表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

異界探査の骨董使い《アンティーカ》 ――姫と戦車と大正浪漫――


タイトル募集中です


  主要登場人物 ツルギ 日本出身、大正時代の少年

         エリス 仏国出身、十五世紀の少女


-------------------------------------------------------------------------


   /0



 だらだらと果ての無い青空を、ゆらゆらと果てしなく雲が伸びている。

 一筋の雲は蛇みたいに曲って、尻尾の方は薄れるように消えていた。今日の天気は快晴、昨日も快晴だったから明日も快晴に違いない。

 乾いた風が吹き抜ける中、延々と続く荒野の道を一台の戦車が走っている。

 きゅるきゅる、きゅるきゅる、と鳥の囀りにも似た機動輪キャタピラの音が虚しく響いていた。

 そのハッチから上半身を曝け出した女の子がいる。くしゃくしゃの金髪を靡かせながら遠くを見て、



 ――――まるで亀のようだ、と装填担当のエリスは思った。



「なあ、ツルギ。これは何処まで行くんだ?」


 かれこれ三日の旅路である。

 先の街を出てから、一向に人とすれ違わない。エリスが車内を覗くと、下では外套を羽織った東洋風の少年が固まっている。

 運転担当のツルギは亀のように動かないで操縦に専念していた。


「全くさ、ツルギは勝手だよな。私が楽しんでいたのに、折角に私が楽しんでいたのに、出発しちゃうんだもん」

「仕方ないだろ、エイブラムスの機銃が壊れたんだから。どこかで直せる場所を見つけないと」


 そう一言だけ返して、戦車だけを動かす。

 戦車の名前はエイブラムス、M1エイブラムス。走るだけでヒトが潰せる優れもの。


「機銃ってコレの事?」


 エリスがコツン、コツンとバレルの外れた機銃を叩いた。


「そう、その叩いてる部分。壊したのエリスでしょ?」

「えーちがうよー、壊したなんて知らないさー」

「じゃあなんで機銃だって分かったのさ」


 実をいうとエリスはあんまり戦車の事を知らないのだ。ツルギには内緒にしている。


「そういう事するのセコいよなー、もっと堂々としよう」

「なら正直に話してほしいよ」


 そっかー、とエリスは相槌を打って望遠鏡を取り出した。


「あ! なにか見えたよ」

「街でしょ?」

「街だね」


 鋼鉄の巨大な壁に囲まれ、それを越える塔がちょこんと見える。ツルギが目指していた町だった。なまえは知らないけれど、工業都市ではあるという。


「なんでわかったの?」

「エイブラムスの能力、望遠できる」

「すごい! 見せて!」

「ダメ、エリスが触ると壊すから嫌だ」

「セコいよなー、ツルぎはセコい」


 エリスに言われるほどじゃないと、ツルギは思った。


「僕だってエイブラムスに馴れてる訳じゃないんだ、戦車は知ってるけどエイブラムスは冗談みたい」

「そうなの?」

「砲塔が長いし、車体も大きい。間近で見た八九式とは全然違う」

「ハチキュー……? 私わかんない」

「だろうね、僕が見た八九式だって最新鋭だったんだから、十五世紀の御姫様には分からない」

「うーん、もうちょっと私に分かる言葉で話してほしいなー」

「わかったよ」


 そうしてツルギは黙り込んだ。



   /1



 ぽちんとした町の全貌が今では大きな壁になっていた。


「初めましてこんにちわ」


 兵隊らしき青年にツルギは声をかける。銀色の甲冑に身を包んだ中世の騎士みたいな兵隊だ。


「初めまして、ではありません」


 ぶっきらぼうに兵隊は言う。ツルギは兵隊の腰にあるロングソードが珍しくて、チラチラと目が移ってしまう。


「この町に入りたいんです」

「構いませんが、その」


 兵隊の目は勿論、戦車に奪われていた。


「なんなのですか、これは」

「なにに見えるでありますか、将校殿」

「自分は将校ではありませんが、これは…………」


 ぐっ、と突きつけられた砲塔に兵隊は一歩だけ引いた。

 あるいは、全貌を眺めたかったのだろう。ぐるりと見回すと「はあ」とか「ほお」とか言っている。

 驚いているのは間違いないが、怯えているのか、喜んでいるのか、ツルギには分からなかった。


「この立派な砲門から軍備の類とは分かりますが、この車輪は一体……。外装も鉄で出来ている」


 こつん、こつん。


「叩かないでください」

「し、失礼……あの、この車の動力は一体」

「ガスタービンというのだよ、熱した油の蒸気をプロペラに当てて車輪を回すの」

「ハァーッ……こんなものは初めて見ました、外交官の方ですか?」


 まさか、外交官が戦車で来るわけがない。――――とは思ったけれど、そのほうが都合がいいので黙っている事にした。


「そうだよ、バレてしまったか、ワハハ」


 ツルギが笑いながら街に入ろうとすると、兵士が呼び止めた。


「一度、刀を外していただけますか、一応の確認です」

「それはそれは、すまないね」


 ツルギは踵を返すと、刀を外した。

 一メートル前後の太刀を西洋風の兵士に差し出す。兵士は受け取ると興味津々に太刀を確認した。


「見慣れない一品ですな」

「ああ、これは平安時代の太刀で――――」

「ヘイアン? それは工廠の名前か何かですか」


 ツルギは慌てて口を押える。


「なんでもないよ」

「ははあ、極秘の武器商人ですな」


 兵士は二人を招き入れた。



   ◆



 門を潜ると工場が広がっていた、プシュー、プシューと煙突が煙を上げている。工場と言っても小さなもので、街の工場というか小さな鍛冶屋のようだ。人は多いけど、通る車は馬車くらい。

