第四十八話:不安
双子の間にも徐々に不協和が……。
午前十一時。日向はまだ眠ったままの双子の弟を見守っていた。時間が経過する毎に血色は良くなるものの、普段から白い肌のせいか気休めにもならない。折れていない無事な右腕で、ひやりとした額を撫でてやる。
(早く起きて、笑って欲しい……。でも、起きたときの眼が赤かったら…)
怖い。見掛けは影で、ずっとそばにいたのに、今は影のことが凄く怖い。それに、御鶴城を殺したのは影……。
(違う、俺は絶対にそんなこと信じない……)
「ん、」
「っ!」
ビクッと日向は体を震わせた。
「にい…さん?」
影が軽く眼を開けて、日向を見上げていた。その眼は普段の黒曜石の如きもので、日向は我知らず安堵のため息を溢していた。
「か、影」
「……兄さん、おはよ…う」
影が緩く頬を浮かす。笑ったのだ、と気付くのに少し時間がかかった。
「…おはよう。眠れたか?」
「ん…。兄さんがいてくれたの、分かってたから。寝られたよ」
日向が再び安堵のため息をついたとき、ドアがノックされて看護師が入ってきた。三十代半ばくらいの小柄な女性で、穏やかな笑みを称えていた。
「あ、影くん起きたのね。お兄さんも嬉しそう」
人見知りしがちな影だが、それは病院関係者にも当てはまるらしい。日向の背後に身を隠そうと、シャツを掴む。それを見た笹原という名札を付けた看護師は、あらぁと眼を丸くして朗らかな笑い声を上げた。
「いたいけな青少年を取って食おうだなんて思ってないから、そんな隠れたりしないで欲しいなぁ」
影は面食らったような顔で笹原を見る。
「ふふ。さて、影君。検温させてもらっていいかな」
「は、はい」
日向は席を外そうとしたが、それを笹原が止める。
「お兄さんもいていいわよ。というか居なさい」
「は、はあ」
「君がいたほうが弟さんも安心するみたいだからね。安心してリラックスしてくれないと正確な数値、出ないからね」
笹原が、影に体温計を差し出し、影はおずおずとそれを受け取る。
「日向君は、腕はどう?最初君の病室に姿がないから、お姉さん瞠目しちゃったわぁ」
「す、すみません」
お姉さん、に突っ込むべきかと思ったが取り敢えず謝っておく。
「ま、此処にいてくれたから良いけど」
日向は苦笑をし、不意に思った。笹原はどこまで知っているのだろう、と。芦原遊子のことは知っているのだろうか。訊きそうになって、影の視線に気付く。影は不安げな顔で日向を見つめていた。まるで日向が何を考えているか分かりきっているかのように。
(影の前で訊くのはまずそうだな。…後にしよう)
「37℃か…。少し高いかな。体がだるいとかはない?頭痛がするとか」
「な、ない…です」
「かわいいなぁ」
「あ、あの?」
笹原がわしゃわしゃと髪を掻き回すので、影は眼を丸くして戸惑いを隠せない。
「痛いところもない?頬っぺたとか、他の傷のところとか」
影は顔を赤くしながら首を左右に振る。
「だ、大丈夫です」
「そう。良かった。後で担当医の御鶴城という者が来るから、診察して貰ってね?」
「っ!?」
影が御鶴城という名前に息を呑んだ。日向も愕然として笹原を凝視する。
「に、兄さん……」
影が不安げに差し出した手を力強く握ってやる。
「?どうしたの?」
不思議そうな笹原に、日向は意識的に動揺を抑えて訊いた。
「その御鶴城って、男の先生ですか?」
影の手の震えが大きくなる。
「大丈夫。女の先生だから。まだお若いけど、とても良い先生よ」
「そう、ですか」
ひどい偶然の一致だ、と思う。影は女医と聞いて安心したのか、手の震えは小さくなっていた。だが顔は蒼白く、不安そうな表情は変わらない。
「大丈夫。優しい方だから」
「は、はい」
「良いお返事。怪我もそこまで酷くないし、少なくとも明日には退院出来ると思うから」
「はい」
「じゃ、また覗くから」
笹原はにっこりと微笑み、病室を出て行った。
「影。大丈夫。女の先生だから。俺もいるから。な?」
「本当に?本当に僕と一緒に居てくれる?」
「居るから。だから落ち着いて」
「う、うん……」
影は日向から手を離すと、眼を伏せた。御鶴城に襲われたことを思い出しているのだろうか。何か、影の意識をそのことから遠ざける話題はないものか。考えるんだ。双子とはいえ兄貴だろ。影を笑わせるんだ!!
「兄さん、血が…」
気が付けば、影が日向に手を伸ばしていた。
「あ、」
思わず唇を噛み締めていたようで、切れた唇から血が滴っていたらしい。
「僕のせい…?」
「え、」
「何でもない……」
影は悲しげに眼を伏せ、シーツの裾をギュッと掴んだ。日向はかける言葉を失い、立ち尽くすしかなかった。