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1.



 エリック・ハートマンが産まれたその時から、世界はこうだった。


 かつて人類は際限なく文明を発展させ、人々はその繁栄を享受していた。

 人が万物の霊長であることに酔いしれていた栄華の時代だ。

 だが、それは三度目の世界大戦によりあっけなく終わった。

 それが何故発生したのかは今となってはもう誰も知らないだろうし、エリックとしても別に知りたくもない。

 ただ、それまで『抑止力』というお題目で進化を続けていた武力というものが、一度歯止めを失いその猛威を遺憾なく振るった結果、全てが台無しになった。

 それだけははっきりと分かる。

 ―――なにせ自分達は今、その台無しになった世界で生きているのだから。


 炎に焼かれて人々は死に、その腐った肉を無数の建造物が瓦礫に変わって降り注ぎ蓋をした。

 人の文明はその歴史ごと、残骸の山に埋もれて消え去った。

 その噴火の火山灰の上に、運良く生き残ったほんの一握りの人類とその末裔は取り残された。

 それが今の世界だ。

 そして哀しいかな。そんな全てがめちゃくちゃになった世界でも、人は生きるために日々の糧を得なければならないし、そのためには仕事というものをしなければならない。


 今、エリックの眼前に広がるどこまでも広がる瓦礫の山。澱んだ灰色の空の下に続く繁栄の残り滓。

 他でもないここが、彼の仕事場である。

 エリックは今日の仕事を始めるべく、コンクリートと鉄骨の塊が無造作に転がる足の踏み場もないような荒れ地へと踏み入ろうとした。


 その時だった。

 どこからともなく響いてきた声が、彼の耳朶を打つ。


「よぉ兄弟!ボロい儲けをしてるみたいだな」


 エリックは声のした方向へと眼を向ける。

 瓦礫が積み重なり小さな山のようなものを形成しているその稜線の向こうから、四人ほどの男がこちらを見ていた。声の主はそのうちの一人だろう。

 『兄弟』などと馴れ馴れしく口にしているが、エリックからすれば彼らには面識すらない。

 彼と目が合った男達が、瓦礫の山をよたよたと降りてくる。

 その先頭をいく男が先程と同じ声で続ける。おそらくはあいつがこの集団のリーダー格なのだろう。


「悪いな、ここは俺達の専有地でね。正しくはこれからそうなるところだが。すまないけどあんたには別の場所を漁って貰いたい」


 そう言い終える頃には、男達は瓦礫の山を降りそのままエリックの四方へと散らばって彼を取り囲んでいた。

 その視線には、他人を兄弟などと呼ぶような友好の気配は微塵もない。集団の内の一人は、腕と同じほどの長さの鉄パイプを掴みその先端をブラブラと揺らしている。

 エリックの返答などはなから一種類しか期待していない。そんな様子だ。

 もしそれ以外を口にすれば、どうなるか知れたものではない。

 こちらをじとりと睨みつける男達の眼光を浴びながら、エリックはリーダー格の男に向かって応えた。


「お前達、新しくここの居住区に来たのか?」

「…………」


 相手は何も言わない。

 ただ眉をひそめるだけだ。


「ここに住まう連中にはある不文律があってな。

 『不干渉』だ。分かるか?他人の行動や生き方に過度に関わらない。否定もしなければ肯定もしない。

 つまるところ個人個人が勝手に生き、勝手に死ぬ、それだけのことだ。それは、今この場所においても同じなんだよ。

 ここでの仕事は基本早い者勝ちだ。同業者が何を見つけて掘り出したところで、それを批難する権利も、ましてや取り上げる権利も誰も持たない。

 ……もう一度言うが、『不干渉』だ。分かるか、え?」


 エリックは淡々と言い終えた。

