異世界で竜人の番になったが、簡単に手放されるはずがなかった
ブラック企業に就職してしまった新卒一年目の日向 紬はその日も終電を逃した駅のホームで呆然と立ち尽くしていた。
何度も何度もお祈りメールを拝んで、やっと手にした就職先がまさかのサービス残業、パワハラといったストレスフルな環境だった。自分の人生の運の悪さに悲観しつつ、社畜としてすっかり鍛えられていた紬。
明日が休日なことで次の日の遅刻を回避できたことに安堵すら覚えていた。
本日の役目を終えた車両が倉庫に入ろうとホームにゆっくり入ってくる。そのライトに照らされ、寝不足で痛む頭に手を当てつつも一瞬目を閉じた。
軽く感じた浮遊感、ついに目眩すら出たのかと紬が足を踏ん張る。
ーー次に目を開けた時には見知らぬ綺麗すぎる金色の長髪のイケメンに、抱き締められていた。
「やっと…やっと見つけた…!私の番…!」
「…(なんだ夢か、寝よう)」
再び目を閉じた紬は、現実逃避と共に日々積み重なった体の疲れにぐっすり眠ってしまった。次に目を開けた時にはやたら豪華で大きすぎるベッドの上で寝かされていた。
なんと、私の番だという金髪長髪イケメン改め、リュガルト・ガル・グラキエスによって異世界に転移召喚させられていた。
彼は竜人族の長としてこの世界を統べる者だった。
そんな彼の“番”である紬は、唯一無二の存在だと持て囃され、妻としての立場を強いられた。
紬はわけがわからない。異世界の言葉が通じているが文字は読めず、幼児向けの絵本を読まされ異世界の常識を習わされる日々。
「つむぎ。生活に支障はないだろうか。困っていることは?」
「えぇと…分からないが分からないといいますか」
「そうか。…苦労をかけるな、嫌なら教育など受けなくてもいい。私の傍に居てくれるだけでいいんだ」
リュガルトは全身全霊で愛を伝えてくれるが、紬には番だと言われても何一つ理解できなかった。
本当にこのまま、この人の妻として生きていくのだろうか。
リュガルトはやらなくていいと言ってくれるが、衣食住を全て養われ、宝石だのなんだのと飾り立てられ、至れり尽くせりの生活。
それは上に立つ者の未来の妻としての責務を負う対価であると紬は考えていた。
擦り込まれた社畜精神から、周りの人間からの強めの圧に紬は意思を伝えることが出来なかった。
しかし心の奥底では、目の前の現実を受け入れられない気持ちが燻り、必死に異世界の常識を学びながらも乖離して行くばかりだった。
食事の主食は米ではなくパン中心。慣れない香辛料の味。働き詰めだった紬は日本でろくな人間の食生活をしていなかった分、故郷の味が恋しくなっていた。
洋服というよりはドレスのような複雑な衣服は、上質で布は重く締め付けがキツい上に、姿勢を崩せずしんどかった。新卒の安いスーツもとても肩が凝るものだったが、紬にとっては比にならない程とても重苦しかった。
ただでさえブラック企業で病んだ精神と現実離れした出来事に、紬の心は崩壊寸前だった。
リュガルトはそんな紬の精神的な危うさに気づいていた。
「…其方を元の世界へ還そう」
定期的に逢瀬の時間を取っていたリュガルトと紬。
ふと紬が元いた世界の話を口にした際に、無意識に大粒の涙がこぼれ出していた。
その姿を見たリュガルトは、決意した瞳で紬を見つめた。
「…私、帰れるんですか…?」
「そもそも私が呼びつけたんだ。
少し準備に時間がかかるが、やってみせよう」
「本当に…?」
リュガルトの判断と行動は迅速だった。
故郷を恋しんで泣く番の姿を見ているのは心苦しかった。
この紬を元の世界に還すという約束は、紬を立派な妻に育てあげようと躍起になる周りの者たちに邪魔されては困ると、二人だけの秘密になった。
