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ナミダイロシンフォニー  作者: クロウ
第二楽章 サクライロカノン
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第06話 天才の帰還を待つ者

 帰宅した寧々はクッションに顔を埋めて悶えていた。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……」

「ちょっとうるさいわよ寧々」


 キッチンで料理をしている小百合が、娘の奇声を咎めた。


「なんで、あんなこと言っちゃったんだろうアタシ…………」


 寧々は耳まで真っ赤にしてソファの上でぐねぐねしていた。今になって、今日の自分の言動が恥ずかしくなってきたのだ。


「もう。何があったの?」

「お母さん……っ」


 タオルで手を拭きながら呆れ気味で様子を見に来た小百合に、寧々は勢いよく抱きついた。


「おがあざん~~~~っ!!」

「ひゃあ! ちょっと、それじゃあ何があったか分からないでしょ。ちゃんと言葉で教えて?」

「…………陽ちゃんに告白した」

「あら!」

「言うつもりなかったのに、なんか、勢いで、言っちゃった……」

「あらあら!」

「なんでそんなに楽しそうなのお母さん!」

「だってぇ、あなた何年片思いするつもりなの? って、ずっと思ってたから」


 満面の笑みで寧々の頭を撫でる小百合。何がそんなに面白いのか、寧々には理解できない。


「それでそれで! 返事は?」

「いらないって言った」

「へ? どうして?」

「陽ちゃん、麗奈と付き合ってるから……」

「……この前、うちに遊びに来た子よね?」

「うん」

「あちゃー……ちょっとライバルにしては、強力すぎるわね」


 美人で儚げな少女を思い出して、小百合は苦笑いしながら寧々を撫でた。


「答えが分かってて、告白したの?」

「だって!」


 泣きそうな顔、というよりもう泣き出した寧々に「ごめんごめん」と謝りながら、小百合は愛しい娘を抱きしめた。


「ずっと好きだったんだもんね」

「……っ!」


 小百合の一言に、寧々はビクッと跳ねた。


「他の子と付き合うってなったら、居ても立っても居られなくなっちゃったのよね」

「ぅえぇ……っ」


 じわり、と涙が溢れ出す。


「うええぇ、えええええぇ……、びえええええええええええええええええええええええっ!」


 九年半。

 陽介を想い続けて、それだけの時間が過ぎた。

 何度も告白しようとした。でも、できなかった。

 怖かったのだ。

 これまでの関係性が壊れるかもしれない。今まで通りの二人ではいられないかもしれない。だからこそオシャレをしてみたり、回りくどい方法ばかり試してきた。

 結果は、ご覧の有様だ。

 気持ちばかり募っていき、時間が経過するほど思いを告げるのは難しくなっていく。そんなこと、分かっていたはずなのに。

 気が付けば手遅れになっていて。

 どうにもならなくて──


「諦めちゃダメよ、寧々」

「うぅ……ひぐ……っ」


 小百合の一言に、寧々は顔を上げた。


「まだ何もかも終わったわけじゃないでしょ? なら、奪い返してやりなさいな」

「で、でも、麗奈は友達だし……」

「何を言ってるの! 大切な友人も時にライバルになる。それが、女って生き物でしょ?」

「お母さん……」

「白坂家の娘でしょ? しゃきっとしなさいな」

「うん……」

「頑張れ、寧々」


 優しく微笑みながら、小百合は寧々の髪を撫でた。


「……ありがとう、お母さん」


 寧々はぎゅうう、と小百合に抱きついた。


「うん。負けるな、女の子」


 そうだ。まだ終わっていない。

 ──麗奈には悪いけど、私だってずっと陽ちゃんのことが好きだったんだ。

 だから、戦う。

 負けない。

 絶対に──


「でも、元はと言えばチキンなあなたが悪いのよ? せっかく陽介君、九年半も待ってくれてたのに。さっさと押し倒してちょっと胸でも触らせれば、男なんて一発で」

「~~~~~~~~! ばか!」


☆★☆


「ただいま」


 陽介が帰るとすぐに、麗奈が慌ただしく二階から降りてきた。


「ど、どうした」

「……幽香ちゃんのこと、なんだけど……」


 麗奈は恐る恐る一枚の写真を差し出した。


「これは……僕?」


 そこに写るのは、家を飛び出していく陽介の後ろ姿だった。


「? なんだ、これ……?」


