16 辞退します。
前夜祭は、豪奢な黒の神官服の神官次長と、同じく真っ黒の衣装に深々とフードをかぶった神官たちと一緒に移動し、あちこちで祈りを捧げ、私が持った花を表のリーフェリアが待機する部屋まで届ければ完了です。
やること自体はとっても簡単なんですが、食事も食べれず、睡眠不足状態で掃除という体力を使う事をしたので、もう立っているだけでふらふらします。でも、気力をふりしぼって表のリーフェリアに花を渡しました。
その時に表のリーフェリアがちょっと驚いたような顔をしていたのですが、そんなにおかしな顔をしていたでしょうか?
もしかしてクマがまぶたまで侵食してきてしまったのかもしれません。
・・・それはたしかにちょっと夜中には会いたくない顔ですよね。
「これから聖域に移動するが歩けるかな?」
あまりにも私が一か所に立っていられないせいか、神官次長が小声で聞いてきます。
ある意味ここからが本番なんです!
残りの体力を使い切ってでも行きますとも!
そうです、これまではリーフェリア祭に必要な黒のリーフェリアとしての動きです。そしてここからが、私にとっての最後の儀式というべき、帰還の儀式が執り行われるのです。
「歩けないのなら、抱えて行くことになりますが」
「歩きます!」
横から天敵が同じように小声でいって来ました。天敵に抱えられるくらいなら、這ってでも自力で行きますよ!
なぜか答えるまでの間の一瞬に、背筋に寒気が走るような鋭い視線を感じて、反射的に周囲を見回したのですが、気のせいだったようです。
・・・少し、神経質になっているのかも知れません。
天敵の言葉を拒否する意味を込めて返事をしたのですが、思いのほか力強い声が出て、それに自分自身が励まされた気がしました。
そうです。
まだ始まってもいないのに、気力で負けたら終わりですよ!
私はパンッと両頬を叩いて、まっすぐ前を、そこにいた天敵と神官次長を見ました。
期待と困惑。
二人はなんだか対照的な色を瞳に浮かべています。
「参りましょう」
背筋を伸ばして、先を歩き出した神官次長に続きます。
帰還の儀式は、本殿ではなく、少し離れた木々で覆われた奥庭の一画にある聖地で行なわれます。
事前に見せて頂いていますから、どんなところかは分かっていますが、夜に見るとまた迫力が違いますね。
空にはリーフェリア祭直前を迎え、眩いばかりの星々が輝いています。
こんなに星がきれいな夜なら、夫と二人でゆっくり星見がしたかったなぁ、とぼんやり考えてあわてて首を振りました。ぼんやりしている場合じゃないです。
その輝く星々の下に、ひっそりと佇むする、四つの柱。
屋根はなく、柱と床だけが存在するそこが、帰還の儀式を行う聖地だそうです。
「帰還の儀式はどのように行うのですか?」
私は気を抜くとぼんやりしてきてしまう意識をはっきりさせるためにも、神官次長に話しかけてみました。その間に、両袖に隠していたものを手のひらに落としておきます。
黒のリーフェリアとしての儀式と祈りについては、事前にかなり学びましたが、帰還の儀式については代々の神官次長が取り仕切られているとのことで、細かい部分は教えてもらえていないんですよね。
「この聖地で祈り、贄を捧げるのです」
「贄、ですか?」
「ええ。この儀式を経て、神の伴侶は神の御元へ帰ることができるのですよ」
神官次長様が囁くような小声で答えてくれました。夜だからか、声がよく通ります。
黒のリーフェリアとしてここにいるからか、囁くような神官次長様の返事は普段よりも丁寧なものです。
「これまでの黒のリーフェリアと同じように?」
「ええ、そうですとも」
断言する声に、少し瞼を伏せました。目眩がひどくなって来た気がします。
「祭史を見せて頂いたんです。これまで帰還出来なかった黒のリーフェリアはいませんね」
「その通り。この儀式を受けた黒のリーフェリアは、全て、神の御元へ戻られていますから」
