可を頂きたく今回はお伺い致しました」


 それに、岩石のような顔の男―――『大佐』は応える。


「まずひとつ聞こう。

 その難民を特区に収容することで、我らが国家にどんな利益がある」

「彼らは先の大戦により荒廃したこの世界においても、

 自らの力で廃墟を再建し生活基盤を整えてきた者達です。

 《コロニスト》と呼ばれる彼らは都市を復旧させるための

 ノウハウを持っています。

 特にその中においても、《リサイクラー》という一部の者達は

 専門的な知識を有し、他の難民達を先導してきました。

 彼らは有能な人材です、我々は積極的にコロニスト達を保護し、

 国家の復興のために活用すべきだと考えます」


「すでに、そのリサイクラーとやら以上の知識を有する実践的な技術者が、

 我らユニオン・トラストの領地内には充分な数在籍している」


 即答だった。

 大佐はその深い眼窩の奥から冷徹な眼光を浴びせてくる。

 だが、その上でなおもエリック―――エリックであってエリックでない誰かは応えた。


「人類がその文明を復活させるためには、

 何よりも人材マンパワーが必要です。

 難民達を保護することによる住居、食料に関する問題は、

 彼らが持ちうる生産力をもって釣り合いが取れると自分は考えております」


 数秒の沈黙が流れる。


 奇妙な感覚だった。

 そもそもここはどこで、今はいつなのか。

 今自分の視界に映っているこの大佐と呼ばれる男は誰で、今しがた聞こえたこのどこか自分を少し若くしたような印象を受ける声は何なのか。


 エリックには何も分からなかった。

 ただぼんやりと、目の前の情景と音声を実体のない絵空事として観る中で、大佐は沈黙を破り口を開いた。


「……君の父上は優秀だった。

 我らユニオン・トラストのためによく働いてくれた。

 寄る年波に抗うように、引退も考慮に入るような年齢に差し掛かってもなお

 パイロットを続け、その末に名誉の戦死を遂げた。

 君が正式にパイロットとして採用されたのは、

 それからしばらくの事だった」


 ふいにエリックの頭の中に、どこか懐かしい顔が思い浮かぶ。

 そう。それもまた知っている。

 父だ。自分の父だ。当の昔に死んだ。


「君の働きもまた父上と同じか、それ以上のものだったよ。

 君の駆る機体―――そう、《キング・ナッシング》だったか。

 その異名も時折私の耳に入ってきた。

 優秀な人材マンパワーという表現をするならば、

 君こそまさにそれに当てはまる。

 その君をして、難民が必要な人材だというならば、

 確かに我々の利益ともなりうるかもしれない」

「それはつまり……」


 エリックの声をした誰かが、戸惑いと安堵の入り混じった声を漏らす。

 先程までの冷徹な声音から一転、大佐は彼の進言を承諾したのだ。


「難民の受け入れをこちらで手配しよう。

 部隊は今も待機しているところだな?

 手続きが完了次第、追って連絡を入れる。それまで引き続き待機しつつ、

 指示があり次第行動せよ」

「……感謝いたします」



「―――何故だ」


 今度ははっきりと分かる。

 今自らの口から発せられたその声は、確かにエリック・ハートマン自身のものだった。

 自分であって自分ではないあの、遠い昔に置いてきた若かりしエリックではない。


 これは夢だ。

 現実ではないその光景を眺めながら、彼ははっきりと自らの意思で吐き捨てた。


「何故一度受け入れた。

 始めから突き放してくれれば、俺だって逆らうつもりはなかったんだ」


 胸中に、沸々と沸き起こるのは怒りだ。

 ようやく思い出した。

 むしろ何故、今まで忘れていたのか。


「何故そうやって空々しい言葉を連ねる。何故一度安心させた。何故騙した」


 そうだ、この男は。

 この男こそが。

 このろくでもない世の中に唯一残った、エリックにとっての生きる意義。

 そのひとつだった。


「いいか、大佐―――いや、デイヴィッド・ムステイン。

 俺は決めたからな。お前だけは、必ず……」



        ※※※※



「……この手で殺す」


 そこで、エリックの意識は現実へと立ち返った。

 瞼を開くと、どうやって出来たのかも分からないようなシミにまみれた天井が眼に入ってきた。

 背中に感じるのは、寝袋の薄い布越しに押し付けられるコンクリート床の冷たい固さではない。


 アパートに入った後すぐに眠ってしまったのだということは、すぐに思い出すことが出来た。

 いったいどれだけの間眠っていたのか。


 ふと、すぐ側で声が聞こえてきた。

 レギンだ。


「……エリックに伝達しておきます」


 どうやら例のトランシーバーに出て話をしているらしい。

 つまり、エルサの傭兵団からの連絡があったということだ。

 エリックは慌てて身体を起こした。


「やべっ、昨日散々釘を刺されたところじゃねぇか」

「エリックの起床を確認しました。先程の内容を伝達します。

 それでは」


 レギンはそのままトランシーバーを切ってしまった。

 が、向こうからの連絡は彼女の方が聞いてくれているのだろう。

 今回ばかりは素直に感謝しなくては。


「悪いな。ずっと起きててくれてたのか。で、向こうからは何だって?

 ……まぁ、大体察しはつくが」

「《パックス・オリエンタリア》からの依頼を受注したそうです。

 エリックと当機に対し出撃要請。四時間後にはここを発ちます」

「だろうな」


 エリックはそのままベッドから足を降ろす。

 つい先程までトランシーバーの通知音も聞こえないほどに熟睡していたのだが、目が覚めてからすぐに身体は本調子で動いた。

 今の世の中、いつ何が起こるか分からない。ゆっくり睡眠がとれるだけの余裕がどれだけあるのかも分からない。

 それこそ今のように。

 だからこそ僅かな時間ですぐに寝入り、そして必要とあればすぐに動けるようにならなければならない。

 十年の間瓦礫の山の中で生きていれば、自然と身体がそう適応してしまっていた。

 むしろ、そうでなければコロニストとして生きていくことは出来ない。


 ―――のだが、今回はなまじ環境が快適になりすぎて緊張感が薄れてしまっていたようだ。

 その不覚はこれから取り戻さなければならない。

 エリックとレギンはそのままアパートを飛び出して乗機の待つ拠点へと向かった。



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