***
元の世界に帰れる。
そう思ってからの紬は憑き物が落ちたように、晴れやかな気持ちになっていた。
決してブラック企業にもう一度務めたいとは思っていなかったが、今度こそ自由気ままな人生を送りたいと希望に満ち溢れていた。
急に重くのしかかった知らない世界の“長の妻”としての重圧が、真っ直ぐに愛を伝えてくれるリュガルトとの間に分厚い壁になっていた。
そんな大それた役割から開放される。
その事実が紬がリュガルトを直視することができた要因になっていた。
「つむぎ」
「はい、リュガルトさん」
城の庭にある大きな湖に連れ出してくれたリュガルトが、紬の手を引いてくれる。
日本の太陽よりも大きな球体が湖を照らし出す。水面から反射した光が眩しくて目を細める紬。
陽射しを避けるように覆い被さる長身のリュガルト。
腰までの長い綺麗な金髪がサラリと紬にかかり落ちるのを耳にかけるのを至近距離で見つめる紬。
鋭い爪と、とんがった耳が人間離れしていた。
「つむぎ。今日も愛くるしい」
「…ありがとう、ございます。リュガルトさんは綺麗な金髪ですね」
「其方の黒髪の方がコシがあって、滑らかで心地よい」
竜人族の誇りである金髪は、魔力が込められておりリュガルトの長髪はその力の大きさを誇示するものだった。
自らの力の象徴である金髪を褒められたリュガルトは頬を染めて嬉しそうに微笑みながら、うっとりと紬の髪を撫でた。
「…来月の満月が来たら、返還の準備が整う。もう少しだけ待っていてくれ」
「…はい…」
紬は人生でこんなに綺麗な男の人に見初められるなんて、光栄なことはもう二度とないことはわかっていた。しかし、その幸運を自ら手放そうとしていた。
***
満月の夜。
二つ浮かぶ真っ赤な月がぴったり重なるその時、この世界に来た服を身につけた紬が、リュガルトの手によって還されようとしていた。
魔力を行使するリュガルトの鋭い爪と手の甲に現れた鱗のようなものが浮かび上がる。
魔力をかなり消耗するが、完全体の竜になると空すら飛べるらしい。
今更ながら人離れしたリュガルトの姿に、何故か紬は目が離せなかった。
青色のような紫のような複雑な色を灯すその姿は、神秘的で美しかった。
「…綺麗」
「つむぎ。どうか元気で」
「リュガルトさん。貴方の気持ちに応えられず、…ごめんなさい」
正確な月日は分からないが、一年程だろうか。最初の半分はすれ違っていた二人だが、紬を元の世界に還すと決めてから確実に心の距離は近くなっていた。
しかし、紬はそれでもどう努力しても、元の世界を恋しく思う気持ちを捨てることが出来なかった。
目の前の美しい竜人の唯一無二の番である紬は、天秤にかけた上で彼を手放すことを選んでいた。
紬は絶対に泣くもんかと、目頭に力を入れてリュガルトを見つめた。
金色の瞳が熱を帯びて、どこかうっとりとした顔つきで紬を見つめ返した。
「…少しだけ待っていてくれ」
「え…?」
ぐらりと視界が揺れて浮遊感に目を強く瞑ってしまう紬。がくりと地面に座り込んだ次の瞬間には、あの日の駅のホームにいた。
***
一年半の月日が経っていた日本。
行方不明者として捜索願いが出されていた紬は、記憶喪失として片付けられ、勤めていたブラック企業は退職の手続きが終わっていた。
心配した母に田舎に連れ帰られそうになった紬だが、高齢の祖母の介護に励む親の負担になるのが嫌で、なんとか説得して東京で一人暮らしが続けられることになった。
何度目かの就職の面接で通ったのは、新規事業を始めた新しい会社の大口募集に、なんとか中途採用で営業事務として就職できた。
