第三十六話:繋がる想い
日向を救急車で運んでもらうのは絶対だったが、奈緒は影も運んでもらおうとした。ただ何と言って救急車に乗せてもらうかすぐには思いつけなかった。加えて左腕を折られ、かつ気絶している日向のことをどう説明すべきかも。下手をしたら、御鶴城や玲治のことも話さないといけなくなる。しかも後先考えず学校に呼んだが、良かったのだろうか。焦りすぎたか、と奈緒は舌打ちする。
だがあれやこれや考えている内に救急車は到着し、こうなりゃ全部暴露してやると奈緒が自棄になったのだが、
(きっと…いや、絶対あれは遊子の手引きだ)
救急隊は一切の詳細を訊くことなく、てきぱきと日向を救急車に乗せていく。奈緒にも同乗するよう促し、隊員の一人が影を抱き上げようとしたときだった。
「いや、嫌だ!」
急に覚醒した影が隊員が伸ばしてきた手をはね除けたのである。しかし何処か望洋とした表情のその隊員は逃れようとする少年を全く加減のない力で捕まえた。影は涙を浮かべながら抵抗している。
「いや、いやっ!僕に触らないでっ…!!」
恐らく、御鶴城に性的暴行を受けたことで大の男に本能的な恐怖感を抱くようになっているのだろう。
「影、」
思わず影に走り寄ろうとした奈緒だったが、別の隊員が近づいて影の首筋に小さな注射を突き立てた。途端に影は再び意識を失って隊員の腕の中に倒れ込んだ。何をするんだ、といきり立つ奈緒に、隊員が抑揚のない声で告げる。
「蓮本奈緒様ですね。今から九連兄弟を月舘病院に搬送します。ーお付き添いを」
馬鹿丁寧な口調で言われ、奈緒はポカンと間抜け面をしてしまう。
「お早く」
「わ、分かったわよ」
奈緒は頷いて、救急車に乗り込んだのだった。
そして今。奈緒は左腕の処置を終えた日向の付き添いをしていた。単純骨折でまだ良かったと思う。
「…帰ろうかな」
時刻はすでに午後九時になろうとしている。病院側の好意でまだ居座れているが、常識且つ規則の面会時間はとうの三時間前には終わっており、例外はあるだろうが、さすがに九時は居すぎだろう。そう思い、奈緒は座っていたパイプイスから腰を上げたのだが、
「はす…もと?」
苦し気な声に、奈緒はハッと眼を見開いた。
「九連!?気が付いたの!?」
「ここ…」
日向は望洋と呟き、奈緒を見上げる。
「病院。何があったか、覚えてる?」
「俺は…、確か影を探しに学校に、」
そこまで言って思い出したらしい。奈緒がギョッと仰け反るほどの勢いで起き上がり、当然のように左腕に走る激痛に顔を歪める。
「いっ……!!」
「ば、馬鹿!あんた左腕折れてるんだからね!?」
「影は?影はどうしたんだよ!?」
いつもの日向だ、と思いつつ奈緒は言う。
「とにかく、横になりなさい。自分の体を先に心配しな」
日向は渋々といった感じで再び横になる。
「で、影は」
「…影も、入院してる」
「怪我、したのか」「怪我…もしてる」
どう説明しようか、と奈緒は思案する。影が御鶴城に何をしようとしていたのかーそれを知っても日向は平静でいられるだろうか。
「…やっぱり、犯されそうになってたか?」
「…え?」
奈緒がポカン、として日向を見ると、彼はやりきれなそうに苦笑し、無事な右腕で顔を覆った。
「やっぱり…そうなんだな」
「やっぱり…って、九連、」
「そんな感じはしてたんだ。ー影を見る御鶴城の眼は、何か普通じゃなかったから。俺が見ても気持ち悪いくらいだったし。いつか起こる気はしてた」
なのに俺は影を守れなかったな、と日向は自嘲する。奈緒は何も言えない。
「情けないな。こんなときに、何もしてやれないなんて」
「…九連、」
「それで…影は?」
「……とりあえず病院側の好意で、この病室の横を使わせてもらってる。御鶴城にナイフでつけられた傷の治療もあったし…」
「…そうか」
「影は、大人の男を怖がるようになってる。…御鶴城が重なるんだろうけど」
「俺、馬鹿みたいだ」
奈緒はえ?と耳を澄ます。
「必要なときに助けてやれなくて、変な意地張って。馬鹿だ」
「九連…」
奈緒の声から戸惑いを感じたのか、日向は誤魔化すように笑おうとする。
「て、何言ってるんだろうな。俺は、」
「九連」
日向の眼が見開かれる。
「は、蓮本…?」
奈緒が日向の頭を抱えるように抱き締めたからだ。
「泣けば良いわよ」
「はす、」
「我慢する必要ない。ここにはあたししかいないんだし、強がらなくていい」
「蓮本、俺は、」
「誰だって身内が酷い眼にあえば取り乱す。混乱する。それのどこが悪いの」
あたしは、姉が死んでも泣かなかった。きっと心の奥では喜んですらいた。それに比べたら、あんたの方がよほどマシだ。
「…蓮本って、本当に掴めないやつ」
日向が呟いた言葉に、奈緒は苦笑する。
「…よく言われる」
日向のははっ、という笑いが、くぐもった嗚咽に変わるのに大した時間はかからなかった。




