9.
突如こちらの視界から消え失せた、濃灰色の正体不明機。
《あれ!?》
「どこに行った……」
本当に消えた、などというはずがない。速度を落とし停止しようとした直前に、再びブースターを最大噴射させて瞬間的に移動したのだ。
継続的に最大速度を維持するよりも、制止した状態から高速で動かれたほうが、視覚的には素早く見える。それこそ消えたように見えるほどに。
目くらましのつもりか。となるとその狙いは―――
パイロットの耳に、何かが崩れるような音が響く。
それを聞いて、彼は僚機に向けて咄嗟に叫んだ。
「後ろだ!!」
振り返った《キュクロプス》。そのセンサー越しに見えたのは、僚機の背後で身構えている不明機の姿だった。
ほんの僅かな時間で、奴はこちらの脇をすり抜けて回り込んでいたのだ。
しかし、いくらブースターを限界まで噴かせたとしても、いくらなんでも動きが速すぎる。
横を通り過ぎるだけなら可能かもしれないが、それだと加速の慣性でそのままはるか後方へと流れていくだけで、後ろに回り込むことは出来ない。
だが、奴はそれをやってのけた。
先程聞こえた何かが崩れるような音。それは、僚機のすぐ斜め後ろに立っている廃屋の壁を敵機が蹴る音だった。
あの敵は全速力でこちらの視界から外れた後、壁を蹴って加速を殺しつつ、さらに蹴り返した勢いで一気に僚機に詰め寄ったのか。
絵空事のような芸当だった。一体どれだけの操縦技術があれば、そんな真似が出来るのか。
《マジかよ……ッ》
僚機も敵の方へと振り返ろうとする。
だがそれを、奴は待ってはくれなかった。
あの濃灰色の敵機は、火器を持っていない。
だが、厳密言えば一切武装をしていないというわけではなかった。
左腕に装備している小型の装置。一見すれば鎧の篭手のような形のそれもまた、ExAの立派な武器のひとつではあった。
奴は、完全な丸腰ではなかったのだ。
―――プラズマ・ブレード。
その名の通り、《フィロソフィア・ユニット》から供給される電力を強力に励起させ、超高温のプラズマを発生させる発振器だ。
発生したプラズマの熱量は遠くても数mまでしか届かないが、届きさえすれば分厚い装甲であっても容易く溶断することが出来る。
言うなれば雷の剣か。
しかしその字面だけを見れば強力な兵器ではあるが、実際のところExAの戦闘というのは人のそれと同様、銃を用いた遠間での射撃戦が主になる。
そこに剣を持って飛び込んだところでどうなるというのか。
実際にこれを装備して戦闘するExAなどほとんどない。持ち出したところで使う機会など皆無だろう。
だからこそ、射撃用の武器を持たずにこれだけを振り回す敵機がいたとして、そいつはほぼ丸腰も同然として扱っていいのだ。
その、はずだった。
だが、もし仮にプラズマの光が届くほどの至近距離まで近づくことが出来れば、その威力は絶大である。
ガンメタルの巨人が左腕を構え、そして振り抜いた。
《うぉあ―――》
僚機の絶叫は、途中でノイズとなってかき消えた。
プラズマ・ブレードから一瞬の内に輝き、そして短い光の刃と化したプラズマ。
その雷をまとうかのような青白い光が、《キュクロプス》の胴体を横薙ぎに一閃する。
接触部から装甲が溶解、破断され、金属が焼き切れる耳をつんざくような音が荒々しく鳴り響く。
それで終わった。
振り抜かれた腕からはすぐに光の刃は消え、ただ青白い霧のような残滓が、溶断部から飛び散ったナノマシンと共に漂い、拡散していく。
《キュクロプス》の機体は真っ二つにされ、分かたれた上半身がグラリと転がるように地面へと落ちた。
光の刃はコックピットまで届いていた。あれでは中のパイロットなどそこに居た形跡すら残さないほどに蒸発して、綺麗さっぱりいなくなっていることだろう。
残っているのはせいぜい、焼け焦げたコックピットの端に飛び散ってへばりついている小さな肉片程度か。
それは、敵対者の存在そのものすら許容しない究極の暴力だった。
「…………ッ!」
同僚がまたたく間に殺されたというのに、残されたもう一機のパイロットは何も出来ないでいた。
困惑と恐怖によって、思考が麻痺する。この状況に対応し、すぐに行動を起こすべきはずの手足が動いてくれない。
すなわち、ナノマシンによって拡張された神経がつながる《Extension Arms》が、動いてくれない。
それを嘲笑っているのか、あるいは何の感情もなく淡々と次なる標的に狙いを定めているのか。
焼き切られた《キュクロプス》から飛び散ったナノマシンを返り血のようにその身に浴び、濃灰色の巨人は自らが仕留めた敵機の残骸、その上半身からアサルトライフルを奪い取り右腕に装備する。
そうして続けざま、真っ直ぐに残るもう一機の獲物に向かって迫った。
「来るなァ!」
逃げることも迎え撃つことも出来ず、パイロットはただ叫ぶしかなかった。
敵機はそのままこちらにも攻撃を仕掛けてくるかと思いきや、左腕のブレードも右腕に奪い取ったアサルトライフルも用いることなく、ただ真正面から身体を突き合わせるように衝突してきた。
体当たりだ。
「うぉあッ!くそ、何のつもりだ……ッ!?」
