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ナミダイロシンフォニー  作者: クロウ
第一楽章 ユキイロセレナーデ
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第05話 全身性犯罪者

 翌朝。目を覚ましてカーテンを開けると、庭は白一色に染まっていた。一昼夜降り続けた雪は分厚く降り積もっており、朝日を反射してキラキラと輝いている。


「よし」


 陽介は目を細めながら頷いた。一つ伸びをしてから一階のリビングに降りると、既にテーブルでは麗奈がお茶を飲み、キッチンでは幽香が朝食を作っていた。


「おはようございますお兄ちゃん。紅茶にしますか? コーヒーにしますか? それとも、ワ・タ・シ?」

「それは夜帰ってきた夫に言うやつだ。おはよう幽香」


 もし「ワタシ」を選択したら何が飲めるのだろうか。何かとんでもない液体が提供されることは間違いないだろう。


「朝からテンションが高いわね、あなたたちは」

「おはよう氷川。昨日は眠れたか?」

「ええ、ぐっすりね」


 湯気の上がるお茶を啜りながら答える麗奈だったが、陽介には顔色は優れないように見えた。昨日に増して血の気がない。ぐっすり眠れたようには見えないが……。


「なんでそんな嘘つくんですか?」


 そこにやってきたのは、朝食のプレートを持った幽香だ。嘘、ということはやはり眠れなかったということだろう。


「だって──」


 まさか何か悪いことでも起きたのか身構えた陽介だったが、


「あの後おすすめホラー映画を見たいなんて言い出して、バッチリ完走したじゃないですか」

「……まさか、アレを見たのか?」

「……私、一人っ子で良かったと心の底から思うわ」


 どうやら幽香と麗奈は、かつて陽介が撃沈した妹が幽霊になって出てくるホラー映画を見てしまったらしい。


「なんてことを……。氷川、お前二度と一人でトイレに行けなくなるぞ」

「あ、あなたほど深刻な被害はないわよ! でも……確かに、二、三日はちょっと……」

「『へえ、あの何事にも動じなさそうな陽介くんがそんなに怖がるなんてねえ。お風呂の仕返しに、弱みでも握ってやりましょうか』なんて言うもんですから、見せてやりましたよ。お兄ちゃん、私を褒めてください!」

