第十一話:悲しい過去
「遊子様、まだ起きていらしたのですか」
芦原遊子は後ろからかかった声に、パソコンから眼を上げた。
「あぁ、佳那汰か」
「確か会議は昨日終わられたはず。新しいお仕事ですか?」
まだ起きていたのかと意外そうに言いつつ、佳那汰は盆にコーヒーの入ったマグカップを持っていた。それを遊子に差し出す。
「悪いね」
それを受け取り、遊子は美味そうに呑んだ。
「うん、相変わらずお前のコーヒーは美味いな」
「ありがとうございます、光栄です」
恭しく頭を垂れる青年を、遊子は苦笑して見つめる。
「お前こそ起きていたのか。明日も早いのだから、早くお休みよ」
「僕はまだ眠くありません。昨日は五時間寝ましたし、明後日まで不眠しても問題ありませんよ」
「お前がそういうふうだから、私はあの子犬にきゃんきゃん騒がれるのだよ。・・・まあ丁度良い手駒というか実験体が出来て好都合ではあるのだけど」
あの子犬とは玲治のことに他ならない。
「あれはどうぞお好きにお使いください、遊子様。あれは僕に喜ばれるなら何だってする。遊子様の喜びは僕の喜び。あれも理解しているでしょう」
「相変わらずの詭弁、見事だ」
遊子は満足そうに笑っていたが、不意に眉を寄せた。
「しかし、お前はそんなにあれが嫌いか?」
「・・・・え?」「あれは相当にお前を兄として慕っているぞ。自分が苦しかろうが痛かろうが、お前のためなら我慢を強いている。私から見れば病的だが。・・・対してお前はあれを見るだけで嫌悪に顔を歪ませている。お前にとってあれはどういう存在だ?」
佳那汰は不意の質問に、思わず声を詰まらせた。遊子の何もかもを見透かしてしまいそうな瞳がじっと自分に注がれているのが酷く落ち着かなくなってくる。
「遊子様、いきなりなんですか・・・」
「いや、ふと気になったものでね。答えを強制はしないよ」
コーヒーご馳走様、と微笑んでまたモニターを見ようとした遊子に、佳那汰は硬い口調で言った。
「・・・・・僕はあいつを憎んでいます」
遊子の顔が佳那汰に戻される。遊子の顔を真正面から見ることが何故か出来ず、佳那汰は自分の足元を見た。
「憎む?」
「あいつのせいで両親も祖父母も死んだ。・・・妹だって、あいつがいなければ死なずに済んだんです」
「どういうことか、聞いても良いのかな」
遊子はそう言ってしまったものの、佳那汰が今にも泣き出しそうな顔をしているのを見て、彼女らしくなく躊躇した。そして佳那汰も彼らしくなく感情を垂れ流しにしていた。
「・・・・・・・・明日も、私の同行よろしく頼むよ」
「はい・・・失礼します」
佳那汰は遊子に再び礼をして、彼女の部屋を辞した。遊子の視線を痛いほどに感じながら。




