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ナミダイロシンフォニー  作者: クロウ
第二楽章 サクライロカノン
21/26

第07話 脳筋ゴリラと根暗メガネ

 しばらく歩き回ってようやく、陽介はユーカの姿を発見した。

 それは、とある空きホールのドアを開けた時だった。


「ぁ──」


 舞台の上に、煌びやかなドレス姿の少女が一人、佇んでいる。

 スポットライトに照らされて、幻想的にゆらゆらと揺れるその少女には、影がない。

 ふと、少女の手元がぼんやりと光り出した。ゆっくりと実体化したそれを、左肩と顎の間に挟んで構えた。

 実体化したのは、バイオリンだった。

 そしてゆっくりと弓をあてがおうとするが──


『ぁ、く……っ、』


 弓を近づけるごとに、手の震えが激しくなっていく。弦に触れるかどうかというところで、幽香は弓を取り落とした。音も無く床にぶつかった弓は、ふわりと解けて光となって消えていった。


『どう、して……っ』


 ユーカはバイオリンを強く握りしめた。


『どうしてッ!!』


 そして、バイオリンを地面に叩きつけようとして──


『うう……っ、ぅぅうぁ…………っ』


 自分で自分の手を握りしめて、止めた。


『どう、して……っ、私、頑張らなくちゃいけないのに──』

「──ユーカッ!」

『……っ?』


 思わず声を出してしまい、それに反応したユーカがバッと顔を上げた。


『お兄ちゃん……どうして、ここに』

「幽香に聞いた」

「そう、ですか」


 ぐいぐいと目元を拭ってから、ユーカはふわっと立ち上がった。


『見つかっちゃいましたね。あ、それより! 見てくださいよこのドレス! どうやらワタシ、イメージした服装や道具を扱えるみたいで──』

「ユーカ」

『……なんですか?』

「今の、どうしたんだ?」

『このドレスですか? いいでしょ、ウェディングドレスみたいで──』

「ユーカ」

『……』


 言葉を遮られて、ユーカは黙って俯いた。

 しばらく沈黙が続いたが、陽介はユーカが答えるのをじっと待った。

 やがて、ユーカはゆっくりと口を開いた。


『弾けないんです』


 ユーカは、再び弓を手元に実体化した。


『弾かないんじゃなくて、弾けない』


 訥々と語り始めたユーカ。陽介はそれを黙って聞き続ける。


『バイオリンを握って、演奏しようとすると手の震えが止まらなくなるんです。まるで極寒の地で演奏してるんじゃないかってくらい、激しく。何度も、何度も、何度も演奏に挑戦しました。でも、震えが止まることはなかった。それでも強引に演奏しようとすると、さっきみたいに弓を持つこともままならなくなるんです。『幽香』じゃなくて『ユーカ《ワタシ》』なら、と思ったんですが……ダメでしたね』


 あはは、と力なく笑うユーカ。陽介はそんな痛々しい姿を見ていられなかった。


『あは、は……あれ、ワタシ、なんで……』

「ユーカ……っ」


 ユーカの頬を光るものが伝っていく。それは地面に落ちるたびに弾けて消えていった。


「く、そ…………っ」


 陽介は歯を食いしばった。

 ──僕は、ユーカを抱きしめてやることも、涙を拭いてやることもできないのか。

 目の前で大切な妹が苦しんでいるのに。

 少女の心が悲鳴をあげているのに。

 どうすることも、できないのか。


『バイオリンは、もう弾けないみたいです。でも……お兄ちゃんがいれば……ワタシ、お兄ちゃんがいればそれでいいんです。お兄ちゃん……ずっと一緒にいてくれますよね……?』


 縋るような視線を向けてくるユーカ。陽介は「当たり前だ」と答えそうになって、思いとどまった。

 ──果たして、本当にそれでいいのか?

 ──ユーカの望むまま、ずっと一緒にいると答えてやればいいのか?