「お前も僕の黒歴史をペラペラ話すな」


 幽香の頭を引っ掴んでグリグリと攻撃する。


「痛い痛い! なんで!? お兄ちゃんに寄り付く悪い虫を撃退しただけなのに! ……あ、ちょっと気持ちよくなってきました」

「ならもっと気持ちよくしてやろうか?」

「ああああああッ!! お兄ちゃんこれしゅごいいいいッ!!」

「……………………なに、これは」


 朝から騒がしい夏目兄妹を麗奈は白い目で見ていた。


「ツッコミ役がいないから毎日こうなるんだ」

「はぁ、はぁ、今日のお兄ちゃん、激しいです……」

「幽香ちゃんはちょっと病院に行った方がいいわ」

「なにを失礼な。こんなものは朝の挨拶と同じです。夜にはもっと激しいことも……」

「してないからな」

「お互いを求め合って深く体を……」

「交わさないからな」

「妹は攻めも受けもいけます」

「兄は攻めも受けもいかない」

「つれないですねぇ。妹のわがままに答えるのも兄の仕事だと思いませんか?」

「お前のわがままに答えていたら兄の体が足りない」

「……ふふっ」


 陽介と幽香のやり取りを見ていた麗奈が、思わず吹き出した。


「ふふっ、ふふふ……」

「初めて笑ったな、氷川」


 麗奈は、それを聞くとぽかんと目を見開いた。


「……私、笑ってる?」

「なに言ってるんですか? 今、思いっきり笑ってたじゃないですか」


 幽香の台詞に、呆然としながら麗奈は答えた。


「笑ったの、何ヶ月ぶりかしら……」


 麗奈は自らの記憶を遡ったが、事故以降自分が笑っていた記憶がない。つまり、約一年ぶりだ。


「私……笑い方、ちゃんと覚えていたのね」


 湯飲みを両手で抱えながら、麗奈は独りごちた。この兄弟に会ってから、わずかな時間で麗奈には変化が起きていた。


「さあ、朝飯を食べるとしよう。せっかく幽香が作ってくれたのに冷めてしまう」


 そう言ってようやく席に着く陽介。その隣に幽香が座り、皆で「いただきます」と挨拶をする。


「氷川さんは邪魔者だと思っていましたけど、席に座るときに合法的にお兄ちゃんの隣に座れるという点から見ると第三者の存在はなかなか有用ですね」

「そんなにお兄ちゃんが好きなら毎日隣に座ればいいじゃない」

「好きだなんて……そんな、兄妹なのによくないですよ、犯罪です……っ」


 麗奈の台詞を聞いた幽香は身悶えしている。


「全身性犯罪者みたいなあなたがよく言うわね」

「全身性犯罪者って! 仮にも女子高生である年頃の乙女に言っていい言葉じゃありませんよ!」


 陽介は言い合う二人を放っておき、黙々と朝食を口に運ぶ。幽香お手製のハムエッグトーストは、陽介のお気に入りだ。


「仮にも、なんて言っちゃうあたり、自分でも自信ないのね」

「っ、そりゃ私はお兄ちゃんのためならいくらだってはしたないことができますが──」

「するな」

「この通りお兄ちゃんは清楚な私をご所望なので、そのように振舞っているのです。決して全身性犯罪者ではありません」

「いくらだってはしたないことができる時点でもうアウトだと思うわよ」

「…………そうなんですかお兄ちゃん?」

「……」

「お兄ちゃん?」

「……」

「なんとか言ってくださいお兄ちゃん!」


 ハムエッグトーストの最後の欠片を口に運び、陽介は言った。


「ごちそうさまでした」

「お兄ちゃああああああああああんっ!? 私は間違っていたんですかお兄ちゃあああああああああんッ!?」


☆★☆


「氷川の身に何が起きているのかは、現状全く分からない」


 テーブルに向かい合う陽介と麗奈。

 ちなみに傷心の幽香はキッチンで「私ははしたない女……お兄ちゃんのタイプじゃない、はしたない女……」と念仏を唱えながら皿を洗っている。


「医者でも手が付けられない原因不明の難病、とりあえずここでは『心象病』と呼称することにする」


 心象病。おそらく心因性の病気で、かつての事故が麗奈の体になんらかの悪影響を及ぼしていると仮定しての名称である。


「心象病の治療……というか克服になるのか? その手がかりは、過去の事故しかない。と言う訳で」


 陽介は冬用の分厚い手袋とダウンジャケットをテーブルに並べた。


「雪遊びをする」

「は?」

「は? ではない。雪遊びをする」

「何が悲しくてこの歳になって雪遊びしなきゃいけないのよ」

「トラウマ克服には少しずつ慣れていくのが一番だと思ったんだ」


 とりあえずこれ着ろ、と防寒具を押し付ける。加えて低体温な麗奈にはカイロを大量に渡しておく。

 陽介は窓を開け放った。空は快晴だが、十二月の肌を刺すような冷気が体を駆け抜ける。庭一面に広がった新雪がキラキラと眩しく光った。

 持ってきたブーツを履いて一歩踏み出すと、ギュム、と心地いい感触がした。


「氷川も、ほら」