 中世ヨーロッパ、丁度クイーンエリザベスの時代が近いかな、なんてツルギが考えていると、一台だけ発動機エンジンを付けた車が通っていった。

 最もこの大通りはヒトが大量に動いていて、車にしろ戦車にしろ通るだけで注目の的だった。


「しかし、まさかエスガリアの方とは思いませんでした。最近、新型の蒸気船を開発したとか専らの噂でしたが、いや車に砲を付けるとは」


 隣りを歩く兵隊は一人でペラペラ喋っているから問題ないけれど、当のツルギは何の話だか良く分からなかった。

 今、戦車を運転しているのはエリス。エリスは運転が得意ではないからツルギは少しだけ心配だった。

 とにかく町に入れたから良かったけど、これでは店を見つけるのに一苦労二苦労はありそうに思う。右も左も工場ばかり、軍需なのか実態は分からないが鍛冶屋らしき製鉄施設が腐るほどある。これじゃアタリが分からない。安くて腕のいい店は無いものか。

 兵隊はどうも世間知らずという感じがある。

 ダメもとで聞いてみても、


「兵隊さん、御勧めの鍛冶屋はあるかい?」

「鍛冶屋……ですか、自分は細かい事は分かりかねます」


 この有様だった。


「この町を一人で回ってみたい、いいかな」


 そういうと腕を組んで答えあぐねた。覇気のない唸り声が喧騒に吸い込まれる。


「約束はどうなされますか? 王宮は真っ直ぐ行った先になりますゆえ」

「約束の時間には少し早いんだ」


 十字路に差し掛かる、一際人通りの激しい大きな交差点。きっと、街の中心部に違いない。 そこでブレーキ微かなブレーキの音、駆動の音はゆっくりと落ちて――――ぴたりと戦車は止まってくれなかった。

 車体が交差点よりすこし前に出る。長い砲塔が道をふさいだ。


「内密の会談なのだ、先に行って待っていてほしいぞ」

「わ……あわわ、なんてこと! わかりました!」


 そうして兵隊を先に行かせる。戦車の情報を露呈される恐れはあるが、こうして大通りを闊歩してしまったのだ。後には引けない、いざとなればエイブラムスの力に頼らざるを得ないだろう。


「さて、エリス」


 くるりと見回す、周囲は一瞬だけツルギを見ると、すぐに視線を隠してしまう。やはり好奇の視線を晒しているらしい。


「なーに」

「キミは少し運転が粗いな」

「そう?」


 淑女らしいと言いなさい、と戦車の中から声がした。


「淑女とは違うと思う」

「そう?」


 運転手用の蓋をあけて、ひょこりとエリスが顔を見せた。


「そうだよ。とにかく僕に着いてきて」

「分かったけどさ、ふん」


 鼻息を鳴らすと、またエイブラムスに力が入った。

 ごうごう、とタービンが息を荒げながらゆっくりと動き始める。ゆっくりと、とは言っても全速力を出せば隣の発動機付馬車を遥かに上回るに違いない。

 そんな力があると分かれば、この国だか町の王宮から狙われてしまうのが関の山だった。


「でさ、ツルぎは乗らないの?」

「乗らない、僕が先導するよ」


 そうして、ツルギはフラフラと歩き始めた。



   ◆



 ツルギの井出達も珍しいモノだった。周りは茶色の外套に身を包んだ西洋風の人間ばかり。その中を東洋人が黒の外套に黒の帽子を目深に被っているのだ、外套の下は黒の詰襟という風。戦車が無くても十二分に異人なのは間違いない。