聖域が近づいて来ました。そこには、聖誕の間で見たものとよく似た模様が描かれています。
「違いますよね」
私は聖域を前にして、ギュッと手を握り、ちょっと声を張り上げました。遠くまで、聞こえるように。
「だって、私たちの故郷は、神の御元なんかじゃないです」
「知っていますよ」
神官次長と天敵を含めて9人の神官たち。
彼らは全て黒い衣装を身に纏っていて、夜に溶け込むようです。
「黒のリーフェリア。貴方は、銀の浄化を得て、神の伴侶としてその御元に召される。それによって、我々は全ての穢れた者たちを浄化する力を得る」
「・・・穢れた者?」
初めて神官次長の声が、静かな落ち着いたものから、熱っぽいものが混じりだし、そして憎憎しげに私を見ました。
「そう。我らの世界に入り込む、穢れた血を葬り去る。我々の世界は、我々だけのもの。汚濁は全て浄化されるべきなのだから」
「此処にいる皆さんもそれを望んでいるのですか?」
黒いローブの神官たちは話すことも動揺することもなく、私を取り囲むことで、答えました。
神官次長は、飾りだと思っていた腰の小剣をゆっくりと鞘から抜き取りました。
逃げ道はありません。
じりじりと後ずさると、片足が聖域に似せた模様の一部を踏みました。
「貴方が帰還を望んでくれて、嬉しかった。黒のリーフェリアを捧げることで、浄化はより一層進むのだから」
私は強く手の中のものを握り締めながら、じりじりと後ずさります。
まだ、もう少し。
「だから、私に帰還の儀式のことを教えたんですか。い、生贄として殺すために?」
こ、声が震えてしまいました。
「贄の条件を満たすのは、もう貴方だけだった。さぁ、そろそろ儀式を始めましょうか? 尊き神の導き子にして妻となりし、黒のリーフェリア。これより、神の身元へお返しいたしましょう」
ゆったりと微笑む神官次長の言葉に合わせて、包囲網がぐっと狭まって来ました。
追いやられるようにして、模様の中央へ立ちました。神官次長の手には、銀色の、物騒な輝きが。
今しかありません!
手に握り締めていた母特製の強力洗剤を足元に叩きつけました。
瓶が割れ、中の液体が触れた場所から、床に描かれていた模様が消えて行きます。
汚れ落としにぴったりですね! 効果のほどは、生誕の間で確認済みですよ!
「聖地が!?」
「なんて事を!」
誰かの悲鳴混じりの声を聞きながら、私は神官次長だけをまっすぐに見つめました。
「デールイ神官次長様。私は、黒のリーフェリアを辞退致します」
「貴方はすでに神の伴侶となられている」
周囲の混乱をよそに、神官次長はチラリと床に視線を向けただけで落ち着いています。
やっぱり、強力洗剤だけでは駄目なのでしょうか?
神官次長のすぐ側に立つ天敵に一瞬視線を向けると、こんな状況にも関わらず、相変わらずの微笑みを浮かべています。
その目が、これで終わりですか? と小馬鹿にしています。思わずムカッ、と腹が立って、ぐ、とお腹に力を込めました。
やってやろうじゃありませんか!
こうなったら、徹底的に巻き込んでやりますよ!
「ええ。ですから、その神の伴侶を辞退すると申し上げたんです。私は、」
反対の手で握り締めていたもうひとつの瓶を、大きく振りかぶり。
「神様と離縁します!」
強力洗剤で模様が消えた床で瓶が割れて。
液体が混じり合った途端、爆発がおきました。
その爆風に吹き飛ばされる直前、天敵の微笑みではない笑顔をみた様な、気がしました。
ああ、それにしても。
お母さん。
・・・あなた、なんて物を開発しているんですか。
主婦の仮面を被った母の笑顔を思い出しながら、地面に叩きつけられる覚悟をしていたのですが。
背中に伝わった軽い衝撃とともに、太い腕が私をしっかりと抱きとめて。
目を開けると、黒のフードの奥で、焦げ茶色の瞳が、輝いていて。
え?
まさか。
・・・だんな、さま?