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ナミダイロシンフォニー  作者: クロウ
第一楽章 ユキイロセレナーデ
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第09話 さようなら

「ざ……けるな……」


 普段のきつい口調とは違い、手紙の語り口は優しく語りかけるようだった。

 陽介は読み終えた便箋を強く握りしめ、震えた。

 怒りに、震えた。


「ふざけるなぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」


 その怒りは、こんな手紙を書いた氷川麗奈への怒りであり。

 三十日、部屋に篭って何をしているのかを察せず、翌日無理にでも一緒に家まで行くと言えなかっ自分への怒りでもあった。


「お前はまだ救われてないだろうが! 何も解決してないだろうがッ! ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるなッッ!!!!」


 ヒントならあったのだ。昨日の麗奈の様子は明らかにおかしかった。いつも以上に青白い顔で、まるで陽介を避けるかのように部屋へ逃げ込んだ。事情を一言聞いてやれれば、結果は変わったかもしれない。

 今日だって、そんな違和感に気付けていれば絶対についてきた。忘れ物を取りに行くなんて見え透いた嘘に、陽介は騙されたのだ。


「それに、この手紙……」


 何よりも陽介を苛立たせたのは、この手紙だった。

 何が「体温の低下はまだまだ余裕がありそうです」だ。文字は震えてガタガタじゃないか。挙げ句の果てには最後、書くこともままならなくなっている。こんな状況で「私はもう大丈夫」だと? いい加減にしろよ。そんな見え透いた嘘ついてどうするつもりだ。こんな「さようなら」、絶対に認めない。見過ごせる訳がない。


「くそ、くそ、くそくそくそくそくそくそ……ッ!」


 陽介はぐちゃぐちゃと頭を掻きむしった。麗奈がどこに消えたのか、見当がつかなかった。

 もうひとつ置かれていたノートを手に取り、ページをめくると、それはどうやら日記のようだった。

 日付は去年の夏頃から存在した。麗奈が体温の低下に気付いた頃だ。

 そこには、その日の体温と出来事が簡単に記されていた。最近の日付を見ると、わずかだが体温の所が消しゴムで修正された跡があった。三〇日の欄には「三五.八度」と記されているが、きっとこれも嘘なのだろうと陽介は思った。消される前の数値までは読み取れなかったが、この数字よりも低いことは間違いない。

 ただ、一通り目を通してみたが、麗奈の行く先を示すような文言はなかった。


「どこ行きやがった、あいつ……!」


 陽介は思考を巡らせる。

 麗奈の行く場所。また学校の屋上か? いや、陽介から逃げようとしている麗奈がそんな分かりやすい場所を選ぶとは思えない。行くならば陽介が分からない場所だ。


「どこだ、どこだ、どこだ────」


 陽介が分からない場所なのだから、いくら考えても分からないのかもしれない。だが陽介は思考をやめない。


「──寧々!」


 そこで思い至ったのは寧々だ。寧々は宿泊の際に麗奈と親しくなっていた。何か思い至るかもしれない。

 急いで陽介は電話をかけた。数コール後電話に出た寧々の挨拶も待たず、陽介は質問をぶつけた。


「麗奈がいなくなった! 寧々、行き先に心当たりはないか!?」

『え!? どうしたの、突然?』

「いいから答えてくれ! 早く!」

『え、あ、うーん……』


 数秒寧々が悩む。そして出した結論は、


『おばあちゃんの家』

「──ッ!」

『ご両親が亡くなった場所で、麗奈が大好きだった、おばあちゃんの家だと、アタシは思う』

「……かもしれない。他に考えられる場所は──」

『その口ぶりだと、麗奈の家にはいないんだよね? 学校には私が行ってみる。他の候補はごめん、アタシにも思い浮かばない。偉そうにしておいてアタシ、麗奈のこと全然知らない』

「いや、助かった。僕は氷川のおばあちゃんの家まで行ってみる。幽香に帰りが遅くなるって言っておいて貰えるか」

『うん、分かった』

「それじゃ──」

『待って!』


 呼び止めた寧々に、通話を終了しかけていた陽介の指が止まった。


「どうした?」

『……救いに行くんだよね?』

「ああ」

『麗奈ももう、私の大切な友達なんだ』

「僕もだ」

『絶対、なんとかなるよね?』

「ああ、大丈夫だ。全部なんとかしてやる」

『……うん。陽ちゃんがそう言った時は、間違いないね』


 安心したようにふふっと微笑む気配がした。


『陽ちゃん!』


 そして息を大きく吸い込み、ひときわ大きい声で寧々は言った。


「絶対に麗奈を救ってあげてっ! 温かいご飯用意して、待ってるから!』

「ああ──任せろッ!」


 そして、電話を切り、陽介はノートと封筒を握り締めて立ち上がった。


「そう簡単に僕から逃げられると思うなよ、氷川──」


 それは、行方知れずの少女に向けての宣戦布告。

 勝手にいなくなってしまった、どうしようもないほどのバカで、思い込みの激しい、めんどくさいあの女への予告ホームラン。


「僕は絶対、お前を救ってみせる────ッッ!!!!」


 そして、夏目陽介の「さようなら」をぶち壊す戦いが始まった。


☆★☆


 麗奈の祖母の家。現状分かっているのはその大まかな場所だけだ。電車で乗り継いでその村まで行き、あとはもう人に聞いて回りながら場所を探すしかないという、行き当たりばったりな強行軍。


