第十九話:安らぎ
「影君、落ち着いた?」
影はいまだに鼻をぐずぐず言わせながらも、こくり、と頷く。麻理花が安堵の笑みを浮かべ、買ってきたばかりのホットココアを影に差し出す。
「奢り。温かいもの飲むと落ち着くから」
「あ、ありがとう山城さん」
影と麻理花は美術室にいた。美術部の麻理花は授業がない時間ならば自由に鍵の貸し借りができるらしく、静かな場所ということで影を連れて来たのである。
「…美味しい」
「でしょう」
麻理花は何も訊かず、ただそばにいてくれた。ただ黙って影が泣き止むのを待ってくれていた。そのことが影は嬉しかった。
「雨、止んだみたい」
麻理花が嬉し気に呟き、窓を一つ開けた。雨上がりの匂いが影を包む。
「あの、急に泣き出してごめんなさい」
「?どうして謝るの?」
麻理花が本当に不思議そうな顔をしているので、影もキョトンとしてしまう。
「だ、だって困ったかと…思って、」
「う〜ん、私ってどんな人間に思われてるのかなぁ」
「え、」
「泣けることって、大切なことだと思うんだよね」
「山城さん…」
「泣きたいなら泣けば良いんだよ。場所も時間も理由も関係ない。泣きたいときは我慢なんてしないで、大声で喚けば良いんだよ。泣いたら、少しでも心は軽くなるはずだから」
麻理花は何てね、と照れ臭そうに笑う。
「ちょっと恥ずかしいこと言っちゃったかな」
影は必死に首を横に振る。麻理花が笑う。
「ありがとう。影君は優しいね」
「そ、そんなこと…」
「あるある。大有りだよ」
「…」
沈黙が下りる。
「あ、あの山城さん、」
「九連君が影君を嫌ってるとは思わないよ」
「!」
「大丈夫」
「で、でもっ」
冷たい眼。拒絶の言葉。ウザイという言葉。そんななのに、嫌われていないなどとは思えない。
「だ、だってあんな冷たい眼で…、見られたことなくて、」「怖かった?」
「うん…、怖かった」
日向が全くの他人に見えた。
「どうしてあんな眼で見られるのか、全然分からなくて…」
「そうなんだ…」
影は深く俯く。
「深い理由なんてないけど、影君と九連君は何があっても大丈夫な気がする」
麻理花が自信たっぷりに言うので、影は思わず彼女をじっと見てしまう。
「女の勘、だよ」
「…すごく当たりそう」
「当たるよ」
朗らかに笑う麻理花を見ていると、影も何故か元気になるのを感じた。
「影君やっと笑った」
「あ、」
「泣くのも大事だけど、笑うのも大事、ってね」
格言を口ずさむ感じで、麻理花が言う。
「…ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
心が温かくなると同時に、こうやって気遣ってくれるのは自分が日向の双子の弟だからかな、と思うと影は複雑な気持ちになった。