第04話 気まぐれ小悪魔の意地悪な問いかけ
「~♪」
「……」
上機嫌な寧々を連れて、陽介は駅前に向かう。
住宅地を抜けると、次第に人数が増えていく。繁華街にたどり着くと、年始ということもあってかなりの賑わいを見せていた。
「そんなに美味いのか、あそこのパフェは」
陽介は、寧々に連れられて何度かここに来ていたが、値段の張るパフェを食べたことはなかった。
「普通のパフェだよ」
「あんなに高いのに!?」
「まあ、女の子には甘いものを与えておけばなんとかなるみたいなところあるからね」
「ちょろいな」
「猫と一緒の空間にいればなんでも美味しいみたいなところもあるよね」
「猫カフェにとってかつてこれほどまでにちょろい客がいたか?」
もう自分で猫飼えばいいんじゃないか……と思うのだが、彼女の家は母親が猫アレルギーらしく、それもできないのだ。
だからこそ、猫カフェに癒しを求めに来るのかもしれないが。
何はともあれ、あの時の協力を取り付けるための対価は支払わなくてはならない。陽介と寧々は、雑居ビルの二階にテナントを構えた猫カフェ「ドリームキャッツ」に足を踏み入れた。
☆★☆
「んん~~~~~~可愛い可愛い可愛い! 会いたかったぞぉナツぅうう」
長毛種のナツという猫に頬ずりを繰り返す寧々。ナツは嫌そうな顔もせずにされるがままになっている。さすがドリームキャッツのエースといったところか。
「んん? レン君はそろそろアタシの顔も覚えてくれたかにゃぁ?」
レンはアメリカンショートヘアのオスだ。普段は寝てばかりいるのだが、ナツがふらふらーっとどこかへ行くとレンがその後ろにぴったりと張り付いて歩く。レンはナツと仲がいいのだろうか。
レンは、ナツをもみくちゃにする寧々の膝に滑り込むと、ぐるりと丸まって睡眠の体勢に入った。
「大人気だな寧々」
「そりゃアタシは猫ちゃんの気持ちが分かるからね!」
寧々はナツを抱きかかえて、顎の下をうりうりと撫でてやりながら自信満々に言った。都合四匹ほどに包囲された寧々は幸せそうに相貌を崩している。
対する陽介のところには一匹も猫が近寄らない。
他の客の所だと、少なくとも一匹か二匹くらいは愛想を振りまきにくる猫がいるのだが、陽介の周りにはぽっかりとデッドスペースが生まれている。
「僕が何をしたというんだ」
「ダメだよちゃんと猫の気持ちを理解してあげなきゃ」
「ここにいる人間は全員その異能力を持ってるのか?」
「バカなこと言ってないで、ほらこれ」
そこに取り出したるは伝家の宝刀『ねこじゃらし』である。
その刀の前には、どんな猫も屈服し、腰を振って必死に手を伸ばしたという伝説を持つ由緒正しき一振りだ。
「これで本当に……?」
しかし陽介はまだ半信半疑だった。こんなおもちゃ一つで何が変わるというのか──
その時。
目の前を優雅に通り過ぎようとした一匹の白猫が、ふと足を止めた。
陽介の手にあるそれに、熱い視線を向ける白猫。
「お、気難しいと有名のユリちゃんだよ、陽ちゃん」
電球色の室内はわずかに黄色がかって見えるため、ユリというメスの猫の毛並みも黄金のように見える。優雅な所作で、顔立ちの整った美猫だ。
「……」
陽介はねこじゃらしを左右に振ってみる。ユリの視線は逃さずにそれを追う。
「おお……」
陽介は感動を覚えた。ふりふりと腰を振って、可愛らしい顔立ちで獲物を狙うユリの姿に、陽介は口角が上がっていくのを感じた。
ねこじゃらしをすやばく振ってみると、
「にゃ!」
神速の猫パンチが飛んできた。
「お」
右に振る。
「にゃ!」
「おお」
左に振る。
「にゃ!」
「おおお」
連続パンチでじゃれついてくるユリ。それを見て、にんまりと笑う陽介。
「楽しい」
「でしょお?」
「ユリちゃんはお持ち帰りで」
「ダメに決まってるでしょうが」
☆★☆
「ん~美味しい!」
「そりゃよかった」
遊び疲れた寧々は、休憩スペースでパフェに舌鼓を打っていた。
