第五十三話:御鶴城姉弟
「ん…?」
眼を覚ました日向が一番に感じたのは、どうしようもない気だるさだった。ついで、違和感。
「影…?」
双子の弟の姿がない。
「影、影!?」
乱れたベッドが不安を煽る。どうして自分が寝て、影はいない。何で、
「いっ、」
いきなり右側肋骨あたりが痛んだ。“痣”のあるあたりだ。
「っんだよ、くそっ!」
あまりの痛みに、日向は苛立った声を上げる。
「影っ……」
「ぐっ、今かよっ…」
呻いて身を屈める影を、遊子は実験を眺める子供のように好奇心に満ちた眼で眺めていた。影は臍の左横あたりを押さえている。腹が痛いのか、尋常ではない発汗が彼を襲う。
「まだ戻るな…っ!お前みたいな弱虫は引っ込んでろっ!」
苛立った口調で“誰か”を叱責する。
(…この場合、誰か、とは影のことか)
女医がそう思っていると、遊子が動いた。身を固くする影の服の前をたくしあげたのだ。
「これは……痣か?」
怪訝そうな声。遊子の冷たい指が不定形な痣に軽く触れた瞬間ーーー影がビクンッ!と体を強く痙攣させた、と同時に指先がビリッと痺れて遊子は眉をしかめた。指先に熱が発生する。
「触るな……」
強気な態度から一転、弱々しく言う。
「これは痣だな」
「んなのおれが一番知ってる」
呻き声を上げながらも、影は吐き捨てた。
「痛むのか?」
「……時々な」
「原因は?」
「これが出来た原因?」
「それもある。そして、何故痛むのかも、だ」
影は遊子を睨みながら口を閉ざす。言いたくないから言わないのか、本当に知らないのか。
「……私も気になっていた。同じ痣は、兄貴にもあったぞ」
女医の言葉に、影が余計なことを言うな…というように唇を噛んで彼女を見遣った。案の定、遊子が眼を光らせて話しに加担してきた。楽しくて仕方なさそうに微笑んで。
「双子の兄弟で同じ痣、か。やはり君たちは面白いな……」
「………」
「兄貴も連れて来ましょうか」
女医がとんでもないことを言い出したので、影はぎろりと鋭い目付きで彼女を睨んだ。赤い眼と合わさって、酷く暴力的な視線だったが、女医には何の効果もないようだった。女医は静かに影を見返すだけだ。
「お前、おれの話をきいてなかったのか?日向には手を出すな、と言った」
「まぁまぁそんなに怒るな。可愛い顔が台無しだ」
「ふざけるなっ!勝手に他人を拉致っといて勝手なこと言いやがって…!!」
「本人が承知の上の拐い(さらい)は拉致などと言わないのよ、九連影君。勝手に拐うから拉致なのよ」
「勝手なことばっかり言いやがって!いい加減我慢の限界だ、おれを早く此処から出しやがれ!!」
いきり立つ影だが、再び“痣”の部分に激痛が走って蹲ってしまう。
「っ、くそっ…」
「痛み止め、やろうか?」
「要るか。お前から貰ったら市販薬すら毒物になるに決まってる」
「お前、」
遊子を愚弄されたと思ったのだろう、女医が影に手を伸ばして掴みかかろうとする。
「御鶴城、部屋を出るか?」
「……すみません」
遊子はふぅ、と軽く息をつく。
「九連影。その痛みは、お前と普段の影が成り代わるときに発生するのか?」
「……どうかな」
「ふむ。素直に話す気はない……か」
遊子は影の手首を引いて、顔を近付ける。
「っ、」
「やはり鍵は兄貴か。ふむ、兄貴にも興味が湧いてきた」
「お前、おれの話を……っ、」
「聞いてるさ。聞いてるからこそ、さ」
「放せ!」
慌てて遊子の手を払う影を、彼女はふふふっ、と笑う。
「さっきから何なんだ、おれにどうしろって言うんだっ!!」
「何もする必要はないさ。ただ話がしたい……ただ正直に、ね」
「おれは話すことなんかない!帰らせろっ」
ついに我慢も限界を越えた影は、椅子を蹴り倒してドアに手を伸ばす。が、
「御鶴城、彼を帰すな」
「はい」
御鶴城が動く。影を羽交い締めにしたのだ。
「放せよっ!!」
「……御鶴城を殺したわりには非力だな。異能力を顕現させるのに何かが足りないのか?」
「………」
「御鶴城の腹に穴を開けたのはお前だろう?どんな力を使ったんだ?」
「……」
「ふぅ。どうも君は口が固いみたいだな…。意固地な男は嫌いじゃないが、度が過ぎるのも困りものだな」
影は御鶴城の戒めを払うと、遊子を真正面から睨み付けた。ぴりっ、と空気中に電気が走ったかのような緊張感が走る。
「…悪いがおれは“表”と違って短気なんだけど、知ってた?」
赤い眼が、喜悦に歪む。顔を覆った手に力がこもる。遊子が微笑む。
「とっくに気付いてたよ、“裏”の影君」
「あぁ、そうかい」
影は口元を歪めて、くいっと右手の五指全てを曲げた。すると、
「!」
ぱきん、という何かに罅が入るような軽い音がした後、鉄扉の中心に中円の穴が生まれた。切り取られた箇所は部屋の外側にガタン、と落ちる。
「どうしてこんなことが出来るのかとか野暮なことは訊くなよ」
「ほう…。こうやってあの変態を殺したのか」
「あぁそうだよ。おれを襲って盛ってやがるから天誅を与えてやったのさ」
「天誅、ね」
女医がぽつりと囁く。影は彼女を見遣り、
「何だ?弟を殺された復讐でもしようってか?」
好戦的なことを言ってのける。だが女医が次いで発した言葉には驚かされる。
「復讐なんてしないさーあれを殺してくれて感謝すらしてるからな」
「は?…弟だろ?」
「兄弟は誰でも彼でも仲良しだとは思うなよ、九連影」
「………」
「あれはどうも昔から同性にしか興味がなくてね。それ自体は本人の自由だからあれこれ口出しはしなかった。でも、君みたいな子を何度か襲ってね……警察沙汰に何度なったか知れない。あれは一族にとって恥さらしであると同時にお荷物だった。御鶴城家は古い家柄だから、同性同士の恋愛すら白眼視されていたしね」
息継ぎをほとんどせずに、女医は語った。眼は何処か虚ろで。
「新ためて礼を言うよ。あれを殺してくれてありがとう」
「っ!」
中の“表”が悲痛な叫びを上げる。
「そんなの、間違ってる。間違ってます……」
弱々しげながら、相手に何かを伝えようとする気持ちがこもった声音で影が言う。気付けば、影の眼は黒に戻っていた。いつの間に、とさすがの遊子も驚く。
「何が」
女医は気付かないのか、影に問いかける。
「た、確かに御鶴城先生はぼ、僕を襲って来て、怖くて、でも、弟なのに、」
「………」
「あなたが御鶴城先生にたくさん迷惑をかけられたのも、分かりました。でも、」
「お前に何が分かる」
「んうっ……!」
口を覆われ、尋常ではない力で体を浮かされる。影は息苦しさにもがく。足の指先が床を擦るがそれだけだ。
「…っ、んんっ」
「貴様に何が分かる!あんな弟を持った私の不幸が貴様に分かるか!!」
遊子は止めない。苦悶に顔を歪める少年を楽し気に観察しているだけだ。影は心の中、兄に助けを求める。
(助けて、……兄さん、助けてっ………!!)