12 お別れです。①
いざ離縁の手続きをしよう、と思ったら、すぐに準備が出来てしまいました。
手続きに必要な書類は、先日のお茶会のときに友人が全て揃えてくれましたし、夫の居ない時間を見つけて少しずつ記入しておいたので、抜け漏れがないかどうかを確認するだけです。
念のため、書類と一緒に隠していた覚書に書き付けていたことを照らし合わせながら、書類に不備が無いかを確認してみました。うん、必要書類は全部揃っていますし、記入漏れもありません。
完璧です!
それから、仲人でもある保護者と奥方さまに向けて書をしたため、神殿への結婚宣誓書の破棄依頼も作成しました。それから、もう一通。
これで必要なものはすべて揃いました。
あとは、これらの書類をいつ提出しに行くか、です。
今日は午前いっぱいを一人反省会を開催して過ごしてしまったので、時間がたりないかもしれませんし、明日にしたほうが・・・。
いえ、やっぱり、だめです。こういうのは勢いが大切ですから、今日中に出来るとまでやってしまいましょう!
夫が馬で出かけているので馬車は使えませんが、街までの道のりはわかっていますし、歩けない距離でもありません。夫が帰ってくる前に家に戻っておきたいので、時間は限られてしまいますが、少しは進められるはずです。
よし! 行きましょう!
手続きが終わらない覚悟で出かけた、その結果。
あっさりと、すべての手続きが終了してしまいました。
・・・あれ?
友人と一緒に回っていたときは、丸一日かけても終わらないかも、と戦々恐々としていたのを覚えているのですが、こんな半日以下の時間であっさり終わるものでしたでしょうか? 今、まだ陽が高いですよ?
確かに友人と下見をしたときも食事後に移動したので、午後をだいぶ回ってはいましたし、正直、友人に説明して貰っている時はいろいろなことを一度に覚えようと必死だったので、時間の感覚に自信が無いんですよね。
念のため、覚書を確認してみますが、お役所の処理上、完全に反映されるのは明日の朝になるようですが、流れに間違いはなさそうです。
つまり事実上、離縁が成立した、ということです。
・・・なんだか、あっけないものなのですね。
離縁の際には、どちらか一方だけの署名でも成立しますので、夫に書類を渡す必要もありませんでしたし。
結婚したときも書類だけだったので、たしか半日もかからなかったと記憶しています。同じような手順なのかもしれませんね。
縁組も離縁も、こんなにも簡単なのかと思うと、少しだけ、さびしいような、複雑な気持ちになってしまいます。
この流れで、ある意味一番の難関である保護者夫妻への報告も今日中にやってしまおうか、とも思ったのですが、やめておきました。こちらでは手紙を出してそれが届いた頃に訪ねて報告する、事後報告の形が正式なやり方だそうなので、まだ数日の猶予がありますから。後でできることは後にしましょう。
ということは。
あと今日やるべきことは、夫と話すことだけですね。
離縁の手続きを終えて、家への帰り道を歩きながら、いろいろなことを考えました。
これまでのこと、これからのこと。
・・・話せること、話せないこと。
考えこみながら無心で足を動かしたおかげか、行きよりも早く家に着きました。まだ陽は傾いていません。
厩舎を覗くと、まだ馬は戻ってきていませんでした。よし、夫はまだ帰ってきていないようですね。
少し迷ってから家の中に入り、いつも通り簡単な夕食の支度をしました。
それから、物置部屋から数少ない私物を鞄に詰め込んで外に出ます。さすがに家の中で夫を待つ気にはなれませんから、外の雨除けにある椅子に腰掛けて夫の帰りを待つことにしました。
どれくらいそうして座っていたでしょうか。
太陽がどんどん傾いて、沈む頃。遠くから蹄の音が聞こえてきました。
立ち上がって出迎えると、乗馬した夫が夕陽を背に受けながらゆっくりとこちらへ向かってきます。
逆光で夫の表情は見えませんが、馬と夫の影が、夕陽と映えて、一枚の絵のようです。
夫が私の前まで来ると夕陽が沈み切り、夫の顔がよく見えるようになりました。
焦げ茶色の瞳が私を映し出しています。
とくり、と鼓動が大きく打ち始める音。
自分の体の中から響くその音に、ああ、やっぱり、と嬉しいような、くすぐったいような、不思議な気持ちになりました。
馬から降りた夫がいつも通りの無表情で私を見下ろすと、すっ、と目を細めました。
小さくいなないた馬が夫に何かを訴えかけるように頭を振り、夫の視線が動いて私の足元においていた鞄に注がれます。その視線がゆっくりと私に戻ってきました。
「・・・どこへ?」
こうやって夫と話すのもこれが最後になるのかも知れませんね。そう思うと目がうるんできてしまいますが、何度も瞬きをして散らします。
泣いている場合じゃ、ないですから。夫に話せることを、きちんと伝えておかなくては。
「今日、離縁の手続きをしてきました。全て受理されましたので、ここを出て行きます」
悲壮感と覚悟を胸に、なんの感情も浮かんでいない夫の焦げ茶色の瞳をまっすぐに見つめ、まず最初にそう夫に伝えたのですが、どうやらそれは失敗だったようです。
・・・夫の瞳に浮かんだのは、いまだかつて見たことがないほど激しい、感情の渦でした。