第三十話:嫌な予感
「やだ、嫌だ…助けて、兄さん…」
影はあちらこちらにナイフで傷を付けられていた。シャツの前ははだけ、御鶴城の不躾な視線に怯えて身を固くしている。
「やっぱお前男にしとくのは勿体無いよな。さすが俺が見込んだだけのことはあるよ」
ナイフについた影の血を舐めながら、御鶴城が倒錯者の笑みを浮かべている。
「兄さんっ…」
「兄さん兄さんって煩い奴だな!」
いきなり激昂した御鶴城に頬を叩かれる。あまりの恐怖と痛みに、影は泣き出す。途端に御鶴城が喜色満面になる。影の涙を指で拭い、怯える影の胸に触れる。
「やっ…」
手を振り払うと、御鶴城が愉快げに笑う。
「いつまでそうやって我を張るつもりだ?兄貴は助けに来ないぞ」
「く、来る。兄さんは絶対に来てくれるっ!」
そう信じでもしないと、今にも失神してしまいそうだった。
「ただの人間が玲治に敵う訳がないんだよ」
御鶴城の手が、影のズボンのベルトに伸びる。
「やっ、先生止めてっ!」
懇願も虚しく、ベルトを抜き取られ前を開けられる。体がすくむ。
「ひっ、」
「気持ちいいんだろ?前みたいによがってみろよ」
影は必死に首を左右に振る。
「その強がりがいつまで持つかな」
「う…んっ」
上半身を御鶴城の手が撫で、影は嫌悪感に吐き気がした。
(…兄さん、助けて。助けて…)
影は勿論、御鶴城も気付いていなかった。影の眼が徐々に赤くなりつつあることに。
日向には一人で大丈夫だとは言われたものの、奈緒はどうしようもない不安に襲われていた。だから一度は自宅に戻ったものの、再び学校へ向かっている。
(何かとんでもないことが起きている)
そんな気がして仕方がない。奈緒は電車の車窓から顔を背け、車内に視線を遣った。
「あら」
見知った顔を見つける。
「詩堂さん…だったかしら?」
暗い表情で俯いていた女子中学生が奈緒の呼び掛けに顔を上げる。
「は、蓮本さん」
「あなたもこの線を使ってるのね」
世間話を始めた奈緒だが、いきなり梓が立ち上がったので驚いて少し仰け反る。他の乗客が何人か反応する。
「な、何」
「玲治を知りませんか!?」
声がでかい、と奈緒は吐き捨て、
「知らない。どうしたの?」
「実は…玲治、今日は早退したんですけど、連絡とれなくて。携帯も電源が切れてて…私嫌な予感がして。あちこち玲治が行きそうなところ探したけど、見つからなくて」
段々に涙声になる梓。奈緒は黙って聞いていたが、嫌な予感の正体に思い当たって顔を強張らせる。
「蓮本さん?」
「玲治君がいそうな場所、一つ知ってる」
「ほ、本当ですか!?」
梓は眼を輝かせるが、奈緒は顔の強張りを取らない。梓がそんな奈緒を見て不安に襲われる。
「蓮本さん…?」
「とにかく、ついてきて。次の駅で降りるから」
梓ははい、と頷いた。