第二十三話:届かぬ想い
家に着いてからも、日向の嫌な予感は消えない。帰途の途中に寄ったコンビニで買った昼飯も喉を通らない。
(…くそっ、何だ、このモヤモヤ感は…)
普段の影と、赤い眼をした影がちらついて離れない。テレビにも集中出来ず、日向はイライラと貧乏揺すりを繰り返す。御鶴城の意味深で不気味な笑みが脳裏を侵す。
(見回りに乗じて影に何かする気じゃねぇだろうな)そうは思うものの、余り本気で御鶴城が影に手を出すとも思ってはいない。曲がりなりにも御鶴城は教師。生徒に手を出すなどないだろう、と。
(そう思っているのに、不安は消えない。どうしてだ)
そこまで考えたとき、ズボンのポケットに入れておいた携帯電話が震えた。液晶ディスプレイを見ると、山城と表示されていた。
「山城?」
「あ、九連君?今何処にいるの?」
「家にいるけど…何?」
「聞いてよ、さっきから奈緒が九連の馬鹿ってうるさいんだよ」「…蓮本が?」
「そうなの。眼も据わってて怖いし、ねえ奈緒と喧嘩でもしたの?」
ドキッと心臓が鳴る。関係ないと言い切った。奈緒の顔すら見られなかった。泣いている、とまでは思わなかったのだが。「…別に喧嘩なんかしてないけど、」
「でも、奈緒がこんなに人のこと悪く言うなんてないんだよ?」
一体どんな罵詈雑言をつむがれているのかと日向は頬をひきつらせた。
「あと…ついでって言ったら悪いんだけどね」
「…何」
「影君のこと、なんだけど」
「!」
「言って良いのか迷ったんだけど、やっぱり言っておこうと思って」
麻理花にしては歯切れが悪く、一体何だろうと日向は怪訝に思う。
「山城ハッキリ言ってくれ」
「う、うん…あのね、影君が、兄さんに嫌われてるって言って…泣いたの」
「っ、」
あの馬鹿、と日向は苦虫を噛み潰したような気持ちになる。同時に影の泣いている顔が簡単に思い浮かんで、苦しくなる。
「…影は?」
「さっき図書室に行くって教室を出ていったよ。少しは元気出てたみたいだけど…」「…そう」
「泣いたって言っても私の前でだけどね。詮索するみたいで嫌だから、言うか言わないか迷ったの」
「……」
「それと、不審者対策の見回りの件ね。九連君は止めたでしょって訊いたら、兄さんは止めないって言われたの。…本当?」
止めた、と喉まで出掛かって、日向は口に出せなかった。
「九連君?」
「……止めないよ」
「え?」
「俺が止めようが止めまいが、影が判断すれば良いことだろ。俺がどうこう言う問題じゃない」
「自分で決めろ、みたいに言ったの?」
麻理花の口調が、言外に信じられないと言っているような気がして日向は何とも表現しようのない想いにとらわれる。
「……」
「奈緒が九連がおかしいって言ってるけど、私もそう思う。普段の九連君なら、絶対止めるはず」
「だから、影に自分の意思を持ってもらおうと思ってだな、」
「それを影君に直接言ってあげてよ!」
麻理花が珍しく声を荒げる。しかもひどく悲痛なそれを。
「山城」
「ちゃんと九連君の口で直接影君に言ってあげて!影君が納得できるように、影君が九連君に嫌われてるって思わないでいられるように、本人に言ってあげてよっ!!」
日向は呆気にとられたまま、麻理花の悲鳴じみた声を聞いていた。「山城」
「今からでもいいから、学校に来て影君と話してあげて。周りが何を言っても、お兄さんの言葉には敵わないんだから」
麻理花が鼻を啜る音が電話越しに聞こえてくる。どうして、と思う。どうして奈緒も麻理花も他人である日向と影のためにこんなに一生懸命になるのか。なれるのか。
「……山城の気持ちは分かったから」
「九連君、」
「…俺がしたいようにするから、放っといて」
自分でも冷たい声だと思った。
「九連君っ!!」
「切るよ」
有無を言わさず、通話を終了させる。携帯をソファに放り、日向は横になる。
(…頼むから放っておいてくれ、)
日向は眼を閉じた。全てを封じ込めるかのように。