第五十一話:胸を抉る慟哭
影と玲治が本当に不憫ですね……。いじめすぎでしょうか?
横たわる日向の額を撫でながら、麻理花は物思いに耽っていた。
「ねぇ九連君、私と奈緒、どっちが好き?それとも、別に好きな人がいるの?」
独占欲の弱い麻理花にしては珍しく、九連日向という存在はどうしても欲しいものになっていた。どこがどう、というのではないけれど、いつも側に居て、自分のためだけに笑って欲しいと思う。奈緒も、影も、他の人間も、全てを忘れて、山城麻理花という人間だけを愛して欲しいと思う。
「九連君、それって、無理なお願いかな」
滑らかな頬に、そっとキスをする。
「お願い、私だけを見て。他の人のことは、全部忘れて……」
「蓮本さんのことかなあ」
今朝の女子高生について調べていた大崎は、ようやく月舘高校の生徒と町中で巡り合った。教師に訊けば手っ取り早いのだろうが、得てして学生のことは学生同士のほうが知り得ているものなのである。だから大崎は高校周辺を歩き回り、月舘高生を探した。
「蓮本?」
あの女子高生の名前を教えてくれたのは、駅近くの本屋でアルバイトをしている少女だった。訊けば家計の手助けという理由で学校側にも認知されているとのこと。「二年D組の蓮本さん。下の名前は知らないけど、名字はあってると思いますよ。彼女有名だから」
従業員の控え室脇で、大崎は少女ー下総由紀子から話を聞いていた。
「有名?」
「あ、刑事さんに言っても良いのかな」
由紀子は眉を寄せるが、この際話してもらわねば。
「どう有名?」
「私が言ったって蓮本さんには言わないで下さいね。面識ないけど、私が言ったのバレたら何か怖いし」
真顔で言う由紀子に、大崎は苦笑で応えた。
「あの、ですね。あの人、構内にも拘わらず普通に煙草吸ってるんですよ」
「学内で?」
大崎は呆気に取られる。
「先生の前でも吸ったことあるみたいです。噂ですけど」
「教師は注意しないのか」
「あまり詳しくは知らないけど、しない…というか蓮本さんが怖くて注意できないとか何とか……」
大崎は呆れて瞬きも忘れる。だが本来訊きたかったことをまだ訊いていないことを思いだし、気を取り直して質問を再開する。
「で、その蓮本さんだけどクレンカゲ君とは仲が良いのかな?あ、クレンカゲ君、知ってる?」
これには由紀子も自信満々といった風に頷く。
「九連影君。はい、知ってます。D組の人で、双子のお兄さんがいますよね」
「双子?」
「はい。九連日向君、九連影君。双子だけどあまり似てないみたいですね。廊下とかで、たまに話してる九連君と蓮本さんを見掛けますよ」
「仲が良いの?」
「う〜ん、どちらかと言えば日向君、お兄さんのほうと仲良いように思いますけど」
あまり詳しくないようで、由紀子の物言いは煮え切らない。
「最後に一つ。蓮本さんでも九連君でも、彼らの共通の友人なんていないかな。友人とまでいかなくても、知人でもいいんだ」
熱心な大崎に怪訝そうな表情を浮かべる由紀子だが、応えてくれた。
「う〜ん、麻理花ちゃんかな」
「マリカちゃん?」
「私、学校で美術部なんですけど山城麻理花っていう子と友達なんです。D組だし、確か何か蓮本さんや九連君の話を聞いたことがあったと思います」
「漢字はどう書くの?」
「えぇっと、山にお城の城に、麻薬の麻に、理科の理、草冠の化けるほうの花で山城麻理花です」
麻薬の麻とはすごい、と大崎は苦笑する。
「その山城さんの家、分かるかな」
「はい。ちょっと待ってて下さい」
由紀子は控え室に入って行く。恐らく手帳か何かにメモしていて、それを取りに行ったのだろう。
(蓮本に、九連兄弟、そして山城麻理花。この四人に話を聞かねば、な)
学校の現場の指揮は同僚に任せるしかないな、と大崎は小さく息をついた。
「これはまた…。お前は床に這いつくばるのが好きだな」
「……」
