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第五十話:独占欲と悲嘆

「軽いな」

気を失った影を抱えた翔子がぽつりと呟く。

「ねえ先生」

「ん?」

頬を赤くした笹原が、こちらも気を失った日向を地面に寝かせたままに翔子を呼ぶ。翔子がそちらを見遣れば、笹原は日向にキスをしていた。だが翔子は驚くわけでもなく、苦笑する。

「それが気に入ったか」

「はい。頂いていいですか?」

「私は構わないが。あまりからかってやるなよ」

「はい」

「私はこれを遊子様にお届けして来る。あとは頼むぞ」

「行ってらっしゃいませ、先生」

礼をした後は、笹原は日向を影のベッドに載せると、その上に馬乗りになった。翔子ははぁ、とため息をつくと影を抱えて病室を出た。

「いただきまぁす」

ぺろり、と舌なめずりして笹原は日向のシャツに手をかける。

「あ、そういや左腕折れてるんだったなぁ。無理出来ないじゃん」

詰まんない、と鼻を鳴らしながらも笹原は日向のシャツの前を開けていく。

「ふぅん、意外と白い肌してるんだあ」

とろん、とした眼で、笹原が日向の肌を観察する。

「ふふ。私は兄貴のほうが好みだわぁ」

つう、と肌をなぞる。恍惚とした笹原と、初めて影と話したときの穏やかな顔の笹原は全く別物に見える。

「あまりからかうな、とは言われたけど、まぁ良いか」

にやり、と微笑んで笹原はズボンにまで手を伸ばそうとする。

「止めなさい」

だが凛、とした制止に手を止めることになる。

「彼は誰にも汚させないわよ、笹原さん」

「……分かったわよ」

小さく吐き捨て、笹原は日向の上から体を退かせる。そして侵入者を見る。

「彼は私のもの…。そして、私は彼の苦しむ顔が見たいの。彼が一番苦しいと感じるもの、それは半身が苦しむこと」

歌うように、彼女は告げる。愛しき人の額を撫で、ゆったりと微笑む。普段は話すだけで精一杯だが、今は日向は寝ているから。

「相変わらず悪趣味だね、あんた」

「笹原さんほどじゃないですよ」

二人はにらみ合い、だがすぐに眼を逸らす。

「とにかく、私がいるまえでこの人に手を出すのは許さないから」

「分かったって。しつこいなぁ」

笹原は面倒臭そうに片手を左右に振り、着衣の裾を直した。そして不意に、

「…にしても珍しいね。あんたが他人に執着するなんてさ」

と愉快そうに笑う。だがそんな嘲笑にも余裕の笑みで応える。

「それだけの人だから」

「はいはい」

笹原は何も言う気をなくしたらしい。処置なし、といったふうに肩を竦めて病室を出ていく。

「そう。あなたは私だけのもの」

細く白い指で、くせのある髪をとかす。ふっ、と耳に息を吹き掛けると、

「ん、」

と意識を無くしながらにして艶のある声を上げた。息の主は、満足気に微笑みを溢す。

「九連君、大好きよ。あなたは、私のもの」

山城麻理花は愛しそうに告白し、日向の唇にキスを落とす。日向は目覚めない。





「・・・・・・・・」

碧石玲治は眼を覚ました。どうやら二度寝をしていたらしい。頭と体が重い。

「兄さん、」

兄はどうしたのだろう。遊子に酷いことをされていないだろうか。

「・・・・・・・・」

玲治はベッドの上から鉄扉を見た。開けようと思えば自身の手で開けられる扉。必要なのは自分の勇気だけ。ごくり、と咽を鳴らして玲治はベッドを軋ませる。そっと床に降り立ち、冷たい床に眉を顰める。それでも歩き出し、鉄扉のノブに手をかける。

「・・・・・・・・」

勇気を出し、ノブを廻して手前に引くと、鉄扉は重厚な音を立てて開いた。当然のことなのに、酷い倦怠感が玲治を襲う。ゆっくり体をドアの外に出せば、左右に広がるリノリウムの床。しん、として何の物音もしない。



足を踏み出し、歩き出す。裸足のため足裏にダイレクトに床の冷たさが響く。だが玲治は歩みを止めない。自分の意志で、歩く。

「兄さん、何処・・・・・・?」

迷子になった幼子のように呟く。今にも崩れ落ちてしまいそうな気持ちを叱咤して、兄を探して歩く。廃病院を芦原が買い取って改築したものの、病院の名残は残っている。ときたま誰かに見られているような感覚を覚え、玲治は不安げに周囲を見渡す。この現象を、遊子などは死者の霊が成仏できずにお前を見ているのだと玲治に言って彼を不安がらせることが多々あった。