 ましてや自分が帯刀しているものだから、悪魔の軍事パレードだとツルギは思った。

 辛うじてドレスに身を窶したエリスが馴染めるかどうか。

 とにかく居るだけで目立つのだ、用を済ませたなら一刻も早く抜け出したい。この場所で自分たちは異分子なのだ。


「エリス、止まって」


 ぎゅる、と音を立てて止まる。

 エリスが顔を出すと、鉄鎚の絵が描かれた看板があった。


「ここが鍛冶屋なの?」

「そうかもね、見てみないと分からないけど」


 ツルギはコンコンと扉を叩いて「御免下さい」と言った。


「…………」


 どうにも、返事は無い。


「車の中で待ってて」

「えー、つまんない。狭いし」

「我慢、我慢」


 むう――とあからさまにエリスが唸った。



   ◆



 鍛冶屋に入ってみると、やっぱり武器屋のようだった。

 ロングソードと言うのか西洋の幻想小説に出てくるような刃物の類と旧式のライフルが幾つかあった。予感の的中、ある程度の鋳造技術はあるらしい。


「ごめんください」


 返事は無い。


「ごめんください!」


 返事は無い。


「ここの銃持ってっちゃいますよ!」

「ひい、泥棒」


 カウンターの奥から声が上がった。


「なんですか、隠れて」


 奥を覗きこむと、四十代くらいの男性が丸まって怯えている。


「なんなんだ、あんた達こそ! お、おもてのアレはなんだ!」

「見たんですか!」

「見たよ!」


 ぶるぶると震えていた、明らかな勘違い。


「治してほしいんですけど」

「な、なにを……戦争だけはゴメンだぜ」

「戦争は出来ませんけど。ところで銃は御作りになられます?」

「作るさ、作れるさ」


 埒が明かないので、ツルギは店主を引っ張り出した。


「これをくっ付けて欲しいのです」

「ひいっ!」


 長いバレルを見せると、店主は竦みあがってしまう。


「殺しませんよ、大人しく言う事を聞いてくれればね」

「命だけは!」


 命なんてとっても金にならないから嫌だなあ、とツルギは思った。とにかくバレルをくっ付けて貰う必要がある。


「取りあえず落ち着いてください。茶番をしては僕が疲れます。見るだけ見て貰わないと、直せるものも直せませんでしょうから」

「確かに、それはそうだ、うん」


 店主は震えた腰で立ち上がると、一つの剣を杖代わりに店の外へ出た。

 お金の話はあとである。



   ◆



 外では人だかりが出来ていて、興味津々にエイブラムスを囲んでいた。


「アンタ、旅人かい?」「言い値で買おう! 売ってくれ」「作り方を知っているのか!」


 なんだか話が飛んでいる。


「それは僕のです、離れてください」


 ぞろぞろ、ぞろろろ。モーゼの十戒みたい。


「この上に着いている固定機銃なんですけれど、銃身が外れてしまって」


 エイブラムスに付属している機銃、五十口径の弾を使うM2ブローニングという名前だった、その由来も、作り方もツルギは知らないし興味も無い。

 知っているのは「名前」と「能力」と「年代」の三つ、能力が分かるので使い方も分かる。愛車であるエイブラムスに対しても同じだった。


「一体これは、これどうやって壊したんだ……」


 店主がバレルと戦車を交互に眺めながら感嘆の声を漏らした。


「ぶら下がって壊しました」

「貴方が?」

「違います」


 壊したのはエリスである。


「まあ、ウチも銃を扱って長くはなるが……こんなモノは初めてだ。見れば弾の形も少し違う、少し撃ったりするかもしれないが、それでも良いか?」

「へえ、少しはマシに話せるんだ……いいよ、少しだけなら。ただし、弾の数だけ割引してよね、きっと何処の国でもエイブラムスの弾は作れない、今のところはね」

「アンタ達……一体、何者なんです」

「通りすがりの文士さ、覚えなくていい」

「私はエリス、覚えててね!」


 モグラのようにエリスが顔を出した。


「こら、隠れてろと言ったのに」


 モグラのように顔をひっこめる。


「レディーは挨拶するものよ? それとも、レディーに挨拶するなっていうのさ?」

「そうは言わないけど」


 どうにもエリスは自由奔放で仕方がない。


 戦車から離れる訳にもいかず、店の裏手に運ぶまでに三十分ほど。

 窮屈なくらい狭い路地裏にエイブラムスが鎮座していた。裏手では様々な店の住人たちの生活が見て取れた。

 洗濯物を干したり、犬を飼ったりしていてエイブラムスが入れた事が不思議なくらい。


「機銃は外せるんだ」


 持ち前の道具で機銃を外すと機銃が落ちそうになる、流石にツルギ一人では持てないから店主との共同作業になった。


「うんとこしょ、どっこいしょ」

「なにを歌っているんだい、アンタ」

「歌ってはいないよ、なんとなく」


 店内に戻ると、カウンターの裏手に着いた。どうやら作業場のようで、土を晒した床に散乱した鉄鎚や作業台。見れば溶鉱炉まである。


「元々は刀を作っていたんだがね、どうにも最近はコレの需要が増えて増えて」


 先ほど渡したバレルをゆっくりと撫でた。


「この国は、戦争をしないのですか」

「昔はしたがね、今はしないさ。十数年前に隣と一戦やったんだが、どうにも勝てる訳が無かった。最初はマシに立ち回っていたが、一時を境に防戦一方さ」

「でも武器は作ってらっしゃる」

「あああ、どうにも隣の国が許してくれない。オレたちの国は国と国の間の国なんだ。大国と大国に挟まれている。その前線基地って訳だ」

「なるほど、それは重要度が高い」


 どこかで聞いた話だな、とツルギは思った。


「まあ、オレたちを倒した国ってのは戦争しか出来ない国だからさ、今度は船でも作る気らしい」

「エスなんとか?」

「そうだ」


 店主は無駄口を叩きつつも、バレルと機銃を見比べたり、断面を眺めたりして無駄がない。どうやら頼れそうな人だった。


「アンタ達、旅人だろ」

「そうだけど」

「どうして、ウチみたいな国に? 流石に一帯の国柄くらいは知ってるモンだろ、エスガリアなら俺より腕の立つ鍛冶屋が腐るほどいるぜ」

「いや、知らない。それに下手に大国に顔出したら、この国のレベルじゃ済まないだろ?」

「確かに、アンタの得物はちょっと変わってる。銃にしたって弾が繋がってるなんて初めて見たぜ?」

「だろうね、君たちのレベルだとゲベール銃が近いかな」

「ゲベール? なんだそれ」

「君たちの銃の僕たちの名前」


 変な奴だなと呟いて、店主は機銃を解体した。


「ここ、くっ付くぜ?」

「本当?」

「なんだ、持ち主なのに分からないのか。こいつぁ元から直しやすいように出来てやがる、さっきの嬢ちゃんがどうやったのかは分からないが、壊したんじゃなくて外れたんだ。あと少しで直るさ」