向かいの席に座る陽介は、頬杖を付きながらそれを眺める。
寧々も気持ちよく笑う少女だ。見ているだけでこちらも笑顔になってしまう──そんな魅力を秘めた少女だと、陽介は思う。
「寧々はよく笑うよな」
「ん?」
スプーンを口に運んでいた寧々がどうかしたのか、と視線で問いかけてくる。
「いや、変わったなと思ってさ」
昔の寧々は控えめで地味な子だった。
友達は少なくて、遊ぶのは近所に住んでいた陽介か、腐れ縁の長谷川くらい。
自分の意見を言うのが苦手で、捨て猫を見つけた時も、助けてあげたいのにどうすればいいのか分からずに一人で泣きじゃくっているような女の子。
そんな彼女が、今ではクラスの人気者になり、こんなに美しい笑顔を見せるようになった。陽介はその変化を尊いものだと感じていた。
「アタシ、そんなに変わったかな」
「ああ。昔は地味で根暗だったのに、今では性格も明るくなった」
「……それはきっと、陽ちゃんのせいだよ」
「僕のせい?」
寧々は陽介と出会って変わった。
否。陽介に合わせて変わっていったのだ。
陽介がまっすぐ前に進むのを、斜め後ろから密かに見守っている。
陽介に引っ張られるようにして、寧々は生きてきた。
だから笑顔が増えたのも、明るくなったのも、陽介のせいだ。
彼が進む先が光差す方角だからこそ、寧々もその影響を受けた。同時に、陽介が求める光のような存在になりたいと、寧々は願うのだ。
陽介と、一緒にいたいから。
「ねえ、陽ちゃん」
「なんだ?」
「アタシ、変わったよね」
「ああ」
「明るくなった」
「そうだな」
「よく笑うようになった」
「うん」
「じゃあ、可愛くなった?」
「え……?」
何気ないトーンでそう聞いてくる寧々。
「服はちゃんと選ぶようになった。髪型も意識した。お化粧も勉強した」
指折り数えていく寧々の表情からは、何も読み取れない。
普段の何気ない問いかけと変わらない空気で、声音で、淡々と。
「今から意地悪なこと言うね」
寧々は、答えを求めた。
「麗奈と付き合ってるんだってね」
答えに詰まる陽介を前に、寧々は言葉を重ねる。
「……ああ」
寧々は、麗奈からの電話でそのことを聞いていた。
「そっか」
怒るでもなく。
「……そっか」
悲しむでもなく。
「……そっかぁ」
波打たぬ感情のまま、寧々は続ける。
「アタシのことは、恋愛対象には見れなかった?」
「……」
そんな居心地の悪い沈黙を嫌がった陽介は、頬をかきながら回答を濁す。
「答えにくい質問だな」
「答えにくい質問をしてるんだよ」
しかし、寧々には通用しない。
だから陽介は、正直に答えるしかなかった。
「……ああ。寧々は、大切な友達だ。恋愛とか、そういうのは……ない、と思う」
「今から変わることはない?」
「……分からない。でも、もう僕は──」
「私、陽ちゃんのこと好きだよ」
「は……? ……ぇ?」
突然の一言に、陽介の思考は固まった。
「もちろんライクじゃなくてラブね。それくらい分かるよね」
「いや、待ってくれ……」
「こういう時だけ男らしくないんだね、陽ちゃん?」
「いつから……?」
「捨て猫をかばってくれたあの日から」
「あれって何年──」
「九年と半年くらい前。小学二年生の頃だよ」
「……そん、なに」
「アタシ、九年間頑張ってきたつもりだったんだけど──」
あくまでも、平坦に。
寧々はパフェをすくいながら、言った。
「一週間で、負けちゃったんだね」
陽介は、なんと声をかければいいのか分からなかった。だからただ一言、
「……ごめん」
と、口にした。
「なんで謝るの?」
寧々はほんの少し食い気味にそう切り返してくる。やはりそこに怒りや苛立ちの感情はないが、逆にそれが、陽介には恐ろしかった。
「陽ちゃんは悪いことしてないよ。悪いのは、九年かけても陽ちゃんに好きになってもらえなかったアタシ」
「寧々がそんな風に思ってることに、気がついてやれなかった」