「にいさ、」

「何だ」

「わっ!!」

玲治に声がかかったのは、自分がいた部屋を出て三分程闇雲に歩いたときだった。「兄さん!」

佳那汰が無事だったことに、玲治は今までの不安も忘れて彼に飛びついていた。嬉しさに我を忘れていた。佳那汰は抵抗せず、玲治が飛びついてきたのを受け止める。それがますます嬉しさを増幅させ、玲治は涙すら出てきた。漸く兄に受け入れてもらえたと思ったから。

「兄さん、大丈夫?あの人に何もされてない?痛いところはない?」

「あぁ。何もされてないよ」

穏やかな声。最近は尖った声しか聞いていなかった。玲治の胸に温かいものが広がる。

「なぁ玲治」

「な、なに?」

呼びかけに、玲治はパッと身を放した。少し大げさだったかと内心で恥ずかしくなる。

「質問があるんだけど」

「?」

「陽の携帯を何処で手に入れた?」

「え?」

玲治の腕を、妙に熱い佳那汰の手が掴む。

「に、兄さん痛い、」

「答えろ。遊子様が知りたがっておいでだ」

ぎりっ、と腕を掴む手の力が強くなる。玲治は痛みに顔を顰め、腰を引く。佳那汰の視線が厳しさを増し、玲治の心の内奥を見透かすかのように一時も視線を逸らさない。

「答えろ。このまま腕をへし折っても良いんだからな」



玲治君、僕の最期の頼みだ。この携帯は、君に持っていてもらいたいんだ。絶対、遊子様には渡さないでくれ。そしていつか奈緒ちゃんに会うことがあれば、彼女に渡して欲しい。酷い事をしたのに、謝れないまま死ぬことになった僕を許して欲しいと、言っていたと、どうか伝えて・・・・・。



「言え。言えよ!!」

ドンッと体を押され、腕も解放された玲治は、床に腰から倒れる。

「いっ、」

「言え!!」

「・・・・・・っ!!」

首を掴まれ、躊躇なく締められる。

「遊子様が知りたがっておいでだっ!言えよ!!」

佳那汰の眼は怒りに支配され、口角泡を飛ばさんの勢いで捲し立てる。玲治は首を掴む手に己の手を添えて、喘ぐしか出来ずにいる。

「はっ、・・・・・にいさ・・・・苦しっ・・・・・、」

「言え、言えよ!!ほら、僕が喜ぶことをしろよっ!」

「ちがっ、」

そうじゃない。そういうことで喜んで欲しい訳じゃない。もっと、もっと純粋なことで喜んで欲しいんだよ。−−−−その声は佳那汰には届かない。

「何が違う!」

「・・・・・・うっ、はあっ・・・・・・」



でももし、もしこのことで君に危険が及ぶようなら、無理はしなくていい。自分のことを、大事にしてくれて良いから。




「った、」

「あ?」

「陽さん本人、から……渡され…た」

苦しい息の下で、玲治は喘ぎ喘ぎ言う。

「何と言って?」

「ゆ、遊子様には絶対渡すなって……いつ、いつか奈緒さ…ん、に会ったら」

佳那汰が玲治を解放する。

「続けろ」

はあはあ、と荒い息をつきながら、玲治は涙の浮いた眼で兄を見る。恐怖に身が竦む。後ろに下がろうとして、佳那汰に片足を踏みつけられる。

「う……っう、」

もうダメだ、と玲治は絶望に襲われる。もうこの人とは兄弟とは言えないのだと。どれだけ弟として兄を想っても兄には伝わらないのだと。佳那汰が怒りに燃えた瞳で玲治を見下ろしている。

「逃げるな。続けろ」

「いっ、いつか奈緒さんに会ったら、奈緒さんに渡してって、」

「それだけか」

「そ、それだけ。本当に、本当にそれだけ……」

「そうか。分かった」

憑き物が落ちたかのように佳那汰は無表情になり、くるっと玲治に背を向ける。玲治は我知らず兄を呼んだ。

「兄さん、待って!!」

だが兄の歩みは止まらない。あの優しい笑顔は、幻だったのか。

「兄さん…っ!」

急に咳が出る。少量ながら吐血する。

「ねが、いだよ…、待って…、待ってよ……」

必死の懇願は、兄には一片も届かない。

「兄さん!!」

ついにはその背は角を折れ、玲治からは見えなくなった。

「……待って、」

霞んでいく視界の中、それでも玲治は兄を呼んだ。決して戻ってくれないことを知りながら。





歪んだ人が多いですね〜(汗)

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