「それは嬉しいや」


 丁度、その時だった。


「失礼する!」


 表の扉が開く音と同時に男の声が聞こえて来た。足音は複数、一人じゃなくて二人以上。無遠慮に作業場まで入ってきたのは一人だけだった。


「なんだい、兵隊さんがウチなんかに」

「ここに異国の少年が入り込んだと通報を受けた」


 銀色の鎧兜を身に付けた軍人である、腰に付けたのは日本の軍刀と少しだけ似ていた。


「ああ、それってこんな顔?」

「そうだ、貴様のような……って、貴様だ」

「うん、まあだろうね。ちょっとした不法入国だし、捕まえる?」

「当然だ、国王が貴様の持ち物にも興味があるとの事だ。残念だが出頭してもらおう」

「仕方ないな、付いていくよ」

「なんだ、偉く大人しいな……まあいい、付いて来い」


 兵隊がツルギの腕を引っ手繰る。見上げると、兜の隙間から皺の無い綺麗な肌が覗けた、どうやら若い青年らしい。


「じゃあ店主さん、帰ってくるまでに頼むよ」

「あ、ああ……」


 そうして、ツルギは馬車に投げ込まれたのだった。



   ◆



 馬車に揺られる中、ツルギは戦車の方が少しだけマシだなと思った。



   ◆



 薄暗く、異様に湿った一室でツルギは取り調べを受けていた。


「貴様ッ! 一体何処から来た、名を名乗れ!」

「名前はツルギ、日本から来ました」


 答えないのも可愛そうなので、とにかく答える。でも通じるか自信がないので、声にも覇気が出ない。


「ふざけた事を言うなッ、そんな国ッ、我々は知らんぞッ!」

「貴方、言葉を切らすのが好きなんですか?」

「話を逸らすなッ! それにお前が乗って来た車はなんだッ、答えろッ!」


 話し相手は先ほどとは違う高齢の男性だった、とても国王とは思えない。老兵とでも言うのか、銀の鎧に敷き詰められた筋肉と、薄汚れた白鬚に妙な貫禄を感じた。

 ただ、どうにも話し始める度に机を叩くのが玉に瑕。


「なんだと言われても名前、能力、年代を除けば僕も良く分かっていないんだ、仕方ないだろ。この世界のことだって理解してないしね」

「この世界ィ? なんだ、じゃあ貴様は天上どこかの異世界から来たと言うのかッ!」

「信じたくないけれどね。ここが中世の英仏なら日本の外航船とかありそうだけど、見当たらない。イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、スイス……ブリタニアとかでもいいや、あと清とか魏呉蜀……知ってる?」

「知らんッ!」

「ほらね、お陰で僕も帰る場所が無くて困ってるのさ」


 二人の溜息が重なった。

 幾許かの沈黙、俯いたまま老兵が固まって静寂が覆った。


「なら、我が国に永住しないか?」


 やがて老兵は、そんな事を漏らしたのだった。

 小さく、けれど明瞭な声で車の権利を求める。


「残念だけど、それは駄目。欲しいのは僕たちじゃなくて戦車でしょ? そんな事するなら僕が壊します」

「では仕方がないな、貴様の身は我々が預からせてもらうッ! あのようなモノを持つ国があるとなれば我々だけではない、同盟国に対しても脅威となりかねんッ!」

「へぇーそう、じゃあ……」


 ツルギが返事をするまでもなく、二人の兵隊に引っ張られていた。



   2/



 ツルギが鍛冶屋の中に消えると、あたりは直ぐに静かになってしまった。余りにも静かなものだから、仕方が無くてエリスは寝息を立てていた。

 のそり、と身体を起こす。


「ふぁぁ……全く、遅いんだからさ」


 四角い手鏡を取り出して時間を確認する。これは秘密で素敵な魔法の鏡で、どんな事にだって答えてくれる優れものだ。縦十数センチ、横五センチ前後、アップル製。

 あれから三十分以上は既に経過していた、機銃の修理にどれほどの時間が必要かなんて興味は無いけれど、ちょっとだけツルギの事が心配になる。

 開け放したハッチの上は晴天、吸い込まれそうな程に青い空。ここ最近は雨が降っていないらしい、ツルギを待っている間、どこからともなく聞こえて来た話だ。

 こうも空を眺めていると、時間が進んでいるのか進んでいないのか、分からなくなってしまう。時間が止まるなんてことは無いのだろうけれど、エリスには止まるように思えた。


「空模様がが知りたいね」


 魔法の鏡に手を当てると、ハープを弾くような快い音が鳴った。鏡面は波を打ったように波紋が広がり、手元にはグシャグシャの線が映し出される。

 ツルギには内緒の魔法の手鏡だった、教えたらきっと取られてしまう。


「鑑よ鏡よ、鏡さん。明日の天気はなぁに?」


 すると鏡が反応した。


『明日の天気、で検索します』


 くるくると鏡の真ん中が円を描く、魔法の鏡は少しだけ悩んだ。


『明日の天気は、晴れ、です』

「また晴れかよ、つまんないの」

『また晴れかよ、つまんないの、で検索します』

「しないでいいよ」


 手鏡の端にあるボタンを押すと、手鏡は色を失い元の手鏡に戻った。

 エリスにとって魔法の手鏡は唯一の楽しみだった。なんでも知っているし、戦車の使い方だって教えてくれる。時間を教えてくれたのは鏡だったし、料理とは何かを教えてくれたのは非常に助かった。

 ほんとうはツルギにだって負けない自信があったのだけれど、ツルギはダメだといって聞かない。こうやって任せてくれる事は任せてくれるのだけれども、いつも文句を言うのだ。


