第三十九話:戻った記憶
「それじゃ、おやすみなさい」
「ゆっくりお休み」
自室に引き取った麻理花は、勢い良くベッドに倒れ込んだ。
(警察に行ったのは二回目だけど、相変わらず詰まらないとこだったな)
御鶴城の死体の第一発見者となった麻理花は事情聴取で月舘中央警察署の刑事課に連れて行かれた。だが麻理花を容疑者と見なしているわけではないことは刑事の丁重な振る舞いで何となく分かった。(まあ、あんな真ん丸い穴が体のど真ん中に開いてたら一介の女子高生がどうこうできるなんて、普通は思わないわよね…)
実際はある男子高生の所作ではあるが。
(九連君は元気かな)
きっと最愛の双子の弟が御鶴城に犯されかけたことで、御鶴城に途方もない憎悪を抱いていることだろう。もしくは、何もできなかった自分を呪っているか。ーどちらにしても麻理花の嗜虐心を満たしてくれるものだ。
(笑ってる九連君も好きだけど、悩み苦しんでる姿なんて最高)
ふふっ、と麻理花は微笑む。早く日向に本当の自分を見せたいな、と思いながら彼女は眼を閉じた。
寝台で無心に眠る弟を、佳那汰は無感情な視線で眺めていた。いつからだろう、と佳那汰は思う。昔は玲治を守ってやるのが当たり前だった。何かとても大切なことを忘れているような気がする。昔はこんなに玲治を憎いと感じたことはなかったはずだ。
(母さんたちが殺される場面。あれが、最近はとても作り物めいて見えるのはどうしてなんだ。全く現実感が湧かない)
長袖から覗く腕に巻かれた白い包帯がひどく痛々しく感じる。
(……包帯?)
今、胸に鈍い痛みが走った気がした。
(何だ?)
何か、何か、重大な間違いをしている気がする。
「こんなところにいたのか、佳那汰」
「!遊子様」
「どうした、そんな哀しげな眼をして」
「えっ、」
痛いところを指摘された気がして、佳那汰は思わず上擦った声を上げてしまった。遊子が口端に笑みを浮かべ、いきなり眠っている玲治の首に手をやる。玲治が一瞬眉をしかめたが、起き出す様子はない。
「遊子様、何を…」
「今なら簡単に軛り殺せるぞ」
笑みとともに発っされた提案に、佳那汰は愕然とする。思ってもみなかったことを指摘され、冷たいものが背中を震わせた。
「遊子様、」
「佳那汰はこいつが憎くて仕方ないのだろう?私に遠慮する必要はないから、殺せば良いよ…こんな風に、」
止める暇もなかった。遊子が玲治の首を掴む片手に力を入れる。途端に眠っていた玲治が背中を反らせ、覚醒する。
「あっ……!?」
何が起きたのかと眼を白黒させる少年に、遊子が残酷に告げる。
「お前は今ここで死ぬ。最愛の兄に看取られてね」
「やっ、やめっ…」
上げかけた苦痛の声は、口を塞いできた遊子の唇によって塞き止められる。「んっ、んぅっ…」
涙にまみれた眼が佳那汰を捉え、助けてと訴える。
「っ…」
ずんっ、とよく分からない塊のようなものが肺腑に凝り固まる。佳那汰は動けない。
「良いのかな。これ、死ぬよ」
残虐な遊子の笑みが脳裏を侵す。忘れていることがその笑みに刺激されているような感覚を覚える。「うっ…」
玲治の遊子をはね除けようとする力は徐々に弱まってゆく。もとより体力はあまりない。加えて消耗しているため、まともな抵抗一つ出来ない。
「ーーーっ!!」
真っ白になった手が佳那汰の助けを求めて中空をさ迷う。その手が網膜を、脳裏を刺し、
「遊子様、止めて下さい!!」
気がついたら遊子の手を掴んでいた。
「…」
遊子は意味深な笑みを浮かべ、玲治を解放する。
「うっ、げほっ…ごほっ…!!」
身を捩り、ベッド上で玲治が咳き込むが、その拍子に鮮血が吐き出される。愕然と眼を見開く玲治に、近づこうとした刹那、佳那汰は遊子に腕を掴まれた。腕を掴んできた手が何故か酷く汚らわしいものに思え、思わず手を払った。
「…やはりね」
遊子は詰まらなそうに呟くと、佳那汰の顔を払われた手で覆った。息が苦しくなる。
「記憶が戻りかけてるみたいだ」
遊子の言葉に、佳那汰は眼を見開く。過去のある情景が一気に頭に流れ込んで来たからだ。「遊子…様、」
「ちょっと放置しすぎたかな」
「兄さんを…放して、」
玲治が弱々しく言いながらベッドから降りようとするが、遊子の冷たい視線に晒されて身を竦める。
「…っ」
「この男は私のモノだ。黙ってろ」
吐き捨て、遊子は茫然自失としている佳那汰を引きずって行く。佳那汰は抵抗しない。玲治の眼と佳那汰の眼が合う。息を詰める玲治に、
「っ!!」
佳那汰が微笑む。久しく見ていなかった、兄の優しい笑顔。
「兄さんっ!」
「……れ…じ」
ごめんね、薄紫の唇がそう象る。無情にも兄弟は引き裂かれる。
「兄さんっ!!」
玲治の絶叫は、分厚い鉄製の扉に遮られた。
なんか、玲治とか苛めすぎかなぁ…(汗)