第九話:玲治と梓
詩堂梓は人を探していた。
「…何処に行ったのよ、玲治」
クラスメートでもあり、恋人でもある碧石玲治を探している。今日は常に思い詰めた顔をして、放課後梓が気付いたときには既に教室にはいなかった。すぐにでも玲治を探したかったが、梓はクラス委員。運悪く放課後に会議があったため、身動きできなかったのである。会議が終わったのは六時前。今は七時半だから、梓は一時間半も走り回っていたことになる。
ーまた、お兄さんと何かあったんだ…。お兄さんと何かあるたび、玲治は周りが見えなくなる。
普段は大人しく苛つくほど他者の目を意識する玲治が、兄である碧石佳那汰のことになると我を忘れる。そして玲治は精神的に不安定で、揺らぎ易い。
「玲治?」
梓がようやく玲治らしき人物を見付けた時、彼は一人ではなかった。制服からするに、高校生だ。しかも女生徒。彼女はひどく困っているようで、項垂れた玲治の後頭部を突っ立って見下ろしている。誰だろう、と不審に思いつつも玲治のことが心配で堪らない梓は声を上げて彼らに走り寄った。
「玲治っ!!」
「!」
反応したのは女子高生の方だ。弾かれたように顔を上げ、梓を見る。気だるそうな雰囲気の人だった。
「…誰?」
ぶっきらぼうな言い方だが、不思議と嫌悪感は感じなかった。何処かで会ったことがある気がしたが…。
「あなたこそ誰ですか。…玲治に何か」
「玲治の知り合い?」
「…クラスメートです」
そう、と頷き
「あたしは蓮本奈緒ー玲治とは遠い親戚になる」
蓮本奈緒。玲治から聞いたことがあるような、ないような。
「…私は詩堂梓です」
「しどう…。珍しい名前だね」
「詩歌の詩にお堂の堂で詩堂です、ー珍しいとはよく言われます」
「・・・・玲治を探してたの?」
「はい。・・・・・今日は朝から様子がおかしかったから、心配で。玲治、どうかしたんですか」
梓の問いに、奈緒という女子高生が頬を歪めた。どうやら笑ったらしかった。何がおかしいのだろうと梓は少し苛立ちを感じた。
「・・・・あたしにも良く分からないんだよ。あたしも偶然此処に座り込んでる玲治に気付いてね。話し掛けたんだけど、どうも要領を得ないことしか言わなくてね」
「・・・・・」
梓は座り込んでいる少年に眼を落とした。梓の声にも一切反応しない。濁った眼に浮かぶ透明な液体が一滴落ちてズボンに小さな丸い染みを作った。「玲治」
ピクッと少年の肩が小さく震える。
「帰ろう」
奈緒の視線を横に感じながら、梓はしゃがみ込んだ。そっと玲治の頬に触れると、驚くほど冷たかった。本当に血が通っている人間のものだろうかと一瞬不安になる。
「玲治」
「触らないで」
「・・・・・え?」
「俺に触らないで。・・・汚いから」
やっと反応が返ってきたと思ったのに、玲治が発した言葉は梓の心臓を高く跳ね上がらせた。言われていることの真意が掴めず、思わず頬にやった自分の手を汚らしいものに思ってしまった。パッと放す。
「ご、ごめん」
「・・・・違う、汚いのは梓の手じゃないんだ」
苦しげに発された声に、梓は目を細めた。
「どういうこと?」
「俺、人殺しだから、」
「っ!?」
奈緒を見ると、彼女は既に玲治から聞いていたのか、全く驚いた顔をしていなかった。目が合うと、奈緒は肩を竦めた。彼女も玲治の真意が分かっていないのか。
「どういうこと?ちゃんと説明してくれないと分からない、」
「玲治君、こんなところにいたのか」
第三者の男の声に、梓の言葉は中途で遮られた。思わずムッとして声のした方向を見ると、二十代半ばくらいの長身の男が立っていた。眼鏡の下の瞳がじっと座り込んでいる玲治を見ており、奈緒や梓のことは全く眼中にない様子だった。
「誰、あんた」
奈緒の誰何の声に、男は応えない。颯爽と三人の輪の中に突入してくると、玲治の胸倉をグイッと掴んで無理矢理彼を立たせた。玲治が苦しげに呼吸を乱す。
「ちょ、乱暴は、」
男を止めようと伸ばしかけた手をあっさり男の片手に掴まれ、
「っ!?」
気付いたときには地面に叩きつけられていた。梓は目を白黒させた。自分に何が起こったのか理解できなかった。だがこのままでは玲治が連れて行かれることだけは理解できていた。
「やめ・・・、梓に酷いことする・・・・・・な」
「何もしないさ。手を出されない限りね」
にこやかに言い、彼は玲治を引き摺るようにして歩き出す。
「あんた、遊子の関係者?」
奈緒が訊く。奈緒は男に手を出す気は一切ないようで、右側に体重をかけた格好で腕を組んでいた。男の視線が奈緒に向く。奈緒が唇の端を吊上げ、不敵な笑みを浮かべた。静かな声で言う。
「・・・・・あんた、遊子に薬を呑まされたね」
確信的な問い。男は応えない。
「遊子に伝えておいて。・・・・・麻理花に手を出したら承知しないって」
「・・・分かった。伝えておこう。蓮本奈緒」
「よろしくね」
奈緒は玲治を見る。玲治の苦痛に歪んだ目が合う。
「・・・・・・頑張るのよ」
その一言で奈緒が何を言いたいのか把握したのか、玲治が微かに笑みを浮かべて頷いた。
「奈緒さん、も」
「当然」
男に引き摺られる形で玲治が姿を消す。
「大丈夫?詩堂さん」
「す、すみません」
奈緒に引っ張られ、梓は立ち上がった。
「・・・・・蓮本さん、今の人は」
「あたしも良くは知らない。でも、あたしと玲治の知っている人間なのは間違いないと思う」
妙な言い方だな、と梓は不思議に思う。要するに深い知り合いではないと言うこと?
「どうして玲治を助けようとしなかったんですか」
梓が最も知りたいのはそれだった。何故引き摺られて行く玲治を奈緒は助けようとしなかったのか連れて行かれるのが当然というかのようにあっさりと彼と男を見送っていた。
「・・・・・・・あたしや詩堂さんじゃあ此処から玲治を動かすことが出来ないからだよ」
動かすことが出来ない。はっきりと断言されて、思わずカッとなった。
「そんなこと・・・っ!」
「出来なかったでしょう」
グッと梓は詰まる。確かに玲治が言っていることを半分も理解できていなかった。図星だった。
「それに今すぐ殺される云々じゃないようだったし。玲治はさっきの男の手でちゃんと屋敷に連れ帰られるはずだよ。・・・ずっと此処に座り込まれているより良いじゃない」
奈緒の言うことは最もで、梓は反論出来ない。
「・・・・・・これでようやくあたしも帰れる」
ぼそっと呟くと、奈緒がのろのろとした動作で歩き出す。
「あ、あのっ」
「玲治を護ってやりなよ、恋人さん」
「・・・・・・・・・・っ!!」
クラスメートとしか自己紹介しなかったのに、ばれていたらしい。思わず顔がカッと熱くなる。
「それじゃね、気をつけて帰りなよ」
手をダルそうにヒラヒラと振って、奈緒が笑う。梓は気恥ずかしさに動けず、そんな彼女の背中をしばらく見送っていた。