私のお話をしましょう③
長い話になりそうだ、ということを感じ取ったのか、夫のご友人方も腰掛けたり、壁に寄りかかったりと思い思いに楽な姿勢をとっています。
さて、どこから話せばいいのでしょうか?
本当に最初の最初から全部話すとなると、とても一日では終わりそうもないので、こちらに関わる部分と、話しておきたいことだけをかいつまんで話せばいいですよね。
こういった説明事は、友人の得意分野ですから、ここに友人が居てくれたら話は早いんですが。
と、ちょっと他力本願なことも考えながら、どう話すか、頭の中で道筋を組み立てます。
「私の一族は、昔から数多くの行方不明者が出ているんです」
数年に1人から多い時は年に数人。
老若男女、性格、趣味、思考は一切関係なく、ただ血が繋がっているということだけが共通点で、次々と姿を消す親族たち。
「なんの前触れもなく、ある日突然消えてしまう親族を渡り人と呼び、長い間、不帰と同じ意味で使われていました」
渡り人がどこへ行ってしまうのか分からないけれど、誰一人として帰ってこない。でも、死別と違って遺体もないから諦めもつかない。だから渡り人という言葉が生まれたのだと聞いています。
「でも、5代前のご先祖さまが、初めて帰って来て。渡った先には、同じような人の社会があり、文化があると語ったそうです。そこから状況は変わりました」
初の帰還によってもたらされた情報に、私の一族は狂喜したそうです。
行き先不明の一方通行が、実は往復可能なことがわかったんだから当然ですよね。それに先に渡っていた何人かの親族とも会ったと話したそうなので、なおさらだったと思います。
「それが、この街だった、って?」
「はい。随分昔のことなので、多分、ですけど」
壁際で腕を組んで立っているご同僚が、ちょっと驚いたような声で聞いてきました。
私も文献でしか確認していないので、なんともいえない部分ではあるんですけどね。
「同じ血筋からばかり、訪れし者が出てたってのか?」
「記録によれば、確かに共通点はある。・・・気にせず、続けろ」
店主さまと元夫の会話に気を取られていると、最後の部分は私に向けて言いました。
「ご先祖さまがこちらで体験されたこと、帰還のきっかけになったのがなんだったのか、すぐに一族全員に知らされたそうです。それでも、なぜか渡り人が帰ってくることはごく稀で」
帰ってくる渡り人と、帰ってこない渡り人。
自然と、こちらについての研究が盛んに行われました。
「いつしか、こちらから帰ってきた渡り人を畏敬の念を込めて、渡帰と呼ぶようになったんです。そして、渡帰が持ち帰った情報を元に、幼い頃からこちらについての教育が徹底的に施されるようになりました」
渡ったらどうすれば帰れるか、有用な情報を少しでも多く持ち帰るにはどうすればいいか。
「渡り人となったならば、次の渡り人の為に、少しでも多くの情報を持ち帰る。それが私の一族に生まれた者の使命なんです」
私を支える夫の腕に少し力がこもったような気がして、無意識のうちになだめるように、そっと撫でます。
私は天敵にちょっと目を向けました。
いつも通りの微笑みを浮かべて、椅子に深く腰かけています。
「私の母も、私が小さな頃に渡り人になりました」
そこからの経緯は、私よりも、むしろそこで感情のこもらない微笑みを浮かべている天敵の方が間違いなく詳しいので割愛させてもらいますが。
「母も二年ほどで、これまでの渡帰と同じように祈祷所で陽の光を浴びて帰ってきたといっていました。その後は、渡帰として、いろいろな事をわたしたちに教えてくれたんです」
情報だけでなく、強力洗剤や他にもいろいろ考案していましたしね。
まぁ、なかにはとんでも無い誤情報もありましたが。ええ、天敵が全くの別人になるほど美化されていましたよ。その情報を鵜呑みにしていた私が受けたあの衝撃といったら。
天敵と初めて会った日のことを思い出しかけて、思わず遠い目になってしまいそうでしたが、首を振って記憶を振り払いました。あれは私の人生の中で、二度と思い出したくない出来事のひとつです。うん、思い出したくないことは、忘れてしまいましょう。
「母がそうしたように、私も渡帰になるつもりでした。渡ってすぐはとても不安だったんですが、レインがいてくれましたし、奥方様もいらっしゃいましたから」
「レイン? まさか」
元夫が壁から体を起こして、警戒するように、まっすぐに私を見てきます。
ああ、元夫は知らなかったんですね。
「レインは、私の母方の遠縁ですよ?」
血が遠い割には、よく似ているって言われるんですけど。
正確には、母方の祖母のいとこがレインの祖母です。
渡りの血を嫌ったレインのおばあさまが、一族と離れて暮らしていたので、私とレインは、小さい頃に数度会ったきりで、ずっと疎遠になっていました。
だから、私よりも先に渡り人になっていたレインとこちらで再会して改めて友人になれたときは、本当に嬉しかったんですよね。
「レインはこの街で生き、次に渡り人が来た時に支える役割を担うと決めていたので、私は渡帰になって、情報を持ち帰ろうと思ったんです」
だから、保護者と奥方さまから、夫とのお見合いを勧められた時、最初は、はっきりと断ったんです。私はこちらに残るつもりはありませんでしたから。
ただ、それでも一度会うだけあってみて欲しいと保護者から頼み込まれて、奥方さまからも猛烈な説得を受けて、会うだけ、ということでお見合いの場に行ったのですが。
お見合い相手は、大好きなクマさんのぬいぐるみにそっくりな方で。