「ツルギなんかに負けないのにさ!」


 それでもツルギは帰って来ない、ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ寂しくなった。

 操縦席から離れて、顔を出す。だんまりを決め込んだ鍛冶屋の裏口があった。煉瓦造りの建物に木製の扉。

 その気になれば戦車で突破できる気がした。


「お嬢ちゃん!」


 そう思って、砲塔に徹甲弾を込めたころ店主の声が慌てて飛び出してきた。


「なにさ」

「君のツレが憲兵にしょっ引かれた! ヤツらの狙いはアンタ達の車だろうさ、流石に憲兵の手にかかったら鉄の車なんて……」

「へえ、そう」


 手鏡を取り出した。このオジサンは少し五月蠅い。


「へえ、そうって……アンタ達、友達じゃないのか?」

「別に、ツルギなら大丈夫さー」

「信頼しているんだな」


 店主は小さな声で――羨ましいな――と呟いた。

 けれど、そんな事はエリスにとって関係ないし、聞き取る聴力も無い。


「信頼なんかしてないさ!」


 お腹の中がぐっ、と熱くなるのを感じてハッチから顔を出してしまった。


「じゃあ、なんなんだよアンタ達は」

「なんだろうね、魔法の鏡にでも聞いてみる?」


 こんな時、笑ってみせるのが一番だとエリスは知っている。


「…………っ、兎に角だ。俺はアンタ達から金を貰わなくちゃいけない、機銃だっけか、直ったぜ?」

「やっるぅ」


 体躯のいい店主は機銃を担ぎ上げると、戦車の上に乗せた。


「治し方、分かるのか?」

「ちょっとまってね、…………鏡よ鏡よ鏡さん、機銃の取り付け方を教えてください」

『機銃、で検索します』


 画面には銃座に設置された機銃の絵が映し出される。


「適当に、こんな感じでお願いするのさ」

「箱が……喋った……、喋っただけじゃねぇ、絵まである」


 店主は魔女や悪魔なんて物を信じてはいないし、目の前の少女や車が悪魔の産物と思うつもりもない。

 だけど目の前の出来事は少しだけ感動した、機械科メカニックの性なのだ。


 店主が少女に協力しようと決めたころ、通りの先で銀色の兵隊と目が合った。


「いたぞ!」


 流石に手が早い、あの少年は今では殺されているかもしれない。最悪、少女だけでも出国させよう。

 迷っている暇はない、店主は持ち前のレンチとハンマーと想像力を活かして機銃を元のように戻した。外す事が出来るなら直す事が出来る。それが機械と鋼鉄に携わる店主の心得だった。


