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引っ越しの準備

 ……しばらく家に置くとは言ったものの、何の準備もしていない。見切り発車だ。それに、しばらくと言ってもいつまで置いておくかも決めていない。このまま一生家に住みつかれても困る。かといって『やっぱりなし』というのは酷だ。


 フランシスは、まだ握ったままの手を確かめながら、考えていた。



 これは、多分自分なりの罪滅ぼしのつもりだったのだ。吸血鬼の居場所を奪ってしまったことの。だからあんなことを言ってしまった。言ってしまったからには、これから毎日、教会と(軍人なのに)軍に怯える毎日を送らなければならない。


 ……今更後悔しても遅い、とにかくこの爆弾のような少女、ルーナの面倒をしばらく見るほかないのだ。



「……ねえ、やっぱり後悔してるんでしょ? 私、スラム街でも何とか頑張って暮らしていけるし、無理はしなくても大丈夫よ?」

「後悔も無理もしてねーよ。さっきから泣いたり茶化したり心配したり忙しい奴だな。怪しまれるからとっとと家に入るぞ」


 こんな少女に心を見透かされたというのが、少し悔しい。そう思いながら、足を速める。……そういえば、少女少女と言ってはいるが、実年齢は何歳なのだろう? 外見は14,5歳に見えるから、その頃に死んだか、吸血鬼に噛まれるかしたのだろうが。


 ……別に気にすることではないのだが、ふと疑問に思った。先ほどの会話から気まずかった空気の解消ということもあり、ひとまず訊いてみることにした。



「ルーナってさ、吸血鬼になってからも含めて何歳になるんだ?」

「え? 吸血鬼になってから年なんていちいち数えてないけど……だいたい30歳くらいかしら」


 まだ人間として充分な年齢に、謎の安心感を感じた。それでも、自分よりも年上というのが、彼は少し気に入らなかった。ちなみに、フランシスは今年で24になる。この年で中尉というのは珍しい。



「ねえ、まだつかないの?」

「もう少しだ」

「手が疲れてきた……」

「ええい面倒な奴だなお前は自分から握っておきながら!」

「ちょっ、大きな声出さないでよ」

「大丈夫だ。この時間、この辺りに人は来ない。朝市が終わって、みんな家でゆっくりしてるのさ」

「ふーん……?」


 スラム街から10分ほど歩いて、市場を通り、広場を抜け、住宅街まで来た。フランシスの言うとおり、あたりには誰もいない。周りの家から少しだけ声が漏れることがある程度で、とても静かだ。フランシスの家は、この住宅街にある。






 だが。

 彼は知らなかった。彼の最も恐れる人物が、すぐ近くにいることに。




「あ、でも、あそこに人が歩いてるわよ」

「本当だ。……バレないように気をつけろよ」

「分かってる」


 その人物は、ゆっくりと歩いていた。それに合わせ、彼らもゆっくり歩く。歩きながらもこっそりと注視していたため、フランシスは真っ先に気付いた。その人物が誰かを。








「げっ……!! フラジール准将……!」

「ん? フランじゃないか……って、人の顔見て『げっ』とはどういうことだ? 喧嘩売ってんのか」


 その人物は、明らかに不機嫌そうにフランシスを睨んだ。乱暴な言葉を使ってはいるが、彼女の名前はヴィクトリア=フォン=フラジール、列記とした貴族生まれの女性。だが彼女は軍人、それも多くの部下から恐れられる鬼将軍なのだ。もちろんフランシスもその例外ではなく、この将軍には何度も泣かされている。


 成人男性のフランシスと変わらない高い身長を持ち、軍用コートを着て、さらには腰に物々しい大剣を差している彼女は、一見すると男のようにも見える。だが同時に、たなびく長い金髪と凛とした透き通るような蒼い目を持つ彼女は、本物の貴族も憧れる程の色気と気品があった。



 フラジールという名は『儚い』という意味を持っているのだが、苗字とはいえ冗談ではないと、フランシスは彼女の名を口にする度に思っている。彼女は、儚いなどという言葉からは最も遠く離れた人物だ。