三ヶ月ほどして、慣れてきた職場はホワイトでサービス残業は禁止。事務もフレックス勤務が認められ、外資から引き抜かれたという上司も優しく雰囲気も良かった。
私生活も何とか整ってきた頃、女の先輩たちがキャッキャと浮かれているのに気づく。
「やだ、日向さんうちの社長知らないの?」
「えっと面接の時は部長が面接してくれたので、名前だけはうっすらと…」
「ドイツ人とのハーフだか北欧のクオーターらしくて、めっちゃくちゃ綺麗な人なの。仕事も出来るし、この前だって大口の企業と取引が決まった凄腕社長よ!」
慌てて当社の概要パンフレットを開く紬。
とにかく自立したくて日々の仕事に必死だったため、余計なことが目に入っていなかった。
『社長:竜崎 海斗』
金色の髪をビジネス風に撫で上げた短髪の男性が、スーツをびしりと着込んで映っている姿に、紬は目が離せなかった。
よく知る人に似た綺麗な顔。瞳の色は“彼”より暗く見えるし、とんがった耳も普通の形をし、あのトレードマークの長髪がバッサリと切られて襟足は刈り込まれているように見えた。
バクバクと心臓が脈打つ。
ざわりとオフィスの空気が沸き立つと、その若き社長が三ヶ月の出張を終えて帰ってきたようだった。
「…おはよう。皆、今日もよろしく」
その少し低い甘い声は、どこか固かったが紬がこの数ヶ月何度も思い出してはかき消した存在、リュガルト・ガル・グラキエス、その人の声だった。
わっと群がる人の遠くから、紬は呆然と一人の男を見つめていた。
気がそぞろなその日の就業が終わると、気付いたらオフィスから人が消えていた。最後に出ようとした課長が先に行くよと声をかけてくれた時に、我に返って帰る支度をしていた。
帰ろうとした紬の腕を掴んだのは、竜崎だった。
その手は爪は短く、長い指はそのままだったが手の甲にも鱗はひとつもない。
まさか、そんなはずはない。彼はあの世界の長で…。
「……しゃ、社長?」
「違うだろう。つむぎ……リュガルトだ」
「そ、そんな…!」
舌足らずに自分の名を呼ぶ声に、ガバッと顔をあげる紬。長身は変わらない彼が小柄な紬に背を屈めて顔を覗き込む。じっと見つめられる瞳がきらりと金色に輝いた。
リュガルトは自分の世界を捨てて、紬の前に現れていた。
「やっと迎えに来られた。まさかうちに就職希望をしてくれるとは嬉しい誤算だった」
「ど、どうして…、国は…?」
「竜人の番への執着を、つむぎは知らないのか。一番に伝えさせたはずだが」
紬は完全に竜崎がリュガルトであることに気付くが、頭の中はパニックになっていた。掴まれた腕がいつの間にか手を繋がれ指を絡みつかれていることに気づかない。
反対の腕が腰に回され、引き寄せられるがついジリジリと後ろに下がってしまう。
確かに、竜人族が番を見つけた際に、既に相手が居た時一国が滅んだとか拒否されて世界が終わりかけたとかいう絵本を読まされた。
しかしあれは文字の練習で、おとぎ話のようなものだったのではないのか。
トンッと腰にデスクが当たる。もう紬に逃げ場は無い。
口元を緩ませたリュガルトは、そっと紬の頬に手をかける。親指で唇を撫でられ、紬の背筋にゾクッとしたものがかけあがった。
悪寒。
それは足下がグラグラとするような恐怖に似ていた。でも心の奥底でジリジリと熱く焦がれるような感情も湧いている。
紬の安易な選択によって、一人の男の人生を変えてしまった恐怖。しかも相手は紬の持ちうる全ての物よりも、莫大な名声や資産、能力と立場を持っていた相手だった。
…完璧な人間が、自分一人の為に世界すら捨ててきた。
そしてたった数ヶ月で紬の世界に馴染み、会社の社長という立場で目の前に現れた。