 陽介は写真を受け取り、裏返した。そこには、びっしりと単語が書き連ねられていた。

 ──『お兄ちゃん』、と。


「……っ?」

「同じような写真が、あと百枚くらいあった。幽香ちゃんの、部屋に……」


 麗奈が不安そうに陽介を見上げる。だが今の陽介には、そんな麗奈を抱きしめて安心させてやることしかできない。


「確かに幽香はもともと精神が不安定な女の子だったが……ここまでとは」

「……私が来たから、よね」


 麗奈は、陽介の腕の中で嗚咽を漏らした。


「いきなり私が、現れたから……」

「じゃあ、麗奈は僕に救われたことを後悔しているか?」

「そんなことない!」


 麗奈は慌てて否定した。あの手の温もりは、大切な麗奈の思い出だ。間違っても後悔なんてしない。


「そっか。よかった」


 もう一度ぎゅっと麗奈を抱きしめる。


「僕がなんとかする」


 陽介は、麗奈に「自分のせいだ」と言わせてしまったのが悔しくてならなかった。

 もっとはやく「君のせいじゃない」と、一言声をかけてやることができれば、麗奈だってこんなに思い詰めずに済んだはずなのに。


「絶対になんとかしてみせる。だから、安心して待っていてくれ」

「……うん」


 目の端に浮かべた涙を拭って、麗奈は笑顔を取り戻した。


「幽香は今どうしてる?」

「体調が悪いって、部屋で寝てるみたいだけど……」

「ありがとう」


 陽介は幽香の部屋に向かう。

 幽香と、ユーカ。

 突然現れた、陽介と麗奈以外には見えない謎の存在。これもまた心象病の一つなのか。

 なぜ現れたのか、原因は未だに分からない。分からないが、原因が感情にあるとすればこの写真は何らかのヒントになるだろう。

 夏目幽香は不安定な少女だ。だが、出会った瞬間から不安定で歪んでいた訳ではない。

 きっかけは──そう。あの出来事があってからだ。

 母親との決別。バイオリンを置いたあの日。

 幽香は歪んでしまった。今までの生活は、その歪みを見ないふりして続いていたに過ぎなかった。

 だから、今。

 夏目陽介は、夏目幽香の歪みに向き合わなければならない。


「幽香、起きてるか?」


 陽介は軽くノックしてみる。するとすぐに「はーい」という返事が聞こえてきた。


「大丈夫か?」

「ちょっとくらくらするだけですよ」


 幽香は布団からひょこっと顔を出してえへへと笑った。

 陽介は幽香の額に手を当てる。「んっ」と眼を細める幽香。


「お兄ちゃんの手、冷たいです」

「外から戻ってきたばっかりだからな。うーん、若干熱もあるか?」


 気持ちよさそうにしている幽香の髪を撫でながら、陽介は考える。

 きっとこの体調不良は、偶然ではない。偶然にしてはタイミングが良すぎる──いや、悪すぎると言った方が適切か。

 ユーカの登場と何か関わりがある。ならば、それを解決しなくてはならない──。


「そういえば、ユーカはどこに行ったんだ?」


 先に帰ってきているはずのユーカがいない。それを聞いた幽香は目を閉じて、


「ああ、ええと……八重樫コンサートホールにいるみたいです」

「離れていても場所が分かるのか」


 どうやら幽香はユーカと目には見えないつながりがあるらしく、どこにいるのかは常に分かるようだ。


「でも、なんでそんなところに……?」


 八重樫コンサートホールといえば、幽香もかつて演奏した中規模の会場だ。夏目家から徒歩で行ける場所ということで、昔は足繁く通ったものだが……。


「行ってみるしかないか」


 陽介は一階に降り、麗奈に「幽香の看病を頼む」と伝えて、再び家を出た。


☆★☆


 陽介はコンサートホールを歩き回り、ユーカの姿を探した。


「詳しい場所も聞いておくんだったな……」


 コンサートホール自体はさほど広くはないが、一人で幽霊少女を探そうと思うと時間がかかる。

 電話して聞いてみるか、とポケットに手を突っ込んだ時だった。


「あれ……? お前は……」


 前から歩いてくる少年が、陽介の姿を見て足を止めた。

 バイオリンのケースを背負い、スーツに身を包んで髪をオールバックに固めた少年。

 陽介はその少年の名前を知っていた。


「もしかして……なにがし君?」

「八重樫だ! 八重樫健太!」


 八重樫健太。かつて、夏目幽香としのぎを削ったライバル。『八重樫コンサートホール』の名の通り、このホールは八重樫家が所有するものだ。つまり健太はおぼっちゃま。金持ちのボンボンで、金持ちらしく高級なバイオリンを自慢してくる嫌味な少年……というのが、陽介の印象だ。

