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3.



        ※※※※



 もう半日近くは経っただろうか。

 ExAのコックピットで待っていると息巻いたのはいいものの、さすがに一日の半分をその中で過ごしているのはさすがに不便だったと、エリックは後悔している最中だった。

 ()()()()()のだ。


「やっちまった……。輸送機の中には便所ってあるのか?今更入れてくれとも言えんしなぁ。

 いっそハッチを開けてそこからしちまうか?」


 などと閉じきった空間の中でひとりごちる。

 神経接続により機体のカメラと視覚が共有されているが、見えてくるものなどなにもない。

 今朝からの国家による襲撃を経て、エリサの輸送機に運ばれ、それから半日が過ぎたのだからそろそろ時間は夜になろうとしていた。

 陽の光もないため、光学センサーに映るものもほとんどが暗闇だ。

 カメラを暗視モードに切り替えて暗所でも視界を確保することは出来るが、少し前にそれを実行してみても見えるのは遥か下方に波打つ海面だけだった。

 海を渡っている最中ということだ。となると、一旦降りて用を足したいなどと言えるわけもなく。

 この際だから先程の冗談を本当に実行して、ハッチから身を乗り出し小便だけ済ませてからこのまま寝てしまおうか、などと思い立った、その矢先のことだった。

 彼の眼に、あるものが映った。


 遠くで微かに灯るいくつかの光。ひとつひとつの光量は弱いが、それが無数に連なる様は、砕けたガラス細工に光が反射しているかのようだった。

 あれは、街の照明の光だ。

 しかもあれほどの数の光は、第二十四居住区にいた頃には見たことがない。

 間違いない。ようやく自分達は到着したのだ。

 目的地である特区に。



 それからはもう時間はかからなかった。

 数分後には、遠くに見えていた灯りはすぐ足元にまで近づき、その光に照らされて街の全容が見えてきた。


「ここが特区か……。さすがにただの居住区とは違う」


 まず、建物の状態がまるで違う。多くが形を残して保全されており、その周囲には電線が張り巡らされていた。

 ライフラインも整っているという証拠だ。第二十四居住区では街中にまで溢れかえった瓦礫の山も見えない。かなり早い内に撤去がされたのだろう。

 そして何より眼に付いたのが、先程ヘリが通り過ぎた、街全体を囲う程の広大な防壁バリケードだった。

 トタン板や土嚢などを積み上げただけの簡素なものであったが、それが上空から眺めても端の見えないほどの面積のこの街を、ぐるりと囲んでいる。

 外部からの侵入者を阻むためのものだろう。外壁の各所には、点々と関所らしきゲートも見えた。

 さらには、ExA用の兵装から転用したと思しき巨大な砲座もいくつか眼に入った。敵対者を迎撃するための設備だ。

 これだけの防衛設備など、無力なコロニストが寄り集まっただけの居住区では絶対に用意出来ない。

 彼らにはせいぜい、戦火から残った旧時代の遺物を漁ってそれにすがりつく程度のことしか出来ず、新しく何かを作り出すだけの余裕などない。


 だが、この街にはそれがある。この特区には、出来はともかくとして一からこうやって防壁を築き上げるだけの物資も、人的資源もあるということだ。

 大戦を経て荒廃した世界において、新しく何かを作るだけの余裕があるのだ。

 そして、それを可能にするのは国家による援助だろう。特区は国家が管理しているというのは先程もした話だった。

 なるほど、半日前にコロニストのリーダーが言っていたことを思い出す。

 『国家の助けがあれば、自分達はもっとまともな生活が出来る』―――要約するとこうだったか。

 実際の所彼の言う通りなのかもしれない。



 それからさらに数分後。ExAを牽引した輸送機は、照明の灯りが散らばる特区の街の一角へと降り立った。

 どうやらここがエリサ達の拠点のようだ。

 早速エリックはハッチを開けてコックピットから出て、そのまま地面へと降り立った。何時間かぶりの地上だ。

 輸送機はそのまま《キング・ナッシング》との連結を解除し、どこか別の場所へと着陸するべく移動していく。

 一人残されたエリックを、数人の男達が出迎えた。拠点でこちらの到着を待っていたのだろう。

 先頭にいるのは、体つきは屈強だがどこか弱々しい顔つきの男だった。


「君がエリサの言っていた協力者か。よく来てくれたよ」

「あぁ。こっちもゆっくり挨拶したいのはやまやまなんだが……、その前に便所を貸してくれ」


 バツが悪そうに頭を掻くエリックの姿に、男は苦笑いを浮かべる。


「あ、あぁ。分かった、案内する」


 そのままエリックは拠点の案内がてら、長時間のフライトにより溜まりに溜まった尿意の解消へと向かった。

