友人に手続きを教わりましょう。④
私たちは奥にいる2人に警戒しつつも、 食事と会話を存分に楽しみました。
せっかく久しぶりに会ったのですから、楽しまないと損ですものね!
それから、今後必要になるであろう情報や幾つかの頼み事をして、食堂を出ました。ちゃんと二人組にも挨拶をしましたよ? 嫌々、でしたけど。
友人は、馬車に同乗して家まで送ってくれました。私は馬車の御者に友人を送ってくれるように頼み、家の中に入ります。
友人のおかげで、今日は、とっても有意義な一日になりました。
あとは、今鞄に入っている書類と覚書をどこに置いておくかが問題ですね。忘れないうちに書類の記入もしなければ。今日はもう遅いですが、明日は物置部屋を片付けるつもりなので、その時にどこかに隠しておきましょう。
私は心配事がひとつ減って、少し気分がフワついていたようです。
無警戒で家の中に入ってすぐに、壁にぶち当たりました。自分の家に帰ってきたのに、警戒なんてしませんよね、普通。慣れた自宅で一体なににぶつかったのかと視線を上げて、冷水を浴びせられたように一気に現実に戻って来ました。
壁だと思ったのは、夫の胸元だったようです。
な、なんで夫が扉のすぐ前に立って居るのでしょうか?
その顔がもの凄く不機嫌そうなのは気のせいだと思いたいです。
「た、ただいま帰りました。お出かけですか?」
扉の前に居たということは、出掛けようとしていたのかと思って聞いたのですが、夫は小さく首を振ります。出掛けるわけではないんですね。
夫はまだ開いている玄関の扉から外をチラリと見て、遠ざかる馬車を確認したようでした。夫がさっぱりしてから視線を追えるようになったので良く分かりますが、どうしてそんなに憎々し気に馬車を見ていたのでしょうか。
私ちゃんと言われた通りに馬車で帰って来たんですが、と主張したくなった頃、夫は腕を伸ばして私越しに玄関の扉を閉めると、ひとつ小さく息をついて私を睨んできました。
も、もしやお叱りですか!? そんな理不尽なっ!
「おかえり」
びくびく怯えつつ反応をうがっていたら、夫がたった一言、言いました。
そういえば、帰ってくる夫を出迎えたことはあっても、出迎えられるのって初めての経験です。普段はこんなに遅く帰ってくることも有りませんし。
どうしましょう、嬉しい、です。
「・・・ただいま」
もう一度挨拶を返すと、夫は頷いていつもの定位置であるソファに腰掛けて本を読み始めました。
何の本を読んでいるのか、彫像のように無表情で視線だけが動いています。本に集中しているときの夫は、意識を他のことから完全に隔絶していますから、安心して眺められるんですよね。
いつも以上に激しく鼓動を繰り返す胸を手で押さえますが、一向に落ち着く様子がありません。
ただ、夫に出迎えて挨拶をしてもらっただけなのに、どうしてこんなにも嬉しくて、少し恥ずかしいような気がするのでしょうか? ああ、駄目です。これ以上、考えてはいけない気がします。
私は小さく首を振って、思考を追い出すと、着替えるために物置部屋に入りました。
改めてみると、本当に以前よりも物が増えていますね。
着替えのためだけにここを使っていたので、気づきませんでした。でも、大小様々な物が置いてありますが、やろうと思えば半日で私一人寝れるように出来ると思います。
でも。
もうちょっと、このままでもいいかな、と。
だって、長くてもあと一月半ですし。片付けるのも大変ですし。そう、それにここを片付けたら書類が隠せないかもしれません。
うん、物置部屋はこのままにしておくということで。
手早く鞄の中から紙の束を出して隠そうとして、重なっていた箱を崩してしまいました。物置部屋はこのままにすることにしましたが、ちょっとは片付けたほうがいいかも知れませんね。
ついでに鞄は入り口近くの棚に置いておきました。あまり使わないですが、次の計画がうまく行けば、すぐに使うことになるかもしれませんから、しまいませんよ。ええ、きっとすぐに必要になりますとも。
着替えを終えて物置部屋から出てなんとなくソファの方を見ると、夫が居ませんでした。本だけが無造作に伏せられています。あれ? やっぱり出かけたのでしょうか。
無意識に室内を見回して、落ち着いていたはずの心臓が大きく跳ねました。
夫は出かけていません。いました、すぐ側に。
さっきは玄関の真ん前に立っていたわけですが、今度は扉の横、ちょうど部屋の外に出なければ見えない位置で壁に背を預けて立っています。
物置に置いてある物が取りたいのかと思って扉からずれて場所を譲ると、夫の目が細くなりました。え、なんですか、なんで睨まれているんですか!?
理不尽さに抗議しようとして、ふと違和感を感じました。
違和感というか、圧迫感?
これは、睨まれているわけじゃなくて、威嚇されているというか、狙われて、いるような・・・。
背筋に悪寒が走り、思わず体が後ろに下がってしまいました。あ、と思った瞬間、夫に捕獲さ・・・抱き上げられていました。
「だ、旦那さま!?」
自分の意思とはべつにいきなり視界が高くなったら、しがみつくしかないわけで。
体を安定させる為に縋り付いた首の太さと肩幅の広さをじかに感じて、やっぱり夫はクマさんみたいだと思ったり。
・・・どうやら私、焦り過ぎて頭の何処かがねじれてしまったみたいですね。
非常に近くなった夫の顔をそっと仰ぎ見ると、夫は厳しい表情で私を見たあと、物置部屋に視線を移しました。
そして再び私に視線が戻ってきた時には、いつも通りの無表情ながら、どこか戸惑うような、気まずげな様子。
ここ最近よく思うことですが、一体どうしたのでしょうか、夫は。
「旦那さま?」
もう一度声を掛けると、夫は私を抱き上げたまま寝室に入り、私を寝床の奥側へ寝かせるとそのまま夫も寝具の中に入ってきました。
「あの・・・?」
「おやすみ」
何がなんだか分からないのですが、夫が私を腕に抱きかかえたまま目を閉じました。
私、まだお風呂にも入っていないですし、片づけも明日の朝食の下ごしらえもしていないのですが。
でも、夫の腕が暖かくて、春が近いとはいえ、まだまだ肌寒い夜に心地よくて、なんだか眠くなってきたし、まぁいいか、と。
明日のことは明日にしましょう。
「おやすみなさい、旦那さま」
ふぅ、と息をついて夫と同じ様に目を閉じました。温もりと安心感に包まれて、あっという間に穏やかな眠りに落ちて行きます。
・・・翌朝、羞恥のあまり転げまわりました。