 吹き付けるかすかな風の音程度しか聞こえないような沈黙が数秒続いた後、ふいに彼は背後から肩を叩かれた。

 振り向いた瞬間、エリックの視界に血走った眼で口元を引きつらせる男の顔が大写しになった。リーダー格とは別の男だ。

 こちらに詰め寄り、恫喝しようとしている。その表情は牙を剥く獣のそれを彷彿とさせる。

 もっとも世の中の全てが荒廃した今となっては、獣の類を眼にすることも稀なのだが。

 男は低く唸るような声で言う。


「おい、兄弟兄弟兄弟、兄弟よぉ。しゃべる台詞が違うだろうが、もっと頭使ってモノを言えや。

 特別にもう一回チャンスやるからよ。今度は何を言うべきかしっかり考えてから応えろよ」


 その脅し文句を耳にし、エリックは一転して慌てた様子で場を取り繕おうとした。

 先程までの落ち着きぶりが嘘のように、相手を宥めるようと両手を軽く挙げ、おぼつかない足取りで瓦礫の上を後退りする。

 さすがに身の危険を感じたようだ。


「あぁ、悪かった、悪かったよ!あんたらの言いたいことがすぐに分からなかったんだ。

 でもそれも今分かった、そっちに従うよ。俺はここから離れる、あんたらで好きにしてくれ」


 聞きたかった返事を改めて聞き、四人組も先程までの物々しさから俄然にこやかな笑みを浮かべた。


「なんだ、聞き分けがいいじゃないか、さすが兄弟。大人しく失せるんだったら俺達も手荒な真似はしないよ」

「ただし、ここには二度と近づくな。分かったな。それが分かったらさっさと―――」


 ここから去れ。

 そう催促する男達に対し、エリックはヘコヘコと頭を下げる。


「分かった、すぐ行くよ。行くけど、その前に……あっちに別の同業者が見えたんだが、あれはいいのか?

 ほら、どんどん奥へ進んでいくぞ。このままじゃ先に掘り出し物を持っていかれるんじゃないのか?」


 そう言いながら、彼は瓦礫の山の一角を指差す。

 四人組の視線が一斉にそちらへと向いた。


「なんだと?」


 が、指さされた方向に眼を向けても誰もいない。見えるのは乱雑に積み重なったコンクリート片ばかりだ。


「誰もいな―――」


 瞬間。


 四人組の一人、エリックの肩を叩いた男の身体が三十cmほど宙に浮き、放物線を描きながら仰向けに倒れた。

 強烈なアッパーカットに顎を打ち据えられたのだ。

 そこでようやく、連中は先程の言葉が全てハッタリだと理解した。そして、エリックのやろうとしていることも。


「お、おい!!」


 リーダー格の男が吠える。

 が、その反応はあまりにも遅すぎた。仲間の一人が瓦礫に倒れる様を眼にしたその瞬間には、エリックは男の目の前にまで迫っていた。

 つい先程まで、三m以上は離れていたというのに、気づいた時には至近距離だ。

 無作為に瓦礫が散らばり、デコボコに隆起して立っているのもおぼつかないほどの不安定な足場だというのに、エリックはその上を短距離走のスプリンターもかくやという俊敏さで駆けた。

 そのまま続けざまにリーダー格の鼻先に拳を叩きつける。


「ブッ、グァ……!」


 殴打をもろに喰らったリーダーは、くるりと回転するように勢いよく仰向けに倒れた。

 まさしく一瞬の内だった。二人の男が瓦礫の海の中に沈められた。

 が、連中もやられっぱなしではない。


「てめぇ!」


 鉄パイプの男がエリックの背後から迫り、自らの得物を大きく振りかぶる。

 そしてそれを、彼の背中に向けて振り下ろした。

 鉄製の棒が右肩の辺りを捉え、ボォン、という鈍い音を発する。

 ―――が、エリックの身体はびくともしない。


「オ゛オ゛ァ!」


 そんな唸り声と共にエリックは足下に転がっていた頭ほどの大きさの瓦礫を掴み取ると、勢いよく背後に振り向きながら、その勢いに乗せて今しがた自分を殴った相手の右頬に叩きつける。