「お嬢ちゃん、はやく行け!」

「あいさー」


 憲兵が単発小銃ライフルを手に発砲した。


 住宅街の裏通りは一本道、戦車一台が限界の小道なのだ。上を見れば網目のように張り巡らされた物干しの糸、そこに鎮座する戦車は最高の的である。

 尤も同時に最強の盾であるのだが、声も上げず鎮座する姿は洞穴に住む怪物に似ている。何者にも倒されない、正体不明の魔物。

 この世界に於いて、徹甲弾すら寄せ付けないM1エイブラムスは、文字通りの魔物と言えた。


 戦車がライフルの弾を弾く。甲高い音を上げ道を逸らした鉛の球は、隣家のシャツを何枚も貫いた。

 小道を塗りつぶすように細切れの布が空を舞う。

 店主の心配を他所に戦車は悠然として、傷つく気配すら無い。


 そうして店主が眺めていると、突如として熱風が巻き上がり唸り声が響き渡った。

 喉さえ焼けるような気がして、店主は一歩退く。

 ゆっくりと黄砂色の巨体が動き始めた、来た時と同じようにゴトゴトと進んでいく、


 平然と至極緩慢な動作で、戦車は店主の視界から外へと消えた。


  ◆


 キャタピラが大通りに並べられた野菜の山を踏みつぶして進む。

 元々人通りの多い繁華街だ、露店には果実や料理、服にパン。色々な物が売っている。人々の生活の要であったし、工業化する町の中で憩いを残す場所でもあった。

 それを戦車が踏み潰す。


 今の今まで露店には人が溢れかえっていたが、怒声を上げる兵士たちを前に市民は避難していた。

 その通りを我が物顔で戦車が行進する。これが凱旋ならば兵士たちは喜べたに違いない、あの一台さえあれば大国など簡単に撃破できる。

 だが目の前に在るのは名前も、目的も分からない怪物だ。


 当然、街を騒がせた兵士さえ一人、また一人と消えていく。無言を貫く戦車によって撤退を余儀なくされていた。


「わはは、逃げろ逃げろ」


 窮屈な車内でエリスは一人笑っていた。

 戦車の乗り心地は、そう悪くはないが如何せん狭い。箱の中に詰められるような感覚は耐えがたいのだ。

 目の前で腰を抜かす兵士たちの顔が見えなければ機銃を掃射している。

 でも、しない。しちゃいけない。


 ツルギに曰く、この戦車の力を使って戦うという事は、己の寿命を縮める行為に等しいという。撃てば撃つほどに戦車の力は消費され、戻ることは無いのだと。

 次に曰く、燃料くらいなら誤魔化せそうだから、少しは気が楽だと。

 だからエリスは感じるがままに戦車を走らせた。果物の山を豚肉の山を、すり潰し、ひき潰し、料理してゆく。


 戦車と良く似た砂色のタイルは、いつの間にか鮮やかな虹色に染まっていた。

 砂煙が舞い上がり視界は白く汚れる。それでも戦車の内部はまるで世界の事など興味が無いみたいに静かだった。


「大砲用意!」


 ふと、なんだか五月蠅い声が聞こえた。

 密閉された戦車の中に響く、遠い声。大きな砲と言うには、きっと似たような物を持ってくるのかもしれない。

 少しだけ怖くなった。この戦車はエリスが持ち得る唯一の盾にして要塞、家にして故郷なのだ、失う訳にはいかない。


 傷つけられるのは嫌だ。


 戦車の発動機エンジンが声を潜める、エリスは静かに煙が晴れるのを待った。

 太陽が光を差す、突風が穢れを飛ばす。

 半壊した街並みの先、開けた交差点に五台の砲門が腰を据えて待っていた。

 黒鉄の細い壺を台車に乗せられた無骨な砲台。確か、とエリスはツルギの言葉を思い出した。


 確か――――、名をカノン砲という。

 十七世紀頃に開発、汎用される大砲で彼の大国、イギリスが百年戦争の末期の際に撤退用として使うらしい。ツルギが自慢げにペラペラと話していた事だ。


「たいへんだ……!」


 大砲の背後では兵隊たちが火を付けていた。

 兵隊たちは大砲から距離を取ると耳を塞ぐ。中心に立つ隊長らしき兵士が旗を降ろした。


 発破音。


 五つ黒い点が飛んできて、エリスは目を閉じる。

 戦車が壊れてしまうのかと思った、例えツルギがエイブラムスは凄いと豪語しても大砲には負けるかも知れない。

 そうして戦車が揺れた。


 ――――ぐわん、と一度だけ。


「…………は?」


 もくもくと煙が上がる。

 想像以上の静けさで、死んだかと思うほど。

 戦車に異常は見つからない。。

 エリスでさえ壊せた戦車が平然としている。

 驚いたのはエリスだけではない、否、エリス以上に兵士たちが驚いていた。

 エイブラムスから覗く兵士たちの面持は豆鉄砲を食らった鳩のよう。呆然と立ち尽くしていた。


「よっしゃぁッ!」


 ならば自分から行くぞ、とエリスはアクセルを回転させる。

 答えるようにエイブラムスは動き出した、相変わらずの緩慢な動作にエリスは蹴りを入れる。


「早くして! 遅い!」


 もっともっと早く、限界まで加速させる。

 逃亡する兵士たちを他所に大砲を踏みつぶす。

 鉄屑を掻き混ぜる音の中、エリスは一直線に走り出した。

 王宮に居るツルギを目指して。


   ◆


 水底のような息苦しさの中にツルギは居た。

 連れられた先は牢獄などでは決してない。巨大な広間、食堂だろうか、長いテーブルで食事をするのは何処も同じらしい。

 一級のオードブルを前に七人の男女がツルギに視線を向けていた。最も強い視線は恐らく対面の老人だろう、恐らくは国王。

 艶のある白鬚にぐるぐるの巻髪、ヨーロッパの音楽家みたいだった。

 ツルギの右側に三人の女性、左側に三人の男性。女性はドレスと軍服だ。


「王室会議へようこそ、異郷の少年」


 やはり、と思う中、ツルギは対面の国王を見た。

 国王はワインを手にすると一度だけ笑って、そのグラスを揺らした。


「君もどうだね、軍人だろう。酒の一つを飲んではどうか」


 当然、毒の恐れもある。


「遠慮しておきます、それに文士ですから」

「そうか、秘書官の類であったか。しかし秘書官などが何故あのような車に。それとも、少年の国は秘書官も大砲を持つのかな」


 国王は笑顔を崩さない、余裕の表れだろう。

 ツルギは秘書官でもないけど、と思う。

 元々は小説家を希望していたんだ、とにかくしたい事が無いから日本語だけなら書けるから、だというのに――――。


「どうした、顔色が悪いぞ」

「いえ、なんでもありません」


 呼吸を取り戻す。

 とにかく今の状況は分が悪い、一刻でも離れたかった。


「では質問に答えてほしい、あれは如何なる物か」


 視線が集中する。

 こういう状況は苦手だった。元から人と話すのが得意ではない性格だ、こんな詰問は死んでも避けたい。

 本当に避けてしまえ、それこそ死んでしまうが。

 背後に控えた兵士たちもツルギを見る、不審な動きが無いか監視しているのだろう。


「あれは、見ての通り車です、大砲を付けた」

「ふむ、だが我々が持つ大砲とは違う。それに発動機もあるらしいじゃないか、いい発想だ。君が作ったのか?」

「いえ、こちらに来た時から」

「こちらに? こちらにというのは我が国か?」

「――――いえ」


 違う、そんな規模ではない。この国どころか、この惑星ではない。

 ツルギは今の世界を異郷と思っている。自分が居た元の世界とは異なる歴史を持つ異世界だと。

 だが、それを説明して理解できる人間が存在するだろうか。

