前世 七夕の夜
「今日は七夕だよ」
マンションのベランダから空を見上げて、私は蓮に言った。今日と言っても、もう時間は21時を越えている。空は雲が覆い、どんよりとしていた。
「知ってる。そんなことよりこっちへこい。風邪ひく」
「大丈夫だよ。もう気温だって30度を超えているんだから」
「それでもだ。……お前がそばにいないと落ち着かない」
「はーい」
むすっとしながら本音をいう彼に、嬉しくなってすぐさますり寄る。そうすると腕の中に囲い込んでくれた。
「ふふ。落ち着く」
「それなら出ていくなよ」
「今日は織姫と彦星が会えたかなーと思って。雨、止んだし」
今日は午前中からずっと雨が降っていた。大型の台風が近づいているらしい。ここのところ、雨ばかりで憂鬱だ。外にでることが殆どないから支障はないけど、気圧の変化に敏感で結構しんどくなるのだ。
腕の中で、ふにゃっと笑い蓮にもたれた。いい位置を探そうとごそごそと動き、気に入ったところで体を預けた。温かい体温にさらに笑みは深くなる。
「……お前、猫みたいだな」
「蓮限定のね。他には懐かないよ」
「当たり前だ。そんなこと許すか」
「だよねー」
蓮の執着心は知っている。たまに、それをわざと突いてやりたくなる時もあるが、それをすると自分が危険になるのは分かっている。我慢我慢。
「……お前が好きそうだと思って、買ってきた」
蓮が顎で指し示す方を見れば、私の身長ほどもありそうな笹がおいてあった。残念ながら少し枯れかけている。
「わ。笹だ。こんなのどこにあったの?」
「普通にスーパーに売ってたぞ。枯れかけているからか、もう七夕が終わるからなのかは知らないが、セールになっていたから買ってきた。……ほら、短冊も用意したから。折角だから、何か書くか」
「うん」
渡された短冊を見つめる。嬉しいのだが、いざとなると何を書けばいいのやら迷ってしまう。隣を伺えば、蓮は迷うことなくさらさらと何か書いていた。早い。
「蓮、何書いた?」
「俺のを参考にしようとしているだろう」
こっくり頷けば、呆れたように短冊をスライドさせてくれた。そういいながらも、断らないんだよね。甘やかされるのは嬉しいし、くすぐったい気分になるから大好きだ。
蓮の短冊を見る。蓮の几帳面な字が並んでいる。
『生まれ変わっても、お前はずっと俺のものだ』
「……蓮、これ願い事じゃない」
断定じゃないか。しかもお願いですらなく、私への宣言のようだ。
「これじゃ、何の参考にもならない」
眉をひそめて突き返す。蓮はこちらをみて、にやにや笑っていた。
「俺への返事でも書いとけばいいだろ。ただし、返事は一択」
「ええー」
「何か文句あるのか」
「ないけど、おかしくない?……もういいよ。私は私で勝手に書くから」
「なら最初からそうしとけ」
「むー」
ぶつぶつ言いながらも、用意されたサインペンで願い事を記入する。蓮が覗き込もうとしたがそれは阻止した。
「なんだよ。見せろよ」
「やだ。かなわなくなる」
「迷信だ。だったら俺はどうなる」
「大丈夫だよ。蓮のは願い事じゃないから」
言いながら笹に括り付ける。ベランダにもっていって、物干しざおにくっつけるように紐で固定した。もう一度、空を見上げる。ぽつぽつと雨が降り出してきていた。
「あーあ。これじゃあ、二人会えないね」
「七夕の雨の確率って高いらしいぞ」
「そうなの?一年に一回しか会えないのにかわいそう」
「その上会えても会えなくても、他人の願い事まで叶えないといけないんだから、確かにかわいそうだな」
「蓮、うがった見方しないで」
情緒も何もない。睨みつければ、気にした様子もなく笑って私を引き寄せた。両腕で私を抱き込むと、安心したように息をつく。
「大体、一年に一回、しかも晴れた日だけなんて条件、我慢できることが俺には信じられない」
「蓮?」
「俺には耐えられないな。そんなことになる前にかっさらってくる」
