7.
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「くっそ……痛ぇ、どうしてこんな」
半ば崩壊した廃屋。
かつては都市に住まう一般市民の住居だったのだろうか。屋根は崩れ、壁面も大部分が崩落し、その面影はない。
僅かに残った壁の残骸の陰に這いずるように隠れ、背中を預ける一人の男。
その右肩には銃創が風穴を作っており、流れ出た血液が色あせたコンクリートに赤々とした染みを刻む。
彼は第二十四居住区のしがないコロニストだ。本当に何の変哲もないただの住人。
一部のリサイクラーが隠れて武器を集めていたという話を噂程度に聞いてはいたが、そんなことには関わらないようにおとなしく生きてきた。
《国家》に対する反抗の意思などない。ただ、生きていくだけならなんとなるこの居住区で懸命に生き、そしてまっとうに死にたいと思っていた。
だが、そのような者にも国家のアンドロイドは容赦しない。
今の彼らが認識しているのは、『国家の人員』と、『それ以外』だけだ。
そして『それ以外』は全てが敵である。自分達の友軍でなければ、すべからく抹殺の対象だ。
突然街に無数のヘリコプターが降下し、そこからぞろぞろとアンドロイドが現れた。
そうして、目につく住民達をその端から銃殺していった。
このコロニストもその対象だった。四体ほどのアンドロイドが彼を追い立てている最中だった。
連中の放った銃弾の一発が逃げ惑う男の肩を捉えた。そして今に至る。
「なんで……俺は何もしてない、殺されるなんて御免だ!」
銃弾は貫通しているようだが、肩の骨が砕けてしまっている。
その傷口からは激痛が絶えず全身を駆け巡り、指先どころか全身が痺れている。
致命傷ではないが、早急に応急処置を行わなければゆくゆくは失血死するだろう。
だがそんな暇はない。
アンドロイドの群れは今もじりじりとこちらを追い詰めている。
今身を隠している壁から向こうを覗き込めば、軽機関銃を構えて歩いてくる奴らの姿が見えるだろう。それと同時に自分は殺されるだろうが。
相手は全て女性型のアンドロイドだった。万人に親しみやすいように整った顔立ちをした女の姿の機械達が、自分を殺すために向かってくる。
それはまさしく、地獄の有様だった。
この負傷では満足に動くことも出来ない。誰かに助けを呼ぼうにも、その誰かもみんな殺されてしまった。
もう逃げ場はない。後はこのまま奴らに追いつかれ、トドメを刺されるだけだ。
「あぁ、くそ!誰か助けてくれ、いやだいやだいやだいやだ……ッ!」
痛みのためか絶望のためか、きつく閉じた瞼の端から涙を垂れ流し、男は繰り返し呻いた。
だがその祈りの声は、後方で突如鳴り響いた耳をつんざくような音にかき消された。
金切り音と共に、何か素っ頓狂な雑音めいた音が聞こえてくる。
それは、アンドロイドが発する声だった。
「ギエ゛ェ……」
「え?」
男は恐怖や困惑以上に、不可解に対する好奇のために、危険を承知で壁から身を乗り出し音のした方へと眼を向けた。
そこにいたのは、いっそ黒と表現した方がいいほどに濃い灰色に塗り込められた鋼鉄の巨人―――《ExA》だった。
それがアンドロイドの部隊へと飛び込み、一機をその巨大な足で踏み潰していた。
見た目相応の膨大な重量を真っ向から受けたアンドロイド。その機体はほぼ全てが平らにプレスされ、爪先からわずかに飛び出した頭部だけが、何の感情もない視線を地面に落としながらボールのように転がっていた。
突然の出現に戸惑っているのは男だけではなく、今しがた彼を追い立てていたアンドロイド達にしても同じだった。
彼らは眼の前で起こった事実を認識しようと思考回路を巡らす。そうして導き出された答えは。