 元の世界でさえ、異郷などと言う言葉は存在しないに等しいのだ、異なる宇宙、異なる惑星などという概念は伝説の言葉だ。

 それも、創作の物語の中の。

 西方浄土か、あるいは竹取物語の月の都か、八熱地獄と言うには生ぬるい。まるで西洋史の影武者めいた異世界など、ツルギの記憶にはない。

 誰が信じる物か、と呪詛のように根付いた言葉、何度も繰り返したように思う。

 あの老兵と同じように冗談を言うなと叫ぶのが関の山だ。

 ツルギに返す言葉は無い。


「だろうな、あの力は此の世ならざる神の力だ。神話に描く竜の鱗さえ砲弾を弾くことは無かろう」


 言葉に含みを持たせて、国王は一息ついた。

 恐らく心から感動しているのだろう、戦車の力に魅了されている。どうにかして欲しい、言葉に出さなくても分かる。

 まるで得物を前にした獣だと、ツルギは思った。

 如何に鬣が素晴らしくとも、その本懐は獰猛な獣であるように、この男の本心は物欲に染まっている。


 なぜ、そこまで力を欲するのか、ツルギには理解できない。

 過ぎた力は幾度となく人を魅了してきた、その度に人は争い、結果として滅ぶ。当然の事だ、滅ぼすための力なのだから、その結果は当然と言える。

 荒涼とした大地に残る、たった一台の戦車を幻想した。


 自分たちの力は世界を蝕む毒だ、この国に長く居すぎては毒素が染みわたってしまう。この国が亡ぶのは時間の問題だった。

 急がねば、ツルギは逃げる決意をした。


「残念ながら、貴国に協力出来る事は殆どありません」


 ――――こうしている間にも、自分は世界の均衡を崩している。本来なら存在しない知識を、垂れ流しているのだ。


「それでは、私は失礼します」


 いや、と国王が制した。


「逸る事はない、せめて話の一つでも――――」


 立ち上がる動きをツルギは止める。

 そこまでして力が欲しいか、知識が欲しいか。

 ツルギは刀の柄に手を当てた、瞬間に太刀の記憶が蘇る。


「君にはあげない、アレは僕のモノだ」


 だから渡すつもりなんてないし、壊されたり触られたりするのは嫌だ。

 なによりも、この珍妙な世界を旅するために戦車の力は必要なのだ、誰にも渡さない。

 すると国王が手を挙げた。力の無い緩やかな動きに一瞬だけ意識が散る。

 そして火薬の炸裂する、乾いた音が聞こえた。


  ◆


 がりがりと石造りの階段をキャタピラが踏んでいた。

 エリスは北欧あたりの神殿を思わせる建物に戦車で突っ込んでいる。

 今しがた有象無象の雑兵たちを蹴散らしたところで、辺りには失神した鎧兜の山が出来上がっていた。

 もはや止める物も居ない。仰々しく構えられた巨大な扉も、砲塔で串刺しにすると簡単に破壊できた。


「突撃さ!」


 もくもく、もくもく。

 砂埃が舞い散ってエイブラムスに備えらえたカメラが見づらくなるけど、直進だから関係が無い。

 赤い絨毯を敷き詰めた大理石の広間を突き進む。

 貴族らしい男女の悲鳴が立ち込めるが、エリスには良い歓声としか思えなかった。

 戦車を止める。


「やいやい、隠れていないで出て来い、弱虫ツルギ」


 この辺りに居る筈なのだけれども姿も見せないし、匂いも無い。

 ハッチから顔を出して見渡すと兵隊たちに囲まれていた。槍が突きつけられる。


「何者なんだ君たちは!」

「べーっ、教える必要なんかないもんね」


 舌を出したら兵隊が怒った。顔を真っ赤に染めて唸るのだ。


「この!」


 四方八方から怒声と共に槍が伸びる。

 それを亀のように引っ込んだエリスは少し考えた。

 エリスは自分の求める物の場所を直感で理解できる。兎にも角にもツルギは近くにいるのだが、詳細となると難しかった。


 そして気になるのは兵隊たちの集まりようである。たかが男一人を隠す必要なんてない、それもツルギだ。さっさと返しても問題はないハズだ。

 だというのに必死になって守っている。

 ぐりぐりと両手を頭に当てて考え、考え、考え抜いて一つの答えを思いついた。


「そうか、あいつらホモだからツルギを隠してるんだな」


 エリスは砲塔を奥の扉に定めた。

 凡そ二十メートル先、赤い色で塗られた鉄製の扉が閉められている。


「や、やめろ!」


 狼狽する兵士に、エリスは確信した。この奥にツルギが居る、と。

 エリスは薄笑いを浮かべて射撃装置を握った。


「死ね」


 引き金を引く。

 鉄を撃つ音、そして戦車が重く沈んだ。


 一秒、エリスの鼻を硝煙の香りが撫でる。

 二秒、ひゅるりと滑らかな風が王宮を一直線に突き抜けた。

 三秒、円錐型の徹甲弾が壁を貫き、一撃の下に破壊する。


 ――――――どぉーん。


「どんなもんよ」


 エリスはハッチを開けて高らかに叫んだ。

 でも聞く耳を持つ人間は一人も居ない、ほとんどの人が耳を抑えて転がっていた。


「ははん、雑魚め」


 エリスはぐるりと見まわしてから、運転座席に戻る。烏合の集を背後に戦車を奥に進ませた。

 視線の遠く、外套を羽織った少年が一人待つ。


   ◆


「よう、ツルギ」

「よう、じゃないです」


 ツルギは乱れた外套を直すと、キュッと襟を締めた。

 漆黒のマントは獣みたいで、服を直した所作が身震いする鴉を思わせる。エリスは呑気なツルギの動きに少しだけ苛立った。


「なにしてんのさ」

「別に、人を取り囲んでいてこまそうとするから脅しただけ」


 ツルギは太刀に着いた鉄粉を振り落すと、するりと納刀した。


「うん、やっぱり疲れるね――――この太刀の能力を再現するのは」


 どこか朦朧とした目つきで小さくつぶやいた。

 もちろんエリスには確りと聞こえている。無茶をするなあ、とエリスは思った。


「ばーか、ばーか」

「馬鹿で結構。……さて、早々に御暇するよ? 御茶会は終いだしね、不思議の国の某じゃないけど、茶会というには品が無い」


 半ば千鳥足で二、三歩進み戦車の脇に身を寄せた。

 今、エイブラムスは中央食堂の中心に鎮座している。勿論砲身は国王を差していた。


「だから私に任せておけばいいって言ってるじゃないか」

「そんな事したら、君は徹甲弾を全て使い果たすだろう? そうしたら身一つで世界を旅しなきゃいけなくなるんだって」

「この世界の代物じゃ戦車は壊せないんじゃないの?」

「真っ当に戦えばね、でも僕たちを殺す方法ある。例えば、そう――――今しがた僕を取り囲んで銃で発砲したようにね」


 でも、それは間一髪のところで防ぐ事が出来た。 


「貴様、なにをしたと……!」


 国王が声を上げた。

 白い髭が外れて、息は上がっていた。


「説明しよう、僕は得物の能力を一時的に再現できる。能力と言うより、この刀がしてきた事かな、僕が戦車を動かせるのも同じ仕組み」

「だとして、一介の鈍ら如きに――――」

「一介の鈍ら刀なら鉛玉なんて切れないさ、けどね僕の刀は特注品なんだ。名を薄緑と言ってね、伝説の英雄が一騎当千を成し遂げた随一の名刀さ、古くは吠丸とか呼ばれてたけれど――――まあ、刀の歴史なんて君たちには関係ないか」


「ツルギ、話が長いぞ」

「ああ、ごめん。疲れるとどうしても話したくて仕方がない。そもそも最初に来て来たのは王様のほうだろ? 僕は説明してあげてるだけさ、驚天動地の銃弾義理を成し遂げた仕組みをさ」