つい、熱心に見てしまったのが良くなかったのか、気付いたときには、荷物が全て夫の家に運び込まれ、あれよあれよという間に、手続きが完了してしまっていました。
自分で署名したりしていないので、しばらく実感がなかったのですが、手探りの夫婦生活は、いろいろなことがあって、毎日が新鮮で楽しくて。
最初の数ヶ月は、正直、帰還のことは頭の片隅に追いやってしまっていました。
「ひと月に一度の勉強会で、奥方さまに必要な情報を教えていただきながら、少しずつ街で見聞を広げて。レインと手分けをして、まだ帰ってきていない親族の情報を集めていたときに、神官次長に会ったんです」
一人になったときを狙ったかのように現れた神官次長は、普通の真っ白な神官服を着ていました。普段は、装飾をふんだんにあしらった神官服を着ているので、最初は誰が話しかけてきているのかわかりませんでした。
神官次長は、私に黒のリーフェリアと帰還について語り、黒のリーフェリアの資格を得るために、夫と離縁することを勧めてきました。
「黒のリーフェリアのことを教わって、帰還の話を聞いて。おかしい、と思ったんです。だって、私たちの一族に伝わる帰還方法とまったく違う形での帰還でしたから。だから、何かあるのかなって。なら、調べてみようと思ったんです」
だから、夫との離縁を決意しました。
それでも、ぎりぎりまで先延ばしにして、『現妻による、未来の妻のための、夫の再教育計画』と銘打って、夫との時間に悪あがきしてしまったのは、私の我侭でした。
夫の家を出てから、あちこち調べ、黒のリーフェリアという立場を使って神殿内の書庫にも忍び込んだりして。
「そうして、帰還していない二人の親族の名前が入った、歴代の黒のリーフェリアの記録を見つけたんです」
神官次長は、全員が無事帰還を果たしていると言っていましたが、少なくとも、この二人は帰ってきていません。
「二人とも、きっと、黒のリーフェリアになって儀式を受けて、本当に帰還できればそれでよし。帰還できなくても、本来の帰還方法で帰ればいい。そう思って黒のリーフェリアの儀式を受けたんだと思うんです」
だから、とても、とても腹が立ったので。
「母がこちらで開発した洗剤で、私たちを渡たらせる生誕の間を、汚れひとつない状態まで磨き上げました」
もう二度と、誰も渡ってこれなくしよう、と決めました。幸い、私は母特製の強力洗剤のレシピを暗記していましたし、友人が材料を揃えられる環境にありました。
「ああ、あれをやったのはあんたか。さっきから神官たちが大騒ぎしているんだよ」
磨き上げるついでに、不可思議な光を発する床の模様もすべて消してやりましたから、あの光輝くような部屋は今や神殿の普通の部屋と大差ない一室になっています。
母特製の洗剤を使って、私の清掃能力の限りを尽くして磨き上げたので、ちょっとの模様も残っていませんよ!
私の一族以外にも訪れし者はいますが、全て生誕の間に現れるそうなので、あそこさえ消してしまえば。
「これでもう、訪れし者は来れないはずです」
私たち渡り人は、生誕の間で光に包まれて生まれ、そして光に包まれて帰るのですから。
「おめぇさん、そこまで分かっていてなぜ、帰還の儀式を受けようとしたんだ?」
「儀式の下見をさせて頂いた時に、床の模様が生誕の間の模様によく似ているな、って思ったんです」
生誕の間の代わりになるかも知れませんし、この模様をもとに、再現されてしまうかもしれません。だから、こちらの模様も消しておきたかったですし、儀式を行う神官たちの思惑も知りたかった。
奥方さまには全て話していたというか、聞き出されてしまっていたので、私に何かあっても保護者として対応可能なはずでしたし。
まぁ、結局、汚れ落としじゃなくて、爆破してしまったわけですが。模様は完全に消えたので良しとしましょう。
何度か死にかけましたが、私の目標は一つを残して、全部達成出来ましたよ!
あとは、目標というか、願望がひとつ。
私は、この場にいる男性たちをぐるり、と見回しました。
気持ちに余裕がでて、次々と沸いてくる疑問を頭の中でまとめてみると、つまるところ、聞きたいのはたった一つ。
私は、夫を見上げ、聞いてみました。
「あなた方は、誰ですか?」
夫は、私と同じようにそれぞれを見回して。
「・・・自警団、だ。今は」
・・・自警団が神殿の奥庭まで侵入していいのかとか、なんで四人なのかとか、今はってなに、とか突っ込みたいところは山ほどあるのですが。
そろそろ限界です。
なんだか非常に眠くなってきました。そういえば、ずっと寝てなかったんですよね。
「君は、渡帰になりたいのか?」
ぼんやりし始めた頭に元夫の声が入って来ます。
なりたいか、なりたくないかではなく。
私は思いつく限りの最善を尽くしましたが、それでも、もし。
また渡り人がきてしまったら。
私は、渡帰になる義務があります。
・・・でも、わがままを言えるなら。
「・・・ここに居たい、です」
欲求に負けてしまわないように、目をこすっていたのですが、その手が夫に抑えられてしまいました。
もうっ、まだ話したいことがあるのに、寝ちゃうじゃないですかっ。
でも手を取り返すことは出来なくて、仕方ないので目の前にある夫の胸に顔を擦り付けました。
・・・夫の匂いがします。
当たり前なのですが、その事に酷く安心して大きく息をつきました。
もうダメです、瞼を開けていられません。
「・・・帰さない」
意識が落ちていく中。
・・・夫の低い声を聞いたような気がしました。