第05話 おそうじおそうじたのしいな
「おい」
『……』
背後から声をかけると、『それ』は動きを止めた。
『見つかってしまいましたか』
ユーカはえへへと笑いながら振り返った。
「というか、お前本体から離れて行動できたのかよ」
『有効範囲の広いスタンドなので』
特徴的な効果音が出そうなポーズを取るユーカ。
「……まあ、いい。なんでここにいるんだ?」
『監視ですよ。寧々さんとイチャイチャしないか、ワタシが直々に目を光らせているのです』
ユーカは、ふわふわと陽介の周りを旋回しながら問い詰めていく。
『何を話していたか知りませんが、なんですかあの雰囲気は? 二人だけの空間ですか? 鼻の下を伸ばしちゃって? 可愛い幼馴染とらぶらぶデートですか? ワタシという存在がありながら? 「あーん」されてる時、思いっきり胸見てましたよね? バレバレですよ? あと寧々さんも気づいてましたよ?』
照明がカタカタと揺れ始めた。
地震──ではない。おそらくこれは、幽香が引き起こしている現象なのだ。
「落ち着け、ユーカ」
『そんなに女の子とイチャイチャしたいならワタシに言ってくれればいいのに。いくらでも「あーん」してあげますよ。胸もチラ見せしますよ』
「魅力的な相談だが、ユーカはスプーン持てないだろ」
『あ』
ユーカは、自分が幽霊であることを失念していたらしい。お茶目である。
『じゃ、じゃあ代わりに本体が! ……でもそうするとワタシが「あーん」できない……』
「本体に戻ることはできないのか?」
ユーカが幽香から生まれた存在ならば、元に戻ることもできそうなものだが──と陽介は考えたが、ユーカは首を横に振った。
『本体に戻ることだけができないんです。他の人ならば憑依できるのに』
「憑依」
『体を乗っ取れます』
怖い。
『麗奈さんを使って試しました』
「僕の彼女を実験台に使うな」
『手頃なヒューマンがいたので、つい』
怖い。
「と、とにかく。家でじっとしていてくれ。まだ何が起きてるのか分かってないんだ」
『む。仕方ないですね……』
ユーカは渋々といった様子で壁をすり抜けて自宅へと戻っていった。ひとまずは安心か。
陽介も寧々の元へと戻る。そこには、若干不機嫌な寧々がスプーンを加えて待っていた。
「遅い」
「いやあ、今世紀最大のふんばりだった」
「トイレ事情なんて聞いてないから!」
☆★☆
陽介が寧々とカフェに向かった頃。夏目宅では、麗奈が部屋の掃除をしていた。
今の自分にできることは少ない。そう思っての行動だった。
髪をポニーテールにまとめ上げて、バンダナを巻き、エプロンとマスクで完全装備だ。
兄妹二人で暮らしている夏目家は、掃除が行き届いていない箇所が少なからずあった。そういう家事を行うはずの母親が、この家にはいないのだから。
幽香は一階のソファで昼寝をしている。いろいろなことがあって疲れているのだろうか、掃除機の音が鳴る中でもスヤスヤと寝息を立てていた。
「……よし」
一階を一通り掃除し終えて、二階へ向かう麗奈。
まずは幽香の部屋だ。
女の子らしく、比較的整理整頓はされているが、棚の上や家具の隙間などには埃がたまっている。
麗奈は掃除用具一式を持って部屋に乗り込んだ。
「相変わらず、すごい趣味ね……」
棚に並ぶホラー映画のDVDに、麗奈は顔を引きつらせた。
漫画が多少置いてあるだけの陽介の部屋に比べると、幽香の部屋は非常にものが多く、多趣味な少女であることがうかがえた。
ホラー映画、少女漫画、小説にCDにバイオリン。
ただ、そのどれもが中途半端に見えるのが麗奈には気になった。
ホラー映画はさすがのラインナップだったが、少女漫画などは抜け巻があるし、小説はしおりが挟まったままのものが本棚に差し込まれている。CDは、クラシックからアニソンまで幅広く集めているようだが、逆に言えばどのジャンルもそれまで深入りはしていないようだ。
ただ一つ。バイオリンだけは、違った。
ケースは角が擦り切れているし、ファスナーについている何かのキャラクターのストラップは薄汚れてボロボロだ。
「ん? あれ? これ……」
スルーしかけた麗奈は再び視線をストラップに戻した。
「これ! シュレディンガー君じゃない!」
もはや原型をとどめていない憎たらしい猫のストラップを見て、麗奈はにわかにテンションを上げた。
「あ!? これもしかして、幻の招き猫シュレディンガー君初期生産モデル……?」
塗装が剥げていてよく分からないが、シュレディンガーコレクター氷川の目をごまかすことはできなかった。
招き猫シュレディンガー君初期生産モデルとは、現在では生産中止されてしまったコレクター垂涎のアイテムである。
要は招き猫のポーズを取っているシュレディンガー君なのだが、「シュレディンガーの猫が福を招くというのは不適切なのではないか」という批判にあい、販売が中止されてしまったのである。
なので、市場に出回っているのは、ものすごく少数のはずなのだが……。
「はっ!」
そこで麗奈は我に返った。
「いけない……」
脱線しかけた麗奈はシュレディンガー君に吸い寄せられる視線を強引に切った。
「よし! 始めましょう」
まずは掃除機をかける。他人の部屋なので、物を動かさないように注意しつつ。
「~♪」
掃除というのは意外に楽しい。どうやら麗奈は掃除が性に合っているようで、上機嫌で鼻歌を歌いながら掃除機をせこせこ往復させていた。
「ん?」
ふと。
麗奈はあるものに目が留まった。
「そういえば、このコルクボード……」
それは、幾つかの写真が貼られたコルクボードだ。以前麗奈が初めてこの部屋を訪れたときに、
『そのコルクボード、外れやすいのであんまり触らないでください』
そう言って、幽香に念を押された。
紐で吊るされているだけのコルクボードは、外れやすいといえば外れやすいような気もするが……。
「一体、何が……?」
確かに写真は大切な思い出なのだろうが、そんなに過度に反応するほどなのだろうか?