 どうやらこの拠点は、車両向けの整備工場か何かを流用したもののようだ。それなりの規模らしく、事務所らしき建物をそのまま寝泊まりのための住居がわりにしていた。

 用を済ませたエリックがトイレから出ると、遅れて輸送機から降りたエリサ達と鉢合わせになった。


「どうだろうか。ExAを整備するのには問題ない場所ではあるだろう。お気に召しただろうか?」


 などと聞いてくる。


「お気に召したも何も、ここ以外にないんだろう。とりあえず機体を動かすのに支障がなければ文句はない。

 それで、これからどうする。早速国家からの依頼をこなせばいいのか?」

「いや、貴様の協力が得られたのは今しがたのことだし、すでにこの時間だ。今日のところは依頼はない。

 これから貴様の特区への正式な居住許可の手続きをして、その後に依頼を受注することになるだろう。

 何にせよ貴様に働いてもらうのは明日からだろうな」

「それなら、そろそろ一休みしたんだが。俺の寝床はどこだ」


 身を落ち着ける場所についたことで、さすがにエリックも疲労を感じてきた。今朝からの戦闘に加え長距離の移動だ。

 この後さらに国家からの依頼で一働きするとなるとさすがに音を上げそうだったので、今日はもう何もないというのは素直に助かった。


「これから案内してもらう。……任せる」


 エリサがそう応えると、彼女に代わって先程の気弱そうな男がエリックの前に歩み寄った。


「まずは、これが鍵だ。君の方で預かっておけ。君の住居は拠点の外にある」

「外なのか?」

「ここの事務所跡にも人が住めるスペースはあるが、それももうギリギリでな。街の中にあるアパートメントを開けておいたから、君はそこで寝泊まりしてくれ」

「アパート、とはな。人が住めるだけのスペースがまだ残ってるとはさすがは特区だ。

 こっちとしても、他人の眼を気にせず一人でいられる場所があるのならそれに越したことはない」

「それと、これも持っておいてくれ」


 そう言って男が手渡して来たものは、


「トランシーバか」

「連絡用だ。肌身離さず持っていて欲しい。一応君は、我々のチームに協力する傭兵という立場だからな。四六時中監視するつもりはない。

 今後は、基本的にこの街で好きなように生活してくれればいい。我々のことは気にするな。

 だが、こちらからの連絡には出来る限りすぐに応じてくれ。我々が君を呼ぶ場合は、十中八九国家からの依頼だからな」

「それぐらいはまぁ、当然だな。分かった、肝に銘じておく。酒もあまり飲みすぎないようにするさ」


 そうしてエリックは拠点を離れ、外にあるというアパートへと移動した。



        ※※※※



 拠点からは歩いて数分でそこに着いた。

 ところどころひび割れ薄汚れたコンクリートの壁が寒々しい三階建てのアパートだ。

 その二階へと階段であがり、錆びついた鉄製のドアの前で足を止める。

 ここがこれから、エリックの住まいになるというわけだ。


「それでは、鍵はそっちに預けたから、こちらはもう拠点に戻る。

 さっきも言ったが、連絡があった場合にはすぐに応じてくれ」


 そうとだけ言い残して、男は去っていった。

 その背中を見送ることもせず、エリックは早速鍵を開けてドアを開ける。

 僅かに動かすだけでギイギイと耳障りな音が鳴るが、いまさらそんなものを気にする理由もない。


 部屋の中は外壁同様やはり古ぼけ薄汚れており、壁に貼られた壁紙は半ば剥がれ落ちていた。

 だが、人が住むことだけを考えるならば充分すぎる環境だった。

 家電製品も一通り揃っている。冷蔵庫も空調もあるし、バスルームだってある。

 そしてなにより、居間の片隅に置かれたベッドだ。


「まるで楽園だな」


 第二十四居住区にいたころからすれば、あまりに劇的な変化だった。

 今の時代、これほどに整った住居というのは極めて貴重だった。

 エリックは一言つぶやいてから、ベッドの上に倒れるように横になる。


 そう、ここにはベッドがある。薄い寝袋の中で身体を丸め、冬には凍えそうな寒さに震えることもなくて済む。

 ここでなら、まともに生きていける。


 そう思った途端、身体中に疲労が押し寄せてきた。

 これまで緊張により抑えられていた疲れというものが、安堵と共に現出したのだろう。

 もう、何かを考えるのも億劫になる。


 『特区』、『傭兵』、『国家』―――


 それぞれの現実を飲み込むのは、もう少し後でもいいだろう。


「……レギン、俺はもう寝る。お前は勝手にしてろ」


 自分が何と言っているのかも半ば分からないほどに朦朧とする意識の中でそう伝えた後、すぐにその意識も完全に途切れ、エリックは深い昏睡へと落ちた。



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