有機化学研究室
新しい研究室なので棚も実験台も器具もすべて新品だった。
勇太は思わず見とれていると、
「中島君、こっち。」
と声を掛けられた。
さっき雅樹と話していた原田樹理奈だ。ふんわりと甘い香水の匂いがした。さすが元アイドルだ、軽くパーマをかけたダークブラウンの髪にピンク色のパステルカラーのワンピースが良く映えている。
「あっ、ありがとう。」
初めて会話したかも、しかも元アイドルと、と少しドキドキしながら入口と反対にある奥の部屋についていった。
勇太以外の研究室メンバーがすでに揃っていて、円いテーブルに向かい合って座っていた。奥にはホワイトボードが置かれている。
海斗の左の席が空いていたので勇太も着席した。
「そういえば金剛教授って見たことある?」
海斗の右の席に座っている樹理奈が口を開いた。
「助手の女の先生なら見たことあるけど。」
勇太の左の席に座っている大林貴司が答えた。成績は学年第3位で、少しふっくらした体型に細い一重の目と眼鏡が特徴だ。チェックの襟シャツにデニム姿がオタクっぽさを醸し出している。
「この前、美紗が金剛教授をたまたま見たって言ってたんだけど、若かったって!30代かもって!しかもイケメンだって言ってたわ!」
「若すぎだろ。」
海斗が少し呆れた顔で言った。勇太も同じことを思った。
勇太は樹理奈の右横に座っている野上あきが話に加わろうとしていないことに気がついた。入学当初から常に成績はトップで、いつもシンプルでカジュアルなモノトーンの服装を着ている。表情ひとつ変えず遠くの方を見ているようだ。
『鬱らしいぜ。』
雅樹が以前言っていたのを思い出した。
『附属高校から来たヤツが言ってたんだけどそっちの学部にいる野上ってヤツ、成績優秀で入学式に代表で答辞読んでたヤツいただろ?附属高校出身でそこでも成績トップだったらしいけどな。高校の時に親友が事故死したって。しばらく強がってたのか元気だったみたいだけどある日突然、急に性格が暗くなったらしいぜ。感情がなくなってしまったみたいだって言ってたな。相当ショックだったんだろうってみんな言ってたみたいだ…』
まだ引きずっているのだろうかと考えながらあきを見ているとあきと目があった。
勇太は慌てて目をそらした。
「みんな揃ったみたいね。」
白衣を着た、肌が真っ白でしみひとつない、目鼻立ちが整った女性が入ってきた。20代後半から30代前半といったところか、白衣から覗いたスラッと細い脚に勇太と貴司は思わず息を飲んだ。
その後ろに背の高い男性が立っていた。
なるほど、美紗って子が30代と言ったのも頷けなくもない。肌はピンと張ってしわがなく、『教授』というイメージからかなりかけ離れた若々しさだ。
『何歳なんだ?若いしイケメン…女子が噂するはずだ。』
みなビックリした表情をしている中、あきは金剛教授を見ても表情ひとつ変えなかった。
「教授の金剛だ。こっちは助手の金剛文子、ちなみに私の娘なんだがみなの実験のサポートをしてくれる。」
教授といい助手といい突っ込みどころ満載だなといたずらっぽい笑みを浮かべながら海斗はチラッと勇太を見た。勇太も少しにやけながら軽く頷いた。
「これから研究テーマを発表する。」
教授が奥のホワイトボードに磁石でくっついていた黒いペンを取ろうとしたとき、キーンと高い金属音が聞こえた。
なんの音だろうと周りを見回そうとすると、いきなり辺りが真っ白になって教授も助手もホワイトボードも勇太たちの前にあったテーブルも座っていた椅子も消えてしまった。
「痛っ、えっ、何!?」
あき以外みなしりもちをついた。あきはその場に立っているが、少し険しい目つきになっていた。
みな訳が解らない顔つきで座りこんでいたが、目の前に人が立っているのに気づいた。
色とりどりの袴を履いた装束を着た男女が自分たちを囲んでいる。
「成功だね。」
アメジストが両手でVサインを作って言った。ツインテールで目がくりっと大きい。勇太たちと同じくらいの年齢に見える。
「扉が開いたのね。」
はじめてあきが口を開いた。