いささかの違和感にかられた麗奈は、好奇心でそのコルクボードに手を伸ばした。
そこで、気がつく。
コルクボードと壁の間に、何か挟まっている。
「これ、裏にも何か貼ってあるのかしら……?」
気になった麗奈は、コルクボードをひっくり返した。
そして、見た。
見てしまった。
「なに、これ……?」
そこにあったのは、写真。
膨大な数の。
写真。
写真。
写真、写真、写真、写真。
写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真しゃしんシャシン、写真。
「嘘、これ、全部──」
その被写体は、たった一人。
「陽介君の、写真……?」
コルクボードの一面に、何重にも貼り重ねられた写真。
その全てに、夏目陽介の姿が写されていた。
病的なまでに一人の少年の姿を追いかけている。
気味が悪い。
麗奈は頭がおかしくなりそうだった。
いくら好きな少年の写真でも、ここまで大量に、執拗に並べられると寒気がした。
そんな光景に、麗奈は思わず目を背けそうになったが──しかし。
「幽香ちゃん……」
これが幽香の抱える『歪み』だとするならば、今幽香の身に起きている現象を解決するきっかけが隠されているかも知れない。
「すぅ……はぁ……」
麗奈は一度深呼吸して、剥がれかけていた何枚かの写真を手に取った。
それらの裏面には、幽香の手書きと思われる小さな文字で、びっしりと何か書かれていた。
☆★☆
☆★☆
☆★☆
☆★☆
「ひっ……」
麗奈は尻餅をついて倒れこんだ。兄の姿に恋心以上の何かを感じている様子が綴られた一枚目、次第に文章が支離滅裂になっていく二枚目、そして──
「これって、私がいなくなった日、よね」
十二月三一日。麗奈の失踪に気が付き、陽介が家を飛び出した日。その写真には、家から飛び出した陽介の背中が写されていた。
麗奈に当時のことは分からなかったが、妹の気持ちを無視して家を出たのだということは察せられた。
「これ、じゃあ……」
そして、幽香がおかしくなったのはおそらく──いや、ほぼ間違いなく麗奈との交際が原因だ。
「私が……」
ならば。
幽香の身に起きている異変は、全て。
「私が、原因じゃない……っ」
自分勝手にこの家を飛び出した麗奈を、陽介が追いかけてしまったから。
幽香の心の支えであった兄を、麗奈が横から奪ったから。
だから、幽香は──
「っ!」
その時。
とん、とん──と。
階段を上る音が聞こえた。
「────っ!?」
麗奈は慌てて写真を元の場所に戻す。きっとこれは誰かに見られることを想定したものではない。幽香にこのことを知られたら、今まで以上に状況が悪くなる可能性もある。
──間に合って……っ!
紙一重のタイミングだった。
ドアを開けられる数瞬前、麗奈はコルクボードの向きを元に戻した。しかし──
「私の部屋で何をしているんですか、氷川さん?」
「み、見れば分かるでしょ。掃除よ、掃除」
──だめだ、一枚間に合わなかった……!
麗奈は写真を後ろ手に隠した。十二月三一日の写真だけ、元の場所に戻すのが間に合わなかった。
しかし麗奈は、動揺しないように何食わぬ顔でごまかす。
「掃除くらい自分でやりますよ」
「そ、そう?」
「何も──」
突然幽香はぐい、と麗奈に顔を寄せた。
「いじってないですよね?」
「も、もちろん。幽香ちゃんのお部屋だもの」
「そうですか。ならまあ、いいですけど。私はちょっと体調が悪いのでしばらく寝ます。掃除するなら他の部屋を」
「わ、分かったわ。それじゃ……」
麗奈は道具を持って早々に部屋を出た。これ以上あの部屋にいたら、気がおかしくなりそうだった。
震える腕を抑えながら、麗奈はつぶやく。
「陽介君、はやく帰ってきて……!」
麗奈にはもう、救世主の帰還を待つことしかできなかった。
☆★☆
あは。
ははは。
「いちまい、たりないなあ?」