「……そっか。そう言ってくれるんだね」
そこでようやく、寧々は微笑みを見せた。
「やっぱり、陽ちゃんは優しいなぁ」
すると寧々は突然「うにゃあああ」と頭を掻き始めた。
「ごめん、今アタシ、すごくめんどくさい女だね」
「そうだな」
「そこは否定してよぉ」
一瞬の沈黙の後、二人同時にぷっと吹き出した。
ひとしきり笑ったのち、陽介は寧々に尋ねた。
「それで、僕は……どうすればいい?」
「返事はいらないよ。なんか言いたくなっちゃっただけだから。アタシがそう思ってることだけ、ちゃんと覚えておいてくれればいいよ。ごめんね、時間取らせちゃって。今はきっと、アタシなんかよりも重要なことがあるんだよね」
「……」
「……大丈夫。明日からは、いつも通りの日常に戻れるよ。明るくて、笑顔いっぱいの白坂寧々に戻れる」
寧々は未だに半分以上残っているパフェにスプーンを突っ込んだ。
「だけど、このことは麗奈には秘密にしておいてくれないかな?」
「言いたくても言えないよ、こんなこと」
「かもね」
寧々は精一杯作ったような笑みを浮かべた。
陽介はチクリと胸が痛んだが、言葉を取り消すことはできなかった。麗奈への気持ちに嘘をつくことはできないし、何よりそれをしてしまえば、あの時手を伸ばしてくれた彼女に対する裏切りになってしまうと思ったからだ。
「私ね、たぶん家に帰ってからいっぱい、いっぱいいっぱいいっぱい、泣くと思うんだ」
「……」
陽介は何も言うことができない。誰かを選ぶとは、代わりに誰かを傷つけることなのだと、今になって陽介は思い知らされていた。
「だからさ、ちょっとでもダメージを軽減するために、付き合ってよ」
そう言うと、寧々は前屈みになってスプーンを陽介の方へ突き出した。
「あーん」
「あ、え?」
いきなりの行動に、陽介は面食らった。
あーん、とは、恋人同士がやるようなあれだろうか?
混乱で目をさまよわせているとき、陽介はつい見てしまった。
「……」
生唾を飲み込む。
寧々の、胸元。
寧々は襟元の広いセーターを着ているので、前屈みになると、隠されしエデンがチラチラと見えてしまうのだ。
「ん? どうしたの?」
基本的に寧々はこの手のガードが弱い女の子なのだと陽介は思っていたが、先ほどの発言を鑑みると、わざとやっているのかもしれないと思えてきた。
そんなゆるふわ猫かぶり小悪魔女子は、フリーズしてしまった陽介に同じ言葉を繰り返す。
「あーん」
「……」
「はよ、ほれ」
「……随分と古典的な手に出たな」
「御託はいいからはよ。このままスプーンを目に突っ込むよ?」
「恐喝じゃないか」
小悪魔じゃなくてただの悪魔だった。
「寧々ちゃんが笑って日常に戻れるように協力しようとは思わないのかね」
「これが協力になるのか?」
「なるなる。とても喜ぶ」
「なら、まあ……」
よく分からなかったが、寧々が嬉しいのなら、陽介に断る理由もない。
陽介は大きく口を開けて、寧々のスプーンを受け入れた。
「むぐ」
「美味しい?」
「……クソ、千五百円なだけはあるな」
そのパフェはなかなかの味をしていた。
「んふふ」
「風俗店みたいな名前してるくせに」
「ドリームキャッツさんの悪口はやめて! 雰囲気! 雰囲気大事にして!」
普通に美味しいって言えばいいのに、と寧々がため息を吐いている──そんなときだった。
「ん?」
「およ?」
地震だろうか。カタカタと周りの食器や棚が揺れている。
「ひゃー、怖いなあ。陽ちゃん、抱きついていい?」
「お前、なんか大胆になってないか?」
「そりゃあ、ストッパーが外れちゃったから」
ガタガタ、と再び揺れる店内。
「長いな」
どれくらいで収まるのだろうかと、陽介が周りの客と同じようにあたりを見回していると──
「あ」
視界の端に、何かを捉えた。
「どしたの?」
「ちょっとトイレ」
陽介は通路の奥に消えていった『それ』を追いかけた。