私を抱えたまま真面目に言う蓮に、そうだろうなと思う。私もかなり強引に捕まった気がするからだ。
「ふうん。ま、蓮ならそうだろうね。じゃあ、もし今私が蓮の手の届かない所へいったら?」
何となく聞いてみる。蓮ならなんて答えるだろう。やっぱり追いかける、かな。
「手の届かない所ってどこだ?」
「?どこって言われても?」
蓮の質問の意図がわからない。
「この世界のどこでも、お前がいるなら俺は必ず辿り着いて見せる。だから、手の届かない場所なんてないだろ?」
そう言われると、蓮なら当然のこととしてやりかねないな、と納得してしまう。
「んー、じゃあ私が織姫で、蓮が彦星。すでに、天の川の両側に別れています。その上で、一年に一回しか会えなかったら?」
「会えたときに浚えばいいだろ」
簡単なことだと言われ、絶句する。
蓮、私は別にいいけど、そこまでしたら引く人の方が多いと思うよ。
「お前は嬉しいだろう?」
考えを読まれたように言われる。にやりと笑う顔が妙に色気があってドキドキする。
恥ずかしくなってうつむけば、頬にキスを落とされた。
「俺はお前以外の誰にも、そんな事はしない」
愛している、お前だけだ、と言われ更に恥ずかしくなる。これで喜ぶ私も大概壊れていると思うが、顔が緩んでいる自覚はあった。そして蓮にそれが伝わっていることも。
「だから、絶対に離さない。そうだな。手の届かない場所、お前がもし死んでしまったとしても、その先まで追いかけて捕まえてやるよ」
「蓮」
それって……。何を言い出すのかと目線を上げる。怖いくらい真剣な顔をした蓮と目が合った。
「嘘だと思うか?」
「……やめてよ」
それは駄目だ。彼が私に執着している事は知っているし、嬉しいと思っているけれど、それだけは認められない。
非難の目を向けた私に、蓮は全くひるまない。
「それを決めるのはお前じゃない。俺だ。……嫌なら俺より長生きするんだな」
「……頑張る」
ぎゅっと抱きしめられ、その腕を私も抱きしめ返す。蓮はやりかねない。なら私が長生きするしかないか。
「そうだ。ついでに七夕の和菓子も買ってきたぞ。食べるか?」
思い出したように蓮が言った。ぴくっと思わず反応してしまう。
「和菓子?」
「ああ、一緒に売っていた」
「食べる」
即座に頷いた私を、可愛い可愛いと撫でる蓮。むっとして振り返ると、待ち構えていたかのように口づけられた。
「んっ……」
少し長めのキス。蓮の意思に従うように彼の首に腕をまわす。
しばらくそうやって、彼が満足したところで放してもらえた。
「もう。突然なんだから」
「こういうのも好きだろ?」
「ううー」
否定しきれず睨むと、冷蔵庫見てみろと言われる。そうだ、和菓子。そう思ってぱたぱたとそちらへ向かった。
蓮は後ろで笑っているようだ。
気にすることを止めて、冷蔵庫を開ける。そこには綺麗な和菓子があった。笹もちと三色団子のセットのようだ。好物ばかりで嬉しくなる。
そうだ、とっておきの緑茶を入れよう。
この前購入した緑茶の存在を思い出す。こういう時に開封しないと。いそいそと戸棚を開けて、秘蔵の緑茶をとりだした。
うきうきしていた私は、その時にはすっかり蓮との話を忘れていた。頭の中は和菓子一色だ。食後のデザートに喜びを表す私を見て、蓮も楽しそうにしている。
ふと、蓮が何か言った。
「なに?蓮、何か言った?」
「いや、別に」
「ならいいけど」
聞き返してみるも、はぐらかされる。大したことではないのだろうと、私は蓮に背を向けて、お茶の準備を始めた。
だから、知らなかった。彼があの時呟いた言葉を。
……かといって、知っていたからどうだというわけではないのだが。
「俺が死ぬときは、お前も連れて行ってやるからな」
結局、私は蓮より先に死んでしまった(死んだ事自体は蓮の方が先だ)のだが、
――――私が先に死んだのは、はたして良かったのか悪かったのか。
……それは、誰にもわからない。