第十二話:ズレ始めた歯車
翌朝は雨だった。日向は雨の音というよりは昨晩影に殴られた腹の痛みで眼を覚ました。
(くそっ、まだ五時前じゃんか)
元々癖毛の日向の髪は、湿気のせいで暴発気味だった。頭を手で押さえつつ、部屋を出る。そっと影の部屋を覗くと、すやすやと安らかな寝息が聞こえて来た。どうやら熟睡出来ているらしいので、その点は一安心である。そっとドアを閉め、ダイニングへ行くとソファに深く腰を沈める。ぼんやりと天井を眺める日向の頭を過ぎるのは、昨日の影の赤い眼。残忍な笑顔。影に殴られる自分の姿が現実感を失った状態でリピートされる。
(本当に何だったんだ、あいつは)
本当の自分と、言っていたか。どういう意味だ。影はあれを抑圧して生きているというのか。あんな華奢な躰で。
(それに、影も痣の辺りが痛いと言っていた)
性格にはお腹。だが痣は臍の横になるので、腹が痛かろうが痣が痛んでいようが腹が痛いように感じてしまう気がする。
(俺を急に襲ったあの躰全体が軋むような痛み。あれも痣が痛かったのだろうか。・・・影の痣は真っ赤になっていた。痣の痛みとあいつには関係があるのか)
考えても分からない。日向は首を左右に振って、ソファから立ち上がった。キッチンに立って、湯を沸かす。
(親父とお袋は元気かな・・・)
遠い空の向こう、海外に出張している両親のことを思う。かれこれ一年以上も会っていない。仕事が忙しいのだとは知っていても、たまには顔を見せろよなと日向は思う。
「・・・兄さん」
「影?」
影が眠そうな眼を擦りながらリビングに現れた。
「どうした、起こしちまったか」
「ううん、何か眼が覚めたの」
影の顔に昨日の凶悪な面影はない。
「兄さん、どうしたの?」
日向が自分をじっと見ていることに気付いたらしい。影が不思議そうな顔で見返してくる。
「いや、何でもない。ーもう朝飯食うか?」
「うん、兄さんが食べるなら」
その言葉に、日向はヤカンに伸ばしかけていた手を止めた。
「兄さん?」
兄の横顔が強張ったのを、弟が気付く。
「俺が食べないって言ったら、どんなに腹がへってても食わないんだな?」
「あ、え、」
「…俺を支点にするなよ、」
「あ、あの兄さん?」
「甘えるな!!」
いきなり怒鳴られ、影はヒッと肩を竦めた。日向は肩で息をする。
「少しは自分の意思を持てよ!!」
影はいきなり怒鳴られた真意を掴めず、日向の気迫にあてられてただ立ち尽くす。台所にいる兄のもとに行こうとして、足が酷く震えているのが分かる。
「兄…さん、いきなりどうしたの、僕何かし」
「うるさい!」
「…っ!」
「………悪い」
日向は自己嫌悪に顔を歪ませ、台所から逃げるように立ち去った。影は兄を追うことが出来ず、へなへなとその場にへたり込んだ。
兄が弟君を突き放すの回。突き放す方も放される方も互いに訳が分からない状態。弟君の“中”にいるやつの狙いはこれだったのかな?(作者のくせに他人事…)