 陽介は迷っていた。

 何がユーカのためになるのか。今のユーカに必要なものは、なんなのか。


「とりあえず、帰ろう。話はそれからだ」

『……』


 分からない。

 陽介にはまだ、答えは分からない。


☆★☆


 それから、何日か過ぎた。

 幽香の体調は、依然として微妙なままだ。高熱という訳ではないが、寛解という訳でもない。いつも、どこか熱に浮かされたような状態でいる。まるで、内に秘めた膨大な衝動に抗うように、苦しみ続けている。おそらく精神の不安定さからくるもだ。治せるのはきっと、その原因となる陽介だけなのだろうが――

 それでも、麗奈は根気強く看病し続けていた。


「あなたに看病されるなんて、夏目幽香一生の屈辱ですよ」

「減らず口を叩いてる暇があったら早く治しなさい」

「これは作戦ですよ氷川さん。あなたが私につきっきりの間、ユーカがお兄ちゃんとイチャイチャするんです」

「へえ」

「あ、あれ? ダメージを受けないですね、おかしい……」

「だってそれ、私が幽香ちゃんをつきっきりで看病するって信じてくれてるってことでしょ? 別には私は、あなたを放り出して陽介君とイチャイチャしてもいいんだけど」

「ぐ……っ!」

「ありがとうね? 信じてくれて?」

「~~~~~~っ!」

「どうしたの幽香ちゃん、キレがないわよ?」

「く~っ! この女、体調が万全なら今にも絞め殺してやるのに!」

「あなた本当に絞め殺そうとしてくるからシャレになってないのよ……」


 起き上がろうとする幽香の額をぺしっと打ってベッドに叩きおとすと、


「風邪引きは寝てなさい。おかゆでも作ってくるから」

「なんで──」

「……?」


 部屋を出かけたところで掛けられた声に、麗奈は脚を止めた。


「なんで、そんなに優しいんですか。私はあなたがこんなに嫌いなのに」

「そんなの、決まってるじゃない」


 麗奈は笑った。

 少しばかりの恐怖を押し殺して、ついこの間取り戻したばかりの笑みを浮かべた。



「大切な、家族だから」



「────、」

「いや、まあ、まだ『家族になる予定の人』なんだけどね」


 麗奈は照れ笑いを浮かべ、もう一度ベッドの脇に戻ってしゃがみ込み、幽香に視線を合わせた。


「確かにあなたが私のことを嫌いなのは分かるし、しょうがないと思う。でもね、私はあなたのこと嫌いじゃないわよ。……だいたい、憎めないわよ。あなたたちのことを聞いてしまったら」

「……分からないです」


 幽香は駄々をこねる子供のように、首を振った。


「……ゆっくりでいいわ。私、頑張るから。あなたに認めてもらえるように」

「そんな日はこないです! 私の家族は、お兄ちゃんだけ──」

「私の両親は事故で死んだ。私を庇って、死んだ」

「ぇ……?」

「あなたたちと同じ。親がいない生活をしてきた。生きてる意味なんてないんだって思ってたし、ずっと孤独で寂しくて、自殺しようとも考えた。でも……彼が救ってくれた。生きたいって、思わせてくれた。寄りかかっていいんだって、教えてくれた」


 麗奈は幽香のさらさらとした髪を撫でた。


「ずるいわよね、あの男。あんなの、惚れちゃうに決まってるわ。おばかで、泣き虫で、ちょっとえっちで、平気でキザなセリフを言って、抱きしめてくれて、とっても温かくて、優しくて……切なくて、胸が苦しめられる。ずっと一緒にいたいって、思ってしまう」

「……それは、まあ、確かに、分かります、けど……」

「つまり何が言いたいかっていうと……これでも痛いほど分かってるつもりよ、家族の大切さは。……幽香ちゃん。いつかあなたとも本当の家族になりたいと、私は思ってる。今はそのことだけ、忘れないでね」

「……」


 幽香は困惑した。

 どれだけ突き放しても、氷川麗奈はまっすぐに向かってくる。絶対に諦めず、手を差し伸べてくる。

 それは、夏目陽介が麗奈に教えてくれた在り方だった。麗奈はそれを自分でも実践しているだけ──だが、幽香はそれを知る由もない。


「分かんない、です……」


 ゆっくりと、ゆっくりと、幽香の瞳は暗く、よどんでいく。濁って、深い闇の底に落ちていく。


「麗奈さん」

 部屋を出ようとしていた麗奈を再度、呼び止める。そして、いつもより少し低い声音で言った。



「ちゃんと、元の場所に戻しておいてくださいね?」



「……っ!」


 麗奈はぴたりと動きを止めた。

 背を向けているため表情を読み取ることはできない。


「なんのことか、分からないけど……頭の片隅に置いておくわ」


 麗奈はそのまま部屋を出ていった。


「……まあ、いいです」


 幽香は妖しく微笑む。


「隠す気なら……力づくで奪い返すだけ、ですから♡」


☆★☆


 冬休みも終わりが近づき、陽介と麗奈は藤が丘高校に来ていた。任されたまま終わっていなかった生徒会の仕事を片付けること、麗奈の学校復帰、幽香の体調不良の件を先生に伝えること。ユーカの件の解決以外にも、問題は山積みになっている。