「ゴェ……」


 頭を揺さぶられた衝撃で脳震盪を起こしたのだろう、鉄パイプの男はそのまま糸が切れた人形めいて崩れ落ちる。

 残るは一人だ。

 瓦礫を振り抜いた勢いで、エリックの脇腹が無防備になる。そこへ目掛けて迫る最後の一人目の手には、あるものが握られていた。

 蓄電バッテリーを改造して作ったスタンガンだ。


「ぶっ殺してやる……ッ」


 残骸の寄せ集めで急ごしらえに作られた一品であり、それゆえに安全性など考慮していない。ほんの一瞬でも押し当てれば人一人程度簡単に昏倒させられる。

 隙だらけの脇腹目掛けて、通電部を押し当てようとする男。

 が、しかし。


「いいもの持ってるな。ちょっと貸せよ」


 重さにして十kgはあろうかというコンクリート片を振り回した後とは思えないような素早さでエリックは男の方へと向き直し、スタンガンを握る手首を掴んだ。

 そのまま腕ごと捻り凶器を手から引き剥がし、宙にこぼれ落ちたそれをもう片方の手で受け止める。

 こちらを仕留めようとした得物を、逆に奪い取ってしまったのだ。


「え、ちょっ」


 狼狽する男の首筋に金属製の端子が押し当てられ、そこから電流が全身を駆け巡る。


「アイ゛ィ゛ッ!!?」


 素っ頓狂な悲鳴を上げがくがくと痙攣しながら、最後の一人もあっけなく倒れた。

 時間にしておよそ二十秒。たったそれだけの間に、四人の男が全滅した。


 いや、まだだ。

 最初に殴られた二人だけはまだダメージが浅いらしい。気絶までは至らなかったようだ。

 膝をわずかに震えさせながらよろよろと立ち上がる。

 が、そこにはすでに戦意はない。

 リーダーの男は前方に立つエリックの姿を見て、思わず絶句する。

 片手にはわずかに返り血が付着した瓦礫の塊、もう片手にはスタンガン。それらを携えたままこちらを冷然と見据えているのだ。

 顔には薄暗い影が落ち、その奥に収まる一対の双眸からは意思というものが感じられない。

 必要とあれば、何の考えもなく作業のようにこちらを殺すだろう。それが直感で分かった。

 冷や汗で肌を粟立たせる男達に向けて、エリックは眉根のひとつも動かさないまま静かに言い放つ。


「『不干渉』だ。この居住区じゃ余所者だか新参者だかが一人や二人死んだところで、誰も気にも留めないぞ。

 で、どうする。今度はどんな玩具を出してくれるんだ?」


 恫喝する側とされる側。その関係が完全に逆転していた。

 リーダーが青ざめた顔で、首をぶるぶると横に振りながらたどたどしい声で言う。


「す、す、すまない。ほんの出来心だったんだ。もうあんたの邪魔はしない、俺達の方がここから失せるよ。

 だから、み、見逃してくれ。あんたにはもう金輪際近づかないし、ここにも姿を見せない。だから、許してくれ!

 『不干渉』だよな?そう、『不干渉』……こっちもそのルールに従うよ」

「そうかい」


 相手の返事などもとより聞いてすらいないかのようにそっけない返事だけをしながら、エリックは自分の足下に転がる鉄パイプ男とスタンガン男の襟首をそれぞれ片手で掴んだ。

 大の大人二人が、まるでズタ袋のように持ち上げられる。

 それを、残りの二人の方へと放り投げた。


「だったらお友達も連れて行け、このまま置いていかれちゃそれこそ邪魔なんだよ」

「わ、分かった!分かったよ……」


 男達は健気にも仲間の身体を抱きかかえながら、必死の形相で瓦礫の山を去っていった。

 が、もうその後姿を眼で負うことすら、エリックはしない。

 ただ小さな舌打ちを一つ虚しく響かせてから、吐き捨てるようにつぶやくだけだった。


「いつもと違うことが起こったかと思えば、これだ」


 そのまま彼は何事もなかったかのように瓦礫の山の中を、夢遊病にでもかかったかのように覇気のない足取りで進み始めた。

 この程度のいざこざなど、今となってはそうめずらしくもないことだ。

 暴力によって破壊された世界に暴力が蔓延するなど、当たり前の道理でしかない。



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