夫を躾直します。お話をさせましょう。③
夫はしばらく片手で顔を押さえてうつむいていましたが、ややあって深いため息をつきました。
「・・・誤解、だな」
呻くようにつぶやいた夫に勢いよく頷いてみせます。
ついに会話が成立し、かつ継続しました! やったっ! 快挙です!!
「そうなんです、誤解なんです! だからもっとお話しましょう! あ、私今夜から外側で寝ますね!」
会話が成り立ったのが嬉しくて興奮気味で言うと、夫が片手の隙間からチラッと視線を投げてきました。
な、なんででしょう? 夫がひどく疲れているように見えますし、なんとなくその視線に物騒なものが含まれているような気がするのは、気のせい、ですよね?
「このままでいい」
私に遠慮しているんでしょうか?
夫の視線にちょっとビビりつつも、せっかく話をしようとしてくれているのですから、この機会を逃すわけにはいきません。
会話続行です。
「私、本当にどちら側でも眠れますよ? お好きな位置があるなら、そちらで休んだ方がよく眠れていいと思うんですが」
筋金入りの快眠体質なので、寝床が変わろうが枕がなかろうが、私の睡眠欲を妨げる要素にはなり得ません。というか、椅子の上でも快眠出来ますし。
「このままでいい」
もう一度、本当にこのままでいいんだという明確な意思を込めて夫が言いました。これ以上無理に勧めるのも迷惑かもしれませんね。私は、わかりました、と言葉では従順に答えつつ、今夜は夫が先に寝床に入るのを待ってみようと思います。そうしたら、私の方が外側になるはずですものね!
ささやかな企みを練っていると、夫が小さくため息をつきました。
「どうしました?」
「誤解が解けたら、どうなる?」
誤解が解けたら、ですか? 珍しく夫からさらに会話を続けようとしてくれているのが嬉しくて舞い上がってしまいそうになりますが、私の鋼の理性で押さえつけて考えます。
えーっと、誤解が解けたら、私は外側で寝て、夫は内側で眠るってことですよね。するとどうなるかというと。
「よく眠れるようになると思います!」
これ以外、正解はないでしょう、と自信満々で答えると、な、なんと! 夫がふっ、と口元に笑みを浮かべました。
お、夫が、笑った!
あの無表情、無感動、無関心の夫が、笑いました!
ああっ、私、今日という日を一生忘れません! 出会ってから初めて、夫が笑ったところを見ました。
そうか、クマさんにそっくりだと常々思っていたんですが、ちょっと唇の両端が上に上がると本当にそっくりになるんですね。このまま抱きついて、ソファ代わりにしたい欲求が湧き上がってきます。
やっちゃってもいいですか? いいですかね!?
ああでも、せっかく夫が会話をしてくれて笑顔も見せてくれたのに、奇行に走ってまた無い無い尽くしに戻ってしまったら、非常にもったいないです。うん、ここは我慢、我慢。
両手をこっそりわきわき動かしながらも、理性が打ち勝ちました。
よくやった、自分!
夫の珍しい笑みが消えるまでの一瞬で、ここまで考えました。一瞬って結構長いものだったんですね。
笑みが消えた夫の口元を残念な思いで見つめていると、突き刺さるような鋭い視線を感じました。
驚いて口元から視線をあげると、一瞬、夫の瞳に、うねるような熱っぽい何かが見えた気がしたのですが、瞬き一つで、いつもの無関心な凪いだ瞳になっていました。
・・・な、なんだったんでしょう、今の。
夫の笑みを見た勢いで幻覚まで見てしまったのかもしれません。はしゃぎすぎですね、自分。
でも、今夜は大成功です。
夫と会話ができた上に、笑顔まで! 今日は勝利の美酒に酔いたい気分です!
いつもは手酌で飲んでいる夫にお酌して、食後でも食べれるような簡単なつまみを作って、私も一緒に飲ませていただきました。もっとも、私が飲むのはお茶ですけどね。
さらに小さなたくらみも成功させるべく、その夜は頑張って遅くまで起きていたんですが、いつの間に眠っていたのか、目が覚めたらいつも通り寝床の奥側で横になっていました。その後も何とか手前側に寝るべく起きていようとするのですが、いつも私が先に寝てしまいます。
・・・そういえば、いったい夫はいつ寝ているんでしょうか?