その5
掃除婦はイマイチ状況が把握できていなかった。
俺はただ、良かれと思って掃除しただけなのになんでこんなことに……。
当事者である彼はいつもと同じようにどこ吹く風だった。
そして竜騎士団であるキューレイトのあとに続いて重い鉄扉の後に続いた。
まるで地獄への扉を開けてしまったかのような錯覚に陥った。
竜は掃除婦を見つけるなり泥沼のような暗く沈んだ瞳の色を赤く染まらせ怒りが竜を包み込んだ。
「イーディ「貴様!」
キューレイトが四肢抑制された竜の名前を呼び終わる前に竜が掃除婦を怒鳴りつけた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃ」
たった その一言だけだったが……、響く轟音に鼓膜がビリビリと揺れた。上司があまりの覇気に悲鳴をあげた。
「くっ…。」
候補生のイライザもまた、その怒気に飲み込まれないように必死に自身の感情のコントロールしようとしていた。
一方の掃除婦は目の前にいた上司が腰を抜かして崩れゆく様に意識がとられ上司の肩を両手で支えていた。さすがはKY、目の付け所が彼はひと味もふた味も違う…。
「おもい…」
弛緩した人間は重いと知っていたがビール腹の上司はこの上なく重かった。
この方はダイエットをしたほうがいい。自分のためにも 俺の腕のためにも……。
素直に本音がでたKYに
「貴様。今 なんと申した?」
聞き取れなかったかのように竜が苛立ったように喋った。
ビール腹の上司をキューレイトはクーニャから引き離すと簡単に持ち上げ、怒れる竜から距離をとるように離れた場所にゆっくりとおろした。
さて これで竜と掃除婦を隔てるものはない。
キューレイトは場を取り持つように竜に話しかけたが
「イーディ「貴様!何故答えない」
また言葉は途中で遮られた……。
掃除婦はまさか自分のことを言われているのだと思っていないので、ただ黙って静観していた。
この竜は何をそんなに怒っているのだろう?
ガシャガシャとなる竜を縛る鎖が地面に擦れて不快な音をたてている。
「答えぬのならその首 切り落とす」
四肢抑制をされた鎖を引きちぎるかの如くに暴れだした竜に候補生は怯え自身の身を危惧するかのように後ろに、たたらを踏んだ。
「イーディクオンツ様。落ち着きください!この者はただの掃除婦です!そのような威圧溢れる態度では怯えてしまい一言も発することはできません」
「なに!掃除婦だと?」
「さようでございます。ただの掃除婦でございます」
「何故。掃除婦がいるのだ?ここは龍騎なるものがくる場所であろう!」
番となった竜の世話をするために来るものは未来の龍騎候補生達。
亡き番の場をあわよくば取るために竜が新たな番をお目通りする機会のために毎日違う候補生があらわれそして去っていく。
竜は悪態をついた。
「こちら側の失態で部外者の出入りを許してしまったのです」
「はっ。礼儀知らずの侵入を許したわけか」
「返す言葉もありません。君、名乗りなさい」
キューレイトが無言で立ちすくむクーニャに謝罪の場を与えようと促していく
「はい。掃除婦のクーニャと申します」
「下卑た名だな」
掃除婦そのものの存在をあざ笑うかのようにくだらない言葉を聞いたかのように竜は一言放った。
竜が聞きたいのは、そんな言葉ではない。
自身にたいしての不躾な態度をとったこの掃除婦が謝罪する言葉を聞きたいのだ。
竜が怒りを沈めるその言葉を。
もちろん、キューレイトは当然ながら掃除婦は謝罪の言葉を口にするものだと思っていた。
流れ的にそうなるはずなのである。
空気のひとつも読めないようでは階級をあがっていくことはできない。
必然的にその流れの中にいたキューレイトはクーニャの空気の読めなさを把握できていなかった。
反対にクーニャは自身のKYさを理解していたので余計な発言をしないようにと気を配っていたのである。正しい判断だが、今はNGである。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
誰しもが無言の時を味わっていた……。
「く…クーニャあ…謝りなさい。」
そんな愚かな部下を預かってしまった上司はなんとか震える言葉を口にした。
クーニャは例の法則にしたがい、やらかしてしまったのだと気がつきすぐさま謝罪に応じる。
一体どこが悪かったのか、おおよそ見当つかないが謝罪を要求されているのだから何かしてしまったのだろう…。
もしや…
先ほどの「おもい」という失言にたいしてだな。
クーニャは合点がいき納得した。確かに今、思い返せば失礼きわまりない発言だった。
反省せねば
「申し訳ありませんでした。」
上司に頭を下げた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
空気を読めないクーニャは上司に向かって素直に謝罪していた…。
上司以外は一同 ポカーンである…。
「ば……馬鹿者! 私にではない。お前の目の前にいる龍神様にだ!」
「えっ?あぁそうだったのですか。すみません。早計でした。龍神様、申し訳ありませんでした」
掃除婦は竜のほうにすぐさま踵をかえし最敬礼45度の角度で頭を下げた。
マニュアル通りである。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
拘束されている竜は