「だから、それを話せよ。いちいち薀蓄を垂れるな」


 いつにも増して言葉が荒い。

 どうにもエリスは退屈で仕様がないらしい。

 ツルギは渋々と頷いてから、国王に視線を向けた、


「鞍馬京八流、終ノ太刀『千本桜』――――あの瞬間、僕の肉体と精神は千分の一秒に到達していた。大本の持ち主は如何なる方法を以て刹那に至ったか、伝承にも細かい手段は書いてない。どうにも僕はそこに疎くてね、何が出来るかは分かっても、完成に至るまでの経緯が抜ける。どんな修行をしたらというのは分からない」


 ツルギの言葉に国王は目を見開く。

 信じられないという表情、奇しくも信じられないのはツルギも同じだった。


「では、それが本当なら貴様は銃弾を全て見切った上で切り落としたのか。なんという芸当か、よもや人の所業ではあるまい」

「もちろん、天狗の仕業さ。分かりやすく言えば悪魔の仕業」

「殺すには惜しい男だ」


 国王は心から感激した。

 今まで恐怖に慄いていた自分が、気が付けば拍手を送っている。


「素晴らしい、ならば君自身が我が国に残ってくれないか。どんな屋敷も与えよう、もちろん少女も同じだ。何なら王家に連ねてもいい、その力は世界を――――」


 それは、ダメだ。

 ツルギは一蹴する。


「――――その力は世界を変える力、それとも手にする力かな? どちらでも構わないけれど、どちらもお断りだ。僕は世界の覇権も永住も興味は無い」

「私も同じだ、こんなクソみたいに油っこい国など私は嫌だ」


 二人の言葉と同時に国王は脱力した。


「そうか……残念だ」

「だって当然だろ、僕たちの力が何をもたらすか――――見てみるといい、王宮の外を。後に残ったのは瓦礫の山と恐怖に怯える民衆たちだけだ」


 事実、広間には負傷した兵士で溢れていた。ツルギの一太刀は銃弾の破片を飛散させ、取り囲む兵士を貫いた。

 ツルギは云う、この有様こそ異界の力が齎す惨状だと。

 例え王国が手にしたとして結果は変わらない、戦渦に巻き込まれるのが相応だ。その時は、きっと今以上の悲劇を産むだろう。


「こんなの僕は望んじゃいない、だから誰にも関わりたくないんだ」


 でもね、と。

 ツルギは初めて人々の前で嗤った。

 少年は自嘲する、己が在り方の浅ましさを。


「だれかに関わらないと僕たちは生きていけない。逃げ回るには油が必要だ、運転するには明日の食事が必要だ」


 刀を杖のように突き立てたツルギは、テーブルまで歩くとパンを一つ齧った。


「やはりパンは美味いな、ほんとうに」


 そうしてパンを飲み込むと、ツルギは国王に向けて頭を垂れた。


「申し訳ありません、私が国に来なければ今のような出来事は無かったでしょう、しかし我々は罪を清算できない」


 エリスが機銃を壊さなければ、王国に来なかったかもしない。

 否、壊したとしても直す事は可能だった。自分が能力の使役を怠りさえしなければ、あるいは自分の手で修復できた。

 だから、その罪を償う必要がある。

 それはつまり、力を譲渡するという事。

 彼らの望みは異界の力を除いて他に無いのだから。


「さあ、エリスも謝って?」

「…………わかった」


 猫のように飛び出たエリスは、ドレスの両端を掴むと深々と礼をする。


「ごめんなさい」


 一度だけ、それも小さな声で呟いた。


「じゃあ、さようなら」


 ツルギは外套を翻し背を向ける。背後には脱力した人々の抜け殻が落ちているのみ。


「最後に一ついいか」


 声を上げたのは、やはり国王だった。


「君たちは何の為に旅を続ける?」


 そんな、分かり切ったこと。


「ただ、誰も居ない地の果てで眠りたいだけさ」


 初めて文士らしい事を言えたから、ツルギは少しだけ気分が軽くなった。

 後に残ったのは細やかな春風のみである。


 ――――そうして、

     二人は王国から姿を消した。


   ◆


 だらだらと果ての無い青空を、ゆらゆらと果てしなく雲が伸びている。

 一筋の雲は蛇みたいに曲って、尻尾の方は薄れるように消えていた。今日の天気は快晴、昨日も快晴だったから明日も快晴に違いない。

 乾いた風が吹き抜ける中、延々と続く荒野の道を一台の戦車が走っている。

 そのハッチから上半身を曝け出した女の子がいる。くしゃくしゃの金髪を靡かせながら遠くを見て、


 ――――まるで亀のようだ、と装填担当のエリスは思った。


「なあ、ツルギ。次は何処に行くんだ?」


 かれこれ三日の旅路である。

 先の街を出てから、一向に人とすれ違わない。エリスが車内を覗くと、下では外套を羽織った東洋風の少年が固まっている。

 運転担当のツルギは亀のように動かないで操縦に専念していた。


「全くさ、ツルギは勝手だよな。私が楽しんでいたのに、折角に私が楽しんでいたのに、出発しちゃうんだもん」

「仕方ないだろ、エイブラムスの燃料が減ったんだから。どこかで補給できる場所を見つけないと」


 もう燃料は後がない。

 燃料は多様だと見立てたが、それを採掘できる町となると一つしかない。

 視界の遠く、陽炎の中に見えたのは岩作りの塔の群れ。その向こうには海があると言う。


「まあ、どうしても見たいものがあるしね」

「そうなの?」

「戦艦さ、戦う船…………うん、ちょっとだけワクワクしてきた」

「戦艦……? 私わかんない」

「だろうね」


 ツルギはカラカラと笑う。


「うーん、もうちょっと私に分かる言葉で話してほしいなー」

「わかったよ」


 そうしてツルギは黙り込んだ。

 二人は今、暫しの静寂を楽しんでいるのだから。


   了


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