第五十七話:屋敷への道
「なぁ、怒られないか?」
「どうして?あんたは今にも死にそうな重病患者でもないし、他人に害を与えるわけでもない。…それに弟を助けるっていう大義名分もあるんだしね」
奈緒は影の鞄を肩にかけ、日向の前を大股で歩く。看護師が挨拶をして来たので挨拶を返そうとすると、奈緒に更に腕を引っ張られた。あとには不思議そうな看護師が残される。
「な、何だよ」
「馬鹿!誰が遊子と繋がってるか分かったもんじゃないのよっ。ペコペコしてんじゃない!」
先程から奈緒にしてはやけに焦っていた。影のことが心配、と言うのとは少し違う気がする。奈緒は非常階段のドアの前まで来ると、周囲を見回し誰の視線もないことを見とると、ドアを開けて一気に非常階段に足をかける。
「九連、行くよっ!」
「あ、あぁ」
日向はうやむやな想いのまま奈緒に従った。
だが奈緒の足は一階まで行くと止まった。外と非常階段の間のドアの前に、私服姿の女性がいたからだ。二人が非常階段を使うのだと知っていたかのように、ニヤニヤと奈緒と日向を見ている。
「お前っ、」
我に返るのは日向が早かった。いまだに腕を掴む奈緒の手を払い、女性ー笹原に掴みかかる。笹原は胸ぐらを掴まれても、ニヤニヤ笑いを崩さない。
「影を何処にやった!」
「くふふ」
「何がおかしいんだ!」
日向が顔を赤くして怒鳴ると、笹原が急に無表情になって日向の折れている方の腕を叩いた。
「うあっ……」
日向が怯んだのを見計らって、笹原は奈緒に眼をやった。固まっていた奈緒は、ピクッと身動ぎして彼女を見返す。笹原の唇に加虐的な笑みが浮かぶ。
「奈緒…って言ったね」
「………」
「遊子様があんたたちを連れて来ても良いと仰ってたわ」
「…遊子が?」
何かの罠だろうか。だが奈緒とて“屋敷”の場所は知っている。わざわざ笹原を案内役にすることに意味があるのだろうか。
「怖いのかな」
「…何ですって?」
「“屋敷”には彼の匂いが残ってるものね」
「っ!」
この女はどこまで知っているのだろう。遊子が話したのだろうか。
「蓮本…?」
腕の痛みに耐えながら、日向は立ち尽くす奈緒を怪訝そうに見る。奈緒はその視線に
「なんでもない」と応えようとした。だが、笹原の言葉に愕然とすることになる。
「陽は私の実弟よ」
「!?」
奈緒は眼を見張る。嘘だ、と思う。だって陽自身が言っていたから。僕は天涯孤独の身で、遊子様に拾われたんだ……と。あの言葉は嘘だったのか?奈緒が愕然と笹原を見ると、笹原は悪意たっぷりの笑みを浮かべた。
「本当よ。まぁ陽は私が姉だとは知らなかったし、自分に姉がいるだなんて思ってなかったけど」
(なら陽君があたしに嘘をついたわけじゃ、ないんだ)
敵前で、弱い面を見せていることに奈緒は気付いていない。
「あんたでもそんな顔をするのね。ー肉親は平気で見殺しにするくせに」
「!!」
笹原は、美緒の死についても知っている。ちらりと日向を伺うと、彼は無防備に突っ立ったまま、奈緒と笹原を半々に見ていた。
「……無駄話は良いわ。連れて行くならさっさとしてー影を返して貰う。あと、九連には手を出さないと約束して」
「分かってるよ。…じゃあ行こうか。車は回してあるから」
笹原が扉を開く。
「九連、行くよ」
「あ、あぁ」
あまり話に付いていけていない日向は、またもウヤムヤな感じで頷くのだった。
御鶴城に拘束された玲治は元居た部屋に戻されていた。ベッドの上で膝を抱え、必死に頭を働かせようとしていた。薬を呑まされ、意識を失った少年をどうやったら助けられるかを、だ。だが浮かぶのは佳那汰の憎悪に満ちた瞳と、遊子の下卑た笑顔ばかり。良い案など、幾ら考えても浮かばない。
(あの子は絶対に助けたい。俺のようにはさせたくない……でも、どうやって、)
己が非力だということは、玲治だって分かっている。分かってはいても、考えるのを止めることはできない。
(必ず突破口はあるはず…。でも、此処は全て見張られているし、)
玲治は机上の携帯電話を見た。玲治専用のものだが、大してメモリは入っていないし、使うこともあまりない。
(奈緒さんの携帯に、電話を)
実は陽の携帯から奈緒の携帯に電話をする時、玲治は保険にと彼女の番号とアドレスを紙にメモしていたのである。奈緒に連絡をしてどうするつもりなのか、玲治には全く考えはなかった。それでも誰かにすがらないと、今の玲治には何も出来そうになかった。
(奈緒さん出て…)
携帯を掛けながら、奈緒に祈った。
奈緒のスカートのポケットから携帯がバイブしている音が日向の耳にも届いているのだが、本人である奈緒は気付いていないのか窓の外を眺めているだけだ。どうも先程の笹原との会話から奈緒の様子がおかしい。一体、彼女は今何を考えているのだろう。
「蓮本」
「………」
「蓮本!」
「えっ、何…?」
まるで夢から覚めたかのように眼をパチクリとさせ、奈緒が日向を見た。普段見ることはまずない奈緒のそんな表情に、ますます不可解な想いを抱く。
「携帯。ずっと震えてる」
「え、本当だ」
奈緒はポケットから携帯を出すと、ろくに相手を確認することなく電話に出た。
「もしもし、蓮本です」
『なっ、奈緒さん!?』
「あんた、玲治?」
運転席にいる笹原の眉がぴくりと動いたが、二人は気付かない。
『良かった、奈緒さんに繋がった……』
「どうしたの。また佳那汰にぃと何かあったの?」
『い、今は違うんだ、男の子が大変なんだっ』
「は?」
『ゆ、遊子に“薬”を呑まされて意識を失ってる。きっと遊子はあの子に酷いことさせるっ』
「…その男の子って、細くて肌が白かった?」
『な、奈緒さん知ってるの?』
玲治は奈緒と、影ー玲治が言う男の子は現状から言って影で間違いないだろうーが知り合いということを知らないのだろうか。
(恐らくあの時は遊子に操られていたから、記憶にないんだわ……)
「あたしは今、そっちに向かってる」
『ほ、本当?』
玲治の声が嬉しげに跳ね上がる。あたしに何を期待しているのだろう、と奈緒は苦笑する。
「本当よ。玲治、あんたはじっとしてるのよ。良いね」
『は、はい』
「切るよ」
『はい』
奈緒は通話を終え、リアシートに背をつけて深いため息をついた。
「蓮本、誰から?」
双子の弟が犯罪に使われたら、この兄貴はどうするのだろう…と思いながら、奈緒は知り合い、とだけ素っ気なく応えた。
物語は徐々にクライマックスへ…行けるか不安ですが、頑張ります。伏線の回収、ほっとんど出来てないなぁ……( ̄▽ ̄;)