「一人で大丈夫か?」

「あのね、私だって高校生なんだから」


 職員室に向かう麗奈と、生徒会室に向かう陽介は玄関で別れることになる。


「でも、ありがとう。私は大丈夫よ。今は他のことに目を向けてあげて」

「できる彼女を持って僕は幸せだ」

「もう、口だけは達者なんだから。先生との話が終わったら、私も生徒会室に手伝いに行くからね」


 それじゃあ、と手を振って職員室に向かう麗奈。


「んー、付き合うっていいなあ」

「そういうのは私がいなくなってから言いなさいよ! 恥ずかしいから!」


 ちょっと進んだところでバッと振り返った麗奈が顔を赤くしている。


「友達に自慢しまくろうな」

「やめて!!」


 なかなか前に進めない麗奈が面白くて、陽介はついついからかってしまう。

 ようやく姿が見えなくなって、陽介も生徒会室に向かった。

 任されているのは三年生の卒業式のための準備資料作りだ。卒業式までは時間があるが、この間に入試などで学校全体が忙しくなるため、早いうちから準備に取り掛かるのだ。そして卒業式の準備は、二年生である陽介たちの仕事だ。

 成り行きで生徒会に入った陽介だが、任された仕事はこなさなければならない。


「ん? 誰かいるのか?」


 陽介が生徒会室のドアに手をかけたところで、中から談笑する声が聞こえてきた。

 冬休みにも関わらず仕事をこなすとは、そんな真面目な役員が自分の他にいただろうか──と陽介は思案しつつ、ドアを開けた。


「あら、陽介ちゃんじゃないですかー」

「げ」


 という、異なる二つの反応。


「お久しぶりですねー。元気にしてましたかー?」


 一人目は、ほわわんとしたイメージの女の子。糸目でいつも眠そうで、髪はおさげにしていて落ち着いた印象がある。非常にポンコツでドジなのだが、これでも生徒会長だ。信任を集めたのはその暴力的に大きい胸のお陰では──と、陽介は失礼なことを考えている。

藤が丘高校三年二組、生徒会長。霧島梨沙。

 おっとり巨乳ポンコツ生徒会長である。


「なんでお前は俺の行く先々に現れるんだ?」

「こっちが聞きたいわ」


 二人目は、見るからに運動部という感じの坊主頭。髪型が示す通りの野球部で、陽介の腐れ縁だ。運動神経抜群で面白キャラ。もちろんクラスの人気者であり、陽介からすれば、腹の立つやかましい猿。恋愛対象に見られることが少なくて、白球が彼女。