 そう言われて、しぶしぶといった様子で麗奈は庭に降り立ったのだが、


「きゃっ!?」


 雪が想像以上に深かったのか、麗奈は可愛らしい悲鳴とともに前方につんのめった。


「おわっ」


 その先には陽介がいた。陽介は見事に麗奈を抱きとめて、


「やべ」


 そのまま雪で緩んだ地面に足を滑らせて仰向けに倒れこんだ。

 ぼふっ、と気の抜けた音とともに雪に沈む二人。


「いってぇ……」

「ご、ごめんなさ──」


 したたかに打ち付けた後頭部をさすりながら陽介が目を開けると、目の前には──視界全体を占める、麗奈の顔が。


「…………」

「…………」


 沈黙。

 麗奈の長い白髪がヴェールとなって外界を遮り、二人だけの空間を生み出していた。まるで時が止まってしまったかのように二人は沈黙する。

 綺麗だ、と陽介は思った。

 純白の髪、一切くすみのない肌、長いまつ毛、大きな瞳、わずかに朱がさした頬、吸い込まれるような艶のある唇。西洋人形のように均整の取れた造型に、陽介は言葉を失った。


「……何か言いなさいよ」


 気まずさに耐えきれなくなったのか、先に口を開いたのは麗奈だった。


「……お前、お人形さんみたいだな」


 思ったことをそのまま口にした陽介に対して、麗奈は言葉の意味を噛みしめるようにパチパチと瞬きをして、


「~~~~~~っ!」


 数秒後ようやく意図を理解すると、ぼんっという効果音がしそうなほど頬を真っ赤に染めた。


「あ──────っ!?」


 そこに、修羅場(?)をさらに地獄にするような存在が現れた。


「お、お兄ちゃんが卑猥な雪女に襲われてるっ!?」


 夏目幽香である。


「待っててくださいねお兄ちゃん、悪い妖怪は私が退治しますからね」

「落ち着け」

「落ち着いていますよ。雪女の弱点は熱ですよね」


 幽香は沸騰したヤカンを取り出しゆらゆらと近づいてくる。鼻息が荒いし目が血走っているし、殺人鬼みたいな様相を呈していた。


「違うんだ幽香。これは雪遊びなんだ」

「随分と斬新な雪遊びですね!?」

「間違えた幽香。これは雪遊びをし始めようとしたところに起きた悲劇なんだ」

「いいから起き上がったらどうなんですか!? いつまでその体勢でいるつもりですか!? お湯ぶっかけますよ!?」


 そして、数分後。

 事の顛末を聞かされて幽香はようやく落ち着いた。


「まったくもう。少し目を離しただけでこれです」


 ぷんぷんと怒る妹。雪の上に正座させられる兄。威厳がなさすぎる。

 と、そこにさらに闖入者が。


「……朝から何してるの? SMごっこ?」


 となりの家の窓から顔を出したのは、お隣さんにして陽介の幼馴染。白坂寧々である。まだ猫耳フード付きのもこもこパジャマ姿で、眠そうに目をこすっている。


「違うんだ寧々。これは雪遊びなんだ」

「随分とイケナイ雪遊びだね」


 お隣さんとは柵一つでつながっており、軽く乗り越えることもできるので陽介らが子供の頃はよく庭に集まって遊んでいた。


「寧々もやるか? 雪遊び」

「ごめん、アタシにそういう趣味は……」


 とりあえず誤解を解かないと変人認定されてしまう。陽介は一体なぜこんな修羅場が生まれてしまったのかを説明した。


「なるほどねえ。それで、彼女が氷川麗奈さん?」

「は、はい」


 まじまじと麗奈を見つめる寧々。


「本当に真っ白な髪の毛……うわ、まつ毛長っ! 足長っ! 胸でかっ! モデルさんみたい!」

「あ、あの……」


 恥ずかしそうに身をよじる麗奈。誰とでもすぐ仲良くなれる性格の寧々は、いつも距離の詰め方が早い。


「ねえねえ、麗奈ちゃんって呼んでいい?」

「お、お好きなように……」

「わーい。にゃはは、随分と可愛い子を拾ったね? 陽ちゃん」

「か、かわ……」


 普段は冷静な麗奈が圧倒されているのは新鮮だ。さすがは学校一の人気者である。


「寧々ー! 休みの日だからっていつまでパジャマでいるつもりなのー!」


 隣の家から聞こえるのは寧々の母の声だ。夏目家とは違って白坂家にはちゃんと両親もいる。陽介と幽香もたまに料理をご馳走になるのだが、これがめちゃくちゃ美味い。


「今着替えるからー! んじゃ呼ばれたので戻ります! アデュー!」


 ビッと敬礼して去っていく寧々。嵐のような女の子だ。


「すごい子ね……」

「あのコミュニケーション能力はワールドクラスだと僕も思う」

「寧々さんはモテモテなんですよ。誰にでも笑顔で優しいから、童貞がほいほい釣れるんですね」

「そうなると僕もほいほい釣られちゃってることになるなあ」

「まずいですね。私が童貞奪っておきましょうか?」

「やめてくれ」

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