 ……むしろ、仁王のような雰囲気さえ感じる。

 だが、当然そんなことを口にすれば斬り伏せられるのも覚悟しなければならないため、いつものことだがそれは言わない。



「えぇーと……いえ、断じて喧嘩を売ってる訳ではありません」

「ならなんだというんだ?」


 フラジールが、フランシスとその横で怯えている少女を交互に見る。……そして、突然顔をにやつかせた。フランシスは、また出そうになる溜息を抑えて、生唾を飲み込んだ。

 ……この人がこういう顔になった時は、絶対にろくな目に合わない。




 彼の経験則だった。





「ああなるほど、デートの邪魔をされたからか? それはすまなかった。だが、それにしては彼女の服は随分とみすぼらしいな」

「いや…………あの、はい、まあ、そうですね。これから服屋にでも行こうかと」

「スラム街の幼い子供を彼女にするとは、よっぽど変な性癖を持っているんだな」

「あ、あははははは……そうですねぇ、私もそう思います。ではこれにて――」


 早めにこの場を去ろうとした時、肩を思い切り掴まれた。女性とは思えぬほどの力で、フランシスを引き寄せる。フランシスが顔だけ彼女の方を見ると、彼女はやはり笑っている。まるで、新しい玩具を見つけた子供のように。

 だが、彼女には無邪気さだけは欠片もない。



「まあ、待てよフラン。せっかく休日の日に会ったんだ、久しぶりにゆっくりと話しあおうじゃないか。その彼女さんの事もふくめて、な?」


 言葉だけ聞くと、ルーナへの嫉妬ともとれなくもないが、当然断じて違う。フラジールは、たぶんもうほとんど察してしまっているのだ。ルーナが何者かというのを。

 どんどんと彼女の顔がフランシスに近づいていく。じっくりと尋問をされているように。



「いえ……あの、せっかくの休日ですし、ね? お互いゆっくり、親しい人と過ごすこととしましょう」

「ほう、それは未だ独身の私に対する嫌味と受け取っていいのか?」

「め、滅相もない……!」

 じりじりと迫るフラジール。たじろぐフランシス。


 それを傍観するルーナ。どうしていいか分からず、おろおろしている。



「と、ところで准将は、何故わざわざこんな辺鄙なところに?」

「その辺鄙なところに住んでるからさ。悪いなぁ、辺鄙なところで」

「は、ははは……そうなんですか」


 もう愛想笑いも崩れそうになりながら、無理やり顔を保つ。准将というからには、街の中心の方に住んでいるとばかり思い込んでいた。フランシスもここに住んでいるのだが、フラジールがすぐ近くに住んでいるなど少しも知らなかった。

 へりくだったつもりが、さらに失礼なことを言ってしまったことになる。言うこと言うこと全てが、裏目に出てしまう気がした。




「い、行きましょ、フラン! 私、早くお茶が飲みたいの!」

「ほう、お嬢さん茶が好きなのかい? 飲みたいのは、本当にただの茶なのかな……? そういえばその布も被り方が変だな。その布をとって、堂々と可愛い顔を見せればいいじゃないか」

「じゅ、准将。准将のお察しどおり、この子はスラム街の子です。あまり事情は聞かないでやってください」


 今までフランシスが必死に話題を逸らしていたのが、すべて台無しになる。ルーナは自分なりに助け船を出してくれたつもりなのだろうが、逆効果だった。フラジールの目線が再びルーナへと移る。



「まあ、あまり苛めるのも芸が無い。このへんにしといてやろう。そこのお嬢さんも、化け物ではなさそうだし?」

「はは、では私たちはこれで……」

「なぁフラン」


 やっと解放される、と思った矢先に、呼びとめられた。歩みを止め、返事も忘れて、ゆっくりと彼女の方を向く。










「――化け物になったお前達を斬る準備はできているぞ?」


 彼女の含み笑いの下で、剣が光った気がした。



 フラジールが、吸血鬼弾圧派でなくてよかったと心から思う。この厳格な将軍の前では、お人好しの彼でも心変わりしたかもしれない。


 彼女は、弾圧派ではない。だが軍人が吸血鬼になったというのなら、話は別。吸血鬼は軍人になれず、軍人が吸血鬼になれば問答無用で処刑されるからだ。

 この少女を背負う重みを改めて感じさせられたフランシスは、朝だというのに汗だくになりながら再び歩き始めた。



 そして、それから2,3分で自宅へとたどり着いた。フラジール准将に会って精神を著しく擦り減らしたフランシスには、それでも長すぎる距離に感じた。


「ついたぞ。ここだ」

 ルーナを中に入れる。そして、自分も椅子に座って、また大きく溜息をついた。ルーナを見やると、猫のようにあちこちを動き回っている。とは言っても小さい家だ、すぐに終わるだろうと放置して、椅子の上でしばらく落ちつくことにした。