「つむぎ、早く会いたかった」
「リュガルトさん…私のせいで…?」
「君がいない世界なら私には必要ない」
紬は開いた口が閉じることができないほど、驚きと焦り、少しの歓喜が複雑に胸の中で混ざりあっていた。
戸惑いを隠せない紬に満足そうに笑いかけるリュガルト。
持てる全ての力を使い、紬が再就職することを見越して、全て整えていた。
元の世界の部下たちは、どうにかしてリュガルトの番である紬に夫婦関係を受け入れさせるため動いていたに過ぎない。
しかしそのプレッシャーは、紬にとって重責にしかならなかった。
“竜人族の長の寵愛を拒否する”
これは天地がひっくり返るほどの災いだった。
「つむぎが異世界に馴染めなかったせいじゃない。
私が君の隣に居たいからと無理に呼び寄せてすまなかった」
「…え、えぇと。ちょっと近い…!」
体すら密着させて迫るリュガルトの綺麗な顔が唇が重なってしまいそうなくらい近くにあって、余計パニックになる紬。青ざめていた顔色が頬が赤くなっていく。
グッと拒絶するように両手で胸板を押す。
表情から完全に拒否されているわけではないと頭では分かっていても、本能が番の行動に心が揺れ動くリュガルト。
おでこをコツンと擦り寄せ、屈み込むと癖で顔にかかっていた髪を耳にかける仕草をする。
その異世界で何度か見たリュガルトの動作を懐かしく思った紬が胸をときめかせた。
「…髪の毛、綺麗だったのに。ばっさり切ってしまったんですね」
「長髪の方が、つむぎのタイプか」
「い、いえ…どっちもかっこいいです」
良い反応をする紬にリュガルトは焦がれた番への想いが高まっていくのを感じる。しかしここで下手を打って紬を失うわけにはいかない。
紬の手を髪に触れさせ、抱きすくめるように腕に閉じ込めるリュガルト。
力を入れないように顎を掴んですくい上げる。
「…つむぎ、愛してる。
もう私は竜人の長じゃない。ただの男として、口付けを許して貰えるだろうか」
「……っ」
紬はもう何が何だか分からなかった。
リュガルトは異世界で口説くことはあったが、こんな風に“男”として迫ってくることは一度もなかった。
数ヶ月ぶりに現れておいて、一人の男として成り下がった自分ならどうだと、触れて熱を伝えてくる。
バクバクと鳴り響く心臓が煩く、リュガルトの顔すら直視できない。呼吸が早くなる紬は、自分の心の奥底の女心がキュンとときめくまま、ほんの小さく頷いた。
すぐさま重なる唇。甘い蕩けるようなキス。
両頬を両手に挟まれて、身動きが出来ない紬はそっと呼吸を欲する。
吐息すら奪うようなキスが再び降ってくる中、ゆっくり目を開けると、リュガルトの頬に鱗のような模様が浮かび上がる。
「…興奮すると、たまにこうして出てきてしまうんだ」
「はぁ、 …ん、もう、休憩…!」
「つむぎ。一度許したのは君だ」
私を拒絶するなというかのように、キスを深めていくリュガルト。
紬が我に返る前に、攻めの姿勢を崩さないリュガルト。
薄れる意識の中で、紬は読んだ絵本を思い出す。
異世界の絵本になってしまうほどの常識によると、竜人に一度見つけられた番は、幸せ不幸せに限らず、生涯で二度と手放されることはなかったとされていた。
紬はこれからの自分の人生にリュガルトが切って離せない存在になることに、その未来を想像して、紬の背筋にもう一度、ゾクッとした甘いものが這い上がっていた。
「…ずっと一緒にいさせて欲しい」
…こんなのダメだなんて、言えない。
ーFinー
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