第十三話:制御不能
「おはよ、九連…て凄い顔ね」
蓮本奈緒の呆れたような声に、日向はふいと視線を逸らした。
「影と喧嘩でもしたの?」
ため息とともに吐き出された言葉に、日向はピクリと肩を動かした。
「あ、やっぱり」
「う、うるさい。茶化しに来たのかよ」
「別に。ただ影があんたのことチラチラ見てるからさ。何かあったのかとね」
「…放っとけよ」
「はいはい」
奈緒は至極どうでも良さそうに頷き、いきなり背後から日向の首根っこを掴む。
「は、蓮本何すっ…」
「どうせあんたが悪いんでしょ。この際謝ってしまえ」
「お前には関係ないだろ!放せよっ」
日向が腕を振り回すが、奈緒は放さない。首だけ背後に回し、立ち尽くす影を目線で誘う。影は戸惑いながらも、奈緒に従っておずおずと近寄って来る。
「あ、あの兄さん、」
影の声が聞こえた瞬間、昨日の赤い眼をした弟の姿がはっきりとフラッシュバックした。ーお前のせいで、本当の自分を出せない。
「放せって言ってるだろ、蓮本」
「え、」
日向は低い声で唸るように言うと、奈緒の足を踏みつけた。思わず日向の首根っこを離してしまう。
「い、痛いじゃない!」
「うっせえ。てめえが放さないからだろうが」
乱暴な口調に、いよいよ奈緒は奇妙に思い始めたらしい。怪訝そうな表情で日向を見詰める。
「あんた今日おかしいわよ。何かあったの」
日向は奈緒の問いを無視し、怯えたように身を硬くしている影に冷たい声を放つ。
「お前、蓮本に頼んだのか」
「な、何を…?」
「俺の様子がおかしいから理由を探れだとか、仲を取り持ってほしいだとか」
「ち、違う。僕そんな、そんなこと頼んでないっ」
「どうだかな。お前、他人の力がないと何も出来ないもんな」
止まらない。こんなこと言うつもりないのに、動き出した口は止まらない。制御できない。
「何で、何で…」
影が混乱している。大きな眼に浮かぶ涙を溢さないように必死に堪えている。
「ちょっと九連!あんた一体どうしたのよ!?」
さすがの奈緒も本気で慌てた。まさか自分の気紛れでこんなことになるとは思わなかった。この二人に何があったんだ。
「兄さん、本当に僕蓮本さんにお願いしてなんかないよっ。本当に、」
「…分かったよ。分かったから泣くな。うざいから」ー影の顔が完全に強張る。
「ちょ、九連っ!!」教室中が三人の動向に注目している。特に日向の態度や物言いに驚いているようだった。
「あんた、そんな言い方はないでしょ!」
「……」
日向は影から顔を背けると、再び席に座った。
「に、兄さん、」
「……」
「ぼ、僕やっぱり迷惑なのかな、」
やっぱり、という単語に日向が肩を震わせたが彼は影を見ない。
「…そうなんだね、やっぱり」
影は小さく呟くと、教室を飛び出した。
「影っ!!」奈緒は日向の頭を殴ると、影を追って教室を飛び出した。
「……」
奈緒に殴られた頭の痛みと、影を傷つけた心の痛みに日向はただ耐えるしか出来なかった。
言い得ぬ不安に兄が壊れ気味。訳が分からない弟が不憫ですね…。