 予想通り、ルーナはすぐに帰ってきた。やや期待外れ、といった顔をしながら。



「……中尉って割には小さい家ね」

「我慢しろ。一人暮らしなんだからこれくらいでちょうどいいんだ」


 ここで、フランシスは気付いた。


 今まで一人暮らしをしていたものだから、ほとんどの物が一人分しかないことに。食料は相手が吸血鬼だから問題ないとして、服だ。フランシスが独り身であることは市場の市民には知られているし、女物の服など買ってはまた騒がれるに決まっている。

 ……それに、ベッドも一つしかない。



「なぁ、ルーナ」

「何?」

「俺とお前でベッド一つじゃ駄目かな」

「駄目に決まってるでしょバカッ!」


 まあ当然の反応だ。というか、そんなことになったらフランシスもどうしていいかわからない。

 しかし、ベッドを買うとなったらこれはもう服どころの騒ぎではない。服なら女へのプレゼントで誤魔化せるが、ベッドをプレゼントする者は中々いない。誰もが、誰かと同棲するものと思うだろう。病気の母が越してきたから、とでも言い訳しておくかと彼は一瞬考えたが、誰かが見舞いに来ても面倒だ、とその考えを消した。


 いくらこの家の持ち主がフランシスだからと言って、自分がベッドの上で寝て、年端もいかぬ少女を床で寝かすのはあらゆる意味で問題がある。しばらくは自分が床の上で寝るしかないだろう。


 ベッドの方はしばらくそれで我慢するとして、やはり服が必要だ。



「しばらくここでくつろいでてくれ。ちょっとお前の服買ってくる」

「ま、待ってよ。自分の服くらい自分で買いたいわ」

「……お前な、ここまでは上手くいったが、外に出ることがどんだけハイリスクか分かってんのか? ただ服買うだけだぞ? 我慢しろ」

「わ、私だって女よ。お洒落したいじゃない!」

「分かった分かった。じゃあリクエストしろよ。できるだけそれに沿った服選ぶから」

「えー、私が選びたい……リクエストなんかじゃ、うまく伝わらないだろうし」



 スラム街から出た途端わがままを言い出したのは、ただ単に甘えているわけではないだろう。おそらくは、スラム街に住んでいたことで眠っていた吸血鬼としての習性もあるはずだ。吸血鬼になると貴族精神がつき、プライドが高くなるうえ、高級品・嗜好品を欲しがるようになるらしい。

 そんな話を思い出したフランシスは、今日何度目になるか分からない溜息をついた。



「わがまま言うな。できるだけ妙な噂は避けたいんだ。……本当なら、服を買うのだって避けたいが? それじゃあお前が気の毒だと思って買うって言ってるんだからな」

「……分かったわよ。でも、なんて誤魔化すつもり?」

「女へのプレゼントってのが一番簡単だな。さ、リクエストがあるなら早めに言ってくれ」



「わかったわ。えーと、黒でゴシック調のレースフリル付きドレスをお願い」

「……聞くだけで高そうだな」

「いいじゃない。女性にプレゼントするんだからそれくらいしなきゃ、ね?」

「こいつ、そのために誤魔化す方法を訊いたのか……」


 プライドがあるにしては、随分と汚いやり方だ。というか、もう少し遠慮をしろ。そう思ったが、細かく言うのは諦めて大人しく買いに行くことにした。


「あ、ちょっと待ってフラン!」


 だが、玄関の扉に手をかけたところで、ルーナに呼び止められた。フランシスが振り向くと、彼女は少し言い辛そうに目をそらしていた。




「……先に血を吸わせてくれないかしら。そろそろ血を補給しないとまずいのよ……」

「でも、体に吸血鬼の牙の痕を残して買い物に出かけるわけにはいかないだろう?」

「それは、そうだけど……」

「さっきも言ったが、できるだけ騒ぎは起こしたくないし、リスクはなるべく低くするべきだ。早めに帰ってくるから我慢してくれ」

「まあ、そうね……。こちらは居候の身なのだから」


 それにしては随分と高価な物を頼むじゃないかと言ってやりたかったが、今言っても仕方ないので抑える。扉を開ける直前、また「フラン」と短く呼びかけられた。ルーナの方を振り向くと、