「ExAと接触、当方の戦力では迎撃不可能。撤退する」
そうして、すぐさまこの場から離れようとする。
が、それはあまりにも遅い対応だった。その間にもすでに、巨人は次なる行動に入っていたのだ。
巨人の身体―――背中と腰、そして脇腹の辺りから白い火柱のような光が短く灯る。
ブースターによる噴射の光だ。一秒にも満たないそれが、膨大な推進力となって巨人を小さく跳躍させる。
そのまま、もう一体のアンドロイドを足蹴にした。今しがた仲間を踏み潰し、その破片を漏れ出した潤滑剤と共に貼り付けた足底が、容赦なく人の姿をした人形を捉える。
そのまま推進による慣性に乗って、数mほどの距離を滑走する巨人。それ同時に、踏まれたアンドロイドも鋼鉄と地面の間に身体を挟まれすり潰され、そして削り取られていく。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
ノイズじみた棒読みの悲鳴が響く中、巨人は滑走の勢いをそのままに、指一本が足ほどの太さがある右手でさらに別のアンドロイドの片足を掴んだ。
「状況の打破は不―――」
そのまま掴んだアンドロイドの身体を棒切れのように振り回し、残る一体に叩きつける。
激突の衝撃で四肢が千切れ飛びバラバラになって重なり合う二体の人形を、さらに執拗に踏み潰して完全に破壊する。
地面を踏みしめた足が持ち上がると、そこにはもう人のそれではない崩壊しきった頭部から、人工皮膚を突き破って銀色の鉄片が白い潤滑剤と共に飛び散っていた。
一瞬―――というと語弊がある。時間にしておよそ十秒。
その間に、四体のアンドロイドは原型も留めることなく破壊し尽くされた。武器すら持たない鋼鉄の巨人によって。
その一部始終を、しがない住人である男は壁越しに眺めていることしか出来なかった。
自分が助かったらしいと分かったのは、全てが済んだ後だ。
「……味方、なのか?」
突然の事態に忘却の彼方へと去っていた肩の痛みがぶり返してくるのを感じながらも、コロニストの男はこの絶望的な状況から切り抜けられるかもしれないという希望を抱いた。
そうして震える足を懸命に動かして壁の陰から身を出し、大声で呼びかける。
「おい!おぉーい!あんた、助けてくれたのか?」
その声が届いたのか、巨人はその無骨な顔をこちらに向ける。
人の五感を司る器官の内三つが頭にあるのと同じように、光学カメラを始めとしたExAのセンサー類は全て頭部に集約されてある。
「頼む、肩を撃たれたんだ。どこか安全なところに連れて行ってくれ!」
そう懇願するコロニスト。
だがその願いを、スピーカーから発せられるくぐもった声がにべもなく拒否した。
《悪いが、お前のことなんて知らん。勝手にどこへなりと逃げるんだな。そこら辺のコロニストとでも合流すりゃ、傷の処置ぐらいしてくれるだろう。
今すぐ死ぬような負傷じゃないだろ。生き残りたいならまず足を動かすことだな》
「えっ?いや、そんな、待ってくれ!痛くて足が動かない!」
《撃たれたのは肩なのにか?じゃあ今地面に立ってるのはなんでだ?歩けもしないっていうなら諦めてそのまま死ね。
一つアドバイスするなら、東に向かって逃げろ。あそこはまだ比較的手薄なようだ。逃げ延びた奴らが集まってるかもしれん》
それから先は、男が何を言ったところで巨人は聞く耳を持たなかった。
機体の各部に備えられたブースターから噴射の光を上げながら、ひび割れたセメントを滑り去っていく。
膨大な推進力により機体が僅かに浮上しているのだ。地面との抵抗がなくなった状態でさらに前進をかければ、その速度はかなりのものになった。
「ちょ、ちょっと待って!待てって!!」
コロニストの叫び声は、噴射が起こす猛烈な風圧によって虚しくかき消されるだけだった。