「間に合ってくれよ……」


 今は、取り返しのつかない事態になる前に止められることを祈るしかない。

 ガタン、ガタンと揺れる電車内。陽介は、両手を組み合わせて到着を待った。

 窓から覗くと、外は雪が激しくなっていた。日が暮れると視界はさらに悪くなり、今や五メートル先をようやく見通せる程度。電車が止まるのが何よりも怖い。


「……」


 乗客が増えていく。年の瀬を家族と過ごそうということだろうか。大きな荷物を抱えて、幸せそうに笑い合っている。一人でいるのは陽介だけだった。

 寂しいとは思わない。きっと本当に寂しいのは、麗奈の方だから。


「……」


 やがて、終点に近づくにつれて今度は乗客が減っていく。辛うじて見える景色は田舎のそれになった。

 陽介が降りる終点にもなると、もう他に誰も残っていなかった。寂れた駅に足を下ろし、周りを見渡すが、延々と広がる雪に覆われた田んぼが見えるだけだった。

 陽介はマフラーを引き上げた。外は信じられないほどに寒かった。この中を麗奈は一人で行ったのかもしれないと思うと、陽介は思わず身震いした。


「すみません」


 陽介は駅員室のドアをノックした。間もなく駅員が顔を出した。若い男性だった。奥にもう一人新聞を片手にタバコを吸っている初老の男性がいる。


「一つお聞きしたいんですけど……このあたりで二年前、夫婦が雪崩に巻き込まれて亡くなる事件があったと思うんですけど、覚えてますか?」


 それに対して、駅員は不思議そうな顔をしながらも答えた。


「んー、ああ。覚えてるよ。不幸な事故だった」

「その事故があった場所の近くに、老人が住んでいたのを知りませんか?」

「赤城礼子さんかな?」

「たぶんその人です!」


 麗奈の話を思い出す限り、祖母は母型だったはず。恐らくは「赤城」が麗奈の母の旧姓だ。


「その場所を知りたいんです」

「え、今から行くのかい? こんな夜中に、吹雪も吹いてるのに」

「時間がないんですッ!」

「わ、分かった。一旦落ち着きなさい」


 その気迫に押されたように、若い駅員は詳細な地図を書いてくれた。


「ありがとうございます! ──あ、あと」


 もう一つ、陽介は確かめておくべきことがあったのを思い出した。


「この駅を、僕と同じくらいの年で、髪が真っ白な女の子が通りませんでしたか?」

「い、いや。私は見てないかな」

「そうですか……」


 ここで情報を確定することはできないか。だが仕方ない。もう望みはここしかないのだ、と走りだそう出した時だった。


「見たぜ。白い髪のお嬢ちゃん」

「──ッ!」


 しゃがれた低い声が響いた。後ろでタバコを咥えていた、初老の男性だ。


「駅長、いつ通ったんですか?」

「おめェがうたた寝してる間だバカ野郎!」

「げ」


 新聞で引っ叩かれた若い駅員は涙目で駅長を見上げた。


「坊主、詳しくは聞かねえが……あの嬢ちゃんのためなんだな?」


 瞳を見据えてくる駅長。陽介は素直に「はい」と答えた。


「ハッ、いいねぇ! 青春じゃねえか!」


 ニカッと豪快に笑った駅長は、陽介の手にバッグをドンと載せた。


「非常袋だ。重い荷物は抜いてある。いらねえってんなら捨ててくれて構わねえ。だが……きっと必要だろ?」

「……はい。必要です。恐らく、きっと」

「あの嬢ちゃん、顔を真っ青にしてフラつきながら歩いていったぜ。時間は三十分前って所か。全力で走れば、間に合う時間だ」

「──っ、」


 そして駅長は、思いっきり陽介の背中を叩いた。


「青春してこい、坊主ッ!」

「ありがとうございますッ!」


 深く頭を下げ、駅長に送り出されるように陽介は駆け出した。

 そして残された駅長はニヤリと笑い、言った。


「いい青春だ」

「オヤジ臭いですよ、駅長」

「黙っとけこの若造が!」


☆★☆


 走る。

 降りしきる雪をかき分けて。


 走る。

 闇に覆われた山道を、一人。


 走る。

 彼女の残した手紙を片手に。


 走る。

 苦しさにもがく肺を抑えて。


 走る。

 再び食卓を囲む日を夢見て。


 走る。

 胸の内の衝動に身を任せて。


 走る、走る、走る、走る、走る。

 少年は走る。


 ──────たった一人の、少女のために。