「……早く帰って来てね」

 そう、しっかりと見つめられながら言われた。


「分かってるさ」

 短く返事をして、今度こそ家から外へ出る。



 家の鍵をしっかりと締めたのを確認し、扉によりかかる。辺りを見回すと人がちらほらと見えるが、全くそれを気にすることはない。ここに来て彼は、今日初めての安堵の息を漏らした。家の前で誰かに話しかけられても面倒だと考え、また施錠を確認し直してから、足早に歩いた。



 服を買ってくると言ったものの、フランシスはほとんど服など買わないし、ましてや高級な服を売る店など見たことすらない。……店を見つけるためには、人に訊かねばならない。高級なドレスを売る店を探したとなれば、これも噂になることは必須だろう。


 ……だが、吸血鬼一人を家に置いているのだから、それくらいの噂はいかに隠しても必ず出てくる。それなら、下手に隠すより女の匂いをまとわせておいた方が、むしろカモフラージュになるのではないか? あれこれ悩んでも仕方がないため、そう考えることにした。




 そして、何度か道を訊きながらようやく服屋に辿りついた。訊くたび訊くたびに、人からにやにやと笑われたのは、言うまでもない。


 改めて、服屋を見る。まるで縮小した城のような高級感溢れる外観は、見るだけで帰りたくなる。場違いにもほどがある、とフランシスは呟く。そして、看板には、『royal house』と厳かな文字で彫られている。


 ……高級服を売っているといっても一介の店に過ぎないというのに、『王家』などと銘打って果たしていいのだろうか、などと、意味もなくこの店にケチをつけた。



 なんとなく緊張しながら中に入ると、当たり前だが中にはたくさんの服が置かれていた。フランシスは服屋など行っても小さな店くらいだったものだから、たくさんの服が並んでいるという状況をあまり見ない。


 ……そして、目を背けたくなるような値段も、あまり見ない。


 だが、入ったからにはもう買ってしまおうと思い、服を探す。黒い服はさほど多くない。その中にレースフリルのドレスなどあるのだろうか、と、心配なのか希望なのか彼自身分からない気持ちでいたのだが、実際のところそれはあった。すぐに見つかった。


 黒が基調のゴシック調で、ふわふわとしたフリルが幾重にも付いている(フランシスには邪魔にしか見えないのだが)。貴族のお嬢様が着ているような服だ。ルーナがこれを着れば、つい先ほどまでスラム街でスリをしていたとは誰も思わないだろう。


 もちろん、これも例に違わず信じられないほど高価だ。

 だが、できるだけ高級なものの方が、かえって好きな女へのプレゼントと見なされリスクは少なくなるはず……。少女にうまく言い包められたのを否定するように、そう何度も頭の中で思い続けた。


 カウンターの方を見る。そこで立っているのは、二十代後半といったくらいの女性だった。……女性は色恋沙汰に敏感だ。多少面倒に思いつつも、ルーナも待っていることだろうからその女性を呼んだ。



「店主、この服をくれ」

「はい、かしこまりまし……あら? あなたはもしや、フルート中尉ではありませんか」

「え、俺を知ってるのか?」

「はい。たまに市場で見かけます。軍人としては珍しく市場の皆さんと仲良く話してらしたので、覚えていたのです」

 どうやら、こんなフランシスとは無縁な高級服店で働いている人でも、彼の名は知っているらしい。彼としては、なんだかむず痒い感覚がした。


「このようなドレスを買ってもらえるなんて、中尉の彼女さんは幸せ者ですわね」


そう茶化されても、苦笑いをするしかなかった。





 プレゼント用として包まれた箱を抱えながら店を出て、再び街中を歩く。早めに帰ると言ったが、結局遅くなってしまった。もう一、二時間は経っている。ルーナもさぞ退屈していることだろう。彼は、そう考えながら足を速めた。



 




 ――だが彼は、すっかり忘れていたのだ。




 力のない吸血鬼が血を吸わずにいると、どうなると言っていたかを。

フラジール准将の方が、ルーナよりも描写が細かい気がする。

……趣味全開ですね、私。

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