 そしてどうやら、健太は今も変わらずにバイオリンを続けているようで。


「お前……夏目幽香の兄貴だよな? こんなところでなにやってるんだ?」

「幽霊探しだ」

「あ? 頭おかしくなったか?」


 詳しく事情を説明すると長くなってしまうし、理解してもらえる気もしなかったので陽介はそれ以上のことを言わなかった。


「なあ、聞かせてくれないか」


 横を通り抜けようとした陽介を呼び止めて、健太は腕を組んで、陽介をまっすぐに見つめた。


「なんで、夏目幽香は舞台から姿を消したんだ」

「それは……」

「俺はずっと待ってるんだ。あいつが戻ってくるのを。全日本ジュニアで金賞を掻っ攫っていった時のあいつのすまし顔が、俺は忘れられない」


 静かに闘志を燃やす少年の瞳に、陽介はなんと声をかければいいのか迷った。


「幽香は……弾かなくなったんだ」

「……弾かなくなった?」


 細かい事情は省きつつ、陽介は、幽香はもうバイオリンを演奏する気がないということを教えた。


「そうか……やはり、そうだったのか」


 思案顔で俯く健太に、陽介は引っ掛かりを覚えた。


「やはり? 何か思い当たることがあるのか?」

「ある、といえばある。それが直接的な原因かは分からないが……」


 バイオリンケースを肩から下ろして、健太は壁にもたれかかった。


「夏目幽香の演奏は……とても楽しそう、だった」

「だった?」


 ということは、今の幽香の演奏は楽しそうではない、ということか。


「そう。あいつの演奏は変わった。舞台から姿を消す直前の演奏なんて酷いもんだった。心ここにあらずだ。どっか別のもんに気を取られながら演奏してるもんだから、ミスも多い」

「そう、だったのか……」

「確かに外面の技量は上がってた。でも、不安定な精神のまま完璧な演奏ができるほど、楽器は優しくない」


 演奏に込められた感情の機微を理解できるほど、陽介は才能がなかった。

 だが健太の言うことは、すんなりと受け入れることができた。それはきっと、あの辛い練習の中で涙を流す幽香の姿を見てきたからだ。


「音楽家ってのは、些細な出来事でぱたりと演奏しなくなっちまうもんなんだよ。夏目幽香だってきっとそうだ。だって──」


 健太は、どこか憧れるように遠くを見つめながら言う。


「あんなに楽しそうに演奏をするやつが、バイオリンを諦められる訳がねえ」

「……ありがとう」

「ありがとう? なんでそうなるんだよ」

「君が幽香のことをちゃんと見ていてくれたから」

「ばっ、おま、違うよ! あいつはいつだって俺の一個上の賞を持って行きやがるんだ! 意識するなってのが無理な話だ!」


 なぜか顔を赤くしてブンブンと手を振り回す健太。


「……あいつと、もう一度競い合いたい。全力で勝負したい。ずっと、ずっとそのために俺は、練習を続けてきたんだ」


 健太は拳を握り締め、それを陽介に向けた。


「だからッ! 絶対に連れ戻せよ! あの天才を舞台に上げろ! あの女は、このまま終わっていい女じゃない! それは……お前が一番分かってるんじゃないのか」

「……ああ」


 陽介は頷いた。

 きっと、再び幽香がバイオリンを握る日が来る。こうして、待ってくれている人がいるのだから。


「……俺に手伝えることがあったら言ってくれ。またな」


 そう言って健太は陽介に連絡先を伝えた。そしてバイオリンを背負い直し、再び歩き始める。


「……よし」


 陽介も健太に別れを告げ、再びユーカを探し始めた。


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