5月某日 ある男子生徒の恋心
――――入学してすぐ、俺は一人の女生徒に恋をした。
暁学園。この学園は、一定以上の学力を有するお金持ちか、特待生のみしか入学できない閉鎖的な学校である。ゆえにこの学園に入学できたということが一種のステータスにもなる。父親は、一応中堅会社の社長。入学水準はぎりぎり満たしている。両親の勧めもあり必死の思いで勉強を重ね、なんとか高等部からこの学園に入学することができた。
入学式の日は朝から緊張し通しだった。なんとか式場に辿り着くも、その規模に圧倒されひたすら驚くばかりだった。
そんな時、新入生総代としてあいさつに上がった少女に自然と目がいった。
凛とした立ち姿に、胸が高鳴った。まさに正統派の美少女といった彼女に、周りにいた男どもも感嘆のため息を漏らす。長いストレートの黒髪はつややかで揺れるたびについ目が追ってしまう。
彼女の話す落ち着いた声音にすら聞き惚れてしまった。入学式が終わった時には、一目ぼれによる初恋を、否が応にも自覚せざるを得なかった。
彼女の名前は、鏑木 伊織といった。あの鏑木財閥の令嬢だという。特進科にも関わらず、特技はピアノ。元々こちらの生徒だったのだが、初等部の時に留学し、高等部進学を機に帰ってきたらしい。彼女なら音楽科でも何の問題もなかっただろうに、何故特進科にいるのか。不思議ではあったが、同じクラスになれた喜びの方が大きかった。
彼女に惹きつけられた男は当然俺だけではなかった。早くもファンクラブというものが創設され、会員数はかなりの数にのぼった。
彼女と俺では不釣り合いだという事は重々承知している。恋人になりたいなどという高望みは全くないので、俺も会員として参加した。ファンとして応援するくらいなら許されるだろう、そう思った。
折角ファンクラブが創設されたにも関わらず、早くも解散の危機が噂された。
ファンクラブという存在を面白く思わない人物が、潰しにかかっているらしい。彼女の所有権を主張するようなやり方に、ファンクラブのメンバーは皆怒り狂った。実行犯は数人だという話だ。それこそ立場を弁える必要をこちらが教えてやるべきだと全面戦争の構えを取った。
向こうは少数にもかかわらず、そんなこちらの動きを読んでいるようだった。話し合いをしようという手紙が届けられ、ファンクラブ会長と副会長、それに体育会系のクラブに所属する男が数人呼び出しに応じた。人数制限はなかったし、端から負ける気はしなかった。
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「君たちが、伊織のファンクラブの会員だね。悪いけど、伊織の迷惑になるからやめてくれる?」
「全く不愉快ですね。伊織のファンクラブだなんて。今すぐ解散させないとどうなるか、身をもってしりたいですか?」
現れたのは数人どころか、たったの二人だけだった。通常ならば囲い込む必要すらない。絶対に勝てる。なのにその二人の顔をみた途端、全員に言いようのない悪寒が走った。
生徒会会長 神鳥 誠司と 副会長 鏑木 里織。
にこやかにほほ笑む副会長に対して、丁寧な言葉と裏腹に不機嫌そうな顔を隠そうともしない会長。この二人が出てくるなんて思いもしなかった。情報収集していた奴は何をしていたんだ。
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今年の生徒会は大物の集まりだった。
3年特進科の生徒会長神鳥 誠司は、神鳥財閥の跡取り。薄い金髪にエメラルドグリーンの瞳をもつ彼の、女生徒たちに理想の王子様とまで呼ばれる端麗な容姿と丁寧な受け答えは有名だ。
頭もよく、中等部まではずっと学年1位。高等部になってからは2位を死守し続けている。
また副会長、鏑木 里織も会長と並んで有名な男だ。
こちらは鏑木財閥の跡取りで、彼女の義理の兄。
ヴァイオリン留学の経験がある音楽科の3年。
長い薄茶の髪の毛は柔らかいストレート。サファイアのような青い目をした女顔だが、なよなよしい感じは全くない。
神鳥会長とは幼い頃から親友の間柄で、この二人が揃うと女生徒たちがうるさくて仕方がない。二人とも種類は違えど絶世の美男子と言っていい。
そんな鏑木副会長だが、帰国後ずっと神鳥会長に代わって学年1位の座に居座り続けている。音楽科の生徒がそのような偉業をなすなど前代未聞。
一部からは、天才とまで言われている。
この二人だけでも大層な大物なのだが、今年はさらに見目麗しい3人が加わった。
大病院をいくつも経営する今里グループの跡取り息子、庶務の今里 悠斗に、神鳥 誠司の従妹、書記の峯村 奏。
そして会計に彼女、鏑木財閥令嬢鏑木 伊織だ。
3人とも、前述の2人に勝るとも劣らない容姿と経歴の持ち主ばかり。
彼女は学年1位だし、今里 悠斗も学年2位の秀才。
2年の峯村 奏は音楽科だが、彼女もまた多才な才能の持ち主だと聞いている。大学生の婚約者がおり、卒業と同時に結婚するらしいが、相手はやはり別財閥の御曹司とか。
今、目の前にいるのはその生徒会のトップの2人というわけだ。
「聞こえませんでしたか。これは警告です。早急にファンクラブを解散させてください。さもなくば、相応の手段をとらせてもらいます」
腰の低い優しい会長という噂は眉唾だったのか。目の前にいる会長は確かにかの王子様だというのに、醸し出す雰囲気がまるで魔王のようだ。威圧感が半端ない。丁寧な言葉を使っているのが逆に怖さを増長させている。