「……貴様……。悪いことをしたという自覚は一切ないであろう」
掃除婦のふてぶてしさに…この流れ作業的な事務的な男に、さすがに引いていた。
竜は感情を読み取る繊細な生き物である。
流れる気から陽と陰の気を読み取る。
掃除婦から流れてくるものは重々しい気ではなく、 うなれば軽いシャボン玉のようなはじけては、すぐに膨らみ、また弾けるという軽いこう……フワフワした浮ついたものだった。
「そんなこと ありません!」
そんな掃除婦を竜は不可解に見つめた。
「……何についての謝罪か申してみよ」
「はっ?」
「悪いと思っているから謝罪したのであろう。ならば答えられるであろう。申してみよ」
今度は、はっきりと陰の気が流れてきた。
掃除婦が上辺だけで謝罪していたことが手に取るようにわかり、竜は眼下にいるこの男をひねり潰したくなった。
「…はっ……。それは、この場所が私が立ち入っていい場所ではなく龍神様のお休み所に立ち入りあろうことか清掃をしてしまったことについてです」
もちろん龍はそのことに怒っているのではない。
「俺が怒っている事柄すべては貴様のその態度だ!」
「私の態度ですか」
「そうだ。貴様のような不躾な男など見たことないわ」
「はい。よく言われます!」
自他共に認めるKYだ。そこは自信を持って肯定しよう。
「減らず口が聞けぬようくびり殺してくれようぞ」
そしてクーニャは何故ここまで言われなければならないのかと、ただただ普通に驚いた。
そして、擦れる金属音に安堵した。
この鎖がある限り自身の身の安全は保証されている。
拘束されている竜は危険だから、そうされているのだと一人勝手に納得した。
慌てたのは上司の方だった。
この馬鹿を預かったせいで自身の立場まで危うくなりそうな悪寒に上司は包まれている。
なんとか、この龍神様の機嫌をとらねば。そして自己の保身も!
「御龍神様!寛容な心でお許し下さい。この者は引きこもりなのです。社会と関わりをもってこなかった故にコミュニケーション能力にやや問題がありまして。これから、いろいろと教えてゆくつもりなのです」
「なんだ 引きこもりとは?」
聞いたことのない単語に竜は問うた。
引きこもりなど通常の会話ででてきたことなどない。
竜にとって知らない単語だった。
上司はばっさり言った。
「自身の部屋に閉じこもりでてこないもののことです」
「籠城か」
「そうです。籠城です」
「貴様。なにゆえ 籠城している」
「働きたくなかったからです!」
掃除婦であるクーニャもまた、はっきりと言った。
あぁ、こんなことになるくらいなら未だに引きこもっていればよかった。
働くなんて俺には敷居が高かったんだ。
立場が悪くなっていっているような雰囲気に本音がポロリ溢れる。
「はは。これはこれは・・・・。さて どうしましょう。」
苦笑いしてキューレイトがチラリとクーニャを見た。
「クーニャはまだしていいことと、そうでないことがわからない模様です。そのような者を首り殺して何になりましょうか。罪をわからないものを殺したところで、イーディクオンツ様の気が晴れるとは思いませんが」
それもそうだと、竜は思った。
これは、何も分かっていない。
己が欲しいのは真の謝罪であり上辺の謝罪ではない。
見たことのない性格の持ち主に竜は首をひねった。
「では腕の一本で勘弁してやろう」
「え?それは困ります。掃除するのにはこの腕が必要ですから」
なんだかんだで、掃除婦という仕事が染み付きつつある掃除婦はすぐさま答えた。
殺害から腕の一本で勘弁してやろうというのに何を贅沢な。と竜は思ったが
「では足のいっぽ・・・」
「困ります。掃除するのには 両の足が必要です」
「ならば 目玉の一つで勘弁してやろう」
「目がないのなら埃にさえ気がつきません。チリ一つない磨かれた床にするのは 両の眼は必要です」
「ならば 減らず口が聞けぬよう舌を引っこ抜く」
掃除婦は黙り込んだ。
確かに……。上司は激しく同意したが推奨できる事柄ではない。
「なんだ。また、だんまりか。貴様」
掃除婦は答えなかった。
うかつに話すことはもぅ、やめよう。
口をキュッと深く結んだ。
「どこを犠牲にするか。答えよ」
目の前にいる低脳な男に結論を委ねる。
「どこを差し出すかわりにこの場を逃れるのか申してみよ」
「では。掃除婦という職を貴方様に差し出しましょう。私はこれで明日から、この館から姿も気配一つさえ感じさせることはなくなりますから 死んだも同然でしょう。」
竜にとっては意外な言葉で簡単に死という言葉を口にしたこの男の存在が気に食わなかった。
一方、クーニャはいい加減この状況にうんざりしてきた。
この仕事に愛着はあったが 生涯をかけてするほどのことでもない。
明日からまた無職だ。
構わない。
こんな理不尽な横暴さにはついていけない。
それでいい。
プィッと不機嫌さがでるように顔が横にそれた。
「いいえ。それは私が認めません。簡単に与えられた仕事を辞してはなりませんよ。貴方が差し出すものは掃除婦としての対価です。」
さすがに上司も意味がわからなくなったらしく
「それはどうゆう意味でしょうか?」
キューレイトはいたずらっ子のように口角をあげて笑った。
「明日から候補生とともに、こちらの清掃にはいってもらいたく思います」
「お断りします」
掃除婦の決断は早かった。
「貴様。それは俺のセリフであろうに!」
竜が追い込むように叫んだ。