朦朧とする意識の中、玲治はその声に顔を上げた。スーツ姿の遊子が、ニヤニヤと品のない笑みを浮かべて玲治を見下ろしていた。玲治は怒りを込めて彼女を見上げる。
「な…に、した」
「あぁ?聞こえんな」
「にっ、いさんに何をしたっ……!」
「何にもしてないさ。あれはお前を憎みきっている。ただそれだけのこと…」
「そ…なこと、な…い。…って、さっ、き笑って…くれた」
「ふん。家族を殺しておいてその言い種か。あれが聞いたら怒るだろうな」
「…!そ、れは」
今も色鮮やかに蘇る。鮮血の海に沈む、両親と妹。その死を嬉々として受け入れる自分。
(あ、れ…?あの時兄さんはどこにいたんだろう)
急にそのことが気にかかった。だがそのことを考える猶予を、遊子は与えてはくれなかった。しゃがみ込み、玲治の耳元で小さく囁く。
「陽の携帯の件、あれから聞いたよ」
「っ!」
「陽も貴様もふざけたことしてくれるじゃないか?芦原の温床でぬくぬくと育てられた分際で、許しがたい狼藉じゃないか、ん?」
「……っ、」
「激情にかられて壊してしまったが、携帯には一体何が残されていたのか。気になるな。…ところで私が携帯を壊す羽目になったのは誰のせいだったかな」
ぶるっ、と玲治は身を大きく震わせた。遊子から逃れるように、顔を背ける。
「確かお前だったよなぁ?」
「……っ、」
遊子に何をされるか、玲治は恐怖のただ中にいた。浅く早い呼吸しかできない。そんな玲治を遊子は、
「遊子様」
背後から聞こえて来た静かな声に振り返った。
「九連影をお連れしました」
長身の女性、御鶴城翔子が一人の少年を抱えて立っていた。いつのまに迫っていたのか、玲治はおろか遊子ですらその存在に全く気付いていなかった。御鶴城翔子の温度のない眼が玲治をとらえるが、一切興味はないらしくすぐに遊子に戻される。
「そう、ご苦労様…。ん、泣いた痕があるが?」
「…まぁ兄から無理矢理引き離しましたし…。どうも私が怖かったようで」
「ふぅん、可愛いな」
遊子は真っ赤な舌で影の頬を舐める。玲治がぞっ、と背筋を粟立たせる中、遊子に舌を這わされた少年がぴくりと身動ぎした。
「うっ、ん」
色の白い、ほっそりとした少年だった。何処かで会ったような気がしたが、気のせいだろうかと玲治は思う。
「おや、起きたか。大事なゲスト様」
「だ…れ?」
薬でも含まされたのか、少年はぼんやりとした様子で遊子を見上げている。
「初めて…ではないが、」
遊子の指が少年の顎をぐいっと持ち上げ、じぃっと少年の眼を見つめる。
「今日の眼は赤くないんだな。なら初めましてだな、九連影君」
「赤く…?」
「御鶴城先生を殺した日だよ」
「っ!?」
少年が半開きだった眼を見開き息を呑んだが、それは玲治も同じだった。
(殺した?御鶴城…)
ズキンッ、と頭が痛む。何かがちくちくと脳髄を刺しているような感覚。
「いや、やだ、」
少年が小さく震え始める。遊子の笑みが深くなる。
「玲治、立て」
立つな、と誰かが叫ぶ。玲治はその叫びに従い、這ってでも逃げようとする。だが敢えなく遊子に襟首を掴まれ、無理矢理立たされる。
「っ…」
少年の怯えた眼と玲治の眼が合う。
「あ、」
少年の蒼白な顔に、明らかな恐怖心が宿る。
「み…つるぎ、先生っ」
「……」
「お前はこいつに閉じ込められただろう?そしてそこで御鶴城に、」
少年が御鶴城翔子の腕の中で耳を塞ぐ。
「やだ、止めてっ!!」
「……犯されかけたろう?」
「いや、嫌だ、」
「…ふふ、ふははははははっ!!本当に可愛い声で哭いてくれるねっ!あの変態があぁもお前に入れ込んだ理由が分かるというものだっ!!」
遊子は素直な子供のようにからからと笑った。少年ー九連影が涙を浮かべて苦し気に眼を閉じる。
「に、っさん、兄さん……」
「御鶴城、連れて来なさい」
「はい」
遊子は掴んだままだった玲治の襟首を放すと、颯爽と歩き出した。御鶴城翔子が彼女に付き従い去っていく姿を、玲治はへたりこんで見送った。九連影の慟哭が、心を抉った、気がした。