神鳥会長の隣にいる、彼よりもさらに背の高い鏑木副会長もにこやかにほほ笑んでいる。この状況下で笑っていられるのだから、前に噂でちらりと聞いた腹黒だという話は本当なのかもしれない。
「まだうちのお姫様は気が付いていないみたいだからね。彼女が知らないうちに、面倒事は片づけておきたいんだ。後々厄介なことに巻き込まれても困るしね」
「し、しかし鏑木副会長。我々は別に伊織さんに危害を加えようというわけではありません」
恐怖の中必死で食い下がるファンクラブ副会長に頭が下がる。俺はとうの昔に白旗を上げている。
「今は、まだ、ね。でもこの先どうなるかはわからない。暴走したファンクラブほど目の当てられないものはないからね。後顧の憂いを絶つためにもおとなしく解散に応じてほしいな」
首をかしげ、要求する男の目は全く笑っていない。隣の神鳥会長も同意を示すように深くうなずいている。
「何かあってからでは遅いですからね。里織の意見は正しい。ファンクラブ等に伊織の周りをうろつかれてはたまりません。僕たちが責任をもって彼女を守りますので、あなたたちは安心して解散してください」
「そんな!!横暴です。第一会長たちにもファンクラブは存在するじゃありませんか!!」
副会長すごい。誰もが思っていたけれど言えなかったことをはっきりと。もう君が会長でいいんじゃないかな。
確かに二人、いや生徒会全員にはそれぞれ個別に親衛隊やファンクラブなるものが存在する。会長たちは、非公式ではあるが存在をみとめていたはずだ。そうでなければ今の状況をみてもわかるとおり、絶対に潰しているはず。
だが、その正しいはずの言葉は二人の機嫌をより悪化させるものだったらしい。圧力がかかった空気が、更に重くのしかかる。
人数だけで言えば、圧倒的に優位なはずなのに、どうしてこうも追い詰められた感がぬぐえないのか。
「私たちのファンクラブ、ね」
鏑木副会長がおもむろに呟く。
「勿論必要とあれば潰しますが、今は存在する方が統制をとりやすいですからね」
神鳥会長もそう続けた。冷ややかな会話に体の芯まで冷えるような気がする。本当に誰だ、彼を心のやさしい王子様だなどと言った馬鹿者は。
「そういうことだね。一部の分からず屋さんたちには個別にお仕置き措置をとらせてもらうけど、基本的にいい子たちばかりだから手綱は握りやすいし、やりやすいよ。でも、結構面倒なんだよね。飴と鞭の使い分けとか。……伊織にそんな面倒な事をさせる気にはなれないしね」
「同意です。彼女の為にもファンクラブ等存在しない方がいい」
だから潰すことに決めたのだと、勝手な結論を話す二人の背中に鬼が見えるのは、俺の気のせいなのか。
「さあ、選んでください。これからの平穏な学園生活か、それとも愚か者の行く末か」
「無理強いはしないよ。大切なことだから、君たちの意思で選んでほしいからね。でも、時間はそうあげられない。だから選べないなら、選べるようにお手伝いしようか」
鏑木副会長の目がすうっと細まった。女生徒たちからロイヤルブルーサファイアと讃えられる彼の目が、何を考えているのかさっぱりわからず怖くて仕方がない。
隣を見ると、さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、副会長も恐怖のあまり腰を抜かして震えていた。他の面子も同様だ。
――――どうやら俺たちは、敵に回してはいけない人たちを敵にしてしまったらしい。
ようやくそのことに気が付いた時には、彼らの言うがままにファンクラブ解散の約束をさせられていた。
守らなかった時はと言われたが、そんな恐ろしい事をするつもりは毛頭ない。 彼らへの恐怖はこの短い間にも体の芯まで沁み渡った。逆らう気はとうの昔に失せている。
「理解してくれて嬉しいよ。では、このことはくれぐれも伊織には秘密にね」
腰を抜かした俺たちをそのままにして、彼らは踵を返す。
鏑木副会長の言葉に、全員で何度も首を縦に振った。
「そうそう。まだ公にはしていませんが、実は伊織は僕の婚約者なのです。これからはその意味をよく考えてから行動してくださいね?」
「え?」
最後に、神鳥会長から爆弾発言が飛び出した。
全員が呆気にとられて神鳥会長を見るも、すでに二人はこちらに背を向けていた。
「それ、言ったら伊織が怒るんじゃないかな」
「ばれなかったらいい。牽制も必要だ」
「確かにそう言っておけば、いらない虫も減るだろうけどね」
君を敵に回したいと思うバカはそうはいないからねという鏑木副会長に、それが目的だと返す神鳥会長。
普段とは違う神鳥会長の言葉に、それでも何故かしっくりしたものを感じながら俺たちは呆然と二人を見送った。
――――届くはずがなかった。
鏑木財閥御曹司、生徒会副会長の天才鏑木 里織の妹で、神鳥財閥御曹司、生徒会会長の学園の王子神鳥 誠司の婚約者。
実は誰よりもとんでもない肩書をもつ彼女を応援することすらできない事実に、俺の悲しい初恋はぱりんと音を立てて崩れ去った。
「……俺たちはどうすればいいんですかね?」
ぼそっと副会長が呟いた。それに力なく首を振る。
「あの悪魔共に太刀打ちできるわけがない。大人しく従うしかない」
そうはいいつつも、立ち直るにはまだまだ時間がかかりそうだ。
せめて遠くから見つめるくらい許されるだろうか。
立ち上がりながら、周りのメンバーを見渡す。
「……短い間だったが、今までありがとう。皆。鏑木伊織ファンクラブは本日をもって解散とする」
解散を告げるファンクラブ会長の俺の目には、涙がにじんでいた。
――――5月のある日の事だった。