 藤が丘高校二年一組、生徒会副会長。長谷川凛太朗。

 野球バカ脳筋ゴリラである。


「何してるんですか、あなたたちは」

「私は指定校推薦で大学が決まって暇だったのでー」

「……」

「家の暖房が壊れたから避難してきた」

「……」


 陽介は、真面目に仕事をしに来たのがバカらしくなってきた。


「帰っていいか?」

「だめですよー。ほらほら、お菓子ありますからー」

「そうだぞ。サボるなよ陽介」

「野球部でほとんど生徒会に顔出さないお前に言われたくない」


 本来はこの卒業式の準備資料作りも副会長である凛太朗の仕事なのだが、「パソコンは俺が触ると壊れる」などという脳筋ゴリラ発言をかまして、めでたく陽介の仕事となった。

 陽介は静かにパソコンを開いた。

 黙々と作業を進めていく。


「暇ですねー凛太朗ちゃん」

「そっすねぇ」

「しりとりでもしましょうかー」

「いいですね、俺は強いですよしりとり」

「じゃあ私からー。りんごー」

「ゴリラ」

「……なんでしりとりって最初『りんご』『ゴリラ』から始まるんでしょうねー」

「そーいえば不思議っすね。別にそんな決まりはないのに」

「帰っていいか?」


 陽介は静かにキレた。


「だめですよー。ほらほら、飴ちゃんあげますからー」

「働けよ帰宅部」

「お前マジでいっぺんぶん殴った方がいいな?」


 遊びに来てるだけのポンコツとゴリラのせいで仕事が進まない。

 菩薩のように優しいと名高い陽介も、これには怒った。

 なので、仕返しをすることにした。


「いいさ。あと少しすれば僕の可愛い彼女が手伝いに来てくれるからね」

「あ!?!?!?!?!?」

「うるさいな」

「今、何つった……?」

「だから、この冬休みで出来た僕の可愛いガールフレンドが」

「あ!?!?!?!?!?!?!?!?」

「文字数が多いんだよお前は」

「わー。根暗帰宅部便利メガネと言われていた陽介ちゃんにも春が来たんですねー。私感動ですー」

「会長も通り魔的に人を刺すのはやめてください」

「おそろしく早い手刀。俺でなきゃ見逃しちゃうね」

「凛太朗も立て続けにボケるな」


 ツッコミが間に合わない。


「というかなんだ根暗帰宅部便利メガネって」


 陰でそんなことを言われていたのかと悲しくなったが、『便利』あたりにちょっとだけ良心を感じるので、朴念仁根暗帰宅部もやしクソメガネよりはいいなと陽介は思った。

 ということで、暇人二人を相手していると一生仕事が終わらないと分かった陽介は、今度こそ集中して仕事を始めた。


「なあ」

「……なんだよ」


 だが、じっとしているのが何より苦手は凛太朗はすぐに話しかけてくる。


「彼女って、寧々だよな?」

「違うよ」

「は!? 違うのか!? そうか、ふーん……」

「なんだよその態度は」

「なんでもないよ」


 答えのいらない告白された、ということは伏せておくことにした。


「凛太朗ちゃんはモテそうでモテないですよねー」

「いいんすよ甲子園出るまでは!」

「甲子園出場決まったら、誰かに告白するんですかー?」

「いや、それは……」


 なんとも甘酸っぱい青春が繰り広げられているが、資料作りしてる人の目の前でやるのはウザいのでやめてほしい、と陽介は思った。


『んー、ここかしら……?』


 そんな会話をしていると、部屋の外から声が聞こえてくる。軽いノックのあと、恐る恐るドアが開いた。


「失礼します……あ、あってた。よかった」


 ててて、と陽介に駆け寄るのは、氷川麗奈。陽介の彼女であり、将来を約束しあった仲の少女。将来はきっといい奥様。


「えと……そちらのお嬢さんは、まさか」


 ぽかんと口を開けた凛太朗に、陽介は説明する。


「ああ、こいつは氷川麗奈。お察しの通りだ」

「こちらは、生徒会の方々?」

「そうだよ」


 きょとんとしている麗奈に説明してやると、納得した様子でふんわりと笑った。


「初めまして。藤が丘高校二年一組、氷川麗奈です」

「え!?」

「あらー」


 驚きに染まった表情の凛太朗は、口をパクパクさせながらまじまじと麗奈を見つめた。


「こ、こんな美少女、うちのクラスにいたか……?」

「ずっと休学してた生徒がいただろ。あれが、麗奈だ」

「わー、もう下呼びなんですねー」


 麗奈の登場に、にわかに沸き立つ生徒会室。


「え、えと……」


 困惑気味の麗奈を無視して、男どもは熱を上げる。


「お前どこで知り合ったんだよ! なんで付き合うことになったんだよ!」

「話すとラノベ一冊分くらいかかる事情があるんだよ」

「なんでそんな具体的なんだ」

「こちらは?」


 麗奈の問いかけに答えて、陽介が二人を紹介する。


「こっちが霧島梨沙。ポンコツなのに頭はいい生徒会長だ」

「よろしくー」

「んでこっちが長谷川凛太朗。脳筋ゴリラだ」

「誰が脳筋ゴリラだ」

「よろしくお願いします」


 律儀に頭をさげる麗奈。怒り始めた凛太朗をよそに、陽介は麗奈に手伝ってもらいつつ仕事を再開した。

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