☆★☆


 山道は雪に覆われ、一層深まる寒さが肌を刺すようだった。陽介の体力も限界に近く、もう走ることもままならない状態だった。それでも足だけは前に動かす。麗奈はもっと辛いはずだと自分に言い聞かせ、奮い立たせる。


「はぁ、はぁっ、はぁ……──、ん?」


 思わず足を止め、膝に手を置いて呼吸を整えていた陽介はふと、足元の雪に違和感を覚えた。

それは、人の歩いた形跡だった。陽介のではない足跡が、フラフラと危うく先に伸びている。


「氷川……」


 きっと麗奈だ。おぼつかない足取りで、でもどこかを目指して歩いている。足跡は新しい。もう、遠くない。


「氷川……ッ!」


 吹雪によって徐々に奪われていく体力。それでも進む。たった一人の少女のために、陽介は歩みを止めない。決して、諦めない。


「つれないな、氷川。逃げるなよ……っ」


 まるで来るな、近寄るなと言わんばかりの吹雪に、陽介は苦笑いした。


「本当に雪女になっちまったのかよ、氷川……っ!」


 軽口で自分の意識を保ちながら、ひたすらに足跡を追いかける。次第にその歩幅は狭まっていく。あるところで倒れ込んだような痕跡もあった。麗奈の苦しさが伝わってくるようで、陽介は顔をしかめた。

 どれだけ登っただろうか。もう時間すら定かではなくなってしまった頃。

山道の途中に、一軒の家を発見した。恐らくそれが、赤城礼子──氷川麗奈の祖母の家なのだろう。住むもののいなくなったその古民家は、風に吹かれて物寂しく揺れていた。

 だが足跡は家には向かず、まだ続いている。


「もう、少し……っ」


 自分に喝を入れるように独り言を呟き、歩みを進める。

 そして。

 そして────。

 小高い崖の上。晴れていればきっと眼下の街が一望できる、そんな高所。

 夏目陽介は、ついに──


 少女の背を、捉えた。


☆★☆


 もう半ば、意識がなくなっていた。

 奪われ続けた体温が、身体機能を著しく低下させていた。

 苦しい。

 辛い。

 寒い。

 そんな感情が脳内で悲鳴をあげている。

 だが、もうこれで終わりだ。

 全て丸く収まる──とまではいかないまでも、きっと最小限の痛みで終われる。これが落とし所だった。これが妥協点だった。

 夏目陽介を求める心は殺した。彼との繋がりを断つことで、これ以上の苦しみは生まれない。そして──

 ──私もここで、終われる。

 その崖には墓標があった。埋葬されているのは、氷川麗奈の両親だ。

 麗奈は自らの最期に、両親の眠る地を選んだ。

 どうせこのままでは凍死してしまうくらいなら、最期くらい自分で決めさせてほしい──そう思っての行動だった。

 麗奈の心は決まっていた。どうせ身寄りもないのだから、一人で死ねば訃報が彼の耳に入ることもないだろう。そのためにわざわざあんな手紙を書いて、日記でカモフラージュしてまで彼を遠ざけたのだ。

 ──お父さん。お母さん。今行くよ。

 一歩、また一歩と崖に近づいていく。

 そして、崖に足をかけた──

 その、瞬間だった。

 背後から聞こえる足音。

 ザクリ、ザクリと雪を踏みしめる足音が、吹雪に紛れて聞こえてくる。


「そんな──────、」


 ゆっくりと、ゆっくりと振り返った。

 吹雪で覆われる視界の向こう側、見える黒い影。

 それは──


「あ、はは──────、」


 悪い幻覚だと思った。これは死の瀬戸際に見えてしまった、悪い幻覚だ。

 だって、彼がここにいるはずがない。ここが分かるはずがない。ここ場所で出会っていい人物ではない。

 だから、これは幻覚だ。

 ──そうか、私は、そんなにも、彼のことを、想ってたのか。

 でも、もう遅いんだ。

 だから──────────────、



 さようなら。私の、初恋。




☆★☆


 そして、麗奈の口元が、わずかに動いた。微笑みながら、そして心で泣き叫びながら、吹雪にかき消されて音にならない音を、紡いだ。











 ――ごめんね。











 ――さようなら。











 そして麗奈は、ゆっくりと後ろへ倒れていき──


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