ExAのコックピットがナノマシンによるショックアブソーバーで保護されているといっても、さすがに別のExAが正面衝突してはひとたまりもない。
衝撃により脳髄までもが揺さぶられそうになる。
濃灰色の敵機はそのまま加速の勢いを殺さず《キュクロプス》を後方へと押し込み、小さなオフィスビルらしき廃墟の壁へと叩きつけた。
コンクリート製の壁が陥没し、その中へと白亜の機体が埋められる。
「うっ」
奴がどんなつもりなのかは知らないが、このままではマズい。
この場から離脱したいが、壁の残骸に機体背部がぴったりと触れている状態では、ブーストを噴かせると熱量が逃げ場を失い動力部を焼き切ってしまうかもしれない。
とにかく敵機の動きを抑えようと武器を構えるが、その動きも未然に殺されてしまった。
相手の右腕がこちらの左腕を肘打ちの要領で押さえつけ、もう片方の右腕はプラズマ・ブレードによって溶断させられる。
完全に身動きが取れなくなってしまった。
「うぐ……!」
窮地に陥り、全身を粟立たてるパイロット。その脳裏に、声が響いてきた。
その声の主は、まさに今目の前にいるこの敵機のようだ。ExA同士が直接接触した場合、装甲に振動が伝播するためか、互いの発する声が届く場合がある。
おそらくはそれを利用して呼びかけてきたのだろう。
《一つ聞きたい。お前らの所属はどこだ》
何の感慨もない冷徹な声。怒りも侮蔑も憐れみも、何も感じられず、それでいてその全てを内包してるようにも聞こえるその低くおぞましい声に、パイロットの怖気はさらに膨れ上がった。
「お、お、俺を、殺すのか!?」
《所属を言え。お前は、一体どこの《国家》に属している》
「国家っ?……だと」
どうやら相手のパイロットには、こちらに問いたいことがあるらしい。
しかし、『どこの国家だ』とは不可解な質問だ。それを知ってどうするつもりなのか。
《国家》というのは成立したその経緯からして、世界にひとつしか存在しないというわけではない。
先の戦争から生き残った一部特権階級の者達は、それぞれが別の地方で文明を再建し、独自の権力を構築していった。
それが結果的に、いくつかの国家を形成することになった。
異なる支配者によって管理されている国家はやがて、それぞれの有する資源や土地を巡って衝突し、今となっては小規模ながら武力の行使まで行われている。
戦闘兵器であるExAがこれほどまでに万全の状態で運用されているのも、そういった事情があるからだ。
国家の管理者達は、大戦により世界が滅んだその時からすでに、そうなることを予見していた。
それこそ、よりにもよって世界を滅ぼした原因である『戦争』というものが、性懲りもなく再び起ころうということを。
そのいくつかある《国家》の内の、どこに所属しているのか。
奴はそれを知りたいというのか。
その質問の不可解さと、今現時点で自分が死んでいないという事実から、《キュクロプス》のパイロットはもしやしてまだ助かる見込みがあるのではないかという希望的観測を見出した。
そしてそれが、恐怖に慄いていた心に余裕を取り戻す。
「……我々は《ユニオン・トラスト》所属、第十三対外派遣部隊だ。しかし、それを聞いてどうする。
もしや我々とそちらには、協力関係を結ぶ余地があるのではないか?そちらの合意さえあれば、詳細な事情を聞きたい。
こちらの友軍機を撃破したことは水に流す、だから―――」
そんな楽観的な期待は、次の瞬間には消え去った。
《……そうか》
そんな、独り言のような小さなつぶやきが聞こえたその時にはもう、パイロットの視界は青い光に包まれていた。
プラズマ・ブレードから伸びた高熱量の刃がコックピットを焼き、彼の身体は痛みもなく、何が起こったのかも分からないまま一瞬の内に気体にまで昇華され、稲妻の中に霧散していった。
そういった意味では、まだマシな死に方だったのかもしれない。
※※※※
《キング・ナッシング》のセンサーと一体化したエリックの視界には、今しがた撃破した敵機の姿が写っていた。
胸部を焼き切られ、最早身動き一つ取らない巨人の死骸。
だが、エリックはすでにそんなものには欠片ほどの意識も傾けてはいなかった。
ただ、今の彼は全身を駆け巡る言いようのない熱のようなものを感じながら、静かに呟くばかりだ。
「そうか、《ユニオン・トラスト》……。それは都合がいい。
アンドロイドにおだてられて出てきてみりゃ、最高のシチュエーションだ」
やがて、その熱はナノマシンによって延伸された神経を伝い、鋼鉄の巨人の四肢にまで伝わっていく。
瞳の奥で燃え上がる暗い炎に呼応するように、《キング・ナッシング》の頭部―――糸のように細いスリット状のバイザーに覆われた一対の双眸のようなセンサーにも光が灯った。
それはまぎれもなく、ただの機械でしかないはずのものに一人の個人の魂が宿っているという証左に他ならない。
「決めたぞ。この居住区にいる敵は、みんなまとめて皆殺しだ。俺の眼に入る限り、絶対に生きては返さん。
その身体を、頭か腕か足か、あるいは全部か、どこか一箇所必ず跡形もなく吹き飛ばしてやる……ッ。
人間の形すら保ってはやらんからな!」




